私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

アメリカがはっきり見える場所

2014-02-27 13:30:06 | 日記・エッセイ・コラム
 アメリカに旅行してみてもアメリカはよく見えません。ニューヨークのブロードウェーイなどに行ってみてもアメリカは見えません。いまアメリカを見据えることの出来る飛び切り良い場所はベネズエラです。
 ウクライナではクーデターが成功しました。ベネズエラでもクーデターを狙う反政府争乱が進行中ですが、こちらにはロシアという邪魔者はいませんし、ケリー現米国務長官が、依然として、ぬけぬけと「中南米はアメリカの裏庭だ」と公言している位ですので、裏庭でのアメリカの赤裸裸な醜い姿がはっきり見えます。ベネズエラのマスメディアは今もなお保守的資本の支配下にありますから、ベネズエラから、あるいは、その近隣から発信される英語やスペイン語の報道はアメリカ寄りに偏向していますが、ネット上で探せば、そうでない情報にも結構行き当たります。その例として、まずアルジャジーラ・アメリカの記事を挙げておきます。
http://www.commondreams.org/view/2014/02/25-5

ベネズエラの首都カラカス発の次の記事からはより広汎な視界が得られます。
http://axisoflogic.com/artman/publish/Article_66417.shtml

 ベネズエラで露呈されている米国の醜悪で且つ恐るべき正体にはいわゆる人権監視機関のそれも含まれています。その最有力なものの一つであるHRW (Human Rights Watch) は、私の知る限り、ベネズエラに関しては米国政府の手先のような役割をこの十数年間一貫して採ってきました。それに対する具体的な反論は次の記事で読むことが出来ます。

http://zcomm.org/znetarticle/latest-human-rights-watch-report-30-lies-about-venezuela/

 ベネズエラの一般市民にとっては、街頭での反政府デモの暴力よりも、日常必要品の枯渇と価格の高騰のほうが心配の種でしょう。私は、ここで、数年前に世界中の話題になったジンバブエの天文学的インフレを思い出さずにはおれません。あれは、“凶悪独裁者”ムガベ大統領を打倒して政権変革をする目的で米欧が人為的に起した事態でした。つまり、米欧に逆らう政策をとる国家指導者(政権)には一般国民がどんなに苦しもうとも飽くなき制裁が加えられるということです。日本のマスメディアはべネズエラのことはあまり報じませんが、今ベネズエラは大変なことになっているのです。米国という巨大テロ国家の残忍さが見え見えになっているのはシリアやリビアだけではありません。
 アンドレ・ヴルチェック(ANDRE VLTCHEK)という多感な小説家兼映画作家兼ジャーナリストがいます。『Soon, the Battle for Venezuela』と題するベネズエラの大統領宛の公開状は次のように始まります。:
■ They are already sewing your funeral gown, Venezuela. They are now ready to welcome you back to that world of the lobotomized, destroyed nations that are fully submissive to Western political and economic interests ? Indonesia, Philippines, Paraguay, Uganda, Kenya, Qatar, Bahrain, and almost the entire Eastern Europe. There are so many places like that ? it is impossible to list them all. ■
「ベネズエラよ、彼等は御前の葬式ガウンをもう縫っているところだ。・・・・」彼等とはベネズエラを潰しにかかっている米国と米国と利害を共にする国内上流層のことです。
http://www.counterpunch.org/2014/02/21/soon-the-battle-for-venezuela/

一年前に、私が敬愛してやまなかったウゴ・チャベスが亡くなりました。その時書いたブログ記事を再録させて頂きます。
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2013/03/08

ウゴ・チャベスが亡くなった

 ベネズエラ政府の公式発表によれば、ウゴ・チャベスは3月5日午後4時25分ベネズエラの首都カラカスで亡くなりました。?
 「おきうちぎ」さんから、前回のブログ『寄ってたかって北朝鮮をいじめるな』に、次のコメントを頂きました。:
?■ウゴ・チャベスが亡くなりました。4回目のガン手術のあとの感染症とか。故国での死を望んでの早めの退院・帰国だったかも知れません。ベネズエラ国民は真の民主主義的統治を目指すまともな大統領を失いました。?米国やその追随国家の首脳から心にもない追悼の辞が届いていました。?わたしの記憶の1つは、チャベスが中南米の歴史を描いた『収奪された大地』をオバマに贈った図です。チャベスがオバマに僅かなりとも期待していたのか、単なる外交儀礼なのかどうか。?今は、この死去をきっかけとした災いがベネズエラ国民にこないことを願っています。■?
私の思いは「おにうちぎ」さんのそれに全く重なります。
? 2009年4月17日、トリニダード・トバゴ共和国のポート・オブ・スペインで開催された米州首脳会議に出席したチャベスは、2日目の18日、ガレアーノ著『収奪された大地』をオバマに手渡しました。米州首脳会議(SOA, Summits of the Americas )は北、中、南米、カリブ海全体の国家首脳のサミットで、1994年に始まりました。この全地域をいわゆる自由貿易協定地域としてコントロールしようとする米国の意図が生んだサミットです。トリニダード・トバゴの会合(17日~19日)はその第5回で、オバマが前任者ブッシュ大統領の政策からの“チェンジ(CHANGE)”を叫んで、見事に新大統領になったばかりの時でした。チャベスは『収奪された大地』を持って自席を立ち、オバマ新大統領の席まで歩いて行って、「オバマへ、愛をこめて」と自筆で書きこんだその本を手渡し、握手を求めました。その様子から、私は米国の黒人新大統領に対するチャベスの率直な期待を読み取りました。チャベスも、この時点では、バラク・オバマという稀代のコン・マンの正体を見抜けなかったのだと思います。具体的には、米州首脳会議からイビリ出されて孤立しているキューバの容認にオバマが踏み出してくれるものと期待したのでしょう。しかし、チェンジは何も起きませんでした。次の米州首脳会議(第6回)は、2012年4月、中南米の中で殆ど米国の植民地のように見えるコロンビアのカルタヘナで開催されましたが、次回7回目にキューバの参加を許可しようとする提案に対して、オバマ大統領は依然として拒否の姿勢を保ち、拒否権を行使したため、第6回米州首脳会議は最終宣言が発表されないままに、4月15日閉会に到りました。キューバの米州首脳会議参加の問題に関する限り、オバマ大統領は四面楚歌の状態を味わったのです。オバマを積極的に支持したのはカナダのハーパー首相だけでした。2009年から2012年の三年間に大きく“チェンジ(CHANGE)”したのは、米国ではなくラテン・アメリカであり、この変化はチャベスがもたらしたと言っても過言ではありません。ここではっきりと付言しておきますが、私の知る限り、オバマ大統領はチャベスに対する追悼の辞を口にしていません。この狡猾卑劣なコン・マンの心中には「敵ながら天晴れ」という言葉など存在の余地がないのでしょう。?
 『収奪された大地』というタイトルの原語は「Las venas abiertas de América Latina (The Open Veins of Latin America, ラテン・アメリカの切り開かれた血管)」で、もっと痛々しい感じがします。‘vein’は解剖学的には「静脈」ですが、タイトルとしては「血管」がよいでしょう。大地が収奪されただけではありません。そこに住む人々が、この500年間、痛め続けられてきたのです。我々としては、特に、ラテン・アメリカ独立運動の父と呼ばれるシモン・ボリーバル(ボリバル)の時代から200年間の歴史をもっとよく勉強しなければなりません。そうすることで初めてウゴ・チャベスと彼を蛇蝎のように忌み嫌う米国の行動の歴史的意味と現代的視野が獲得出来ると思います。? チャベスが死んだことで、これからベネズエラがどうなるか、ラテン・アメリカがどうなるのか。ベネズエラの人々がチャベスによって開かれた希望の道を歩み続けてくれることを、私は祈るばかりです。世上には意地の悪い評言、未来予想の類いが溢れていますが、その殆どは私たちの精神的な健康に有害です。私としては、何よりもまず、John Pilger が2007年(6年前!)に制作したドキュメンタリー『THE WAR ON DEMOCRACY』をご覧になることをお勧めします。
http://www.truthdig.com/avbooth/item/who_was_hugo_chavez_20130306/
1時間34分の長さですが、一番おわりにもチャベスが出て来ますし、言わば、チャベスその人がナレーターの役をつとめている、歴史的な記録映画です。もしジョン・ピルジャーの名が初耳なら、この人についてもお調べ下さい。? 三日前にチャベスを亡くしたこの時点で、賢しらに何らかの予測を企てることは不謹慎な行為ですが、ジョン・ピルジャーの『THE WAR ON DEMOCRACY』を見てしきりに心に浮かぶのは、ウゴ・チャベスが目覚めた大衆を作り上げたのか、それとも、目覚めた大衆がウゴ・チャベスを生んだのか、という問いです。たしかに、貧民大衆に目覚めの切っ掛けを与えたのはチャベスだったのでしょう。しかしその後のチャベスを生んだのは、ドキュメンタリーを見れば、まぎれもなく、未来に希望を持つ喜びを知った大衆です。もし私のこの観察が正しければ、今から米国による熾烈な内政干渉があるにしても、結局は大衆の意志が勝利するのではありますまいか。
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<3月9日、追加> ?驚くべき映像の数々を見つけましたのでお知らせします。?http://libya360.wordpress.com/2013/03/06/historic-and-unprecedented-venezuelans-honor-hugo-chavez/?
このlibya360 というウェブサイトを知ったのはついこの頃で、やがて機会を見て紹介しようと思っていたのですが、チャベスの柩を送る文字通りhundreds of thousands of people の写真の数々と数個の関連記事がアップされているのを見て唖然としました。リビアのカダフィを最後の最後まで見捨てなかったのはチャベスただ一人だったのです。ともあれ、とにかくチャベスの柩とともに流れる人間たちの巨大な大河をご覧下さい。ベネズエラの大衆のこの流れはもう逆流することはありますまい。この激流が力づくで堰き止められることがもし起れば、流れる血は無惨な量にのぼり、チリーを遥かに超える惨劇となるに違いありません。?

藤永 茂 (2013年3月8日)

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私はヴルチェックさんほど悲観的ではありません。チャベスの指名で後を継いだ現大統領マドゥーロは労働者出身の誠実な男ですが、チャベスの器ではありません。彼は今大変な困難の中にありますが、私としては、チャベスの柩とともにカラカスの街路を満たして流れた人間たちの大河の力に賭けたいと思います。

藤永 茂 (2014年2月27日)


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「想像力」が問題か?

2014-02-13 20:53:23 | 日記・エッセイ・コラム
 西日本新聞(2月7日夕刊)に『現代の悲惨の根源:問われる「想像力」』と題する柳田邦男氏の論説が出ていました。はじめから三分の一ほどをコピーさせて頂きます。
■ 小銃と核兵器?これら二つの兵器のどちらが大きな悲惨をもたらすかと問われれば、誰しも核兵器と答えるだろう。広島・長崎の悲惨な状況を思い浮かべれば、それは明白だ。
 それに比べれば小銃などは、問題にならないといえるだろうか。小銃の中でも最も簡便で高性能で強力と言われるロシア製のカラシニコフ自動小銃がある。カラシニコフ銃は中東、アジア、アフリカなどの国々に購入され、民族対立、宗教対立などの紛争地域で、数えきれないほどの人命を奪ってきた。
 そのカラシニコフ銃をめぐり最近一つのニュースが伝えられた。昨年暮れに亡くなった開発者のミハイル・カラシニコフ氏が、生前、自分の小銃が人々の命を奪ったことについて「心の痛みに耐えがたい。自分は罪に問われるのだろうか」とロシア正教会の総主教に手紙を送っていたという。
 兵器の開発者がこのように罪の意識を告白した例としては、アメリカの最初の原爆開発に携った原子物理学者の例があるが、通常兵器については、私は聞いたことがなかった。報道によると、ロシア正教会は武器が祖国を守るためであれば、開発者も武器も正当と認められるという立場を取っているという。
△二つの違和感
 私は二つの点で違和感を抱いた。一つは、兵器開発者は自分の兵器がどのような結果をもたらすかという問題について、想像をめぐらせないのだろうかという疑問だ。そして、もう一つは、祖国のためならどんな兵器であっても開発・使用を是認するという正教会の在り方への疑問だ。
 特にここで議論したいのは、前者、すなわち科学者、技術者、企業人などの想像力の問題だ。これは兵器の分野だけでなく、現代におけるさまざまな分野で問われる一般性のある問題でもある。最近、国内で次々に起きている身近な事件の根底にある問題を掘り下げてみよう。・・・・・  ■
これから後、身近に起きている事件として、JR北海道のレール幅改ざんと補修怠慢の行為と、製薬会社と大学が共同で降圧剤の臨床実験データを改ざんした行為が取り上げられて、こうした行為が人命に重大な危害を与えることを想像する力を失うほど、関係者は営業成績を上げることしか考えていなかったのか、と言葉きびしく弾劾されています。そして、この論説は「効率主義、成績主義、財源の制約を超えて、あらゆる分野の専門家や職業人が人間を生きた姿でとらえる感性を取り戻し、想像力を発揮できるようにしなければ、この国の未来はない」と結ばれています。
 慧眼の士として私が信を置いてきた柳田氏の筆になる論説としては、大いなる失望を禁じ得ません。昔、大江健三郎氏が、ロスアラモスに集められた科学者たちが原爆のもたらす結果(ヒロシマ・ナガサキ)について十分の想像力を持っていたならば、原爆は製造されなかったであろう、という意味のことを書いたことがありました。彼らがそうした想像力に欠けていたことは事実です。しかし、彼らが惨禍を想像し得たとしても、原爆は造られたでしょう。ロバート・オッペンハイマーは「物理学者は罪を知った。(Physicists have known sin.)」という有名な言葉を吐きましたが、これは「悪いことをしてしまった」という単なる個人的な罪の告白ではありません。この問題については拙著『ロバート・オッペンハイマー ? 愚者としての科学者』で少し論じました。
 カラシニコフ銃に関連しては、このブログで過去に何度も取り上げました。ここでも問題の核心は兵器開発者の想像力や個人的良心ではありません。私の2007年2月7日付けのブログ記事を再掲載します。:
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AK-47 as WMD

この見出しは一つの英語クイズのつもりです。アフリカの戦乱や世界平和に深い関心をお持ちの人々には易しいクイズでしょうが、私は、つい先頃、その全体の意味を読むことが出来るようになりました。?
 映画『ダーウィンの悪夢』で、ナイルパーチの白身のヒレ肉をタンザニアからヨーロッパに毎日大量に空輸する旧ソ連製の大型輸送機のロシア人パイロットたちは、タンザニアには空っぽで飛んでくるのだと繰り返し話しますが、しつこく聞き糺されて、「小銃やその弾薬などを積んでやってくることもある」ことを渋々認めます。ビクトリア湖の自然の富である魚肉を猛烈な勢いでアフリカの外に運び出す見返りに大型輸送機がアフリカに持ち込んでくるのは、湖畔の住民たちの生活物資でも土木建設資材でもなく、ライフルの大束とその弾薬--これは、以前にどこかで耳に挟んだ話に酷似しています。そうです、100年も前、イギリスはリバプールの大海運会社エルダー・デムプスターの若い社員モレルが出張先のベルギーの貿易港アントワープで発見したのと同じ、輸出入の異常な不均衡の話です。?
「 まず、コンゴ自由国からヨーロッパへの輸出。主な品目はゴム、象牙、椰子油。中でも大量の原料ゴムは、需要の急激な増大による世界的な価格高騰で、そのコンゴからの輸出は金額的に巨大な額に昇っていた。次に、コンゴ自由国のヨーロッパからの輸入。ゴム、象牙、椰子油などの現地産物は現地住民の肉体労働によって収集されるものだが、その代償をヨーロッパの通貨で支払うことは意味をなさず、彼らが欲しがるあれこれの物品との交易(物々交換)が原則だった。ところが、コンゴから持ち出されるゴムなどの物資の見返りとしてベルギーからコンゴに送られる交易品と思われる物の量は僅少で、金額的に見れば、コンゴからの輸出品の価格にくらべて全く問題にならなかった。その上、コンゴ自由国に持ち込まれる主要物資として目立っているのは、建設資材などではなく、多量の小銃その他の銃火器とその弾薬だった。」(『闇の奥』の奥、p97-8)?これらの小型銃火器の行く先はレオポルド二世の私設軍隊「公安軍」に限られず、レオポルドのコンゴの富の収奪の実務を現地で担当して自らも暴利をむさぼる民間会社群も含まれていました。彼らもそれぞれに傭兵を抱えていたのです。いまイラクで跳梁跋扈するアメリカの私企業群と変わるところはありません。
? 映画『ダーウィンの悪夢』の白人パイロットたちがアフリカに搬入する小型銃火器の行方については語られていませんし、恐らく、彼らもよくは知らないのでしょう。しかし、全体の構図は100年前も今も同じで、容赦なく収奪搬出されるアフリカの富(それが魚肉であれ、ダイヤモンド、石油、ウランであれ)の見返りに、アフリカに持ち込まれるアフリカの住民たちの生活基盤のインフラ整備に役立つ資材や資本は微々たるもので、目に見えて大量に流入しているのは小型銃火器とその弾薬というわけです。?
 アフリカ問題で健筆を揮っている Hugh McCullum というカナダ人のジャーナリストがいます。私が勤めていたアルバータ大学所属のシンクタンクであるパークランド研究所の一員でもあります。彼の最近の論説(2007年1月)「 SMALL ARM : THE WORLD’S FAVORITE WEAPONS OF MASS DESTRUCTION」( africafiles というウェブサイトに出ています)によれば、アフリカ大陸には1億以上もの小型銃火器が分布し、とりわけコンゴにはそれが溢れているようです。その中で数的にダントツなのがAK-47という小銃で、この略号は「1947年型カラシュニコフ自動小銃」を意味します。旧ソ連の一技術者Mikhail Kalashnikov が1947年に開発した逸品で、砂や泥水にまみれても簡単な手入れで直ぐに使え、少年少女にも容易に取り扱えるのだそうです。その「長所」がアフリカの少年少女に大きな悲劇をもたらしています。アフリカでは30万以上の少年少女たちがいたいけな「兵士」に仕立てられて内戦に狩り出され、その結果、4百万人の子供たちが殺され、8百万人が不具者となり、千五百万人が家を失ったというユニセフの報告があります。子供たちの中には、AK-47の魔力に取り憑かれて、肉親の大人たちでさえ、気に食わなければ、平気で射殺するような心の荒廃を示すものも少なくありません。この2007年2月に入ってからも、ソマリアの内戦だけで20万のchild soldiers が政府軍と反政府軍の双方から強制的に戦いに投ぜられて、日々その多数が命をうしなっていると報じられています。?
 アフリカの住民の大多数は、私たちの収入水準からみれば、極貧の状態にあり、AK-47の中古品は1万円程度という驚くべき安値で売買されているとは言え、彼らが自前でAK-47とその弾薬を購入できる筈はありません。直接にしろ間接にしろ、彼らにAK-47と弾薬を買って与えている者たちが存在しなければなりません。では、誰が、何故に、アフリカの老若男女にかわって数千万挺のAK-47のお代を払ってアフリカ中にばらまくのか?この世の中、採算がとれないと分かっていれば金は動きません。間違わないで下さい。小説や映画でお目にかかる悪魔的な国際武器輸出入業者(死の商人)たちの懐に転がり込んでいる巨利のことを問題にしているのではないのです。アフリカから何が持ち出され、何がアフリカに持ち込まれているか。このトータルなマクロな収支構造にこそ私たちの視線が凝集されなければなりません。アフリカに関する世界の列強諸国のソロバン勘定は、この200年間、構造的には何も変わってはいないのです。2006年10月のロンドンのタイムズ紙に、南アフリカの大司教デスモンド・トゥトゥ(ノーベル平和賞受賞者)は、アフィリカでの小型銃火器交易の現状を“the modern day slave trade which is out of control”と書いています。彼にすれば、200年ではなく、過去500年間同じことが続いていると言いたいのでしょう。?
 イギリスのケンブリッヂ大学のアマルディア・セン教授(ノーベル経済学賞受賞者)によれば、世界に何億と溢れている小型銃火器の86パーセントは、国連の安全保障理事会の常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国で生産されたものだそうです。これでは国連の決議によって小型銃火器の製造交易をコントロールし、その氾濫を取り締まるのは絶望です。2006年はそれが如実に示された年として記憶される年になりました。?
 さて、冒頭の英語クイズに戻ります。WMDは「weapons of mass destruction」、WMDがサダム・フセインのイラク国内にあると主張してアメリカ合衆国がイラクに侵攻したことで、すっかり世界政治のキーワードになってしまった言葉ですが、何よりも先ず、瞬時大量破壊兵器である核兵器を意味します。しかし、ポスト・ヒロシマナガサキの世界で何百万人にものぼる大量殺戮を現実に続けているのはAK-47に象徴される小型銃火器にほかなりません。前国連事務総長コフィ・アナンはこれらの呪うべき小型銃火器を、いみじくも、「weapons of mass destruction in slow motion」と呼びました。

藤永 茂 (2007年2月7日)

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 まことに驚くべき事実は、AK-47(カラシニコフ銃)に象徴される小型銃火器による大量虐殺が今(2014年)でもアフリカで継続進行中だということです。死者の数を較べる非礼を犯せば、ヒロシマ・ナガサキの数十倍の人々が犠牲になっていることになります。我々はなぜ見て見ぬ振りを極め込んでいるのでしょうか。2010年5月26日のブログ記事『核抑止と核廃絶(6)』で、私はコンゴの作家マモンソノ氏の、“平和運動があるのは西欧、日本、アメリカ、カナダ、みんな豊かな国で、アフリカに平和運動がないのは守るべき平和がなく、人間が生ける死者の状態にあるからだ。死者は死を恐れることさえできない。これは先進大国のエゴイズム、植民地的収奪の結果で、アフリカでは植民地支配こそが第二の原爆なのだ。”という言葉を紹介して、次のように書きました。:
■ここで私たちはアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の五カ国が、世界の瞬時大量殺戮兵器つまり核兵器の殆どすべてを保有している事実を想起すべきです。もちろんイスラエルが、非公開のまま、イギリス、フランス、中国と同レベルの数の核爆弾を所有していることも忘れてはなりませんが。多量の核爆弾を蓄積し続ける暴力とアフリカに「スローモーションのWMD」を溢れさせている暴力とは同じものです。アフリカ収奪を続ける先進大国のエゴイズムを「第二の原爆」と呼んだコンゴの作家マモンソノ氏は、原爆のシンボリックな意義を稀釈拡散させているのではなく、むしろ逆に、その本質を鋭く言い当てているのだと私は思います。■
 核兵器について、カラシニコフ銃について、慧眼の柳田邦男氏がこの状況の本質を見抜いていないとは考えられません。私たちにとって肝心なことは「見る」ことであって、「想像する」ことは二の次であってよいのです。そして現在の状況の危機性は、マスメディアが操作されることによって、私たちに見えてよいものが見えなくなっている、あるいは、特定のバイアスがかけられて、ある特定のことだけが見えるようになっているということにあります。シリアを例にとりましょう。外から暴力的介入が行なわれた口実は、「凶悪な独裁者によって殺戮される国民を救う」ということでした。しかし、アサド政権支配下の2007年から戦争勃発の2011年までの一般シリア国民の日常生活状況と、今の膨大な数のシリア人難民の塗炭の苦しみを二つ並べて較べてご覧なさい。外部からの「人道的介入」がなければ、人々にこれほどの苦難は襲いかからなかったのです。「想像力」など不要です。僅かな努力ではっきり「見る」ことが出来ます。ブログ記事『核抑止と核廃絶(6)』で紹介した“無告の民”という言葉を使えば、外からの暴力的介入によってシリアの無告の民の苦難はその極に達しています。カダフィの治世下にあったリビアにも同じことが起こりました。しかし、事を終えたリビアからはその無告の民たちの悲鳴など全く遮られて私たちの耳には届きません。
 略歴をみると柳田氏はNHKの出身、JR北海道の「想像力」の欠除や製薬会社と大学の研究者との癒着を叱るよりも、NHKの一般放送ニュースの内容の惨憺たる堕落を声高に、具体的に、叱ってほしいものです。それは軍需産業の兵器開発者が現場で声を上げるよりも遥かに小さな勇気と決断しか要しないのではありますまいか。
 結論を申します。今の日本の我々に必要なのは「見る」ことです。物事をはっきり見ることです。想像するのはそれからでよろしい。

藤永 茂 (2014年2月13日)


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