私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

やっと気が付きましたね、クルーグマンさん

2010-01-27 09:31:46 | 日記・エッセイ・コラム
 2010年1月20日午後7時、ニューヨーク・タイムズのポール・クルーグマン・ブログに、
『彼は我々が待ち望んでいた人物ではなかった(He Wasn’t The One We’ve Been Waiting For)』というタイトルの論説が出ました。それは、次の文章で結ばれています。:
■ I have to say, I’m pretty close to giving up on Mr. Obama, who seems determined to confirm every doubt I and other ever had about whether he was ready to fight for what his supporters believed in. (私は、オバマ氏を見限るギリギリの所に来ている、と言わざるを得ない。彼がやってくれるものと、支持者たちが信じていた事の実現のために闘う気があるかどうかについて、私や他の人たちが抱いたことのあるすべての疑いを、彼は片端から現実のものにしようと心に決めたかに見える。■
ポール・クルーグマン、1953年生まれ、プリンストン大学教授、2008年ノーベル経済学賞受賞、ニューヨーク・タイムズ紙上で最も注目されている論客でしょう。彼については、このブログで私も何度か言及してきました。私は、2008年の半ば過ぎ頃から、バラク・オバマという大統領候補について、この人物はしきりに「チェンジ」を約束しているけれど、大統領になったら、何も変えない(ノー・チェンジ)ようにするだろうと考えるようになり、それ以来、その考えを変えるどころか、それが日に日に確認されて行くのを、悲しい気持ちで追っています。クルーグマンさんも、2008年頃は、オバマ氏の政治家としての姿勢をしきりに、そして、具体的に批判していましたし、私も彼の論説から影響を受けていました。
 その彼が、オバマ新大統領の選挙勝利宣言が行なわれた2008年11月4日直後の11月7日、『オバマ路線』と題する論説を発表して、私を驚かせます。
■ 2008年11月4日火曜日、この日付は(汚名[infamy] の反対としての)名誉(fame)の中に永遠に生き続けるであろう。もし我々の初のアフリカ系アメリカ人大統領の選出があなたの心を揺り動かさなかったのなら、もしそれがあなたの目を涙で潤ませ、この国を誇らしく思って立ち尽くすようにしなかったとすれば、あなたはどうかしているのだ。■
現代アメリカの最高の知性の一人クルーグマンのこの発言が、なぜ、私をひどく驚かせたのか? その理由は、この3月か4月に出版される拙著『アメリカン・ドリームという悪夢』で詳しく説明していますが、今ここで強調しておきたいのは、アメリカ初の黒人大統領になったバラク・オバマを、以前は、政治家として、つまり、オバマが公約として掲げる具体的政策のあれこれについて、また、いわゆる「オバマ現象」についても、適切に批判していたクルーグマンが、勝利演説の夜には、黒人大統領の選出を果たしたアメリカとアメリカ人の手放しの礼賛という自己陶酔にすっかり足をすくわれたという、その目も当てられない醜態です。それからたっぷり1年後、今さら「彼は我々が待ち望んでいた人物ではなかった」と言えた義理ではありますまい。いや、それどころか、「オバマ政権にはガッカリさせられるなあ」と、ニューヨーク・タイムズに“進歩的”論説を垂れ流し続けながら、自分たち自身は結構快適な衣食住生活を日々楽しんでいるアメリカのリベラル人士たちは、アメリカという見せかけの民主主義社会のシャレード(sharade)のジェスターに過ぎないのではありますまいか。クルーグマンは「私は、オバマ氏を見限るギリギリの所に来ている(I’m pretty close to giving up on Mr. Obama)」と言いますが、オバマを見限った後はどういう具体的行動に出るつもりなのですか?
 やれやれ、私はまた体に良くない感情的な怒りに身を任せようとしているようです。次回からは、いくら冷静に考えてみても、腹が立って仕方がない「ハイチ問題」について書いてみたいと思っています。
 前回は、お粗末なクラッシック音楽論でお茶を濁させていただきましたが、その後、天啓のように、ケント・ナガノのインタヴューのオリジナル・ページがひょいと出て来ましたので、ひとつの記録として、以下に関係部分を筆写しておきます。ほんの何人かの方々でもこれを読んで下さって、「ケント・ナガノさん、若いのに、いいこと言うじゃん」と言って下されば、まことに幸せに存じます。:
■ I make the distinction between entertainment and art very very strongly. I find it disturbing that a lot of people try to blur the lines. In fact a lot of people try to say they’re one and the same. Some of my closest friends in the field try to blur the lines between the two. But personally I keep them very very separate and I define them in very different ways. I love entertainment, I’m very much tied into many different entertainment forms, but I look at it as what it is. Art is different. That function that art serves, to enrich our whole lives, in emotional and spiritual and even physical ways ?? those are things that can’t be defined in words or numbers or anything else. It makes us feel fuller as human beings. ■
 オリヴィエ・メシアンが作曲した『アッシジの聖フランシス』という歌劇の大作(約4時間)があります。初演は、1983年、小沢征爾によって行なわれ、その時、メシアンの指名で小沢の助手を務めたケント・ナガノは、1998年夏、ザルツブルグで指揮をとり、翌年そのライブ演奏のCD が発売されました。それを聴き通すのは、私には大いに努力が必要ですが、アッシジの聖フランシスは私の大好きな人物であり、「娯楽と芸術は違う」というケント・ナガノの言葉を胸に、一生懸命、聴いています。

藤永 茂 (2010年1月27日)


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クラシック音楽の好きな方々へ

2010-01-20 12:33:09 | 日記・エッセイ・コラム
 近頃、こんなに腹が立ったことはありません。ハイチの大地震にたいするオバマ政権の反応と、災害を報じるマスコミの内容です。オバマ大統領は「アメリカは、そして世界はハイチとともにある」と言いました。世界はともかく、アメリカは、この二百年、確かに、ハイチとともにありました。マスコミは4日間も瓦礫の下で生き延びた赤ん坊が、駆けつけた救助隊によって、奇跡的に救出される感動的場面を感動的に世界中に報じます。「その手の感激ストーリーには、もう飽き飽きした」と、思わず私は叫びそうになります。ハイチの惨状は人災です。
 体の衰弱傾向が止まらない私が、そんなに向きになって腹を立てるのは体に良くないと告げられます。「怒髪天を衝く」という古い表現がありますが、私の頭には申し訳ほどの白髪がしょぼしょぼ残っているだけ、ジョークにすらなりません。
 そこで、今回は、まるで何のプランもなく、思いつく事を、そのままに書き綴ってみようと思い立ちました。私の心の中にある想定読者さんは、私とほぼ同世代のお年寄りのクラシック音楽愛好者の方々です。もう僅かな数しかおいでにならないかも知れませんが。
 若いクラシック・ファンには、私の書くことが、昔の一種のオタク的な男の屈曲した自慢話に思えるかもしれませんが、それはまったく見当違いの受け取り方です。私は、音痴ではないにしても、楽譜が読めません。中学でピアノを達者にサイト・リーディング(視奏)できる先生がいましたが、少年の私には、天才としか思えませんでした。耳にしても、短調か長調の区別なら何とか分かる気がしても、それ以上は分かりません。その私が、50年前、グレン・グールドのゴールドベルグを聴いて、クラシック音楽の熱心な愛好家になってしまったのです。それ以来、無数の演奏会に出かけ、無数のクラシック音楽放送、LP、CD、テープ を聴いて生きてきました。オーディオ・マニア的な再生装置を持っていたわけではありませんでしたが、クラシック音楽に消尽した時間と費用が、言ってみれば、私の生涯の、ほとんど唯一の贅沢でした。
 ケント・ナガノという優れた指揮者がいます。活躍中ですからご存知の方も多いでしょう。1980年代の中頃だったかと思います。アメリカの音楽(主にクラシックの録音音楽)批評雑誌『Fanfare(ファンフェア、ファンファーレ)』に、何頁にもわたるナガノさんのインタビュー記事が掲載されたことがありました。その終わりに近い所で、若いナガノさんは
「私はエンターテインメントが大好きで大いに楽しみます。しかし、私にとって、アートはエンターテインメントとは全く別のものです」
と言い切りました。彼の言葉にこめられたものは、芸術至上論でも、エンターテインメントに対するアートのスノビッシュな優越論でもなく、真の芸術には、それを芸術としている厳然たる何物かがある、そして、自分は、音楽家として、一途にそれを求めたいという彼の決意の宣言であったと思います。このケント・ナガノの言葉は、それ以来、クラシック音楽愛好者としての私の心の中に居座っています。
 私には、彼の言う芸術なるものの真髄をクラシック音楽の中に聴くことが出来るようになったかどうか、十分の自信がありません。ですが、何とはなしに、自分にもそれが出来るようになったのではないか、という気持ちは持っています。私のような、人間としての音楽的機能に関しては明らかな劣等者にも、それが可能であるとすれば、何と嬉しいことではありませんか。
 例えば、こうです。私のクラシック音楽熱がとりわけ高かった頃と、ホロヴィッツの12年にも及ぶ沈黙のあとの劇的な演奏活動への復帰が重なったこともあって、彼の演奏のCD を随分と買い込んだものでしたが、今では全然と言っていいほど聴かなくなってしまいました。 レコード評もほとんど読みませんから、批評家の影響ではありません。演奏スタイルの好みの変化でもありません。聴く気がしないのです。ホロヴィッツの演奏には、ケント・ナガノの言う「芸術」が希薄なことが、私にも分かるからだと思います。同じロシヤ人でも、リヒテルの方は、ますます繁く聴き入るようになっています。
ラン・ランという若いピアニスト、2008年の北京オリンピック以来、誰もが知っている存在になりました。これまで、バレンボイム、マゼール、デュトワ、メータ、ラトル、などなどの名指揮者の指揮の下で世界の名だたる管弦楽団の数々と共演し、ラン・ランさんのこれまでの華々しい成功の物語は、そのまま一つのスペクタクル・ショーのようにさえ思われます。しかし、もしベートーベンを聴きたいと思う時には、私は、ラン・ランではなく、ルドルフ・サーキン(ゼルキン)を聴くでしょう。もし、ショパンの夜想曲が聴きたくなったら、ラン・ランではなく、(殆ど無名に近い)リヴィア・レヴおばちゃんのもとに走るでしょう。耳に快いシューベルトの人気ピアノ曲ではなく、彼の最後の三つのソナタを聴きたくなったら、迷うことなくケンプのCDを探し出してくるでしょう。スペクタクルではなく、ケント・ナガノの言う、ほんとうの「アート」が聴ける場所を、私のような者でも、知っているからです。
 以前にも、どこかで、音楽の演奏に関して、affectation という言葉を取り上げたように思いますが、私にとっては、クラシック音楽を聴く場合の、多分、最も重要なキーワードです。この言葉を私がどう理解しているかを説明するのは、分かる人には直ぐ分かってもらえても、分かる素地を持たない人には無理かもしれません。辞書のレベルでの困難は、affectation とaffection という似通った二つの言葉から来る紛らわしさにありますが、affectation については、「気取り、きざ(な態度)、・・・」などとあり、without affectation は「気取らずに、率直に」などとなっています。つまり、この言葉には、はっきりした悪い意味がありますから、音楽演奏について言えば、もちろん、affectation はあってはなりません。しかし、本当にaffectation のない演奏というのは、単に、気取りがない、率直な演奏ということではない、というのが私の受け取り方なのです。演奏家というものは、もちろん、聴衆に聴いてもらうために音楽を演奏するのですが、問題は、演奏家と音楽と聴衆の関係です。演奏家が、演奏している音楽に没入して、自分も聴衆も忘れてしまうことによって、はじめて、演奏曲目の真髄を聴衆に聴いてもらえる、そんな演奏を、私は、affectation のない演奏と呼びたいのです。音楽についての本格的な素養も訓練も何もない私のような者に出来ることと言えば、私の心に浮かぶ具体例を申し上げる以外にありません。ピアニストで、まず心に浮かぶのは、ディヌ・リパッティです。それから、クララ・ハスキル、それに、ゼルキンも、リヒテルも。しかし、affectation というものに全く関わりのない演奏の例として、私は、オスカー・シュムスキー(Oscar Shumsky)という人の、バッハの『無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ』を忘れることは出来ません。この宇宙的名曲の演奏については、今の私としては、シゲティとシュムスキーの二つで十分間にあっています。むしろ、死ぬ前に、あと何度、心ゆくまでこの名曲の名演を楽しむ機会が与えられるのか、その方が気になります。
 この頃はすっかり落ち目になりましたが、かつて我が国でもその著作が熱心に読まれたフランスの大詩人、大思想家に、ポール・ヴァレリーという人があります。彼の言葉の一つも、私の心の中に住み着いて動こうとはしません。:
■ もはや美は衝撃によって取って代わられた。■
もう何十年も前の発言です。今時の若い方々は、何のことがお分かりにならないでしょう。今の時代は余りにも衝撃(ショック)に満ち満ちていて、これが正常な状態と思っている人たちも多いでしょう。「マーケティングがすべて」の世の中ですから。「クラシック音楽に未来はない。まず、消えるのは管弦楽団だろう」という人が居ますが、これに対して、「いや、マーケティングさえ、効果的に、クリエイティブにやれば、聴衆は必ず集めることができる」と主張する人も居ます。私には、クラシック音楽の将来を占う能力は全くありません。しかし、美と衝撃は別のものだと信じています。そして、芸術活動であれ、何であれ、マーケティングがすべての世の中になってはならない、人より声高に絶叫することがすべての世の中にしてはならないと、固く信じています。そして、
「なんや、この頑迷固陋の爺さん、古い名前ばかり持ち出して来て、しょうがないなあ」
と言いながらも、ご自身も、考えてみれば、似たようなクラシック音楽ファンじゃないか、と思って、私の傲慢と偏見を許して下さる、年配のクラシック音楽愛好者の方々が、数は少なくとも、必ずおいでになることを、固く信じながら、この乱筆を、ここで、折らせて頂きます。多謝。

藤永 茂 (2010年1月20日)


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素人の傲慢か、玄人の怠慢か

2010-01-13 09:22:56 | インポート
  世の中の大部分の普通の人々、つまり、私たち一般大衆(素人)が、世界の事情や動向についての知識や、それをどう考えたらよいかの指針を得ているのは、いわゆるマスコミからです。アメリカについて言えば、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストなどの大新聞や大テレビメディアに掲載されるニュースとそれらについての専門家(玄人)たちの解説的コメントや各種の論説です。日本国内の日本人の場合には、新聞やテレビがアメリカに送っている特派員的な人々からの送信が大きな役割を担っていることは、例えば、NHKのテレビを見ていますとよく分かります。
 ところが、ここに実に不思議な現象があります。ある政治的事件について、私のような素人の判断なり、見通しなりの方が、専門家のそれよりも、あきらかに正しいことが余りにもしばしばある、という現象です。hubris[ヒューブリス]という英語があります。過度の自負、傲慢を意味します。語源はギリシャで「神々に対する思い上がり、挑戦、その報いとして天罰を受ける」とあります。私は、物理学者として、「物理学者のヒューブリスが核エネルギーの開放をもたらした」と非難されたことがありました。国際政治のずぶの素人のほうが、その道の玄人より物がよく見えるなどと思うのは、素人の愚かしい傲慢なのでしょうか。神を恐れない思い上がりなのでしょうか。そうではありますまい。玄人の目を曇らせる別の理由があると考えるのが、より自然なことのように思われます。
 マスメディア論という学問分野もあるようです。玄人による、正面切った、ニューヨークタイムズ批判論もあります。ハワード・フリール、リチャード・フォーク著『「ニューヨークタイムズ」神話』(立木勝訳、三交社、2005年)がその好例です。ここでは、単なる玄人の判断の誤りではなく、むしろ、ジャーナリズムの基本的な道義性が問題であり、「ジャーナリズムの不正」が厳しく批判されています。しかし、このブログの問題提起は、「子供の目には、裸の王様は裸に見える」というレベルのことであります。玄人の目が案外よく見えていなかった一つの具体例をたたき台にして考えてみます。
 「ホンジュラス クーデター」でグーグルを検索すると(1月10日)、トップに次の記事が出て来ました。この意味で、選択は無作為であり、特別に名指しで批判しているつもりは全くありませんので、どうかご了承ください。:
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ホンジュラスクーデター 中南米政治の地殻変動を浮き彫り
2009.6.29 17:54
 【ニューヨーク=松尾理也】ホンジュラスで起きたセラヤ大統領の国外追放劇は、予期しない光景をも生み出した。オバマ米大統領と、反米強硬派で鳴らすベネズエラのチャベス大統領が、クーデター非難で声をそろえたのだ。中米では冷戦後初めてとなる今回のクーデターは、オバマ米政権誕生を触媒にした急激なラテンアメリカ政治の構造変化も浮き彫りにしている。
 「深く憂慮している」。対話による平和的な解決を呼びかける声明を即日発表するなど、オバマ大統領の対応は素早かった。米国務省高官は、「セラヤ氏が唯一の正当な大統領だ」と述べるなど、米国の求める問題解決の道はセラヤ氏復帰であることを明言した。
 もともとは中道右派として大統領に当選したセラヤ氏は、2006年1月の就任後、急激に左寄りにカジを切り、ベネズエラやキューバが主導する中南米の反米左派陣営の一角を占めるようになった。
 セラヤ大統領は今年3月、憲法の大統領再選禁止規定を改正する考えを表明。ベネズエラのチャベス氏をはじめ、ボリビア、エクアドルといった反米左派諸国の指導者がここ数年歩んできた権力強化の道筋といっしょだった。米国が今回のクーデターに肯定的な見方を示してもおかしくはなかった。事実、2002年にベネズエラでクーデターが発生し、一時的にチャベス氏が失脚した際、当時のブッシュ政権は事態への米国の関与は否定したものの、政権交代は歓迎する姿勢を示したことがある。
 こうした歴史を踏まえ、チャベス氏はクーデターを非難し、セラヤ氏の復職を求める一方、米国非難という得意の図式も持ち出し、「事態への米国の関与を調査すべきだ」と述べた。
 しかし、米国の姿勢は、11月の次期大統領選の実施を強調するなど政権獲得の既成事実化を進めるミチェレッティ暫定大統領に対し、米国務省高官が「クーデターは成功しないだろう」と示唆するなど、ベネズエラの批判が的外れとなるほど明確だ。さらに、米州機構(OAS)を通じた多国間外交を解決に向けた圧力の主軸に据えるなど、オバマ流は徹底している。
 今回のクーデターについて、オバマ氏が提唱する新たな中南米外交の真価を問う試金石になるとの見方も出ている。ロイター通信は、「米国が、たとえ気にくわない人物であろうと、民主的に選ばれた指導者を尊重するというならば、過去との明確な決別となる」と分析している。
Copyright 2009 The Sankei Shimbun & Sankei Digital
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 まず、タイトルの「中南米政治の地殻変動を浮き彫り」がいけません。「浮き彫り」という表現はNHKをはじめ日本のメディアではしきりに使用されますが、これは「はっきりと目立って見えてくる」時のための表現です。そもそも地殻の変動はこの表現に不向きなのでは? まあ、それはともかくとして、このリポートの第一節はオバマ政権のラテン・アメリカ政策の本質を全く誤読したことを示しています。なぜ根本的な誤読のミスが犯されたか。それは新大統領就任から半年たっても、自分たちアメリカ白人は、「チェンジ」の象徴として黒人大統領を選ぶ歴史的偉業をやってのけたんだぞ、という自己陶酔から抜け出すことが出来ないままでいたからです。ですから、オバマ大統領が、口先だけはチャベス氏と同じ立場をとって時間を稼ぐという手先の早業(sleight of hand)に玄人の皆さんが見事にやられてしまったのです。上のリポートの最後から二番目の節はこのことを痛々しく「浮き彫り」にしています。オバマ流が“徹底”していたのは、中南米政策の革新(チェンジ)ではなく、ブッシュ政権よりもっと巧妙で、しかも、より攻撃的な中南米政策の継続(ノー・チェンジ)でした。
 では、なぜ素人には事態をほぼ誤らず見通すことができたのか。それは、結局のところ、素人が子供の目を持っていることにあると思われます。オバマ大統領就任から一年たったこの日頃、かつてオバマ氏を熱烈に支持した論客の多くが「オバマには失望した。こんな筈ではなかったのに」といった発言をし始めています。そうした発言に、オバマ熱に、つまり、一種の自己陶酔に迷わされなかった沢山の素人からコメントが寄せられています。その典型的な例を、薮から棒に、一つだけ取り上げます。:
■ ペリー・ローガン、2010年1月7日。
私はただの凡人だが、それでも、しょっぱなから、オバマという人間をお見通しだった。予備選挙戦の期間中でさえも、ウェブで5分も見ていると、この男が本質的にネオコンであることが見て取れた。(I'm no smarter than anybody, and yet I saw through Obama from the get-go. Even during the primaries, it took five minutes on the web to discover that the man is essentially a neocon.)■
あの華やかな選挙戦の頃からの私の感じ方も、このローガンさんのそれと同じでした。上に引用したリポートの最終節:
■ 今回のクーデターについて、オバマ氏が提唱する新たな中南米外交の真価を問う試金石になるとの見方も出ている。ロイター通信は、「米国が、たとえ気にくわない人物であろうと、民主的に選ばれた指導者を尊重するというならば、過去との明確な決別となる」と分析している。■
をもう一度読んで下さい。クーデター発生の時点でアメリカ通の玄人たちは判断をすっかり誤っていたのです。今の時点から振り返ってみると、「オバマ氏が提唱する中南米外交」など、始めから、口先だけの「嘘」であったことが、はっきりと浮き彫りになってしまいました。アメリカの、そして日本の、玄人たちと、彼等がしきりに発言するメディアには、ホンジュラスのクーデターの発生からロボ大統領の選出とその直後のオバマ政権の新政府承認までの経過を、私たちに報告し解説する説明責任があります。クーデターの張本人がオバマ政権であったかどうかに黒白をつけてほしいと言っているのではありません。ごまかしの6ヶ月間、日を追って、オバマ政権がどのような政治外交的スレイト・オブ・ハンドを演じ続けたかを辿り、それを私たちによく分かる言葉で解説して頂きたいのです。これが説明責任を果たすということです。それに、もう一つ、お願いというか、宿題というか、玄人の皆さんに、経時的に一歩一歩たどって調査し、報告して頂きたいことがあります。それは、新進の上院議員バラク・オバマとその選挙運動チームが、“勤労者自由選択法(EFCA, Employee Free Choice Act)”という騙しの餌を使って、どのように巧みに一般労働者の票をかき集めたか、そして、「私が大統領になった暁にはEFCAをこの国の法律とする」と約束したその日から今日まで、EFCA(従業員が自由に選ぶのか、従業員を自由に選ぶのか、この名称からしてジョージ・オーエル的です!)をめぐって、どんな手品が演じられ続けているか、について、ホンジュラスのクーデター問題と同様に、調べ上げ、私たちに解説してほしいのです。そうしていただければ、構造的には全く同一の、オバマ政権常套の「嘘の架け橋」の絵図が浮き彫りになる筈です。これは、解説者の姿勢が反米か親米かに関係なく行なえる作業です。一連の事実を調べ、報告し、素人向きに解説してほしいだけです。そんな地味な仕事はしたくないとおっしゃるのでしたら、これこそ「玄人の怠慢」と言われても仕方のないことでしょう。

藤永 茂 (2010年1月13日)


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オバマ大統領のノーベル平和賞受賞講演

2010-01-06 09:00:47 | 日記・エッセイ・コラム
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 一昨年から昨年の夏にかけて書いた拙稿『アメリカン・ドリームという悪夢』を三交社が本にしてくれることになりました。初校を終えたところです。これは、日経BP社から依頼されて書き始めたオバマ/アメリカ批判の本だったのですが、一応書き上げたところで、編集者に見てもらいましたら、「会社の方針が変わったので出版は出来ません」という返事をもらいました。以下は、三交社の編集者からの要請で、初校の際に付け加えた一節の内容です。
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 オバマ大統領のノーベル平和賞受賞講演をめぐって、世界中であらゆる論評がなされ、あらゆる反応が示された。とりわけ興味深いのは、現地ノールウエイでの反応だ。オスロの新聞Aftenposten の政治論説主幹は「オバマ大統領の力強い受賞講演は、国際関係と世界の問題を処理するための道義的基礎についての明確な彼のメッセージだった。オバマはチェンジの象徴だ」と書いた。ノールウエイ・ポスト紙には「これまで、ノーベル平和賞受賞者が、これほどの確信を持って、戦争が必要であるというメッセージを提示したことはなかった」とあり、また、ノールウエイ最大の新聞Verdes Gang は2009年12月11日の主社説を「昨日のスピーチは、偉大なノーベル賞スピーチ、おそらく、最も偉大なスピーチとして歴史に残るだろう。二つの戦争に関与している現職のアメリカ大統領は、戦争もよし、平和もよし、という主張を試み、その両方をやり遂げた」と結んだ。(ポール・ストリートの論考(Znet, 2009年12月15日)による)。これら北欧のマスメディアのオバマ礼賛の論調は、アメリカの新しいブランド・オバマのヨーロッパへの売り込みが大成功をおさめていることを如実に示している。これは、オバマを大統領の座に据えたアメリカのエリート権力網システムの恐るべきオバマ売り込みキャンペインの成功物語である。
 オバマ大統領のノーベル平和賞受賞講演の中で、マーチン・ルーサー・キングの名は4度引用される。他の人名はすべて一度きりである。アメリカの中央政界に登場以来、バラク・オバマは自分のイメージをマーチン・ルーサー・キングのそれに重ねる努力を続けてきたが、本書で繰り返し論じたように、この二人は本質的に重ねあわせることの出来ない人間である。特に、戦争と平和、暴力と非暴力については、二人は対極の位置を占める。もし、マーチン・ルーサー・キングが地上に降り立ってオバマ・スピーチを聞くとすれば、彼は苦々しい思いを禁じ得ないだろう。米国のベトナム侵攻に強く反対し、「ベトナム戦争は米国国内の人心を荒廃させ、無数の無辜のベトナム人たちを殺している」として、政府と産軍共同体は「悪(オバマ大統領のいうEvil)」であることをを公言して憚らなかった。キング牧師は、同じ理由で、現在の米国のアフガニスタン侵攻を公然と批判するに違いない。キングとオバマの対比については、本書(『アメリカン・ドリームという悪夢』)の第2章の一項「キング・ジュニアの「ホープ」、バラク・オバマの「ホープ」」の再読をお願いしたい。
 オバマ大統領のノーベル平和賞受賞については、もちろん、受賞が発表された直後から、世界中でしきりに議論がわき起こった。2009年10月15日の日付で、キューバのフィデル・カストロは『エボにノーベル賞を(A Nobel Prize for Evo)』と題する一文を彼の論説シリーズ「フィデルの省察録」(米国月刊雑誌「マンスリー・レヴュー」に連載)に発表し、彼の友人エボ・モラレスこそノーベル平和賞受賞にふさわしいと論じている。
 エボ・モラレスが大統領を務めるボリビア共和国は南アメリカの内陸国で開発水準は低い。人口の約60%は先住民(インディオ)、それに先住民と他の民族との混血者を加えると90%近くになる。エボ・モラレスはアイマラ・インディオ、農民運動の指導者として政界に登場、2005年に大統領になり、2007年には日本を訪れている。親しい友人としてのフィデル・カストロは次のように語る。:
■ 極貧の先住民百姓エボ・モラレスは、6歳になる前から、先住民部落のラマ(南米産のラクダ科動物)の世話をするために、父にしたがってアンデスの山々をほっつき歩いた。彼はラマたちを連れて15日間歩き続け、市場に辿り着いて彼等を売り、部落のために食料を買った。そうした経験についての私の質問に答えて、エボは「わたしは千のスターのホテルで夜を過ごしたものさ」と言った。天体望遠鏡の設置場所となることもあるアンデスの山々の澄み切った夜空の、なんと美しい描写であろう。
そうした彼の貧困の少年時代で、部落での百姓暮らしの唯一の代替は、アルゼンチンのジュジュイ州に出かけてサトウキビを伐採する仕事に出稼ぎすることだった。その場所、ラ・ヒゲラから遠からぬ場所で、1967年10月9日、無武装のチェ・ゲバラが殺害されたが、エボはまだ8歳にもなっていなかった。彼は両親と子供たちが住んでいた一室だけの掘建て小屋から5キロの距離にあった小さな公立小学校に歩いて通い、スペイン語の読み書きを習ったのだった。
彼の運任せの少年時代を通して、エボは師と仰ぐべき人があれば何処であろうと出かけたものだ。彼の種族からは、三つの道徳原理を学んだ:嘘をつくな、盗むな、泣き虫になるな。
13歳の時、彼の父親は、シニア・ハイスクールで勉強するためにエボがサン・ペドロ・デ・オルロに移り住むことを許した。これはとても重要なことだが、学費を払うために、エボは午前2時に起きて、パン屋でパンを焼き、建設現場で働き、その他、肉体労働は何でもした。学校は午後出席した。彼の級友たちは心を打たれて、彼を何かと助けた。小さい頃から、あれこれの笛を吹くことを覚え、オルロで名の知れたバンドのトランペット奏者をつとめたことさえあった。また、10代の若者として、部落のサッカー・チームを結成し、そのキャプテンだったこともある。しかし、大学進学は貧乏なアイマラ・インディオの望めることを越えていた。■
カストロは、さらに、社会運動指導者としてのエボ・モラレスの成長を辿るのだが、その部分は省略して、2005年に大統領に就任した彼の驚くべき業績について語った部分に移る。:
■ ボリビアは、一人のアイマヤ族の大統領の指導のもとで、アイマヤ族の人々に支えられて、素晴らしいプログラムを促進している。文盲は3年足らずで克服された。82万4千人のボリビア人が読み書きの能力を身につけた。ボリビアは(ラテン・アメリカで)キューバとベネゼラにつづいて、文盲者を根絶した三番目の国となった。ボリビアは、無料医療を、以前にはそんなものを経験したことのなかった数百万の国民にもたらしている。ボリビアは、過去5年間で、幼児死亡率の最大の低下を示した世界の7カ国の一つであり、45万4千人に眼科手術を行なった。その7万6千人は、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、パラグアイの人々である。ボリビアは、一年生から8年生までの生徒の学校関係費用を支払うという野心的な社会的プログラムを開始した。約2百万の生徒たちがその恩恵を受ける。また、60歳以上の70万人以上の人々は年342(米)ドル相当の手当を受け取る。すべての妊婦と2歳以下の子供には257ドル相当の手当が支給される。・・・・・2009年12月6日には総選挙がある。この大統領に対する国民の支持が増大するのは確実だ。彼の威信と人気の増大を止めるものは何もない。■
フィデル・カストロのこの予言は、12月6日、見事に実証された。エボ・モラレスは、OAS(米州機構)やEU (ヨーロッパ連合)などが送った選挙監視人たちも賞賛する完全に公正で平和な総選挙で、約65%の得票で圧勝して、大統領に再選された(2010年-2015年)。たしかに、このアイマラ・インディオの男はノーベル平和賞に値する人物の一人のようだ。
 オバマ大統領のノーベル平和賞受賞講演に戻る。この極めて長い受賞講演には、ほぼ世界全体をカバーする地名が登場する。例外は、ラテン・アメリカ。アメリカがキューバから強奪してそのまま居座ったガンタナモ湾地区にある問題の拷問監獄を除いて、中南米の諸国への言及は全くない。これは一体どうしたことか。
 2009年6月28日、中米のホンジュラスで、軍部によるクーデターによって、現職のセラヤ大統領が排除された。彼は民主的で公正な選挙によって大統領となったが、就任後、親米路線からはずれて、反米的傾向を強めつつあった。クーデターに対するオバマ政権の反応は早く、「米国の求める問題解決の道はセラヤ氏の復帰である」と明言した。しかし、その後のオバマ政権はノラリクラリと言を左右するばかり、一方、クーデター勢力は暫定政府を樹立して、セラヤ支持者のデモを暴力的に鎮圧しながら、以前から決定していた11月29日の総選挙を目指して選挙運動を遠慮なく推進した。選挙は、OASやUNなどのほとんどの国が合法と認めないままで強行され、親米派のロボ新大統領が、予期された通り、選ばれた。ここに来て、オバマ政権は「選挙は大体において公正に行なわれた。米国はホンジュラスの新政権を承認する。」という将に驚くべき声明を行なったのである。オバマ大統領のノーベル平和賞受賞講演が行なわれた時点(12月10日)で、ホンジュラスの政権変更(Regime Change)は、ことの始まりから、オバマ政権の意向に従って行なわれたというのが、ラテン・アメリカ通の間で、一般的な認識となっていた。ノーベル平和賞受賞講演4日前の12月6日、ボリビアでの選挙、その7日前の11月29日、ホンジュラスでの選挙、この二つの選挙は、オバマ政権のラテン・アメリカ政策の根幹に関わる重大事件であった。一つは完全に平和的民主的選挙による反米の闘士エボ・モラレスの大統領再選出、他はオバマ政権が演出したクーデターとその暫定政府の下での非合法非民主的選挙によるアメリカの傀儡ロボ大統領の選出、この状況の進行下では、さすがのオバマ大統領とその能弁なスピーチ・ライターたちも、受賞講演の中で、中南米の政治状況には“だんまり”を決め込むほかに打つ手がなかったのだ。
 オバマ大統領はノーベル平和賞受賞講演の中で「間違いなく、悪はこの世界に確かに存在する(Make no mistake: Evil does exist in the world)」と見栄を切った。“アメリカの裏庭”ラテン・アメリカで行なわれた二つの選挙、ホンジュラスのロボ大統領の選出、ボリビアのモラレス大統領の選出、そのどちらが悪であり、どちらが善であるか?答えは明々白々である。
 「耳を聾する沈黙(deafening silence)」という英語の表現がある。オバマ大統領のノーベル平和賞受賞講演の講演に耳を傾ける人々は、バラク・オバマの過剰な雄弁の背後に鳴り渡っている「耳を聾する沈黙」を聞くことが出来なければならない。
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 今ではアメリカ合州国の属国同然となったコロンビアの米国空軍基地から飛び立った無人哨戒殺人機「ブレデター」がベネゼラやボリビアの領空を侵犯しているという噂があります。いつの日か、エボ・モラレスがプレデターの暗殺目標になりはしないかと、私は心配しています。
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藤永 茂 (2010年1月6日)


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