私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

So This Is America

2011-02-23 11:15:17 | 日記・エッセイ・コラム
 アメリカの首都ワシントンにあるジョージ・ワシントン大学は1821年の創立でホワイトハウスのすぐ側にあり、学生総数は2万5千、紹介写真をみると白人学生が殆どのようです。2007年の国勢調査によるとワシントン・D・C の人口の55.6% が黒人、36.3% が白人です。
 2月11日エジプトのムバラク大統領が退任した直後の15日、国務長官ヒラリー・クリントンはジョージ・ワシントン大学の講堂で、エジプトの若者たちが中心となった政権打倒運動の成功を賞賛し、それがインターネットによる言論の自由伝播による非暴力的民主的な性格のものであったことを強調して、ネット的な言論発表の自由の確保をアメリカ国内でも約束する講演を行いました。それは、まるで、腐敗したムバラク独裁政権を倒したのはアメリカが世界に唱道する民主主義と言論の自由の力であるかのような語り口でした。
 ところがまことに皮肉で滑稽な事件が講演の現場で起りました。クリントン長官が会場に入ってくると聴衆は立ち上がって拍手で彼女を迎え、着席したのですが、一人の老人男性が背中を講壇に向けて立った姿勢のままで着席しませんでした。講演はそのまま始まったのですが、老人は無言のままで立った姿勢を変えませんでした。しかしクリントンがにんまりと気持ちの悪い微笑を浮かべて「世界中の何百万人かがエジプトの人々に味方するメッセージを送った時、政権は崩壊したのです」と言ったすぐ後に、私服と制服の二名の警官が老人を捕えて手錠をかけ、力づくで会場から引きずり出しました。
“So this is America, this is America, who are you!”
場外に引き出されながら、老人が発する叫びがはっきりとCNN ニュースのYouTube に録音されています。
 この男性の名は Ray McGovern, 71歳、ベトナム戦争にも将校として参戦した元CIA の情報解析官で、ただ者ではありませんでした。過去にもブッシュ政権の国防長官ラムズフェルドの講演会場で、国防長官の過去の幾つかの重大な虚言を引き合いに出してラムズフェルドを追いつめた前歴をもった人物であったのです。今回の事件とマクガヴァン氏については、例えば,次のサイト、
http://www.opednews.com/articles/Ray-McGovern-Assaulted-Bl-by-Rob-Kall-110217-781.html
に詳しく出ていますので是非アクセスしてみて下さい。
 アフリカ東部と中東の擾乱は続き、リビヤでは政府側の暴力による死者は300人を超えたと報道されています。数日前の報道ではエジプトでの死者は365人に達したとありました。非暴力的な反体制デモから3百人を超える死者が出る、これは大変な出来事であります。例によってオバマ大統領は「我々は歴史を目撃した」という格好良い発言をしました。しかし、アメリカとアメリカのメディアが吐き出す毒気に充ち満ちた煙幕に遮られて、我々は本当の歴史を見てはいません。各国それぞれに如何にまことしやかな事情の説明がなされていようと、これは横暴を極める支配層の下で呻吟を続けて来た被支配者たちの怒りの爆発です。あらゆる場所で一貫している事態の本質です。これを自らの肌で感じ、同調しなければ、歴史を目撃した事にはなりません。そして、あらゆる場所の背後にアメリカ/ヨーロッパを見るのは行き過ぎた強迫観念では決してありません。
 マスコミの毒気を振り払って、歴史的ヨーロッパとアメリカの赤裸裸の姿を見据えることのできる貴重な地点として突出しているのはハイチとルワンダ/コンゴです。今は、アフリカ東部と中東の擾乱のニュースの影になっていますが、この地球の二地点で何が進行しているのか、何が起ろうとしているのか、ぜひぜひ注視を続けて下さい。我々の一人でも多くが「So This Is America!」とはっきり悟るモーメントを持たなければなりません。

藤永 茂 (2011年2月23日)


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スリック・ウィリー・クリントン(4)

2011-02-16 10:52:11 | 日記・エッセイ・コラム
 William Jefferson Clinton (1946~ ) は1993年から2001年まで第42代アメリカ大統領をつとめました。次がブッシュの8年間、その次がオバマです。クリントンの性的スキャンダルのことなど憶えている方々もおありでしょう。このブログでは4年ほど前『傘寿を迎えたハリー・ベラフォンテ』(2007年4月4日)で取り上げたのがおそらく始めだったと思います。その一部を再録します。:
# ベラフォンテは黒人の人権闘争運動の歴史に早くから深く勇敢に関わり、その運動の生き字引のような存在で、彼の80歳の誕生日のお祝いがニューヨーク市の誇る図書館の隣で行われたのは彼にふさわしいことだったといわれています。1944年ベラフォンテが米国海軍水兵として出航する直前、ニューヨークの有名なナイトクラブ「コパカバーナ」は黒人歌手ベラフォンテの出演を拒否しますが、その10年後、彼は堂々と出演を果たします。彼はポール・ロブソンの知遇を得、また、米国政府が入獄中のテロリストと看做していた頃のネルソン・マンデラを南アフリカの監獄に訪れました。
 1967年、マーチン・ルーサー・キング牧師はベトナム戦争に反対して、アメリカ合衆国を「世界で一番でっかい暴力の仕出し屋(the largest purveyor of violence)だ」と呼び、若者たちに兵役忌避を勧めました。そのキング牧師とベラフォンテは非常に近い間柄だったようです。ベラフォンテもベトナム反戦の運動に参加しましたが、イラク戦争についても、早くから、ブッシュ大統領を名指しで非難し、「これはテロ行為だ」と極め付け、ベネゼラのチャベス大統領を訪問した際には、ブッシュ大統領を「世界最大のテロリスト」と呼びました。それに加えて、米国政府の国務長官の地位を極め、黒人の能力と、能力のある人材に対する米国の開放性の輝かしい証しとしてのコリン・パウエルとコンディ・ライスの両人に、ベラフォンテは「house niggers」という意地の悪い呼び方を献上しました。ここまで遠慮なくやられては、アメリカの娯楽産業資本も黙ってはいられません。歌手としてのベラフォンテは,昨今、干された状態にあるそうです。年齢の問題だけではないようです。
  ところが、ベラフォンテのバースデー・パーティーに、招待状なしで前大統領クリントンが現われました。次代の米国大統領を目指す奥さんのヒラリー・クリントンに強力な黒人の競争者が出現しました。ケニヤ出身の父親と白人の母を持つ Barack Obama。ビル・クリントンは、その対抗馬を意識して、奥さんのために、側面から援護射撃をする目的で、つまり黒人票を少しでもかき集めるために、ベラフォンテのお祝いに乗り込んできたのでした。政治とは、変な、妙に汚いものですね。もしかしたら、次代の米国大統領は“黒人”オバマかもしれません。しかし、このオバマも、ベラフォンテの目には、もう既に、本物の黒人とは映っていないかも知れません。カナダの先住民(インディアン)の皮膚の色は昔から「赤い」ことになっています。彼らの仲間内の軽蔑語として「あいつはリンゴだ」というのがあります。白人社会に同化してしまったインディアンをそう呼ぶのです。皮をむけば中身は白い、というわけです。確かに人間は本当の中身で決まってしまいます。#
いま私が使っているいささか失礼な渾名「スリック・ウィリー・クリントン」の“スリック(slick)”という形容詞は、呼ばれもしないのにベラフォンテの誕生パーティーに現れて祝辞を述べる前大統領にぴったりの形容詞だと言えましょう。
 Slick Willie Clinton の“willie=willy”にもいろいろな響きがこめられているようです。この渾名を考え出したのはクリントンが州知事をつとめたアーカンソーの地方紙のジャーナリスト Paul Greenberg で、州知事第一期(1979-1981)中の1980年9月のことでした。はじめは結構進歩的な発言をしたり、政策の実施を試みたりはするものの、形勢が悪いと見ると、さっさと身の振り方を変えてしまうクリントン、これは大統領になってからも一貫していたとグリーンバーグは言っています。どうやら全く同じことが現大統領バラク・オバマについても言えそうです。
 2010年12月16日の日付で、フィデル・カストロは『クリントンの嘘(Clinton’s Lies)』という覚え書きを発表しました。同年1月12日のハイチ大地震の少し前、クリントンはハイチの経済改善のための国連特使に任命されました。震災後はハイチのことを一手に牛耳っているのがスリック・ウィリー・クリントンです。震災の復興事業が殆ど何も進まないハイチにコレラの蔓延が追い打ちをかけました。そのさなかの12月14日、隣国ドミニカ共和国でハイチ復興に関する国際会議が開催されました。出席者約80名、援助金拠出を約束した諸国の大使たち、アメリカ政府、ハイチ政府代表のほかにクリントン財団の役員が多数(numerous)出席していました。ハイチとドミニカ共和国の要請でキューバの代表一人も出席したのですが、午後5時半から始まって真夜中まで続いた会議中、ほとんどクリントン一人が喋り続け(for almost all the time)、キューバ代表は石像の出席者のように唯のひと言の発言の機会も与えられなかったそうです。スリックには「べらべら口先うまく喋る」という意味もありますから、クリントン、まさに本領発揮です。この会議はハイチ情勢の真相を隠蔽するための欺瞞工作であったのですが、そこでクリントンがついたあまたの嘘の中でも、カストロが腹に据えかねたのは、10月にハイチで発生したコレラ患者の10万人の収容加療を「国境なき医師団(Doctors Without Borders, Médecins San Frontière, MSF)」が行なったと言明したことでした。この地区のWHO(世界保健機構)の責任代表者レア・グイド博士は12月11日までに 患者数が104918人に達したと報告しています。実際の状況は、前回のブログにも出ていたハイチの医学校出身の医師、キューバやドミニカから支援に赴いた千人をこえる医師たちがハイチ全国にわたってコレラ患者の手当に昼夜を分かたず尽力し、彼らこそが患者の過半数のケアを行なっているのです。クリントンはそれを全く無視して、欧米的大NPOであるMSFの全面的な手柄にすり替えてしまったのでした。カストロによれば、12月15日の一日間にキューバからの医師団はコレラ患者931人に加療し、その内2名が死亡したそうです。死亡率0.215%とは見事な成果です。
 嘘つきクリントンの過去の嘘つき悪業の最たるものは、何といっても、コソボとルワンダでしょう。これについては機会をあらためてお話ししたいと思っています。流暢たる雄弁の中に嘘を織り込む巧みさでクリントンに勝るとも決して劣ることのないのは現アメリカ大統領バラク・オバマです。彼の弁舌さわやかな講演トランスクリプトは英語教材として日本で大もてだそうですが、英語の先生たち本当に良く読んでいるのでしょうか? 私は彼の大統領就任以前から彼の発言に、単にレトリカルなあやとして看過することのできない嘘が混ざっていることを指摘してきましたが、2011年1月25日の午後9時12分に始まった61分間のオバマ大統領の年頭教書演説もまたその良い一例です。一番お終いの嘘だけを以下に紹介します。教書は全く歯の浮くような“アメリカン・ドリーム”の礼賛謳歌で結ばれていますが、最後の感激ストーリーは、ペンシルヴァニア州のブランドン・フィッシャーという一小企業者が新しい掘削技術を開発し、チリーの銅鉱山事故で地下2000フィートの深さに生き埋めになった33人の坑夫を彼の掘削技術で見事に救出したというストーリーなのです。オバマ大統領の語り口では、まるでブランドン一人のお蔭で33人の命が救われたように聞こえるのですが、そんなことはありません。年頭教書のこの部分については、チリーの現場から抗議の声が上がったようです。この救出作業については、馬鹿馬鹿しいほど大騒ぎしてマスコミが報じていましたから、実際の事の成り行きを憶えておいでの方も多いでしょう。オバマ大統領の年頭教書の終結部をホワイトハウスのホームページから引き写します。オバマ英語の好きな英語愛好家諸氏は是非お読み下さい。最後はいつものように結ばれています。:
# Thank you. God bless you, and may God bless the United States of America. (Applause.) (ご清聴有難うございます。皆さんに神の祝福がありますよう、そして、アメリカ合州国に神のご加護のあらんことを)(拍手喝采)#
 カストロはオバマ大統領の年頭教書を論じた2011年1月27日付けの覚え書きで上掲の結語を揶揄して、「神様もこれだけ沢山の嘘に祝福を与えるのは難しかろう」と記しています。

# We may have differences in policy, but we all believe in the rights enshrined in our Constitution. We may have different opinions, but we believe in the same promise that says this is a place where you can make it if you try. We may have different backgrounds, but we believe in the same dream that says this is a country where anything is possible. No matter who you are. No matter where you come from.
   That dream is why I can stand here before you tonight. That dream is why a working-class kid from Scranton can sit behind me. (Laughter and applause.) That dream is why someone who began by sweeping the floors of his father’s Cincinnati bar can preside as Speaker of the House in the greatest nation on Earth. (Applause.)
That dream -? that American Dream -? is what drove the Allen Brothers to reinvent their roofing company for a new era. It’s what drove those students at Forsyth Tech to learn a new skill and work towards the future. And that dream is the story of a small business owner named Brandon Fisher.
Brandon started a company in Berlin, Pennsylvania, that specializes in a new kind of drilling technology. And one day last summer, he saw the news that halfway across the world, 33 men were trapped in a Chilean mine, and no one knew how to save them.
But Brandon thought his company could help. And so he designed a rescue that would come to be known as Plan B. His employees worked around the clock to manufacture the necessary drilling equipment. And Brandon left for Chile.
Along with others, he began drilling a 2,000-foot hole into the ground, working three- or four-hour -- three or four days at a time without any sleep. Thirty-seven days later, Plan B succeeded, and the miners were rescued. (Applause.) But because he didn’t want all of the attention, Brandon wasn’t there when the miners emerged. He’d already gone back home, back to work on his next project.
And later, one of his employees said of the rescue, “We proved that Center Rock is a little company, but we do big things.” (Applause.)
We do big things.
From the earliest days of our founding, America has been the story of ordinary people who dare to dream. That’s how we win the future.
We’re a nation that says, “I might not have a lot of money, but I have this great idea for a new company.” “I might not come from a family of college graduates, but I will be the first to get my degree.” “I might not know those people in trouble, but I think I can help them, and I need to try.” “I’m not sure how we’ll reach that better place beyond the horizon, but I know we’ll get there. I know we will.”
We do big things. (Applause.)
The idea of America endures. Our destiny remains our choice. And tonight, more than two centuries later, it’s because of our people that our future is hopeful, our journey goes forward, and the state of our union is strong.
Thank you. God bless you, and may God bless the United States of America. (Applause.)


藤永 茂 (2011年2月16日)


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アリスティドは学校を建てた

2011-02-09 11:39:17 | 日記・エッセイ・コラム
 日本を含めて、世界のニュースに関しては、この所、ハイチとエジプトの事で頭が一杯です。この世というものは何とひどいことがまかり通るところでしょう。エジプトについては、NHK を含むテレビ局、大新聞の外国通の論説委員やマスメディアに顔を出して一般大衆向きのニュース解説をしている人たちに是非お願いしたいことがあります。今回オバマ大統領が特使としてカイロに派遣した Frank Wisner という人物の経歴その他の基礎データを広く報じて頂きたい。この人物に対する批評は要りません。判断は視聴者や読者に任せて、自ら進んで重大ニュースのブラックアウトの手伝いをしないで下さい。
 首都カイロだけでなくエジプト全土でムバラク退陣要求のデモが吹き荒れていた1月30日の日曜、クリントン国務長官は突然ハイチに飛びました。ハイチで唯ならぬ事態が発生していなければ、クリントンがこんな動きをする筈がありません。飼い犬のつもりだったハイチのプレヴァル大統領が急に飼い主の手を噛みそうになってきたからだろうというのが、私の推測です。問題の人物、渦中の人は2004年に国外に強制追放されたハイチの前大統領ジャン?ベルトラン・アリスティドです。彼についてはこのブログで何度も言及しました。もしかしたら、プレヴァル政府が彼の帰国を許すかもしれないのです。そうなれば、これはアメリカにとって重大問題です。
 アリスティドは、2月4日付けの英国のガーディアン紙に『 On my return to Haiti … 』という見出しの文章を発表しました。この見出しには副題的に次の一行がつけてありました。“A profit-driven recovery plan, devised and carried out by outsiders, can not reconstruct my country”(部外者によって案出され、実施される、利得本位の復興プランでは我が国を再建することは出来ない)。“profit-driven”という形容詞はもっと強く訳出すべきかもしれません。スリック・ウィリー・クリントンの復興プランをドライブしているのは、「儲けられるぞ」という本音なのですから。
 しかし、ガーディアン紙のアリスディドの文章の全体を読んで私は実に爽やかな驚きに打たれました。それを皆さんと共有したいという思いから、以下にざっと訳出してみます。:
# 昨年1月のハイチの大地震は多数の学校と既に弱体化していた大学施設の80%を破壊してしまった。私が少年として通ったポルトープランスの小学校は200人の生徒を閉じ込めたまま崩壊した。国立の看護師学校では150人の未来の看護師が命を落とした。国立医科大学も完全崩壊した。取り返しのつかない形でハイチを変えてしまったあの65秒間に命を失った学生、教師、教授たち、図書館員、研究者、大学事務員の正確な数はよくわからないままだろう。
 恐るべき大地震のただ中とその後にハイチ人たちによって示された並外れな回復力は、子供たちの命を守り続け、彼らにより良き未来を与えようとする親達の、とりわけ母親達の英知と決意の、それに、経済的困難、社会的障壁、政治危機,心理的トラウマにも屈しない若者たちの熱い向学心の反映である。彼らの暮らしの困難は大層なものだが、学ぼうとする彼らの熱心さは一目瞭然だ。教育に対するこの自然な渇望は学習成功の基本であり、自由意志で学ぶことが一番よく身に付くのだ。
 勿論、学習は安全で安定した正常な環境で行なわれてこそ強化され,根をおろす。だから、社会的団結、民主的な成長、持続性のある発展、自主決定を促進するのが我々の責任だ;つまり、この新しい2千年代にむけて目標を設定することだ。すべては、より良き環境への帰還に向けて踏み出すことだ。
 教育は私が大統領をつとめた最初のラバラス政府からの最優先事項だった。ハイチの民主制が回復された1994年と、それが再び奪われた2004年までの10年の間に、建国の1804年から1994年までの約200年間より多くの学校が建設された:195の新しい小学校と104の新しい公立高等学校が建設、あるいは改築された。
 1月12日の地震は私が1996年に設立した「民主主義のための財団」の施設の破壊をほぼ見逃してくれた。地震の直後から、以前そこに来て民主主義の集まりを開き,討論し、各種のサービスを受けるのを常としていた何千もの人々が財団の施設に避難所と援助を求めてやってきた。財団の医科大学で学んだハイチ人医師たちは力をあわせて財団所在地や首都の方々の難民テント村でクリニックを組織し、続いて、コレラにかかった同胞たちを昼夜の別なく手当てしている。彼らの存在は現在の1万1千人の人口当りに医者一人というひどい比率を必ずや変えるだろう。
 これまで長きにわたって財団の読み書き能力増進の多層プログラムに参加して来た若者たちは、難民テント村で移動学校を運営している。アメリカのミシガン大学からのグループと組んで、トラウマ後のカウンセリングも行なわれている。一年経った今、若者たちは教育の仕事に就くために財団の大学にもどり、大地震がハイチに残した大きな国家的穴を埋める手助けをしようとしている。
 ますます不安定さを増すハイチの政治的危機は学生たちがアカデミックな成功を収めるのを妨げるだろうか?殆どの学生、教育者、親たちはこのようにも苦難に満ちた危機の複雑さに引き回されて疲労困憊しているようだ。しかし、私としては、教育を求める彼らの集団的渇望を阻止し得るものは何も無いと確信している。
 かの有名なアメリカの詩人文筆家エマーソンは“地震の翌朝には地質学が学べる”と書いた。ハイチ地震後の長い服喪の一年に我々が学んだことは、そとから持ち込まれた復興計画-利潤に駆られた、排他的な、非ハイチ人によって構想され実施される計画-ではハイチの復興は出来ないということだ。すべてのハイチ人が再建に参加し、この国の進む方向について発言することこそが我らの神聖な義務である。
 私が、あの2004年2月29日以来、流刑さきの中央アフリカ、ジャマイカ、そして今、南アフリカから言い続けてきたように、私はハイチに帰って、私が最もよく知っていて愛している教育の仕事に戻りたい。偉大なネルソン・マンデラが言った通りなのだ、教育は世界を変える強力な武器である。#
 人間の、若者の教育ということについて、このような爽やかな正論を聞くのはほんとに久しぶりのことです。日本の小学校の英語教育に関する論議と、ここに述べられている教育論の志の高さを較べて下さい。
 ハイチに帰って大統領に立候補することはない、とアリスティドは明言しています。

藤永 茂 (2011年2月9日)


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スリック・ウィリー・クリントン(3)

2011-02-02 10:37:29 | 日記・エッセイ・コラム
 Jean Claude “Baby Doc” Duvalier がひょっこりハイチに舞い戻ったというニュースは、流石のアメリカでも大きく取り上げられ始めていたのですが、エジプト騒ぎで、その影に隠れようとしています。かつてのデュヴァリエのように、独裁者ムバラクが国外に追放される事態になればよいのですが、ここでは、ポール・ファーマーの「五つの教訓」の話を続けます。最後の教訓です。
5. Relief is the easy part. (救済は容易な部分だ)
「災害救済は復興ではない。百万人が飲料水にありつけるようになったが、ハイチを復興したのではない;一万の簡易便所を設置したが、この国を作り直したのではない。“ハイチを前よりよく建設する”とはこれらの達成を維持し、さらに教育、健康管理、各種サービス、良い行政を加えることだ。
 これを始めるのに一番重要なのは何か? 経済成長だ。それなのに、この挑戦すべき課題は救済事業の文書や戦略に中に殆ど言及されていない-国連の最近の44頁の報告書にたった2度出ているだけだ。1月の震災でむごたらしく露呈した種類の貧困は、数百万のハイチ人が飛びついてくるようなもっと明るい経済的未来が現れるまでは、打ち負かすことは出来ない。」
スリック・ウィリー・クリントン、このslick という言葉、手許の『リーダーズ英和辞典』には、(1)滑らかな,つやつやした、<道路など>つるつるすべる。(2)口のうまい,如才のない<態度>,調子のいい<人、文体>;器用な,巧みな、うまい;ずるい;しゃれた、みばえのする;型どおりの、陳腐な。(3)?俗? すばらしい,最高の;?俗? セクシーな。--とあります。上のファーマーの文章も、悪い意味で、とてもスリックな、巧妙なものです。  「一番重要なのは経済成長だ」と彼は言いますが、何を意味するか? ここで『スリック・ウィリー・クリントン(1)』の中のJobs are everything. (稼ぎ仕事がすべてだ)の前半で論じたクリントンの、つまり、米国/国連のハイチ経済成長プランに戻ってみましょう。
#国連事務総長バン・キムン(BAN KI-MOON)は、2009年3月31日のニューヨーク・タイムズに“Haiti’s Big Chance(ハイチの大きなチャンス)” と題する注目すべき論説を寄稿しました。乱暴に要約すれば、「ハイチの低賃金労働をフルに生かして、輸出用の衣料製品を生産するチャンスだ」というものです。バン・キムンはその成功を確信しているようで、「我々はそれがうまく行くのをバングラデッシュで見た。それは、衣料産業が250万の職を支えていることを誇っている。ウガンダでもルワンダでもうまく行った。」と書いてあります。2009年9月、ポルトープランスで国連特命大使クリントン主導の下に開催された「投資家会議」には、我々にも親しいギャップやリーヴァイなどの大衣料メーカーを含む二百社にのぼる会社からの出席者がありました。しかし、その時点では、「まだハイチの治安の悪さが心配だな」という意見が支配的だったそうです。その5ヶ月後に、今度の大震災、すかさず、強力な米国軍によるハイチの占領が始まりました。この占領でハイチの治安が保証されれば、衣料メーカーによる大規模の資本投資が実現するでしょう。米国資本は、今度の大地震が“天が与えた好機”となる可能性を見ているのであり、それはクリントン/バン・キムンの路線でもあります。貧困国、あるいは、都市の貧民居住地区が大天災に見舞われたのを好機と捉えて、一挙にネオ・リベラルな経済発展政策を押し付けるというやり方です。カトリーナ颱風に襲われたニューオーリンズで実施されている政策です。#
 これまで何度も述べたことですが、ハイチは極貧状態の国だとは云え、アメリカの安い米に席巻される以前には、とにかく米は自給自足の状態にあったのです。それが強制的な農産物貿易の自由化のために破壊され、仕事を失った農民が都市の周辺に集まって来てスラムを作ったのでした。この労働力を奴隷的低賃金でアパレル産業に吸い上げようとした話、これも今までに何度も述べました。これがファーマー第五の教訓で言う所の“経済成長”プランの骨子であり、スリック・ウィリー・クリントンのプランの中核なのです。ファーマーは「数百万のハイチ人が飛びついてくるようなもっと明るい経済的未来が現れる」と言いますが、彼の親方様のクリントンがハイチの貧困大衆に用意しようとしている“明るい経済的未来”とは服飾産業、観光産業、コーヒー栽培などの輸出農業に雇用される奴隷的労働力としての役割に他なりません。そうと分かっていても、他の選択肢がない「数百万のハイチ人が飛びついてくる」のは必定でしょう。これがクリントンの、アメリカの、支配層ハイチ人たちの計算です。この現実を前にして、しかも目の前の現実を意図的に醸成し,利用しようとするシステムの中枢に身を置きながら、綺麗ごとの嘘くさい言葉を巧みに綴ってみせるポール・ファーマーさん、これでは Slick Farmer と呼ばれても仕方がありますまい。もっとも、今のところは、私だけがそう呼んでいるわけですが。
 しかし、人道主義の実践聖徒ポール・ファーマーに何がしかの胡散臭さを嗅ぎ付け始めたのは私だけではありません。2011年1月12日のブログ『ハイチの今とこれから』で紹介した注目すべきハイチ人女性エジリ・ダントは、昨年12月に「ファーマー出て行け」と声をあげています。それだけではありません。ダントや私のように、もともとアメリカのハイチ政策に強く批判的な目を向けている人間だけではなく、ファーマーさんを尊敬してきた人々(実は私もその一人でしたが)の中にも彼の心の中を疑い始めた人たちが出て来た様子です。このブログで取り上げて来たポール・ファーマーの「五つの教訓」が掲載されたのはFP(Foreign Policy) という著名な雑誌で、過激インターネットサイトなどではありません。FP の読者は依然としてニューヨークタイムズやワシントンポストを情報源として信頼している人たちだろうと思いますが、「五つの教訓」の記事に寄せられた10の読者コメントの全体はマイルドな批判調と言えましょう。そのうちの手厳しいコメントの一つをお目にかけます。日付は2010年12月8日、ハイチの驚くべきインチキ選挙より前です。:
Confused by these lessons
Lessons well taken but I am confused here._Isn't Paul Farmer the number 2 man for the UN in Haiti?_Is he not overseeing the current electoral farce as well??_In any case he is also the founder and main physician of the most successful NGO in Haiti -PIH which gets funding from USAID and Bill Clinton's foundation._So he is not such an outside observor but really part of the system that has completely destroyed Haiti over the last 20 years.#
<翻訳>これらの教訓で頭がこんがらがってしまった。
おっしゃる教訓ご尤もだが、私はここでどう考えればよいのか。ポール・ファーマーはハイチで国連を代表する二番目のお偉方ではないのか?彼は進行中の選挙笑劇のことも采配を振っているのではないのか?? 何はともあれ、彼はまたハイチで最も成功しているNGOであるPIH の創設者で主任医師であり、そのPIH はUSAIDやビル・クリントン財団から資金を得ている。したがって、彼は部外のオブザーバーなどではなく、本当は、過去20年にわたってハイチを完全に破壊してしまったシステムの片棒を担いでいるのだ。(終り)
その通りです。過去20年間、いや200年間作動して来たシステムこそが問題なのです。
 USAIDやクリントン財団のことをよくご存じない読者も多いことでしょう。Clinton Foundation のことは私も近頃までよく知りませんでした。次回にお話しします。
[緊急付記]
ハイチ政府がアリスティドに帰国のためのパスポートを出したというニュースが舞い込んで来ました。事態はいよいよもって奇々怪々です。

藤永 茂 (2011年2月2日)


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