私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

操り人形の間の諍いもパペット・ショーの内

2012-02-29 09:54:50 | 日記・エッセイ・コラム
 別の話題を用意していたのですが、2012年2月28日の朝日新聞朝刊の国際関係記事のページに興味深い記事が3つ出ていましたので、急にそちらに切り替えます。
<第1の記事>「米系NGO43人「陰謀」問われ法廷へ」
■ カイロの裁判所で、米系などの非政府組織(NGO)が正規の組織登録を行わず、不正に国外から資金を受け取ったなどとして米国人職員ら43人が起訴された刑事裁判の公判が始まった。米政府は強く反発しており、対エジプト援助を打ち切る可能性も出て来た。・・・・・ ■
私たちはこの記事から何を読み取ればよいのでしょうか? 私は次のように読みます。:「エジプトの春のパペット・ショーの舞台の上で2つの操り人形が勝手にあらがっているように見えるが、勿論、ショーの全体が人形遣いアメリカの演出である。」そしてこのショーの本当の狙いは、エジプトの革命が本当の民主革命になることを阻止することです。ですから、「米政府は強く反発しており、対エジプト援助を打ち切る可能性も出て来た。」というのは誤った観測です。カイロの特派員さんも多分それをご存じでしょう。
 エジプトの軍事政権が17のNGO事務所を閉鎖したのは昨年末の12月27日のことで、その中には、IRI(American International Republican Institute)とNDI(National Democratic Institute) というアメリカの2大政党の直々の出店のような有力NGOsも含まれていて、これらのNGOにはNED(National Endowment for Democracy)というアメリカの名うての資金源(アメリカ政府の機関と考えてよい)などから、昨年度中に数億ドルにのぼる資金が与えられたと考えられます。一方、オバマ大統領はNGOへの援助金の数倍にあたる軍事援助をエジプトの軍事政権に与えて、武器を売り込み、上空飛行権を確保していて、2月中旬にはこうした軍事援助の続行を議会に要請しました。アメリカ政府が目指しているのは、シリアとイランへの攻撃陣を固める一方、全面的な人民革命を実は望まない中流階級の“進歩的分子”を適当に操って、アメリカが世界の民主主義の守護神であるかのような虚像を保存することなのです。二つの操り人形の間のちょっとした諍いはそのための演出だと思われます。現地特派員も含めて、エジプトに詳しい人々も、おおよその所、私と同様の意見だろうと推測します。ただ、色々の理由から本当のことが言えないのでしょう。万一そうでなくとも、誰もが認めざるを得ない事実がここに露呈したことは否定できません。それは世界中でうごめく有力NGOs の殆どは極めて政治的なアニマルだということです。今度のエジプトでのゴタゴタは、専門家は先刻ご承知であったにしても、われわれ一般庶民には必ずしも見えてなかった有力NGOなるものの実像をはっきり示してくれました。この事実を踏まえた上でシリアやバーレーン情勢を見つめていなければなりません。
<第2の記事>「新憲法案承認賛成票は89%」
■ シリア国営テレビは27日、シリアで26日に行われた国民投票で、限定的な民主化を含む新憲法案が89%の賛成を得て承認されたと伝えた。投票率は57%。・・・■
この記事で面白いのは国民投票がインチキだったと書いてないことです。現地の状況から判断して、そうは書けなかったのでしょう。この高い賛成率は、シリアの現政権を国民が支持していることの表れです。報道者はこのくらいのコメントを付けたらよいのではと私は思います。朝日の同じ国際記事のページにロシアのプーチン首相が、シリアについては「リビアのシナリオは容認できない」と発言し、リビアについては「一連の国は人道の名の下に空爆でリビア体制を清算した。中世ですらない原始的な醜い舞台のようだ」と批判したと報じられています。この「醜い舞台」という表現、私も全く同感です。人道主義と民主主義の偽りの旗のもとで、リビアという一つの国が壊されてしまいました。シリアで同じことが起ってはなりません。
<第3の記事>「ポルトープランス(ハイチ) 大統領の食事は機密?」
これは、国連安全保障理事会の理事国大使たちに随行した朝日新聞の特派員がハイチのマーテリー大統領主催の晩餐会で経験した事の報告です。
■ 大統領を警護する黒人男性に、カメラをわしづかみにされた。「フォト!」。写真をみせろということらしい。・・・ 写真を見せろと迫られたのは、撮影直後のことだ。戸惑いながら写真を見せると、マーテリー氏がライス米大使の横でサンドウィッチをほお張る写真2枚を、今この場で削除するようにもとめられた。・・・ ハイチでは国民の大多数が貧困にあえぎ、一昨年の大震災の被災者50万人以上が今もテントなどで暮らす。政府関係者は「大統領は食事の様子を国民に見られるのが嫌だった」と明かす。だったら、カメラの前で食べなければよかったのに。・・・ ■
特派員さんには悪いけれど、何と間抜けた記事でしょう。大統領がサンドウィッチを食べたのがまずかったのではありません。ライスと一緒だったのがまずかったのです。(このジョーク分かっていただけますか?)なんぼ貧困にあえいでいるにしても、大統領がサンドウィッチをほお張ることにめくじらを立てるほどハイチ人は馬鹿ではありません。問題は黒人女性スーザン・ライス米国国連大使と談笑していた事でしょう。抑圧された貧困大衆は国連治安維持軍をその本質どおりに「占領軍」と呼んでいます。「占領軍出て行け」という叫びは貧困大衆の胸中に鬱屈しています。もう一つの可能性は、マーテリーとライスの背後に老凶悪犯デュヴァリエの姿を偶然カメラが捉えていたかもしれないことです。私はその晩餐会に誰が出席していたかが最大の報道のポイントであったと思います。クリントンは勿論いたでしょうが、その右腕のファーマーはいたのか?デュヴァリエは?アリスティドは?そして、これは間違いなく記録できた筈ですが、ハイチを支配している黒人の超寡頭支配階級の有力者の顔ぶれこそ報道価値の高いアイテムであった筈です。

藤永 茂   (2012年2月29日)


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アメリカにばかり目を奪われてはいけない

2012-02-22 11:21:20 | 日記・エッセイ・コラム
アメリカの振る舞いは本当に私の目に余ります。英語かぶれ的に発声すれば、

DON’T YOU SEE !!!

と大声で叫びたくなります。この市井の一老人にかくも明々白々に見えるものが、世の米国通の諸賢に見えない筈がない。だとすれば、これらの専門家、賢人たちの論説、外国特派員たちの報道が、時々刻々のアメリカの動きを過不足なく論じ、あるいは、伝えない理由こそ問題にすべきであろう?という具合に、頭から湯気を立て向かっ腹を立てていましたら、「そんなにカッカとしていると物の本質を見失う。あんまりアメリカだけに気を奪われるな」とオコジョさんからメールを頂きました。元々はコメントとして投稿するつもりだったが、気が変わってメールの形にしたとのことでした。しかし、その内容はこのブログを読んで下さっている方々にとっても有意義と考えて、オコジョさんの許可を貰って、以下に転載します。3、4行の削除を除けば、原文の通りです。
 この数日、筧次郎著『自立社会への道』(新泉社、2012年)を読んでいます。著者は哲学者でお百姓です。1947年生れ、1983年の春、筑波山の麓で百姓の暮しを始めてから30年、有機農業で生きておられます。この30年の時間が生んだ筧さんの「近代論」はその時間の重みにふさわしい迫力と説得力があります。「近代」は(1)「直接的な収奪の時代」(2)「強制的な収奪の時代」(3)「構造的な収奪の時代」に分けて論じてあります。本書を読んで、現在のアメリカの暴挙に腹を立て過ぎたことで自ら招いた視野狭窄をはっきりと自覚することが出来たように思います。オコジョさんから頂いた批判忠告も将に同じ点を衝いたものとして受け取らせて頂きました。
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 こんにちは。オコジョです。
 
 話の順序を逆にして、結論にあたるところから書かせていただきます。
 アメリカの問題は、帝国主義の問題であり、racism・ethnocentrism の問題として捉えていく必要があるのではないかと私は考えています。

 racismとethnocentorismは、同じものをどちらの側から見るかの違いですので、細かい議論はとりあえず棚に上げて、レイシズムという言葉で一括します。
 帝国主義が(その捉え方については、話を進める過程で述べていきます)レイシズムを生み、レイシズムがさらに帝国主義を生んでいくという構造があると思います。
(やや乱暴ながら、黒人奴隷制も帝国主義の一形態と捉えます。自国内に植民地を創出して、そこから富を搾り取っていくシステムです)

 藤永さんの議論の有効性は際だっています。バラク・オバマが大統領になったとき、いわゆる“専門家”たちが、どれだけ見当違いなことを言っていたか、それに対して藤永さんの指摘がいかに的確であったかは、時間の経過が明らかにしてくれました。

 なぜ、それが可能だったか。藤永さんが、アメリカ合州国の歴史を踏まえた上で「オバマ現象」を見ていたからに違いありません。
 アメリカの歴史は、そのまま黒人差別の歴史です。奴隷解放から公民権法まで百年の間に「ジム・クロウ法」などを含めて、どんな推移があったのか。
 公民権法から半世紀後の現在も人種差別の歴史は続いており、半・黒人ひとりが大統領になったくらいのことに浮かれていられるはずもなかったのです。

 日本は黒人差別と同じレイシズムの被害者であり、広島・長崎がその証人です。その日本人が、アメリカ大衆と一緒になって、オバマ大統領の実現にはしゃいでいたのは、なんとも恥ずかしいかぎりではありました。

 私は、人間という種にとって現在いちばん大きな問題(の一つ)はレイシズムだと思っています。
 その問題を克服できるかどうかは、分かりません。でも、その克服のために何が必要かと言うなら、まずは「知る」ことだと思います。歴史上の事実を、知り・知らせること。
 その意味で、藤永さんの行動に大きな価値があることは間違いありません。 ただ、アメリカというモメントに少し拘泥されすぎている感じがなくもないのです。

 ポール・ファーマー論が始まったとき、既視感のようなものを私は覚えました。
 しばらく考えた末に思いあたったのは、Hochschildのことでした。
 『レオポルド王の亡霊』は、あれはあれで充分いいのではないかと私は思いました。
 でも、藤永さんはカタンガへの言及がないことを強く批判されました(「index」には確かにありませんけど、本文中には「Katanga」は2回出てきますね。たぶんそれを把握された上であえて書かれた文の表現がやや苦しげでした)。

 藤永さんの批判は、結局のところ、ベルギーだけでは話が完結しない――英国にしろ米国にしろ――アングロサクソンが出てこないと収まりがつかない、という感覚的なものに根拠を置かれているのではないか、と感じられたのです。

 レオポルド王に後発者の悲哀すら読みとられて、結局その行動を擁護される寸前まで行っているように読めました。
 でも、レオポルド王にしろ、ベルギーにしろ、その悪逆非道に疑問の余地はありません。
(ルムンバの暗殺に“直接”関わったのは、アメリカではなくベルギーでした。CIAの“関与”と同様、これは既に確立した事実のようです)。

 悪役は、別にアングロサクソンに限定する必要はないと私は思います。とりあえずヨーロッパはみんな有資格者です。これは、藤永さんご自身の主張でもありますが。
(悪逆非道の分野では、中南米やフィリピンなどを勘定に入れても、大戦以前は、やはりイギリスが断トツの横綱でしょう)

 私が気にしているのは、藤永さんの議論が――歴史の事実を踏まえているために有効である一方で――その最終的な行先がアメリカ特殊論(Exceptionalism)の一つになってしまってはいないかということです。
 アメリカがダメなのは、アメリカがアメリカであるからという筋道になっているように、私には感じられます。

 先住民虐殺と奴隷制に支えられて始まったアメリカ。そのアメリカが巨大な力をもって理不尽を世界中に強いています。その行動が、アメリカがアメリカであるが故であるとしたら、私たちはその不可解な怪物に対して、なす術もなく立ち尽くすしかないように思えます。

 私は、そこに留まらず、新たな可能性を見いだしたいと願うのです。
 アメリカに特殊を見るのではなく、普遍を見る必要があるのではないか。
 帝国主義という普遍からアメリカ史を捉えるなら、もっと射程の長い――もしかしたら現在を変えていく展望につながる――議論ができるのではないかと考えるわけです。

 個別の例にそって、議論を展開してみます。

 藤永さんのお話からは、アメリカという怪物が一貫したハイチ政策を持って臨んできたような印象があります。
 しかし、ジェファーソンは奴隷所有者の立場からハイチ独立に脅威を感じたのであり、他方でもっと教科書的な(?)帝国主義に促されたウッドロー・ウィルソンに、直接にはつながらないのではないでしょうか。この中間に、ハイチを承認した大統領のリンカーンも存在します。

 ハイチの現在は、大きくはウィルソンから継続していると考えられますから、その線にそった議論は可能ですし、有意味だと思います。でも、ジェファーソンまでさかのぼって、アメリカのハイチ政策を論じるのは、アメリカという国家の擬人化になるのではないでしょうか。

 ファウンディング・ファザーズがつくり出そうとした政治についても同様です。
 彼らが目指したのは「民主政治」ではなく、寡頭政治だったのはないかと藤永さんはお考えのようです。彼らは、アメリカ憲法に一般市民の意思が反映しないような仕掛けをほどこしたのだともおっしゃっています。
(ファウンディング・ファザーズが志向したのは、デモクラシーではなくて「共和制」だったという理解は、米国内でも特殊なものではないようです)

 例えば、現在のアメリカが世界の困りものである原因の一つは「大統領制」にあります。
 しかし、ファウンディング・ファザーズ(面倒なので、以下FFと表記します)は大統領に強大な権限を与えるつもりはありませんでした。
 そのためもあって、大統領という職務を厳密に規定することなく、きわめて曖昧なかたちで手打ちにしてしまいました。以後、歴史は、さまざまなダイナミクスを反映しながら展開していきます。

 暗黙の了解が有効な間は、FFの想定を大きく外れる事態は起こらなかったようですが(ジャクソニアン・デモクラシーをどう捉えるかとか、細かい議論は必要でしょうが、話ははしょります)、その後リンカーンという突然変異が生まれます。
 また、その記憶がウッドロー・ウィルソンの強権を可能にしました。

 忘れられがちですが、FFにはそもそもモデルがありませんでした。イギリスの議院内閣制も少しずつカタチをなし始めていたか、という時期です。
 アメリカ人は、自国のデモクラシーが「最古・最長・最大」のデモクラシーだと自慢しますが、その傲慢は別にして、まったく根拠ゼロでもないわけです。

 だいたい、選挙人の“過半数”を獲得しないと当選しないというような規定は、それこそ取締役会の“過半数”を獲得して社長(president)になるみたいなものです。FFは、憶単位の国民が投票することなど、まったく念頭になかったに違いありません。

 選挙人団の制度は、勝者総取りの票決法とあいまって、アメリカに本当の民主主義を確立することを妨げている、どうしようもない制度のひとつです。そしてアメリカ人自身も、それを分かっていないわけではありません。実際に、国民の八割がこの制度の廃止に賛成しているという統計結果が出ているようです。
(石原慎太郎という夜郎自大が、これまで一貫して住民投票の制度を敵視してきた一方で、新党の党是に「首相公選」を謳っているとか。何をどう考えているのか? もとをたどれば、彼の憧れの的だった中曽根ヤスヒロにたどり着くのですが)

 大統領制(首相公選はこれの亜種です)・道州制・二大政党制などといった、世界史的な「特殊」を普遍的な価値だと勘違いしている日本人が多いようです。
 政治制度なんて、歴史が偶然・成り行き・行きがかり等々を材料にして作り上げてきたもので、理想的な形態を考えたすえに創出したというようなものではありません。
 州なんてない方がいいかも知れない。でも、現にあるものだから、なくすとしたら相当の苦労がいります(まあ、ほとんど不可能でしょうか)。
 なくて幸いしているものを、なぜわざわざ作らなければならないのか。(維新の会とかの訳の分からないマニフェストを見たもので少々言いたくなりました)

 13の植民地も、イギリス王室が(本来なんの権利もないはずの)利権を行き当りばったりに売りまくった結果です。いい加減なもので、複数の特許で土地の区画がお互いに重なっていたりもしました。

 その後、13の植民地は、時間の経過とともに、それなりに実体のあるものに変化していました。
 これから新しい国を造ろうという時に、前提として無視できない存在であったわけです。もちろん、当時から「13州」なんてつくらないで改めて新しい一つの国にしようという意見がなかったわけでもありません。実現にはいたらない少数意見でしたが。
(敬愛する藤永さんに一知半解の「アメリカ史」を講義するつもりはありません。自分自身に対して考えを整理しているのと、議論の筋道上の必要から書いています。どうぞあしからず)

 話がやや脱線気味になりましたか。
 私の言いたいのは、FFが(これも「Framersが」と言った方がいいのかもしれませんが、この際このまま行きます)新しい国の憲法を造る際に抱いていた意図が、そのまま現在につながっているわけではないということです。

 民主化という言葉が適当なのかどうか、ちょっと自信がありません。民主主義化と言っておきましょうか。ともかく、デモクラシーへの変化は世界史的な必然でありましょう。いいものか悪いものか、そうした価値観とは関係なく、何か別の力が作用しない限り、それ以外にはなりようがないというところがあります。
 そこで、FFが何を意図していようと、普通選挙が実現していきますし、もとは議会が選出していた上院議員も州民が直接選挙するようになります。

 確かに、アメリカについていちばん問題なのは、この国に民主主義が確立していないということです(日本がどうかは、また別の話です)。
 その原因はどこにあるのでしょうか。
 アメリカという実体があって、その根本的な性質に由来するのでしょうか。
 それとも、極めて歪んだカタチで始まってしまった政治システムがもたらした不幸なのでしょうか。

 レイシズムの普遍性についての議論をしていくつもりでしたが、そこに行き着かないうちに息切れになりました。

 普遍性と言っても、アングロサクソンに限定しないというところでしょうか。せいぜいヨーロッパくらいまでに絞らないと中身のない観念になってしまいそうです。
 次回が可能でしたら、続きを書きたいと思います。

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次回が可能でしたら、「レイシズムの普遍性についての議論」を是非お願いします。レイシズムについては、私個人としては、歴史的事実から来る絶望と、身辺の実際の経験が語りかけてくれるオプティミズムとに引き裂かれているのが現状です。

<蛇足>今朝のNHKテレビの一般ニュースで、日本のサッカーがオリンピックに出場できるかできないかで三人のキャスターと一人のハーフの解説者が大騒ぎ、画面の表に1位「シリア」、2位「日本」、3位「バーレーン」とありました。これを見た途端に私の思いは、シリアとバーレーンに対するアメリカの態度の言語道断の違いに飛び、それと一緒にテレビ画面の4人のばか騒ぎにも我慢が出来なくなりました。


藤永 茂    (2012年2月22日)


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ポール・ファーマーは転んでいない(5)

2012-02-15 13:05:44 | 日記・エッセイ・コラム
ハイチの本といえば、私はやはりC. L. R. James の『The Black Jacobins』(1980)を一番に挙げたい気持です。ジェームズ著青木芳夫訳『ブラック・ジャコバン』(2002) は古本で1万円しますが、原書は1500円であります。次にはポール・ファーマーの前著『The Uses of Haiti』 (2006) とPeter Hallward の『Damming the Flood』(2007) です。ホールワードには始めから腹の立てっぱなしのような所があり、私と共通の欠点があるかもしれません。
 ホールワードはカナダ生れの(政治)哲学者で今はロンドンのKingston 大学の教授です。前はMiddlesex 大学の哲学科でしたが、2010年はじめに学園紛争で学生側について大学側と衝突し、随分ともめた後、研究グループ全体がキングストンに移ったようです。2010年5月末にはケンブリッジ大学の哲学科の教授たちも連名でホールワードとその仲間を支持する声明を出したりしていますので、正義は恐らくホールワード側にあったのでしょう。こんな風ですから、ハイチ問題に関するホールワードの姿勢にも変化は全く見られません。大震災1周年の2011年1月11日朝の英国BBCラジオ放送の内容を批判したホールワードの公開書簡を
http://www.tanbou.com/2011/PeterHallwardRespondsToBbcRadio4Program.htm
で読むことが出来ます。彼の『Damming the Flood』と同じく、ハイチに乗り込んでいる多数のNGO がアメリカ政府筋から資金を受けて有害な結果を与えていることを論じています。
 人道主義的介入(humanitarian intervention)とか人道主義的帝国主義(humanitarian imperialism)とかいう言葉がしきりと飛び交う今こそと、学問的に精緻で公正なNGO論の登場を私は切望し続けていますが、最近一冊の良書を入手しました。
Issa G. Shivji 著『Silences in NGO discourse: The role and future of NGOs in Africa』 (Fahamu, 2007)
全体で70頁ほどの本で、アフリカが議論の中心ですが、NGO論の出発点として貴重な論考だと思います。私なりの一番乱暴な要約をすれば、Non Governmental だからNon Political と思うのは全くの間違いで、現代世界でNGOが果たしている役割は極めて政治的なものだということです。
 ポール・ファーマーに戻りましょう。オコジョさんのコメント「Ezili Dantoさんのブログを見ると、ファーマーは「Total sell-out」だと断定しているんですね。」を読んでダントさんのブログを訪れてみた方もおありでしょう。サイトは
http://www.ezilidanto.com/zili/2011/10/paul-farmer-uses-haiti-to-sell-ineffective-cholera-vaccines/
です。ダントの激しいファーマー難詰の全容は、
http://www.ezilidanto.com/zili/2011/10/farmer-relieves-himself-on-haitis-dying-cholera-victims/
を併せて読めば得られます。ダントの主張は明快です。汚染されていない生活用水の供給がコレラ・ワクチンの供給より優先されるべきだと言う主張です。これに対してファーマー側の主張は、ハイチの水道施設(上水道、下水道)の整備には10年20年の時間がかかるし、莫大な費用もかかる。それに較べて対コレラワクチンは直ぐにも入手できるし総費用も割安だから、新しい大統領マーテリーの下でワクチン防疫を始める、というものです。私としては悲観的にならざるを得ません。これまでハイチの水道施設の整備を遅滞させて来た力とワクチン防疫を推進しようとする力は同じものだと私は判断するからです。
 サイエンティフィック・アメリカンという通俗科学雑誌があります。1845年創刊という古い歴史と一貫した権威を誇っています。そのホームページで

Can a Vaccine Cure Haiti's Cholera?
Two years after the earthquake and thousands of deaths later, the debate about whether to use the cholera vaccine in Haiti continues
By Katherine Harmon | January 12, 2012 |
http://www.scientificamerican.com/article.cfm?id=vaccine-haiti-cholera

という長い記事を見つけました。これまでに約52万人が発病し、7千人が死亡したと書いてあります。現在ハイチで使用可能のワクチンとしてはShanchol というインド製のものがありますが、主に幼児に有効で60%から90%の成功率だそうです。WHO(世界保健機関)はハイチでの使用が取りざたされるようになった後も認可を渋っていたのですが、おそらくファーマーあたりからの要請で2011年後半に認可しました。それでもこのサイエンティフィック・アメリカンの記事の時点(本年1月12日)ではWHOはハイチでの使用に消極的だったのですが、ハーバード大学からの情報:
http://www.hcs.harvard.edu/hghr/2012/01/31/change-of-mind-vaccines-now-to-be-used-for-cholera-control-in-haiti/
では、これも、おそらく、クリントン/ファーマーが新大統領マーテリーを動かして、シャンコール・ワクチンの使用が決定したようです。サイエンティフィック・アメリカンの記事は“科学的”あるいは“経済的”見地からは、一つの正論が繰り広げられているのかも知れません。興味のある方は読んで判断して下さい。私は少し意地の悪い読み方をしてみたいと思います。筆者の女性はファーマーのNGOであるPIH (Partners In Health) の人たちから話を聞いたと思われます。:
Those at Partners In Health (PIH), a health care organization, say that imperfect efficacy should not matter in Haiti. "If you have a vaccine that was about 80 percent effective compared to 0 percent effective of drinking stool-laden water, which would you choose?" asks Paul Farmer, co-founder of the organization and a professor at Harvard University. "It's not as good as the polio vaccine, but neither is the flu vaccine." Indeed, the cholera vaccines are roughly as effective as flu vaccine, and are "pretty frickin' good," Farmer says.
英語の知識の不足から、私は‘0 percent effective of drinking stool-laden water’の部分と"pretty frickin' good,"の意味がよく分かりませんでしたが、調べてみて、改めて、「ポール・ファーマーという男は一体何者なのか?」と訝ることになってしまいました。これこそ将に「語り口から人を読む」という場合です。くだけた物言いをするアメリカ人学者を私はいくらでも知っています。学会で他人の論文発表を聞きながら“bullshit!” と人に聞こえよがしに言う研究者も珍しくありません。しかし、ハイチのコレラ禍について取材に来た女性記者の前でこうした言葉使いをする必要はない筈です。それがアメリカン・スラングの正常な使い方だと言うのなら、私は何も言いたくはありません。ハイチの人々が少しでもファーマーの言う “stool-laden water” を飲まなくてすむように、ベネズエラの一般の人々の義援金で1万本のボトル入り飲料水がハイチに空輸されたことをアメリカ人たちは知らず、知りたくもないでしょう。
 ふとした事から、興味深い写真を見つけました。
http://www.lenouvelliste.com/images/nouvelliste/2012-01-13/lapremieredamerecevantlessalut.jpg
これはハイチ大震災2周年の記念公式パーティが首都ポルトープランス北部で行なわれた時の写真で、大統領マーテリーと前の凶悪な独裁者クロード・デュヴァリエが前面に、やや後ろにビル・クリントンが写っています。他の人々はハイチの超少数支配階級の黒人たちと思われます。クロード・デュヴァリエについては既に何度もお話しました。昨年のインチキ選挙の直前にフランスの逃亡先からふらりと帰国しましたが、彼が凶暴な独裁者として無数のハイチ人を殺戮していた時代に、マーテリーは殺人の実行犯であった事が知られています。筋が通る世であれば、帰国した途端に逮捕投獄されるべきであった人物なのです。この2月初頭にマーテリーは以前のボスを正式に免罪にすることに成功したと伝えられています。まさか、この公式パーティにポール・ファーマーは参加しなかったでしょう。彼はとても賢い男のようですから。

藤永 茂   (2012年2月15日)


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ポール・ファーマーは転んでいない(4)

2012-02-08 10:36:08 | 日記・エッセイ・コラム
前回のブログ宛に、立て続けにパンチのきいたコメントをオコジョさんから頂きました。皆さんに読んで貰いたいのでこの場に再録します。
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■ ハイチの米作を破壊してしまったことを、クリントンは2010年に謝罪しているわけですね。ちょっと信じられないようなレベルの言い訳です。米作りの手間ひまをこちらが引き受けてあげれば、ハイチが一挙に工業化の段階に進めると思ったとか。? この「謝罪」について、Democracy Nowのインタビューで、今度はポール・ファーマーが――よくぞ男らしく謝ってくれた「同じアメリカ人として“great relief”を感じた」って言うのでした。? クリントンは、ルワンダでも「謝罪」してましたね。よそ見をしていたので、ついつい気がつかなくて「ごめんね」といった主旨。これについても、ポール・ファーマーは高く評価しているようです。
 クリントンの斡旋で、ハイチに被災地の「仮設教室」として提供されたトレーラーが粗悪なつくりで、中の気温が37.8℃になってしまい使い物にならない。しかも、危険レベルの2倍半のホルムアルデヒドが検出されたとか。おまけに、これが米国内で既に告訴され裁判が行われているシロモノです。これは「気がつきませんでした、ごめんなさい」で通用しません。? この件についてコメントを求められたファーマーさんの言い分は――残念ながら私の語学力では理解できませんでした。何を言っているのか、さっぱり……。
 と、この辺までは、立場上いろいろむずかしいんだろうなあ、と思えなくもなかったのです。? ところが、Ezili Dantoさんのブログを見ると、ファーマーは「Total sell-out」だと断定しているんですね。? ハイチのコレラ禍に対して彼がワクチンを推奨しているのは知っていましたが、それは有効な手が打てない無力感が言わしめている可能性もあると、私は勝手に推測したものでした。必要な量のワクチンを用意するなんて、とても実現しそうもないことが打つべき手だてだならば、言い訳がたちますから。
 でも、そんなのではなくて――?Dantoさんによれば、ワクチン・キャンペーンをして、また金儲けをしようということなんだそうです。? うーん、そこまでの話になると、かなり黒くなってきますね。やはり、ポール・ファーマーは変節したとみていいのでしょうか。
投稿 オコジョ | 2012/02/03 00:36

 藤永さんが今回提起されたポール・ファーマー批判の主旨は、クリントンの「右腕」になった現在も以前と変わっていないというのではありませんね。
 だとしたら、現在のファーマーについて何語を費やそうと、それだけでは藤永さんのご主張を裏付けるものにはならないのではないでしょうか。
 私としては、やはり(?)なぜ変節してしまったんだろうと考えていく方が面白い――という表現は不適切でしょうか――得るものが多そう、探求していく価値がありそうに思えるのですが、いかがでしょう。
投稿 オコジョ | 2012/02/05 00:44 ■
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 すぐ上の「現在のファーマーについて何語を費やそうと、それだけでは藤永さんのご主張を裏付けるものにはならないのではないでしょうか」というのは厳しいご指摘です。私がこのシリーズで試みていることは、タイトルが回りくどくて、始めから無理なのかも知れません。ですから、ここで私の手の内をキッパリ披露します。私は「ファーマーの旧著と新著を読み比べると昔と今で彼は変節したように見えるが、そうではなくて、昔も今も同じ人間だ」と言いたいのです。私の狙いが外れる、あるいはオコジョさんがおっしゃるように、もともと無理な狙いである可能性は充分あります。ポール・ファーマー自身さえ「この頃は自分もえらく権力システムと妥協するようになったなあ。でもこうしなきゃ、自分がやりたいことが出来なくなるし、いや、こうする方が、世の中の貧乏人のためにより沢山良い事をしてやれる」と思っているかも知れません。
 ここで私が直面しているのは、一般的に言えば、「転向」の問題です。戦時中にある程度もの心がつき、敗戦を迎え、戦後を経験した私どもの世代の人間は色々の人たちが転向する場面に立ち会いました。権力べったりだった人が豹変して、戦後社会でも相変わらず派手に発言を続ける情景も見ました。我々はそうした人たちが「変わった」と感じるよりも「変わってない。同じ人物だ」と直覚する場合の方が多かったと思います。私は日本のいわゆる戦後民主主義が本物であったとはゆめゆめ思いませんが、とにかく日本は軍国主義から疑似民主主義へと変わって行ったと規定すると、この30年間の米国は疑似民主主義からなり振りかまわぬファシズム軍国主義へと変わって来たと規定できます。(勿論ここで米国は建国以来一度も変わっていないという立場を取ることも出来ます。)軍国主義から疑似民主主義という時の流れを“同じ人物”として乗り切った人が居れば、その逆方向に時が流れても同じ事が起って不思議はありません。私は、ポール・ファーマーという、それこそ、目から鼻に抜けると形容するにふさわしい、図抜けてクレバーな男はこの時代の流れを“同じ人物”として見事に乗り切っている最中だ、と言いたいのです。これが私の手の内、ありのままの本音です。オコジョさんから頂いた「無駄な事をするな」という忠告にしたがって、ポール・ファーマーについてのシリーズは後一回で終りにしようと思います。
 オコジョさんのコメントにあるDemocracy Nowのインタビューはポール・ファーマーの新著『HAITI after the earthquake』の優れた書評になっています。次のサイトにはインタビューのRush Transcript も付いています。会話内容の忠実な記録になっています。

http://www.democracynow.org/2011/7/14/

「クリントンの斡旋で、ハイチに被災地の「仮設教室」として提供されたトレーラー」に関する話は全体で1時間ほどのプログラムの最後に出て来ますが、親分クリントンさんの悪口を言いたくないファーマーの巧みな言葉回しが良く読み取れます。しかし、私にとってもっと面白かった場面はグッドマン女史がハイチに帰って来たアリスティドについて単刀直入に感想を質した時のファーマーの反応です。(この会話は最初から40分ほどの所に出て来ます。)
■ AMY GOODMAN: That was President Jean-Bertrand Aristide, March 18th, just a few months ago, on the tarmac at the airport in Port-au-Prince, saying that his party, the most popular party, was excluded from the elections. And then you have now the election of the new president, Martelly, under those conditions. What effect does that have on the people of Haiti?
DR. PAUL FARMER: Well, I mean, I just was reading that?that there is a?and I want to speak a little bit in sociological terms, if I can. I know that sounds typically professorial and like a cop-out. I don’t mean it that way at all. But just thinking about, again, public health, public health requires some degree, as I said, of stability. And there are various kinds of stability. I personally don’t believe the idea that, you know, you can oppress people or rule them from above. I don’t think, you know, it’s something that lasts or works. So that’s not really the kind of stability I’m talking about. I’m talking about the stability that comes from inclusion and participation. I think that’s a sound way to proceed. And I guess I’m saying that as just a human being, not so much as a physician. ■
グッドマンの鋭い切り込みに応えるファーマーの出だしのシドロ・モドロ「Well, I mean, I just was reading that?that there is a?」にご注意下さい。クリントンと米国政府が選んでハイチの人々に押し付けた操り人形大統領マーテリーの悪口をはっきりと言うことは出来ませんから、「社会学的な見地から少しばかり喋らせてもらえば・・・」と言葉を濁し、続いて「I know that sounds typically professorial and like a cop-out. I don’t mean it that way at all.」と苦しい言い訳をします。ついうっかりcop-out という言葉が口から出たところが面白い。cop-out から数歩先に歩けば sell-out という言葉が待っています。上のオコジョさんのコメントにあるように、我があこがれの女性ダントさんは、すでにファーマーを total sell-out と切って捨てました。そうした事を次回にお話しします。

藤永 茂   (2012年2月8日)


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ポール・ファーマーは転んでいない(3)

2012-02-01 11:18:24 | 日記・エッセイ・コラム
ポール・ファーマーの新著『HAITI after the earthquake』の読者書評をアマゾン(USA)で見てみると現在、 5star(9), 4star(3), 3star(1), 2star(0), 1star(1), となっています。どれ一つとして前著『The Uses of Haiti』への言及や比較がないのは不思議ですが、5星、4星の評者たちは多分前著を知らないのでしょう。月並みの褒め上げ方で概して浅薄です。人道主義のアメリカン・ヒロー絶賛に終っています。面白いのは1つ星の書評で著者はStanley Lucas 、この人は、グーグルを覗いてみれば直ぐ分かりますが大変な問題の人物です。彼の素性、過去の行状、現在の活躍ぶりを理解しなければ、この奇妙奇天烈な書評を本当に読み解くことは出来ませんが、先ずは、ルーカス氏のアマゾン書評の“正論”の部分を取り上げましょう。
 ルーカスは、ファーマーが口で言うことと(新著に書いていること)とハイチで実際に行なっていることが相反していると言います。世界中から集まった震災復興援助金がハイチの政府行政の公共機関に与えられず、無数にあるNGOに直接流れ込んでしまうことがハイチの復興が遅々として進まない第一の理由だというファーマーの主張は正しいが、ファーマー自身のNGO (PIH, Partners In Health) は保健医療分野でのハイチ最大のプロバイダーで、巨額の援助金をハイチ政府を通さず直接吸い込んで運営されているのは言行不一致も甚だしいとルーカスは批判します。:
■He received tens of millions of dollars in funding from USAID and the UN Special Envoy's office, led by President Clinton, where he serves as the Deputy Special Envoy (seems to be a conflict of interest there?). In short, Dr. Farmer talks the talk in Haiti, but does not walk the walk. ■
この評言はファーマーの痛い所をついています。ハイチは,前にも書いたように、大震災以前からも、1万ともいわれる多数のNGO が乗り込んでNGO 共和国というあだ名が付いていた位でした。ファーマーのNGO(PIH) はその最も有名なものの一つで、震災の前と後で財政的運営のパターンが変わったわけではありません。今のハイチの事実上の支配者となったクリントンの驥尾に附してファーマーが国連副特使となってから急変したのではありません。
 さて、上の厳しい批判に続いて、ルーカスはこう書きます。:
■Finally, and most disturbingly, Dr. Farmer turns partisan in this book. He is an unabashed advocate of former President Aristide. Again, given his role as UN Deputy Special Envoy, this seems to be a conflict of interest. The Haitian people actually forced President Aristide out of Haiti in 2004 because they were fed up with his corruption and violence. (最後に、これは最も不穏なことだが、この本でファーマー博士はひどく党派的になっている。彼は前大統領アリスティドの厚顔無恥の支持者だ。ここでも又、ファーマーの国連副特使というファーマーの役を考えると、公私の利害衝突に該当しそうだ。実の所2004年に、ハイチ人たちはアリスティド大統領を彼の腐敗と暴力行使に堪忍袋の緒が切れてハイチから追い出したのだ。)■
この最後の一文は真っ赤な嘘です。ここまで読むとルーカスがわざわざアマゾンにこの書評を送った恐ろしい政治的意図と計算が露呈します。馬脚どころか、羊皮を脱いだ獰猛な狼スタンリー・ルーカス(Lupus?) の顔がむき出しになっています。しかし、今はポール・ファーマーの話をしているのですから、ルーカスの正体に特に興味をお持ちの方は、彼のウェブサイト;
http://solutionshaiti.blogspot.com/2011/10/dr-farmer-talks-talk-but-fails-to-walk.html
を覗いて、先ずは、この人物がビル・クリントン、ヒラリー・クリントン、コリン・パウエル、元国連大使オルブライトとそれぞれ一緒に写った写真を眺めて下さい。又、次のYouTube では、アリスティドをめぐって、私のお気に入りのハイチ女性 Ezili Danto とルーカス氏との激しい遣り取りを見ることが出来ます。:
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=L8I4kL29i4g&feature=endscreen
 本題のファーマーに戻ります。前回のブログ『ポール・ファーマーは転んでいない(2)』で、アリスティドを語るファーマーの語り口が前著『The Uses of Haiti』と新著『HAITI after the earthquake』ではすっかり変わってしまったと、私は書きました。ファーマーのアリスティド支持の立場は,ルーカスが言うように変わらないにしても、親分クリントン夫妻への気兼ねもあって、前著のように明確には打ち出されていません。こうした前著と新著の差を指摘した書評はないものかと探していましたら、カナダで最大の日刊新聞トロント・スター(言ってみればカナダの‘ニューヨーク・タイムズ’)で健筆を揮っているJennifer Wells という人の長い見事な書評─そして意地の悪くない適切なファーマー論─が見つかりました。大新聞の記事らしい調子のものですが読み応えは十分あります。次回に紹介しましょう。
<付記> 前回のブログに
■ルーヴェルチュールはハイチ建国の父の一人で「黒いスパルタカス」とも呼ばれます。ナポレオンのフランス軍に捕えられ、フランスの牢獄で病死しました。死の床で、自分という幹が枯れても根は残って又芽を吹き返すという意味の言葉を残したと伝えられています。アリスティドの言ったことはこのルーヴェルチュールの言葉を踏まえているのです。■
と書きましたが記憶違いがあったので訂正します。ルーヴェルチュールは彼の有名な言葉を死の床で語ったのではなく、罠にはめられて乗船したフランス行きの船中でその船長に語ったのでした。フランス語だったと思われます。:
“En me renversant, ils n’ont abattu à Saint Domingue que le tronc de l’arbre de la liberté des noirs. Il repoussera par des racines parce qu’elles sont profondes et nombreuses.”
(In overthrowing me, they have only felled the trunk of the tree of black liberty in Saint Domingue. It will regrow from the roots because they are deep and many.)
「私を倒しても、彼らはサン・ドマング(ハイチ)の黒人の自由の木の幹を切り倒しただけだ。その木はその根からきっと生え戻って来るだろう、根は深く多数あるのだから。」
ファーマーの『HAITI after the earthquake』のp234 にも書いてあり、他の所でも読みましたが、このルーヴェルチュールの言葉は小学校に行くことの出来たハイチ人ならば誰もが胸に刻む言葉だそうです。ハイチの過去の悲劇と未来の希望の象徴です。

藤永 茂    (2012年2月1日)


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