私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

もっとも残酷残忍な国は?

2015-02-18 22:04:15 | 日記
 この見出しを見て、これまで私のブログを読んで下さっている皆さんは、「このブログの筆者は米国だと言いたいのだな」とお考えになるでしょう。ピンポン!です。
 私は九州大学教養部に奉職中、1959年、シカゴ大学物理学科からの招待で渡米して2年を過ごし、その直後に、サンホゼとボルチモアに計1年半ほど滞在し、1968年にはカナダに移住してしまいました。私は、その頃までは、米国という国は色々の意味で良い立派な国だと思っていました。ところが、それから約半世紀後の今では、米国は建国以来一貫して極めて残酷残忍な国家であると、私は考えています。日本には米国に好意を持っている人々が沢山おいでですから、この老人の考え方に不快感を覚える向きも多いでしょうが、私とて好きでこうなったのではありません。十分の理由があってのことです。否定の余地のない事実の数々を学び知ったことで、この考えにならざるを得なかったのです。
 刃物で人の首を刎ねたから残酷残忍というのは如何なものでしょうか。日本でも昔はよくやりましたし、フランスはその技法で歴史的にとりわけ有名です。Point-blankで射殺するのは残酷残忍ですが、高空の無人機から狙い撃ちするのは人道的ですか?
 2013年8月30日付のブログ記事『もう二度と幼い命は尊いと言うな』で、私は、「8月21日、シリアの首都ダマスカスの近くの反政府軍の支配地区に対してロケットによる化学兵器(毒ガス)攻撃が行なわれ、多数の一般市民が殺されました。死者数は初め約1300人と発表され、現在では数百人とされています。」と筆を起こし、「今回の毒ガス使用が米欧の直接軍事介入の口実として行なわれたと私が確信する理由」を述べました。幸いにも、ロシアの外交的努力のおかげで、米欧の直接軍事介入は阻止されましたが、シリアのアサド政権打倒を目指す米国は、代理戦争の形態であらゆる汚い手段を用い、とうとうイスラム国という恐ろしい擬似国家まで生み出してしまいました。
 シリア紛争がシリアの一般国民に与えている被害は甚大です。国連難民高等弁務官事務所の2014年3月の発表では、「シリア紛争が始まってから3年が経過し、家を追われた人の数は900万人を超えた。シリアはまさに世界的に最も多くの難民、避難民を出す国になってしまった。シリア周辺国で難民登録を行った、もしくは難民登録待ちのシリア難民の数は256万人を超える。またシリア国内で避難を強いられている国内避難民の数は、650万人を超えている。難民、国内避難民を合わせた数は、シリア紛争開始前のシリア全人口の40%にあたり、そのうち約半分が子どもである。」となっています。死者は10万人を優に超えていると推定されます。
 シリアで起こっている事態については、各国政府筋、シンク・タンク、専門家、論客などのあらゆる見解や分析が世に満ち満ちていますが、我々一般庶民にとって最も基本的な設問は「米国がシリアの政権変革(regime change)を行おうとしなかったらどうなったか」ということでなければなりません。“歴史的に現実に起こったことを、起こらなかったら、と仮定する議論は馬鹿げている”と言わないでください。クレオパトラの鼻の話ではないのです。イラクにしろ、リビアにしろ、シリアにしろ、もし、米国がそれぞれの国の政権を、武力を行使して、変えようとする行為に出なければ、百万のオーダーの庶民が戦火に殺され、千万のオーダーの庶民が難民化することはなかったのです。イラクとシリアの国内でクルド人たちがひどい扱いを受けていたのは事実です。彼らが反政府行動に出たのも当然です。しかし、いわゆる北米インディアンの人々も同様の取り扱いを米国国内で受けています。けれども、米国と違い、イラクもリビアもシリアも、遠くの国に出かけて行って、内政に干渉し、武力で政権変革を試みるようなことは何もしていませんでした。国内では、国民はそれなりに一応平和な日常生活を営んでいました。いま私の思いは特にリビアの人たちの上にあります。「カダフィが生きていた頃は良かったなあ」というのがリビアの大多数の人たちの痛切な思いであるに違いありません。
 「もっとも残酷残忍な国は?」という設問に戻りましょう。前掲の2013年8月30日付のブログ記事で、私は、毒ガス(サリン)を使ってシリアの一般庶民数百人を殺戮したのは反政府勢力側であり、その背後には米国があると判断しました。毒ガス使用からわずか10日後の時点での、ズブの素人の断定でしたが、それから2年半後の現在、私の断定が正しかったと考えられる十分の理由があります。当時オバマ政府は、アサド政権側が行った確かな証拠を持っている、と言っていましたが、提出されてはいません。もし世界に提示できる確たる証拠があれば、それを口実に、米国は、今からでも、リビアを破壊し尽くしたと同様の猛爆を、国連を操作して、シリアのアサド政権に対して開始し得るのです。勿論、そんなもののある筈はなく、むしろ、オバマ大統領の手元には、使用されたサリンの出所などについてのはっきりした資料があるのだろうと、私は推測します。
 ブログ記事のはじめの部分に引いたワシントン・ポストの8月23日付の記事を再録します。そのフォト・ギャラリーには、白布に包まれた幼い子供たちの死体が魚河岸の魚のように並べられた写真があります。他の写真の多くも子供の犠牲者の様子を撮ったものです。ご覧になって下さい。

http://www.washingtonpost.com/world/national-security/in-syria-chemical-attack-allegations-us-and-allies-push-for-immediate-probe/2013/08/22/00f76f2a-0b6f-11e3-8974-f97ab3b3c677_story.html?wpisrc=nl_headlines

これらの子供たちは、米国が打倒したいと考えるアサド政権に対する空爆を開始する口実を捏造するために殺されました。この国家的行為とイスラム国の誘拐殺人行為とどちらがより残酷残忍でしょうか。
 ここで、私としては、何度でも申し上げておきたいことがあります。どこからやって来たのかわかりませんが、「一つの命は、どれも同じく、一つの命だ」という片言のような言葉が私の心の中に住み着いています。“いたいけない子供だから”とか“愛くるしい少女だから”という気持ちを私は持ちたくありません。偽の証拠の捏造する目的で、誰が殺されても、私は同じように憤りを感じます。
 2002年4月、ベネズエラでクーデターが起こり、ウゴ・チャベス大統領は反乱軍側に拘束され、大統領の座から追われましたが、47時間後には、貧困層大衆のチャベスに対する圧倒的支持の表明と軍部内の大統領支持勢力によって、クーデターは失敗に終わりました。このベネズエラ政府転覆の試みの背後に米国の手が働いていたことは否定の余地がありません。
 先週木曜日2月12日に現ベネズエラ大統領ニコラス・マドゥロは,新しいクーデター計画を阻止したと声明を出し、政府が把握した計画の詳細を発表しました。今回も米国のバックアップがあったことは見え見えです。クー実行の予定日は2月12日でした。このクーデター挫折のニュースは日本では殆ど報じられなかったようですが、十分の関連情報がネット上で入手可能です。
 計画の残忍性の点で、2月12日に行われる筈であった暗殺計画の標的の中に、マドゥロ大統領と政府の高官の他に、反政府側の何人かも含まれていたことに、私は特に注目します。
 2002年4月のクーデターの際、4月11日の午後、チャベス政府側が反政府のデモ隊に向けて発砲して十数人が射殺され、約60人が負傷したと報じられ、これがクーデターの決定的瞬間になったというのが、ニューヨークタイムズなどの主要メディアの主張したところでした。しかし、その後、反政府デモ隊に発砲し、残忍な殺戮を行ったのは、政府側ではないことを証拠付ける映像の存在が確かめられ、殺戮は反政府側の自作自演であったことが判明しています。今回の、失敗に終わった政権乗っ取り計画で、反政府側の人間も暗殺の対象になっていたという事実は、前回と同じような偽りのストーリーのでっち上げの計画が事前に組まれていた証拠だと思われます。米国のネオコン金融経済システムにべネズエラを組み込むという政策の実行のためには、その手先となって動いている人間たちでも、利益があれば、暗殺して省みないというのは、これぞ冷酷残酷残忍の極みと言うべきではありますまいか。
 言うまでもありませんが、もし米国の残酷性を思想的問題として本格的に論じるとするならば、第二次世界大戦での米国空軍の日本に対する空爆の問題を正面に据えなければなりません。これは、日本軍の行為についての反省、あるいは、米国の原爆使用の是非の問題と一応切り離して、考察すべき問題、考察可能の問題です。核抑止力の思想の中核とも深く結びついた問題です。いつの日か、この問題と対決したいと思っています。

身辺の事情から、しばらく、このブログを休みます。

藤永 茂 (2015年2月18日)
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ロジャバ革命(2)

2015-02-11 21:31:00 | 日記・エッセイ・コラム
 少しばかり復習します。クルド人はトルコ・イラク北部・イラン北西部・シリア東北部等、中東の各国に広くまたがる形で分布する、独自の国家を持たない世界最大の民族集団です。人口は2,500万~3,000万人、中東ではアラブ人・トルコ人・ペルシャ人(イラン人)の次に多く、宗教はその大半がイスラム教に属します。もともとは、今のシリア東北部からイラク北部、中部を中心に一応まとまった居住地域を持っていたのですが、第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れ、サイクス・ピコ協定に基づいてフランスとイギリスが勝手に引いた国境線によって、トルコ、イラク、イラン、シリアなどに分断され、各国内では少数民族になってしまったのでした。これまでの中東紛争のニュースでよく耳にしたのは、イラク北部のクルド人自治区と呼ばれる地域で、ブッシュのイラク侵略戦争でサダム・フセイン政権が打倒され、フセインが殺害された大きな理由の一つは、彼がイラク北部のクルド人を毒ガス攻撃で大量虐殺したという米国の主張でした。クルド人が毒ガスの被害にあったのは事実のようですが、全体的な事の真相は不分明です。この地区は、米国の中東政策の一つの要として、米国の庇護が厚く、クルド人自治区としての自由が米国によって与えられ、その首都エルビルは、石油資源目当ての米欧からの巨大な資本流入で高層ビルの建設ラッシュが進行中、第二のドバイと呼ばれることもあります。
 一方、イラク北部、シリア北部に接するトルコの国内のクルド人たちの状況は大変異なります。トルコには、その総人口約8千万人の18%、つまり約1400万人のクルド人が住んでいますが、公式には民族集団と認められてはいません。米欧の厚い庇護を受けているこのイラク北部のクルド人たちとは異なり、トルコ政府の厳しい抑圧と差別の対象であり、米欧の庇護はありません。トルコでのクルド人の反政府勢力の中核は「クルド労働者党」(PKK,Partiya Karkeran Kurdistan)で、その指導者はアブドラ・オジャラン (Abdullah Ocalan)です。この人物についてはPSIA(公安調査庁)のウェブサイトに次のような記事が出ています。:

http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ME_N-africa/PKK.html

「(クルド労働者党の)設立者で象徴的指導者。1948年,トルコ生まれ。1970年代,トルコ・アンカラ大学に在学していた際に,左翼系武装組織「民族解放軍」の指導者に就任した。1978年,同組織の名称を「クルド労働者党」(PKK)に変更し,同国南東部での「クルド人国家の樹立」に向けて活動した。
1980年のトルコ軍による「9.12クーデター」の数週間前にトルコを出国し,シリアなどに滞在していたが,後に,アフリカなどで潜伏場所を探していたところ,1999年2月,ケニアで拘束された。
 オジャランは,1999年6月,トルコ領域の一部を分離させるために計画的な行動を実行するなどしたとして,アンカラの治安裁判所から死刑を言い渡された。同年8月には,獄中から「和平イニシアチブ」を発表した。同人は,2002年10月,トルコでの死刑廃止(同年8月)に伴い,アンカラの治安裁判所により死刑から終身刑に減刑された。現在は,マルマラ海のイムラル島で服役中である。」

 上にある「和平イニシアチブ」以後のオジャランが説いている思想が、コバニでイスラム国軍隊と死闘を繰り返し、遂に勝利を収めたクルド人男女兵士たちを支えたイデオロギー的な力であったのです。その本質は、このブログの前回に訳出したロジャバ諸県の憲法の前文から読み取れます。
 コバネ攻防の4ヶ月の死闘の幕開けから間もない時期に、ロジャバ革命の世界的意義についての分かりやすい解説を含む報道記事がガーディアン紙(2014年10月9日付)に掲載されました。:

https://zcomm.org/znetarticle/why-is-the-world-ignoring-the-revolutionary-kurds-in-syria/

これを読めば、オジャランのここ10年の思想の本質がどのようなものであるかが理解できます。そこにはメキシコの先住民農民のサパティスタ運動の影響が述べられています。この農民運動のことはご存知の方も多いと思いますが、TPPを押し付けられようとしている今の我々日本人にとっても全く他人事ではありませんので、和文ウィキペディアから少し長い引用をさせて貰います。:

歴史

マルコス副司令官が実質的な指導者である。
サパティスタという名称は、メキシコ革命において農民解放運動を指揮したエミリアーノ・サパタにちなむもので(「サパタ主義(サパティスモ)」)、サパティスタ民族解放軍はこのサパタの思想を引き継いだ革命行動である。
1994年1月1日、北米自由貿易協定(NAFTA)の発効日に、サパティスタ民族解放軍は、「NAFTAは貧しいチアパスの農民にとって死刑宣告に等しい」として、メキシコ南部のチアパス州ラカンドンにおいて武装蜂起した。NAFTAによって貿易関税が消失し、アメリカ合衆国産の競争力の強いトウモロコシが流れ込むと、メキシコの農業が崩壊することや、農民のさらなる窮乏化が予測されたのである。実際にメキシコでは、NAFTA発効後、多くの農民が自由競争に敗れて失業し、メキシコ市のスラムや北部国境のリオ・ブラーボ川を越えてアメリカ合衆国に流入した。ラカンドンでは、木材のグローバル商業化や、石油やウランの発掘がもくろまれており、当地の先住民を一掃する大規模な強制排除計画が進みつつあった。具体的には、白色警備隊と呼ばれるギャング組織が大規模農園主によって雇われ、暗躍し始めていた。身に迫る脅威を前に、インディオたちはついに、500年の抑圧を経て立ち上がったのである。
これに対し、メキシコ政府は武力鎮圧で応じ、チアパス州のインディオ居住区を中心に空爆を行なったため、サパティスタ側に150人近い犠牲者が出た。これを受けて、サパティスタ側は対話路線に転換したが、結果的にそれが奏功し、以後、メキシコ国内外から高い評価と支援を受けることになる。
サパティスタ民族解放軍は、先住民に対する構造的な差別を糾弾し、農地改革修正など政府の新自由主義政策に反対、農民の生活向上、民主化の推進を要求し、政府との交渉と中断を何度も繰り返しながらも、今日まで確実にその支持者を増やし続けている。
サパティスタ民族解放軍の実質的リーダーは、サパティスタ民族解放軍のスポークマンであり反乱軍の指揮も執るマルコス副司令官であるが、マルコスは例外的に非先住民族である。マルコスが反乱軍の指揮を執りながら司令官ではなく副司令官を名乗るのは、「真の司令官は人民である」との信念に基づく。

評価

サパティスタ運動の方法論や主張は、従来の左翼ゲリラと一線を画しているため世界的な注目を得ている。サパティスタ運動は、最初のポストモダン的革命運動であると言われているが、それはサパティスタ民族解放軍がインターネットを介して大々的に自らの主張を展開し、またそれによって世界的な支援を獲得したために、もはや武力などの実力を行使せずとも隠然たる影響力をメキシコ政府に対して持つに至ったというまさにIT時代の革命運動だったからである。たとえば、マニュエル・カステルは、サパティスタを「初の国際ゲリラ」と称している。この点において、コロンビア革命軍やIRA、日本の極左暴力集団に代表される、武力や脅迫といった一般人の犠牲者をも生むテロリズムに頼る前例とは異なった革新的手法と言える。■

  上掲のガーディアン紙の記事が出てから3ヶ月間、コバニをめぐるクルド人男女戦士とイスラム国軍の死闘が続いた訳です。めでたい結果になったのはなによりでした。ロジャバ地域でのクルド人たちの勝利がほぼ確立された2015年1月中旬あたりから、「ロジャバ革命」の現地報告が続々と現れました。有力な進歩的ウェブサイトの一つであるzcomm.org に出た記事を3つ(その1その2その3)を挙げておきますのでご覧ください。読んで嬉しくなること必定。

https://zcomm.org/znetarticle/impressions-of-rojava/

https://zcomm.org/znetarticle/unfolding-revolution-in-rojava/

https://zcomm.org/znetarticle/joint-statement-of-the-academic-delegation-to-rojava/

極めて興味深い動画もあります。:

https://www.youtube.com/watch?v=Dte5iCbvoNY

#1. Stateless Democracy: The Revolution in Rojava Kurdistan [part 1]

[part 2] もあります。

http://vimeo.com/109625788

PART 2: vimeo.com/debalie/statelessdemocracy2 (also on youtu.be/TldgkitcS-s )

 ところで、米国とNATOはロジャバのクルド人たちをどう扱っているでしょうか?コバニでの勝利が確実になった1月22日、ロンドンでの米国主導の対「イスラム国 」有志連合のメンバーの会合に、クルド人勢力からの代表は一人として招待されませんでした。シリア北部のコバニでの決定的勝利だけでなく、イラク北部でも、イスラム国に対して軍事的勝利を収めているのは、ほぼクルド人部隊だけと言っても余り言い過ぎではないのが現状です。米国は米国空軍による空爆の効果ばかりを強調しますが、勇猛果敢なクルド人地上部隊の奮闘がなければ、これだけの戦果は不可能であることは、現地からの報道に照らせば、否定の余地はありません。しかし、オバマ大統領やケリー国務長官を含む米国政府筋の公式談話や声明の中に、ロジャバで起こっているクルド人たちの自治運動(ロジャバ革命!)を些かでも匂わす文言は半片すらも見当たりません。米国とNATOの意図は明白です。このままで行けば、クルド人たちは、又しても、使い捨てされる運命にあります。
 メキシコのチアパス州のサパティスタ人口は多くて数千という所かと推定します。少数ではありますが、健在です。1994年1月1日のサパティスタ反乱から21年、その共同社会の最大の特徴の一つは、ほぼ完全な女性解放、男女同権の実現です。シリア東北部のトルコ国境周辺で立ち上げられようとしているロジャバ革命の自治共同体の中での女性の地位はそれに習ったものとも言えるのではありますまいか。しかも、このサパティスタ・クルド人の人口は、数千人ではなく、数百万人のオーダーです。こんな人間集団の存在を米国が許す筈はありません。「イスラム国」も、勿論、ロジャバ革命を許すべからざるものとして猛然と襲いかかったのですが、解放されたクルドの女性たちは男性たちと肩を並べて、見事にイスラム国軍を打ち負かしました。米国の本当の“本音”を推察すれば、「ロジャバ革命よりはイスラム国の方がまだましだ」ということになりましょう。
 サパティスタの中核的なモットーに「別の世界が可能だ」というのがあります。私たちも敢えてその標語を信じ、チアパスのサパティスタを、ロジャバのサパティスタを支援しなければなりません。

藤永茂 (2015年2月11日)
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ロジャバ革命(1)

2015-02-04 22:15:03 | 日記・エッセイ・コラム
 日本人人質とその殺害の事件をめぐって、イスラム国について、マスメディアに多数の専門家が登場して盛んに語っていますが、彼らが知っていることをそっくり我々に告げてくれているわけではありません。ある筈がありません。
発表媒体である新聞、テレビ局、雑誌などに応じて、その道の専門家たちは、情報伝達の自己規制を見事に行っています。それは、自分に“お声が掛からなくなる”ことを避けるための心がけに発します。「それを言っちゃあおしまいよ」にならないための処世術です。
 「ロジャバ革命」と呼ばれる政治的状況の展開はその顕著な一例です。それを、その事実と意義をはっきり詳しく我々に告げようとする専門家は一人も見当たりません。
 シリア北部、トルコとの国境に近いコバニの町とその周辺で、イスラム国はその発祥以来初めての決定的な軍事的敗北を喫しました。コバニの死闘をスターリングラードの死闘と並べる声さえ聞こえてきます。そして、その勝利の原動力は女性戦士たちであったのです。イスラム国の軍隊に立ち向かったクルド人部隊に女性兵士も多数加わったというのではありません。男性部隊(YPG)と女性部隊(YPJ)が肩を並べて共々に闘ったのです。コバニの勝利に象徴される「ロジャバ革命」が女性革命だとされる一つの理由がここにあります。もし、「ロジャバ革命」のこの重要な本質が、専門家たちによって広く世に伝えられたならば、世界中の本物のフェミニストたちは歓呼の声を上げるに違いありません。
 いまイスラム国を称する勢力は2013年から特にイラクで活動を顕著にしてきましたが、それが激化したのは2014年に入ってからで、私たちの意識もこの辺りで急に高められます。米国の傭兵であるイラク政府軍は烏合の衆で大して役に立たず、米国は、2014年の夏以降、イラク内でイスラム国に対して空爆を開始しましたがあまり効果が上がらず、イスラム国の支配地域は拡大を続けています。イスラム国がシリアの東北部のラッカ県を制圧した後は、シリア国内でもイスラム国に対する空爆を始めました。イスラム国はイラク北西部の大部分を支配下に収めていましたが、首都バグダッドの占領には向かわず、その矛先をクルド系住民の多いシリア北部のトルコとの国境に近いコバニ(アインアルアラブ)の町(人口約4万5千人)に向けました。それにははっきりした理由があったのです。シリア北部のトルコとの長い国境線あたりに住むクルド系住民を壊滅させてシリア内のイスラム国支配地域とトルコとの交通を確保すれば、トルコからの武器やイスラム国軍隊に参加する外国人の流入が容易になるからです。2014年9月、対「イスラム国」で米国との共闘を約束した中東諸国の中に、ヨルダン、エジプトとともにトルコも含まれていたのですが、トルコの対「イスラム国」政策は極めて自己中心主義的です。もともとシリアのアサド政権を快く思わないトルコのエルドアン首相の政権は2011年4月に始まったシリア騒乱で一貫して反シリア政府勢力を支持し、武器などの供給を盛んに行って来ました。その支援がイスラム国の急激な成長を促したことに否定の余地はありません。さらにエルドアン政権は国内のクルド人もシリア内のクルド人も居なくなってしまえば良いと考えていましたから、コバニでイスラム国軍隊と闘うクルド系住民を軍事的に助けるなどもっての外で、むしろ、トルコ国内のクルド人がシリア側にある同胞に軍事的援助を与えることを厳しく阻止していました。それにも関わらず、クルド系住民の軍隊が4ヶ月の死闘に耐えて遂にコバニの町から凶悪なイスラム国軍隊を追い出した最大の理由は、どうしても彼らが理想として掲げる新しい世界を実現したいという、そのためには死をも恐れない熱い思いに燃えていたことにあります。では、クルド男女の戦士たちが命をかけて建設しようとしている新しい社会、新しい世界とはどのようなものなのか。それを端的に示す立派な憲法がすでに宣言布告されています。正確には憲法草案と見るべきものでしょうが、英訳版は普通の文面で20ページほどの長さ、95の条文から成っています。その「前文」を読んでみましょう。

http://civiroglu.net/the-constitution-of-the-rojava-cantons/

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The Constitution of the Rojava Cantons

Preamble

We, the people of the Democratic Autonomous Regions of Afrin, Jazira and Kobane, a confederation of Kurds, Arabs, Syrics, Arameans, Turkmen, Armenians and Chechens, freely and solemnly declare and establish this Charter.

In pursuit of freedom, justice, dignity and democracy and led by principles of equality and environmental sustainability, the Charter proclaims a new social contract, based upon mutual and peaceful coexistence and understanding between all strands of society. It protects fundamental human rights and liberties and reaffirms the peoples’ right to self-determination.

Under the Charter, we, the people of the Autonomous Regions, unite in the spirit of reconciliation, pluralism and democratic participation so that all may express themselves freely in public life. In building a society free from authoritarianism, militarism, centralism and the intervention of religious authority in public affairs, the Charter recognizes Syria’s territorial integrity and aspires to maintain domestic and international peace.

In establishing this Charter, we declare a political system and civil administration founded upon a social contract that reconciles the rich mosaic of Syria through a transitional phase from dictatorship, civil war and destruction, to a new democratic society where civic life and social justice are preserved.

ロジャバ諸県の憲法

前文

我々、クルド人、アラブ人、シリア人、アラム人、トルコ人、アルメニア人、チェチェン人の連合体である、アフリン、ジャジーラ、コバネ三県の民主的自治区の人民は、率直かつ厳粛にこの憲章を宣言し、制定する。

自由、正義、尊厳、そして民主主義を求め、平等と環境的持続可能性の原理に導かれて、この憲章は、お互いの平和な共存と社会のすべての要素の間の理解に基づく新しい社会契約を宣言する。それは基本的人権と自由を擁護し、人民の自決の権利をあらためて確認する。

この憲章の下、我々この自治区の人民は、すべての人々が公共生活で自由に自己表現できるように、和解、多元的共存、民主的参加の精神で一致団結する。権威独裁主義、軍事主義、中央集権、公事への宗教的権威の干渉から自由な社会を建設するために、この憲章はシリアの領土的一体性を認め、国内的また国際的平和を維持することを強く願うものである。

この憲章を制定するにあたって、我々は、独裁政治、内戦、破壊から、市民生活と社会正義が保護される新しい民主的社会への遷移の局面を経て、シリアの豊かなモザイックを調和させる社会契約に基づいた政治的システムと市民行政を布告する。

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 何とまあ、惚れ惚れとする内容ではありませんか。これに反対を唱えるのは、一神教の神への信仰を暴力的に強制しようとする狂的宗教信者以外にはありますまい。世界のあらゆる場所にこの憲法前文の精神が広がれば、地球の春がやってきます。
 前文の始めのところにあげられている3つの県(cantons)は、地図で見ると、トルコ・シリア国境線に沿って東西に飛び石的にならんでいますが、このあたりには3~4百万人のクルド系住民がもともと住んでいて、その地域がRojava cantons(ロジャバ諸県)と呼ばれているのだと思われます。ですから、このロジャバ革命という社会運動には百万のオーダーの人々が参加していることになります。革命発祥は2011年、アラブの春の年です。次回には、この瞠目すべき新革命の詳細の話を始めます。

藤永茂 (2015年2月4日)
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