ノーム・チョムスキーのことを取り上げた私のブログ記事に対して、まず、海坊主さんから、続いて、箒川 兵庫助さんとHitoshi Yokoo さんから、私にとって大変読み応えのあるコメントをいただきました。どうか皆さんも読んで下さい。こうした語調で、私に見えてなかった事柄を指摘して、議論に乗ってきて頂けるのは有難いことです。初めから自分の意見を一方的に相手に押し付けるのでは議論というものが成り立ちません。学べる所がなく、面白くもありません。「アサド大統領は残忍暴虐な独裁者ではない」と私は判断しています。アサド大統領はひどい野郎だと考えているチョムスキーさんが多分間違っていると思います。「弘法にも筆の誤り」と昔から言いますから。もし、チョムスキーさんに、アサド大統領についての私の言い分を聞くだけの暇な時間ができれば、彼は私の話を初めから拒否し、却下するようなことはしないでしょう。議論に乗ってきてくれる筈です。
このブログ『私の闇の奥』の他に、私はもう一つ、『トーマス・クーン解体新書』という名のブログを細々と書き続けています。電子書籍として既に出版した同名の単行本の続編のようなものです。科学哲学者トーマス・クーンを話の中心に置いた自然科学論のような内容ですが、昨夜ほぼ2ヶ月ぶりにブログ記事を更新しました。見出しは『今度の「ソーカル事件」は何が狙いか?(1)』です。近頃、米国の大学で、極端な思想を持った学生が、自分たちの考えに反することを口にする教授を問答無用に吊るし上げ、果ては暴力沙汰にまでなるといった事態が多発しているようです。上掲のブログ記事はそれに連関して起こった擬似論文投稿事件を取り上げたものですが、書いているうちに、米国の大学事情についてのノーム・チョムスキーの過去の発言を思い出しました。それは『ポストモダニズム:権力の道具』と題する5分足らずのスピーチ(動画)です:
https://zcomm.org/zvideo/postmodernism-an-instrument-of-power/
チョムスキーさんは、大学人の間ではポストモダニズムが流行っていて、「真実(Truth)とか歴史的事実(Historical Fact)などというものはない」と主張することで強引に自分の主張を押し付けてくる人が多い、と知識階級の人々を批判しています。今度の二度目の「ソーカル事件」はまさにこの状況の産物です。米国の大学もひどいことになったものです。
私が「アサド大統領は残忍暴虐な独裁者ではない」と判断する根拠は、シリア紛争の勃発以降のアサド大統領の発言の総体に基づいています。特に、いろいろの機会に行われてきた十分長い時間をかけたインタビューのtranscript(筆記録)の多数をよく読み込むことで、私の中に出来上がったアサド大統領の人間像が私の判断の根拠です。講演や会見の、抄録でないトランスクリプトは日本のマスメディアには殆ど全く現れませんが、英語になったものは、よく探せば、結構たくさん見つかります。
では、アサド大統領に対するチョムスキーさんの見解、つまり、「何十万というシリア自国民を容赦無く殺戮した戦争犯罪人」という判断は何処からきたのでしょうか? 私は、これについて、割にはっきりした推測を持っています:それは、大の親友であるRichard Falkという人物からだと思います。この名に見覚えがなければネットで調べて下さい。この人のシリア紛争についての考えは次の記事にはっきり出ています:
https://richardfalk.wordpress.com/2017/11/13/failing-the-people-of-syria-during-seven-years-of-devastation-and-dispossession/
私のようなズブの素人、まるっきりの門外漢が、Richard Falkのような大物に盾突くのは滑稽千万かもしれません。しかし、リビアのカダフィの前例があります。私はカダフィが惨殺される前に、彼について正しい判断を下していました。アサド大統領の本性についての私の判断も間違っていないと思います。
藤永茂(2018年10月22日)
このブログ『私の闇の奥』の他に、私はもう一つ、『トーマス・クーン解体新書』という名のブログを細々と書き続けています。電子書籍として既に出版した同名の単行本の続編のようなものです。科学哲学者トーマス・クーンを話の中心に置いた自然科学論のような内容ですが、昨夜ほぼ2ヶ月ぶりにブログ記事を更新しました。見出しは『今度の「ソーカル事件」は何が狙いか?(1)』です。近頃、米国の大学で、極端な思想を持った学生が、自分たちの考えに反することを口にする教授を問答無用に吊るし上げ、果ては暴力沙汰にまでなるといった事態が多発しているようです。上掲のブログ記事はそれに連関して起こった擬似論文投稿事件を取り上げたものですが、書いているうちに、米国の大学事情についてのノーム・チョムスキーの過去の発言を思い出しました。それは『ポストモダニズム:権力の道具』と題する5分足らずのスピーチ(動画)です:
https://zcomm.org/zvideo/postmodernism-an-instrument-of-power/
チョムスキーさんは、大学人の間ではポストモダニズムが流行っていて、「真実(Truth)とか歴史的事実(Historical Fact)などというものはない」と主張することで強引に自分の主張を押し付けてくる人が多い、と知識階級の人々を批判しています。今度の二度目の「ソーカル事件」はまさにこの状況の産物です。米国の大学もひどいことになったものです。
私が「アサド大統領は残忍暴虐な独裁者ではない」と判断する根拠は、シリア紛争の勃発以降のアサド大統領の発言の総体に基づいています。特に、いろいろの機会に行われてきた十分長い時間をかけたインタビューのtranscript(筆記録)の多数をよく読み込むことで、私の中に出来上がったアサド大統領の人間像が私の判断の根拠です。講演や会見の、抄録でないトランスクリプトは日本のマスメディアには殆ど全く現れませんが、英語になったものは、よく探せば、結構たくさん見つかります。
では、アサド大統領に対するチョムスキーさんの見解、つまり、「何十万というシリア自国民を容赦無く殺戮した戦争犯罪人」という判断は何処からきたのでしょうか? 私は、これについて、割にはっきりした推測を持っています:それは、大の親友であるRichard Falkという人物からだと思います。この名に見覚えがなければネットで調べて下さい。この人のシリア紛争についての考えは次の記事にはっきり出ています:
https://richardfalk.wordpress.com/2017/11/13/failing-the-people-of-syria-during-seven-years-of-devastation-and-dispossession/
私のようなズブの素人、まるっきりの門外漢が、Richard Falkのような大物に盾突くのは滑稽千万かもしれません。しかし、リビアのカダフィの前例があります。私はカダフィが惨殺される前に、彼について正しい判断を下していました。アサド大統領の本性についての私の判断も間違っていないと思います。
藤永茂(2018年10月22日)