私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

正気(sanity)

2015-07-29 22:14:23 | 日記・エッセイ・コラム
 シリアがいよいよひどいことになって来ました。「アラブの春」なるものの虚偽性ここに極まれり――ここに露呈しているのは、dirty な血にまみれた巨大な毒牙です。すでに20万を超える市民の死者たちの棺に、そして、束の間、私たちの耳にも達したロジャバ革命の正気(sanity)の声に、挽歌を捧げる時が近づいているのかも知れません。
 私はSANE という言葉が好きです。今年の2月、『ロジャバ革命』についてブログ記事を書きました。シリア北部のトルコとの国境地帯で、クルド男女の戦士たちが命をかけて建設しようとしている新しい社会、新しい世界の正気(sanity)の度合いを端的に示す立派な憲法がすでに宣言布告されています。正確には憲法草案と見るべきものでしょうが、英訳版は普通の文面で20ページほどの長さ、95の条文から成っています。その「前文」を以下に再録しますので読んでください。これは前文だけです。

http://civiroglu.net/the-constitution-of-the-rojava-cantons/

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The Constitution of the Rojava Cantons

Preamble

We, the people of the Democratic Autonomous Regions of Afrin, Jazira and Kobane, a confederation of Kurds, Arabs, Syrics, Arameans, Turkmen, Armenians and Chechens, freely and solemnly declare and establish this Charter.

In pursuit of freedom, justice, dignity and democracy and led by principles of equality and environmental sustainability, the Charter proclaims a new social contract, based upon mutual and peaceful coexistence and understanding between all strands of society. It protects fundamental human rights and liberties and reaffirms the peoples’ right to self-determination.

Under the Charter, we, the people of the Autonomous Regions, unite in the spirit of reconciliation, pluralism and democratic participation so that all may express themselves freely in public life. In building a society free from authoritarianism, militarism, centralism and the intervention of religious authority in public affairs, the Charter recognizes Syria’s territorial integrity and aspires to maintain domestic and international peace.

In establishing this Charter, we declare a political system and civil administration founded upon a social contract that reconciles the rich mosaic of Syria through a transitional phase from dictatorship, civil war and destruction, to a new democratic society where civic life and social justice are preserved.

ロジャバ諸県の憲法

前文

我々、クルド人、アラブ人、シリア人、アラム人、トルコ人、アルメニア人、チェチェン人の連合体である、アフリン、ジャジーラ、コバネ三県の民主的自治区の人民は、率直かつ厳粛にこの憲章を宣言し、制定する。

自由、正義、尊厳、そして民主主義を求め、平等と環境的持続可能性の原理に導かれて、この憲章は、お互いの平和な共存と社会のすべての要素の間の理解に基づく新しい社会契約を宣言する。それは基本的人権と自由を擁護し、人民の自決の権利をあらためて確認する。

この憲章の下、我々この自治区の人民は、すべての人々が公共生活で自由に自己表現できるように、和解、多元的共存、民主的参加の精神で一致団結する。権威独裁主義、軍事主義、中央集権、公事への宗教的権威の干渉から自由な社会を建設するために、この憲章はシリアの領土的一体性を認め、国内的また国際的平和を維持することを強く願うものである。

この憲章を制定するにあたって、我々は、独裁政治、内戦、破壊から、市民生活と社会正義が保護される新しい民主的社会への遷移の局面を経て、シリアの豊かなモザイックを調和させる社会契約に基づいた政治的システムと市民行政を布告する。

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 ロジャバ革命の実現を目指す人々(その数を百万と見積もっておきます)と、米国もトルコも打倒したがっているアサド大統領のシリア現政府との関係は別に論じなければなりませんが、上の憲法前文から察せられることは、アサド大統領が、シリア全土の混乱崩壊よりは、ロジャバ地域の住民に対してこの憲法が求める形態の自治を許す立場を取っていることです。
 この憲法前文に息づいている人間の正気(sanity)を私は大変美しものとして感じます。シリアに関連して、類似の正気の文章を別のところでも見つけました。
 去る7月19日、シリア団結連帯運動(Syria Solidarity Movement)という運動団体のパレスチナ人たちがシリア戦争についての一つの声明を発表しました。私は、この声明文にも、同じような正気が息づいているのを感じました。その冒頭の部分を訳出します。出来れば全文を読んでください。

http://dissidentvoice.org/2015/07/statement-of-palestinians-about-the-global-war-on-syria/
原文は
http://www.syriasolidaritymovement.org/2015/07/22/statement-of-palestinian-groups-and-individuals-in-the-occupied-homeland-refugee-camps-and-the-diaspora-about-the-global-war-on-syria/
にあります。
 この運動団体は、明らかにアサドのシリア政府の情宣活動の一端を担う団体であり、声明文はプロパガンダの要素を含んではいるでしょうが、事態を見据える目の確かさと非条理に立ち向かう静謐な戦意はパレスチナ人の正気の発露です。

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We are Palestinians and Palestinian organizations that declare our solidarity with the Syrian people in their historic struggle for survival, now in its fifth year. We are in a unique position to understand and appreciate the challenges facing our Syrian brothers and sisters, because we face the same challenges.

We understand what it means to have our lands and our property taken by foreign usurpers. We understand what it means for millions of our people to be driven out of their homes and to be unable to return. We understand what it means for our interests and our national rights to become the plaything of the most powerful nations on earth. We understand what it means to suffer and die in defense of our sovereignty and human rights.

「我々は、今や5年目に入った、生き残りを賭けた彼らの歴史的闘争の只中にあるシリアの人々との団結連帯を宣言するパレスチナ人とパレスチナ人組織体である。我々は、シリアの兄弟姉妹たちが直面している諸々のチャレンジを理解し認識する格別の位置にある。何故ならば、我々は同じチャレンジに直面しているからだ。

我々には、外からやってきた強奪者たちに我らの土地と我らの所有物を強奪されることが何を意味するかがよく分かる。我々には、何百万という同胞が、彼らの住処から追い出され、帰ってくることが出来ないということが何を意味するかがよく分かる。我々には、我らの権益と我が国の国家的権利がこの世で最も強大な国々の遊戯道具になることが何を意味するかがよく分かる。我々には、我らの国家主権と人権を擁護するために苦難を受け、生を捧げることが何を意味するかがよく分かるのだ。」
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 先週以来、トルコの対「イスラム国」政策の“方向転換”が日本のマスメディアを(も)賑わせていますが、連日の記事を読んでも、何が起こっているのか、一般読者には分からないでしょう。理由は簡単明白です。「イスラム国」の兵士たちが、米欧の、そして、トルコの、アサド政権打倒のための傭兵であるという事実をマスメディアがあくまで伏せるからです。クルド人の正気、パレスチナ人の正気、シリア人の正気の声を扼殺しようとしている凶暴な力こそ、狂気(insanity)そのものです。伝えられる所では、トルコと米国は28日までに、シリア北部のトルコ国境沿い約100キロにわたり安全地帯を設ける計画で大筋合意。これを狂気の沙汰と言うべきか、あるいは、冷酷残忍にして巧妙無比の計算と呼ぶべきか――これは次回に考えます。

藤永 茂 (2015年7月29日)
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ヨーロッパとは何か?

2015-07-22 21:48:55 | 日記
 『若者たちの逆襲(桜井元)』というコメントを頂きました。選挙年齢を引き下げることで、若者たちの政治的意識の希薄さを利用して改憲賛成票を上積みしようという企みは逆噴火するというのが、桜井さんの予測であり、期待です。私も心からそうなることを祈ります。ただ、私は近頃の若い人達に評判の文芸作品やマンガに親しんでいませんし、直接の接触となると介護の仕事をしている若者たちが主ですので、判断ができません。漠然とした信頼感はあります。日本人だから日本人が好きだというだけの事かもしれませんが。
 安保と憲法をめぐって日本国内の政情が極めて重大な局面を迎えている時に、このブログがアフリカの小国の事などに拘っているのは、私が人生の終点に近づいているからだと思います。一生を振り返らざるを得ないのです。私にとって、ヨーロッパ、その延長としてのアメリカは、決定的な重要さを持っていました。1968年に自然科学者としての生活の場をカナダに移してからも、その状況は続きました。それが変わり始めたきっかけは、ハリウッドの西部劇映画のインディアンではない、生きている本物の原住民(先住民)を知るようになったことでした。この人達はヨーロッパからの侵略者(フランス人、英国人、米国人)によって実にひどい目に遭わされ続けて現在に及んでいるわけで、彼らの悲劇が私の心を打ったのは勿論ですが、彼らが精神の中核で断固としてヨーロッパを拒否し、自己の幸福論を堅持し続けていることを、私は直感的に確信したのでした。これが内省としての「ヨーロッパとは何か?」という問いかけの始まりでした。
 「ヨーロッパとは何か?」この問いは、私自身に限った場合にも、私の残り時間ではこなせない問題ですが、もし、もう一度若返って、学者としての人生がもう一度許されるとすれば、アフリカとヨーロッパの関係の歴史を研究してみたいものです。私には出来ない相談ですから、誰か奇特無謀な若者が現れて、生活上ではあれこれ苦労はあっても、畢生の仕事として、決定版のアフリカ史の大冊を書き上げてくれないかなあ、なんて願っているこの日頃です。アフリカ大陸という鏡は、ヨーロッパを、とりわけその狂気(insanity)と悪(evilness)を映し出すこの上ない鏡だと、私は確信しています。死の床にあっても「ヨーロッパの超克」を説いたフランツ・ファノンもきっと賛意を表してくれるに違いありません。

藤永 茂 (2015年7月22日)
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核と物理学者(3)

2015-07-15 22:08:13 | 日記・エッセイ・コラム
 物理学者の間で時々耳にする言葉に、
Shut Up and Calculate !
というのがあります。「黙って計算しなさい!」「ぶつぶつ言わずに計算に身を入れろ!」などと訳せましょうか。もともとは量子論の(哲学的)解釈に関して発せられた言葉です。例の天才理論物理学者リチャード・ファインマンが言ったと伝えられたこともありましたが、出処はN. David Mermin というアメリカの理論物理学者でこの人もなかなかの実力者です。マーミンという人については、私のもう一つのブログ『トーマス・クーン解体新書』で触れるつもりですが、今日は物理学者を特徴付ける行為の一つとして‘計算’を取り上げます。                      
 現代最高の物理学者の一人であるSteven Weinberg の著書『THE DISCOVERY OF SUBATOMIC PARTICLES』の序文に“We physicists are an odd lot, taking great pleasure in the calculations we learn to do in the standard sequence of physics courses (われわれ物理屋というのは風変わりな連中で、標準的な物理学課程でやり方を学ぶ計算をすることに大きな満足感を味合うものだ)”と書いてあります。
 先の2015年7月1日付のブログ『核と物理学者(1)』の中で紹介したジョン・スタントンの記事に、現在の米国国防長官アシュトン・カーターにについて、「確かなのは、カーターはレオ・シラードではなく、エドワード・テラーのタイプにより類似の人物である」とあります。シラードについては、日本語ウィキペディアに極めて有用な記事がありますので読んで頂きたいのですが、シラードが飛び抜けて回転の早い頭脳の持ち主であったこと、世界初の原子炉(シカゴ・パイル)の創設にエンリコ・フェルミと並んで最初から参画しながら、物理学者として地道に必要な計算をすることが出来ず、脇役に回されてしまうことなどが書いてあります。ハンガリー同郷の大物理学者ユージン・ウィグナーは原子炉の計算がとても面白くて熱心にやっていて、シラードにも計算を勧めたのですが駄目でした。これも大物理学者のハンス・ベーテはシラードを「私が知っている人々の中で最も頭のいい人間の一人だった」と評しています。強烈な自我を持ち、レオ・シラード風に凄く頭が切れるにしても、物理学者にしては地道な物理学の計算を楽しめず、政治に強い関心と野心を抱き、思想傾向はエドワード・テラー並みにネオコン的保守、・・・ これが米国国防長官カーターの実像であれば、実に困ったことです。北朝鮮の核軍備計画を壊滅させるために先制攻撃を行うべしと、かつて、カーターが唱えたことは、前回で報告しました。核戦力の保持については核抑止論者でありましょうし、先制核攻撃論者である恐れすらあります。核と物理学者の問題を考える場合の中心的課題は「核抑止論」です。これについては、2010年4月28日のブログ『核抑止と核廃絶(2)』で論じましたのでその後半を以下に再録します。レオ・シラード流に頭の良い物理学者たちは、核による抑止をprudent な政策と考え、核戦争には勝者も敗者もないと言いながら、本心では、“勝敗はある”と考えています。核兵器を絶対悪と認識して、核抑止論を排して、核廃絶を唱え続けた湯川秀樹、朝永振一郎、豊田利幸、小川岩雄などの我が先達は、物理学の計算が好きな、しかし、シラードとかテラーとかカーター風には、頭のよくない物理学者たちであったと言えるかもしれまん。:

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 MAD(マッド) というアルファベット略語をご存知ですか。 Mutual Assured Destruction の略語で、日本語の標準訳は「相互確証破壊」、形容詞の mad に引っ掛けた略語であることは確かですが、ふざけた文字遊びが許されるような事項ではありません。MADは、レーガン大統領の一つ前のカーター大統領の時代に使われた核抑止政策のキーワードでした。敵対する二つの国が確実に相手を破壊することが出来るだけの核爆弾と、相手が核攻撃を仕掛けてきたことを知った後から反撃しても敵国を破壊し尽くす態勢を保持していれば、その二国間で恐怖の均衡が成立して、戦争が抑止される、という考え方を表しています。必要とあれば、人間集団を核爆弾で破壊し抹殺するという考え、これは、馬鹿馬鹿しい、狂った考えというよりも、悪魔の考え、悪(the evil)そのものです。私はこれを「皆殺しの思想」と呼ぶことにします。この呼び名が必ずしも「核」に限定されていないことに注意して下さい。
 広島の碑文論争というものがあります。原爆死没者慰霊碑の石の前面の上部に「安らかに眠って下さい」と彫ってあり、下部に「 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれています。この文章は、1952年、当時、広島大学教授で被爆者でもあった雑賀忠義氏が考え出して、揮毫も行ない、その年の8月6日に碑の除幕式が行われました。それ以来、誰がどのような過ちについて語っているのかはっきりしない碑文であるために、さまざまな論争が行なわれて来ました。米山リサ著『広島 記憶のポリティクス』のp22以降にも「碑文論争」が取り上げられています。私はその論争に加わる気持ちはありませんが、1952年に、雑賀忠義氏ご当人が碑文の公式の英語訳として「Let all the souls rest in peace; For we shall not repeat the evil」を提案し、広島で行なわれた「悪( the evil)」を繰り返さないと誓っているのは「we」で、われわれ人間すべてだという意味の説明を行ないました。とすれば、この「we」は、前回のブログに引いたアドルノの言葉「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」で、「詩を書くことは野蛮である」と感じる「we」と同一の筈でなければなりません。ところが、現前の政治的現実は、この二つの「われわれ」の間に同一性など殆ど認められていないことを示しています。現在、イスラエルが数百個の核爆弾を保有していることは、イスラエルを含めて誰も否定しない事実ですが、イスラエルは、イランも加入している核非拡散条約に加盟していません。このイスラエルを容認する人々がアドルノの「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という言葉を金科玉条として高く掲げる「われわれ」に他なりません。この「we」が雑賀さんのいう「われわれ人間すべて」と等しくないことは明らかです。
 核抑止という考えは、上記の通り、必要とあれば、核爆弾を使用するという考えです。核兵器の使用を絶対的な悪と“考えない”イデオロギーです。そして、ヒロシマ以後の「われわれ」人類はこの核抑止のイデオロギーとそれが醸成する世界の中で生きることを強いられているのです。オバマ大統領の、最近の世界非核化のジェスチャーの裏に、その演出者であるキッシンジャーの核抑止政策が貼り付いていることは、これまた、何人も否定できない事実です。2010年2月17日のブログ、『[号外] オバマ大統領は反核でない』、ではっきりと説明した通りです。核抑止という言葉に飼いならされてしまった我々は、この言葉との共生を強いられているという状況の不条理さに対する感受能力を失ってしまっています。これは重大な状況です。
 半世紀以上の間、原子爆弾との共生を我々に強いる状況がどのように発生したかを、豊田利幸著『新・核戦略批判』(岩波新書、1983年)から学ぶことにします。:
■ 1955年には「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出され、そのよびかけに応じてカナダのノヴァスコシア州パグウォッシュ村で第一回のパグウォッシュ会議が1957年に開かれていた。この会議の意義は東西両陣営の科学者たちに高く評価され、翌1958年にはカナダのラック・ビューポートで第二回の会議が開かれた。第一回の会議では、核戦争の危機を避けるためのいわば総論的な議論が行なわれたのに対し第二回の会議は声明などは出さないで、各論に一歩踏み込んだ討論が活発になされた。その会議の事務局長をつとめたロートブラットによると、「核兵器は絶対悪であり、これはどうしても廃絶しなければならない」という意見と、「巨額の国費を投入して開発した核兵器をその国が廃棄するはずがない。それゆえ核兵器を保有したままで戦争がおこらないような方策を探求すべきである」、端的に当時の言葉を使えば、「原子爆弾と共に生きよう(Live with atom bomb )」という意見が鋭く対立して白熱した論戦が行なわれたという。残念ながら、この第二回パグウォッシュ会議に日本からの出席者はなかった。注目すべきは「ラッセル・アインシュタイン宣言」を出すことを考え、かつその文章を起草したラッセルが前者の意見を強く主張したにもかかわらず、シラードに代表される後者の意見が会議の大勢をきめたことである。
 これによって核抑止論はパグウォッシュ会議の中に根をおろし、以後の核戦略の理論的支柱となってしまった。その頃もしアインシュタインが生きていたら、恐らくラッセルを全面的に支持し、シラードたちを圧倒したであろう。とにかくこれを契機に相互核抑止の数量的研究が精力的に行なわれることになった。■(pp74~75)
 豊田利幸氏は高潔な方でしたから、レオ・シラードという人物に対する反感をあらわに言葉にしておられませんが、私は、この人物の醜悪な一面を許し、その長所だけを受け入れる度量に欠けていましたので、以前、ロバート・オッペンハイマーの伝記を書いた折に、レオ・シラードを手厳しく批判したことがあります。その時には、私は、シラードを本質的には“無害”な人物と思って次のように書きました。:
■ 私にはシラードに対するウィグナーの永続した奇妙な愛情がわかるような気がする。シラードもまた愚かなひとりの科学者、ひとりの人間であった。ウィグナーが言ったように本質的に無害な人間であった。■(『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』、p237)
しかし、今は違います。核爆弾を、「ヒロシマ」、を絶対悪として直ちに退けるかわりに、核抑止という政治的イデオロギーのもとで、核爆弾と共に生きることを我々に強いてきた責任をレオ・シラードは背負わなければなりません。「ヒロシマ」と「アウシュヴィッツ」の区別を導き入れた責任と言ってもいいでしょう。
 去る4月6日にオバマ政権は2010年度の核戦略報告書「核態勢の見直し」(Nuclear Posture Review, NPR)を発表しました。その内容の要約が国防省から出されていて、その中に次の文章があります。:
■ 核兵器保有国及び核不拡散義務を遵守しない国家に対応
アメリカは、アメリカ、その同盟国及びパートナーの決定的な利益を防衛する究極情況においてのみ核兵器を使用しうる。これらの諸国にとっては、アメリカの核兵器が通常兵器あるいは生物化学兵器による攻撃を抑止するという役割を依然として演ずるかもしれないという緊急事態の狭い幅が残っている。■
現在の具体的な世界状況に投射してハッキリ分かりやすく言えば、これは、「もしイランがアメリカの言う事を聞かなければ、イランの人々に“ヒロシマ”の苦しみを与えてやる」という脅しをかけることに等しいのです。イスラエルがイランの核関係施設に先制空爆を行い、イランがイスラエルに全面的反撃(もちろん通常兵器で)をする事態の発生可能性はますます高まって来ていると判断されますから、オバマ政権のこの核戦略見直しは、圧倒的な核兵器の脅威を振りかざしてイランを脅そうという、実に恐るべきものなのです。そして、これが核抑止というイデオロギーの直裁な表現の一つであることをはっきり認識しなければなりません。
 しかし、アドルノの有名な言葉を「頂門の一針」と認識する知識人たちは(前回のブログ参照)、「もしイランがアメリカの言う事を聞かなければ、イランの人々に“アウシュヴィッツ”の苦しみを与えてやる」と誰かが言い換えたとすると、この発言を、ナチ・ホロコーストの記憶にたいする、決して許すことの出来ない冒涜と考えることでしょう。この非可換性は何処から来ているのでしょうか?一つの「皆殺しの思想」の記憶は、人間が詩を書くことすら難詰するまでの力を持ち続けるのに、もう一つの「皆殺しの思想」は核抑止論という形で、グローバルな外交政策として容認されて今日に至っているということです。ヒロシマ・ナガサキをめぐる「ラディカルな知」を求める知識人にとって、この現在の知的状況は決してこのまま容認さるべきものではない筈です。
 上述のように、1958年の第二回パグウォッシュ会議で、アインシュタイン・ラッセルの核廃絶論を押さえて核抑止論を打ち立てたレオ・シラードたちは「これを契機に相互核抑止の数量的研究を精力的に」行なうことになりましたが、レオ・シラードが、何かにつけて、目の敵にしたロバート・オッペンハイマーは、1959年に行なった講演の中で、核抑止論の旗の下に水爆と長距離ミサイルの開発に狂奔するアメリカを次のように批判しています。:
■ 殆どすべての人間を殺戮し尽くす可能性を論ずる時、計算高いゲーム理論の言葉でしか語れない我々の文明を、我々は一体何と考えたらよいのか。悪業を行なった敵に対してならば、原水爆の使用に問題なしとする見解を西側が、特に我が国が表明した度ごとに、我々は誤りを犯してきた。第二次世界大戦における戦略爆撃作戦-これこそがこの大戦の全面的特徴であった-の歴史的結果としてもたらされた良心の痛みの喪失こそ、世界の自由、人間の自由の促進の重大な障害になっているのである。■
この「悪業を行なった敵に対してならば、原水爆の使用に問題なしとする見解」は、オバマ政権の対イラン政策のエッセンスに他ならず、同じ考え方が60年間一貫して維持されたというのは真に信じがたい歴史的事実です。
 オッペンハイマーが「良心の痛みの喪失」という、彼らしい、穏やかな言葉で嘆いている人間精神の荒廃あるいは欠陥の象徴として、核兵器だけでなく、第二次世界大戦における戦略爆撃作戦一般が挙げられていることに注目しましょう。
 東京大空襲は良く知られていますが、大阪も1945年3月13日以降,数次にわたって大規模戦略爆撃に曝され、終戦の前日8月14日にも京橋地区に集中して広島原爆の約20分の1の爆発力の爆弾攻撃を浴びました。広島・長崎は東京・大阪あるいはハンブルグ・ドレスデンと区別して記憶されるべきものなのかどうか-この問題を次回には考えてみたいと思います。これは「ヒロシマ・ナガサキ」と「アウシュヴィッツ」の区別という極めて重要な問題を取り上げる前に、どうしても避けて通ることの出来ない関門です。

藤永 茂 (2010年4月28日)

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 ヒロシマ・ナガサキの後70年間、平和が保たれたという事実は、核抑止論という世界政治理論が正しかったことを示している、といった主張がなされることがありますが、これは、とんでもない、許すべからざる暴言です。この70年間に、一千万の人々が、戦争に巻き込まれて殺され続けて来ました。いま現在も、その状態は続いています。アフリカのコンゴ東部地域はその代表例の一つです。1994年の「ルワンダ大虐殺」を憶えている方もおいででしょう。それを含み、それに続く戦乱で約6百万人が死に、紛争状態は今も続いています。これらの死者たちを人間にあらずと思わない限り、第二次世界大戦後の70年間、この地球が核兵器の抑止力によって平和に保たれたという戯言は口に出来ないはずであります。ごく最近になって、四半世紀にわたって続いてきたこの醜悪極まりない戦争の真相が決定的な形で明らかになってきました。

藤永茂 (2015年7月15日)
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核と物理学者(2)

2015-07-08 21:48:16 | 日記・エッセイ・コラム
 前回のブログ(1)の終わりの部分を繰り返します。:
2006年6月22日付のワシントン・ポスト紙に『必要とあれば、空爆し、破壊せよ』という物騒な論説が掲載されました。筆者はアシュトン・カーターとウィリアム・ペリー、ペリーはクリントン大統領の下での国防長官、カーターは国防長官補佐を務め、論説の執筆当時は、カーターはハーバード大学、ペリーはスタンフォード大学で教授の地位にありました。発射台にある北朝鮮の長距離弾道ミサイル「テポドン」を先制空爆によって破壊すべし、というのがその主張でした。

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/06/21/AR2006062101518.html
If Necessary, Strike and Destroy
By Ashton B. Carter and William J. Perry
Thursday, June 22, 2006

これを執筆したカーターとペリーは既に米国の兵器産業と密接な関係にあり、大企業と政府をつなぐ強力なパイプになっていました。論説は、北朝鮮が遂に北米大陸に達することのできる大陸間弾道ミサイルの製作に成功し、その試射のために発射台に据えてロケット燃料の注入を始めたらしいという情報に対応して書かれたものです。理路は整然としています。「この種のミサイルは核弾頭を搭載するのでなければ開発の意味がない。米国本土を核攻撃するのが目的である。したがって、この計画の進行を座視するのは誤った政策であり、米国の安全を守るために、北朝鮮、南朝鮮、日本の領海外の公海に位置する潜水艦から強力な破壊力を持つ巡行ミサイルを進発させて、まだ発射台にあるテポドンに命中させ、破壊炎上させる(Strike and Destroy)。」カーターとペリーはこれを“surely a prudent policy (確かに分別のある政策)”と呼んでいます。確かにこの二人のアメリカ人には、この先制攻撃が賢明で分別あるものとして映るのでしょう。Prudentという言葉には嫌な含みがあります。現代の米国を牛耳っているのは素晴らしく頭の切れる頭の回転の早い人々です。脅威的な秀才たちです。今は米国の国防長官(Secretary of Defense)となったアシュトン・カーター(Ashton Carter)は將にその典型の一人でしょう。しかし、カーターは本当の物理学者ではありません。彼が物理学から離れる前に、優れた研究論文を書いていたにしても、彼は本質的に物理学者ではありません。私は、こう断定することで、物理学、あるいは、物理学者を持ち上げているのでも、貶めているのでもありません。この事については、やがて説明します。
 俗に原子爆弾の生みの親といわれるロバート・オッペンハイマーという物理学者がいました。水素爆弾の製作には反対しました。そのオッペンハイマーは後年「ゲーム理論的な意味での損得しか考えられない我々の文化とは一体何だろう」と言って嘆いた事がありました。アシュトン・カーターという男は、個人としても、政治家としても、ゲーム理論的な勝ち負けしか頭にないタイプの大秀才であろうと、私は判断します。
 カーターはもちろんの事、誰が本気で、北朝鮮がテポドンを飛ばして米国本土に核攻撃を仕掛けると考えているでしょうか? 「蟷螂の斧」の例えにも及びません。それでも北朝鮮は核兵器を持っているという状態の実現に向けて狂奔するでしょう。その狂奔を支えているものは、一独裁者の狂気などではありません。品格に欠けた言葉を使って申し訳ありませんが、米空軍の無差別焦土化空爆の経験者の一人として、私は、それを北朝鮮に住む人々の怨念と呼びたい気持ちです。私が言いたい事のあらましは、二年ほど前、このブログに書きましたので、以下に再録します。
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年中行事「米韓合同軍事演習」
 朝鮮戦争(1950~53年)についての歴史や論説は著者の思想的立場が必然的に反映していて,裸の歴史的事実など存在しないと言えるかもしれません。朝鮮戦争の歴史に限らず、一般的に「裸の事実は存在しない」という言明は、ポストモダーンの時代として、一つのクリシェであるとも言えましょう。しかし、裸の、あるいは殆ど裸と判断される歴史的事実は、勿論、存在します。朝鮮戦争の場合に、私のこれからの議論の基礎として、否定し難い歴史的事実を二つ挙げましょう。
 その一つは、北朝鮮の土地全域が米軍の激烈な焦土化作戦の対象となり、山村の小部落までもが爆撃を受けたことです。ウィキペディア(日本語版)には「アメリカ空軍は80万回以上、海軍航空隊は25万回以上の爆撃を行った。その85パーセントは民間施設を目標とした。56万4436トンの爆弾と3万2357トンのナパーム弾が投下され、爆弾の総重量は60万トン以上にのぼり、第二次世界大戦で日本に投下された16万トンの3.7倍である。」とあります。同じくナパーム弾については「ナパーム弾(ナパームだん、英: Napalm bomb)は、主燃焼材のナフサにナパーム剤と呼ばれる増粘剤を添加してゼリー状にしたものを充填した油脂焼夷弾である。アメリカ軍が開発したもので、きわめて高温(900 - 1,300度)で燃焼し、広範囲を焼尽・破壊する。」とあります。私の年齢の日本人には、米軍機による焼夷爆弾空襲で民家が一挙に炎を上げる恐怖を心に刻み付けられた人も多い筈です。私は福岡市で無数の焼夷爆弾が奇音を発しながら雨のように降り注ぐのを経験しました。焼夷爆弾は軽量ですから、3万トンというのは大変な量です。北朝鮮の土地面積は日本全土の約三分の一、その頭上に第二次世界大戦で日本に投下された爆弾総量を遥かに超える破壊爆弾、焼夷爆弾が降り注いだのですから、その惨状は思うに余ります。上記のウィキペディア(日本語版)の具体的数値は正確ではないかも知れませんが、それはどうでもよいことです。米軍のジェノサイド的な猛爆撃とその結果についての証言は多数あります。日本の主要都市のすべてを焦土と化した張本人、かの有名なカーチス・ルメイ将軍も「北鮮にはもう爆撃するものがなくなった」と放言しました。念のため申し添えますが、東京その他の無差別爆撃に加えて広島・長崎の原爆攻撃も指揮したルメイという男に、日本政府は、1964年、勲一等旭日大綬章を授与しました。3年間、絨毯爆撃(carpet-bombing)と自称する米軍の徹底した焦土化作戦が北朝鮮の人々に与えた深い心の傷、これが否定の余地のない事実、裸の事実です。
 もう一つの裸の歴史的事実は朝鮮戦争の戦争中から今日まで続いている北朝鮮に対する米軍の核攻撃の可能性とそれによる威嚇です。朝鮮戦争についての私の知識は乏しく、原爆使用についても「マッカーサー将軍が原爆の使用を要請した時、トゥルーマンがそれを却下してマッカーサーを解任した」といった極めて単純化した考えしか持っていませんでしたが、少し調べてみると、そんな簡単な話ではなく、マッカーサーが解任された後も、米国は原爆を20~30個使用して、北朝鮮と満州の境界に強力な放射能汚染地帯をつくり、北から(つまり中国軍あるいはソ連軍)の通過不能にすることを考え続けていたのです。20~30個という数字は、当時、米国の原爆保有数約450に対して、ソ連は約25、米国が北朝鮮で二十数個使用しても、その隙にヨーロッパでソ連が核爆弾を使って侵略攻撃を開始する心配は無いという判断から出たものです。幸い、朝鮮戦争では実際に原爆は使用されませんでしたが、その後の60年間、北朝鮮は連続して核攻撃の威嚇に曝されて来ました。とりわけ朴正熙政権時代に始まった毎年定例の米韓合同軍事演習はその表面的な名目に変化があったとは言え、北朝鮮に対する核攻撃のプログラムをその一部として必ず内包するものでした。朝鮮戦争中とその後に北朝鮮に加えられた核攻撃の脅威については、高名な朝鮮歴史家 Bruce Cumings の"Korea: Forgotten Nuclear Threats"と題する論考があります。
http://web.archive.org/web/20070922135710/http://www.nautilus.org/fora/security/0503A_Cumings.html
北朝鮮に好意的な眼差しを保持する歴史学者ですが、読むに値するエッセーです。
 今回の北朝鮮指導部からの激烈な言動を引き起こした米韓合同軍事演習について、巣鴨明さんは前回のブログへのコメントで「3月11日以来、アメリカと韓国は北朝鮮の領海近くで軍事演習をしています。これは、予算にして韓国の1年分の軍事費に相当し、米軍約1万3,500人、韓国軍約21万人が動員され、世界最高水準の戦闘能力を有するとされるF22ステルス戦闘機とB52爆撃機、原子力潜水艦「シャイアン」が投入され、イギリスやオーストラリアといった朝鮮戦争時に「国連軍」として参加した国の軍隊も加わっている「防衛訓練」とは言いがたいものです。」と述べておられます。
 更にここで、巣鴨さんが伏せられた事実があります。上にも述べてある核爆弾搭載可能のB52爆撃機は米韓合同軍事演習直前の3月8日に、F22ステルス戦闘機は3月31日に演習現地に姿を現しましたが、実は、3月28日に、韓国軍とのちゃんとした事前協議もなく、あの黒い悪魔の翼のようB-2爆撃機2機が突然現れて南北境界線の南のほんの少しの距離の所に摸擬爆弾を投下するというハプニングが起きたのです。しかもこの2機のB-2核戦略爆撃機は米国本土ミズーリ州のホワイトマン空軍基地を飛び立って朝鮮半島上空に達して摸擬爆弾を投下し、一度も着陸せず、20800キロの往復飛行をして元の基地に帰って来たのでした。B-2 の航続距離は11000キロとされていますから、何処かで一度は空中給油を受けたのでしょうが、これが米国の核爆撃能力の恐ろしさを北鮮や中国に対して見せびらかし、威嚇するためのショウオフであったのは火を見るより明らかです。B-2 stealth bomber (レーダーによる捕捉困難の爆撃機)は、例の奇怪な三角形をした黒い巨大な化け物です。一機2000億円、1時間飛ばせるのに1000万円かかります。今度の北朝鮮核爆撃予行演習往復飛行で数億円の米国民の税金が空費されたことでしょう。
 話はこれだけではありません。2013年4月3日付けのウォールストリート・ジャーナル(WSJ)に驚くべき記事が出ました。要約すると次のような事になります。オバマ政府は北朝鮮を震え上がらせるために、今年の始めに、“ザ・プレイブック”と名付けた計画を立て、今年の米韓合同軍事演習の時期に合わせて、米国の威力を誇示するための詳しい手順を定めました。B52, B-2, F22 の派遣はその“ザ・プレイブック”に従って着々と実行されたのでした。これが核攻撃に重点を置く威嚇と挑発(provocation)でなくて何でありましょうか。ところが、WSJ の記事によると、脅しが効き過ぎて、北朝鮮の指導部が過度にヒステリックな反応を示し始めたので、米国側は“ザ・プレイブック”で決めてあった威嚇挑発を少し手控えすることにしたというのです。辞書で見ると[playbook]とは「アメリカン・フットボールでは、チームのすべての作戦・戦術をファイルした極秘資料ブック」とあります。
http://online.wsj.com/article/SB10001424127887324100904578400833997420280.html
WSJの記事の私が要約した部分の原文を引用しておきます。
■ The U.S. is putting a pause to what several officials described as a step-by-step plan the Obama administration approved earlier this year, dubbed "the playbook," that laid out the sequence and publicity plans for U.S. shows of force during annual war games with South Korea. The playbook included well-publicized flights in recent weeks near North Korea by nuclear-capable B-52 and stealth B-2 bombers, as well as advanced F-22 warplanes.
The U.S. stepped back from the plans this week, as U.S. officials began to worry that the North, which has a small nuclear arsenal and an unpredictable new leader, may be more provoked than the U.S. had intended, the officials said. ■
 米韓合同軍事演習が、事あらば、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府を打倒することを目標とする攻撃的軍事演習であることは明らかです。「防衛」とは何の関係もありません。あるとすれば「攻撃は最高の防御」の思想です。
 中国もロシアも、北朝鮮に関しては、極めて政治的な計算に基づいて行動し、発言している中にあって、フィデル・カストロは、率直で賢明な、そして暖かみさえ具えたメッセージを北朝鮮に送っています。
http://www.granma.cu/ingles/reflections-i/reflections-5abril.html
「朝鮮半島での核戦争は是非とも避けなければならない」というのが、カストロの想いです。これは1962年10月のキューバ危機以来の大変な事態だというのが彼の認識です。彼の想いは南北朝鮮の人々の、そして、一旦核戦争が勃発したした場合の、放射能汚染による世界中の一般人の受難にあります。
 キューバ危機についての我々の記憶と意義の認識は大丈夫でしょうか?キューバに核ミサイルを持ち込もうとしたソ連の行動は、ヨーロッパやトルコに米国がソ連攻撃のための核ミサイル基地を展開したことに対する懸命な対抗策であったことを憶えていますか?結局ケネディ大統領はトルコの核ミサイル基地の撤去をキューバの核ミサイル基地の撤去と引き換えにしたのでした。米国の言う「防衛(defense)」は歴史上一貫して全くの空言です。

藤永 茂 (2013年4月17日)
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 米国国防長官(Secretary of Defense!)カーターにはカストロの想いは理解の外でしょう。

藤永 茂 (2015年7月8日)
コメント (1)

核と物理学者(1)

2015-07-01 22:21:13 | 日記・エッセイ・コラム
 核戦力の行使について、ロシアと米国の姿勢を考える場合、どちらが事を仕掛けているかの判断を先ず正しく下さなければなりません。我々の中には何とは無しに反ロ親米の感情を抱いている人も多いかと思われますが、そういう人たちでも今回のウクライナでの急激な政変がロシア側から始められたと本気に信じている向きは少数でしょうし、ましてや専門家ともなれば先ずは皆無の筈であります。
 本年二月、核戦争に関して、極めて注目すべき人事が米国で行われました。アシュトン・カーター(Ashton Carter)の国防長官(Secretary of Defense)就任です。この人物についてはウィキペディア(日本語版、英語版)などにいろいろ詳しく出ています。
 カーターは1954年9月生まれ、1976年、イェール大学で物理学と中世歴史の両学科を成績優秀で卒業し、英国の有名な奨学制度であるローズ(セシル・ローズ)奨学生に選ばれてオックスフォード大学に留学し、1979年に理論物理学で博士号を取得しました。学位論文の主題は量子色力学(quantum chromodynamics)という基礎理論関係のものでした。米国に帰ってから更にロックフェラー大学で2年間ポストドックとして理論物理学の研究生活を続けましたが、その後期からカーターの心はすでに物理学から政治に移りかけていたと思われます。詳しくはネットをご覧ください。
 最近、Dissident Voiceというウェブサイトに、「国防長官アシュトン・カーター:戦争と儲けを目指す物理学者」というタイトルの記事が出ました。米国の新国防長官に対する極めて辛辣で批判的な言葉が並んでいます。例えば、次の文章:
#Carter’s primary interest is in further privatizing, and eliminating, the State’s role in national security for the purpose of providing more profit opportunities for defense contractors, weapons research laboratories and his bank account. #
「カーターの第一の関心事は、防衛産業業界、兵器研究所、そして彼自身の銀行口座のさらなる増収の機会を提供するために、国家安全保障で政府が果たす役割を、今よりさらに私企業に移し、削除を進めることにある。」
また、「どうやら理論物理でノーベル賞は無理らしいと悟って、科学技術を兵器と戦争に奉仕させるという実入りの大きな方に鞍替えしたのだろう」とも推測しています。このDissident Voiceの論考の話を半分聞くとしても、このタカ派の米国の新国防長官にロシアが身を硬くして警戒心を高めるのは当然と思われます。

http://dissidentvoice.org/2015/06/american-defense-secretary-ashton-carter-physicist-for-war-and-profit/#more-58887
『American Defense Secretary Ashton Carter: Physicist for War and Profit』
by John Stanton / June 24th, 2015

 前回のブログで紹介した朝日新聞の社説に「ロシアのプーチン大統領が、新型の大陸間弾道ミサイル(ICMB)40基を年内に配備する計画を明らかにした。」とありましたが、ウクライナ問題に端を発した情勢に対するロシア側のこうした反応は、私には、米国の新国防長官アシュトン・カーターを意識しての反応のように思えて仕方がありません。
 2006年6月22日付のワシントン・ポスト紙に『必要とあれば、空爆し、破壊せよ』という物騒な論説が掲載されました。筆者はアシュトン・カーターとウィリアム・ペリー、ペリーはクリントン大統領の下での国防長官、カーターは国防長官補佐を務め、論説の執筆当時は、カーターはハーバード大学、ペリーはスタンフォード大学で教授の地位にありました。発射台にある北朝鮮の長距離弾道ミサイル「テポドン」を先制空爆によって破壊すべし、というのがその主張でした。

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/06/21/AR2006062101518.html
If Necessary, Strike and Destroy
By Ashton B. Carter and William J. Perry
Thursday, June 22, 2006

次回には、その内容を少し詳しく検討してみます。

 藤永 茂 (2015年7月1日)
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