このブログで、私は随分とハイチのことを取り上げて来ました。その理由は、ハイチを見据えるとアメリカという国の恐ろしい姿がくっきりと浮上して来るからです。私がアフリカのコンゴ、とりわけコンゴ東部地域を注視しつづけるのも全く同じ理由からです。いま私たちが生きている世界にとって最大の脅威、最大の災難はアメリカです。この極めて反米的な言辞に鼻白む思いをなさる方、あるいは、はっきりと反発感を持たれる方が多いと思います。私自身の過去の経験から、そうした人々の気持はよく分かります。しかし、今では、かつての私も抱いたことのある親米感情がどのようにして醸成され、我々の心の中に住みつくのかも、よく分かるようになったつもりです。そして、如何に米国通を自認していようとも、もしハイチやコンゴの事情に疎い場合には、そうした人々にはアメリカという国が、アメリカ人がよく見えてはいないと断言できます。
ハイチの歴史を語ることは、ある意味では、とても簡単です。アメリカは黒人奴隷が自力で創った国というアイディアを受け入れることが出来ません。それで、始めから今日までの208年間、アメリカはハイチを自分の足の下に踏みつけた儘にしています。これがハイチの歴史です。イギリスの植民地であったアメリカの白人たちは1776年に独立宣言を行ないました。1789年にフランス大革命が起り、人権宣言が発せられました。ハイチの黒人達はアメリカの独立宣言とフランスの人権宣言に高々と唱われた人間についての理念を信じて立ち上がり、1804年1月1日に独立を宣言しましたが、アメリカの独立宣言の“We the People”のピープルの中にも、フランスの人権宣言(Declaration des Droits de l’Homme et du Citoyen)の人間と市民の中にも、黒人達たちは含まれていないとは思いもしなかったでしょう。
過去20年のハイチの歴史で最も重要な人物はジャン=ベルトラン・アリスティドです。貧民地区のキリスト教教会の司祭から身を起したベルトランは貧困層を支持母体として1991年に大統領として選出されますが、軍のクーデターで国外に追われ、その後、1994年10月に大統領ビル・クリントンの如何にも彼らしい詐術で一旦ハイチに戻されて“残りの任期”1996年2月まで大統領の地位を占めました。クリントンの計算ではこれで厄介者のアリスティドの政治的生命を終らせるつもりだったのでしょうが、アリスティドは次の2000年の大統領選挙に出馬し圧倒的な得票率で当選して2001年2月に大統領に返り咲き、アメリカやフランスやカナダの意向に反する政策に着手しました。そこでアメリカは、今で言えば、リビア方式を採用して反乱軍を立ち上げてアリスティドを窮地に追い込み、2月28日、どさくさ紛れにアリスティドとその夫人を米軍機に乗せて中アフリカ共和国という旧フランス植民地に連れ去ってしまいました。
ポール・ファーマーの『The Uses of Haiti』でアメリカのこの卑劣な強制誘拐行為を読んだ私は、その文章に込められた著者ファーマーの怒りをひしひしと感じたものでした。彼はアフリカの荒野の飛行場に降り立ったアリスティドが洩した言葉を伝えています。「In overthrowing me they have uprooted the trunk of the tree of peace, but it will grow back because the roots are Louverturian. (私を転覆することで彼らは平和の木の幹を引っこ抜いてしまったが、その根はルーヴェルチュールの根だから必ず木が生え戻って来る。)」。ルーヴェルチュールはハイチ建国の父の一人で「黒いスパルタカス」とも呼ばれます。ナポレオンのフランス軍に捕えられ、フランスの牢獄で病死しました。死の床で、自分という幹が枯れても根は残って又芽を吹き返すという意味の言葉を残したと伝えられています。アリスティドの言ったことはこのルーヴェルチュールの言葉を踏まえているのです。
しかし、新著『HAITI after the earthquake』でアリスティドを語るポール・ファーマーのトーンはまるで違う軽やかなものです。2003年、クリントンがハイチの内政の支配する動きに合わせて、ファーマーはキューバの仲間とアリスティド財団の協力の下に新しい医師養成学校の開設を始めました。
■ But then came the February 2004 coup in Haiti, which further weakened the public health infrastructure. Haiti’s president and his wife, our stauchest advocates in the fight against AIDS, were spirited away to the Central African Republic in a way that resembled nothing so much as the “extraordinary renditions” of suspected terrorists described in the popular press. ■(HAITI, 28)
さて、この文章、アチラの英語に日頃から馴染んでいない私たちには直ぐには読めません。辞書をたどって訳してみます。:
■「ところが何と2004年2月のクーデターの御到来で、もともと弱い公衆衛生のインフラは更に弱められることになった。エイズに対する我々の戦いの最も熱心な支持者だったハイチの大統領とその夫人は、一般の新聞雑誌に描かれているような、テロリスト容疑者を突然誘拐し、拷問を許す他国に移して取り調べをする不法な手口とそっくりのやり方で、中央アフリカ共和国へ神隠し的に連れ出されてしまったのだった。」■
この嫌悪すべき “extraordinary renditions” という言葉はクリントン大統領の時代に発し、ブッシュ/チェイニーの時代にしっかりと根を下ろしたようです。この言葉を括弧付きでアリスティドの誘拐に用いたのはファーマーのスマートな文才でしょうが、文はまた人を表すものでもあります。旧フランス領植民地中央アフリカ共和国は治安の悪さで有名な所、アメリカ当局は偶発的なアリスティド暗殺を期待していたという噂さえ立ちました。
新著『HAITI after the earthquake』で顕著なことは、この“extraordinary renditions”がアメリカ政府によって行なわれたと書いてないことです。新著のカバーにはクリントン大統領による最大級の讃辞がファーマーに捧げられています。クリントンは公式にはハイチの復興を目指す国連のハイチ担当特使ということになっていますが、事実上はハイチの絶対的な支配者です。そしてポール・ファーマーは副特使に任じられてクリントンの右腕の役を果たしています。今や彼はオープンにアメリカの権力機構の代表の一人なのです。そのファーマーが出版した新著に対する一般の評価(読者評)はどうなっているでしょうか。次回に報告します。
藤永 茂 (2012年1月25日)
ハイチの歴史を語ることは、ある意味では、とても簡単です。アメリカは黒人奴隷が自力で創った国というアイディアを受け入れることが出来ません。それで、始めから今日までの208年間、アメリカはハイチを自分の足の下に踏みつけた儘にしています。これがハイチの歴史です。イギリスの植民地であったアメリカの白人たちは1776年に独立宣言を行ないました。1789年にフランス大革命が起り、人権宣言が発せられました。ハイチの黒人達はアメリカの独立宣言とフランスの人権宣言に高々と唱われた人間についての理念を信じて立ち上がり、1804年1月1日に独立を宣言しましたが、アメリカの独立宣言の“We the People”のピープルの中にも、フランスの人権宣言(Declaration des Droits de l’Homme et du Citoyen)の人間と市民の中にも、黒人達たちは含まれていないとは思いもしなかったでしょう。
過去20年のハイチの歴史で最も重要な人物はジャン=ベルトラン・アリスティドです。貧民地区のキリスト教教会の司祭から身を起したベルトランは貧困層を支持母体として1991年に大統領として選出されますが、軍のクーデターで国外に追われ、その後、1994年10月に大統領ビル・クリントンの如何にも彼らしい詐術で一旦ハイチに戻されて“残りの任期”1996年2月まで大統領の地位を占めました。クリントンの計算ではこれで厄介者のアリスティドの政治的生命を終らせるつもりだったのでしょうが、アリスティドは次の2000年の大統領選挙に出馬し圧倒的な得票率で当選して2001年2月に大統領に返り咲き、アメリカやフランスやカナダの意向に反する政策に着手しました。そこでアメリカは、今で言えば、リビア方式を採用して反乱軍を立ち上げてアリスティドを窮地に追い込み、2月28日、どさくさ紛れにアリスティドとその夫人を米軍機に乗せて中アフリカ共和国という旧フランス植民地に連れ去ってしまいました。
ポール・ファーマーの『The Uses of Haiti』でアメリカのこの卑劣な強制誘拐行為を読んだ私は、その文章に込められた著者ファーマーの怒りをひしひしと感じたものでした。彼はアフリカの荒野の飛行場に降り立ったアリスティドが洩した言葉を伝えています。「In overthrowing me they have uprooted the trunk of the tree of peace, but it will grow back because the roots are Louverturian. (私を転覆することで彼らは平和の木の幹を引っこ抜いてしまったが、その根はルーヴェルチュールの根だから必ず木が生え戻って来る。)」。ルーヴェルチュールはハイチ建国の父の一人で「黒いスパルタカス」とも呼ばれます。ナポレオンのフランス軍に捕えられ、フランスの牢獄で病死しました。死の床で、自分という幹が枯れても根は残って又芽を吹き返すという意味の言葉を残したと伝えられています。アリスティドの言ったことはこのルーヴェルチュールの言葉を踏まえているのです。
しかし、新著『HAITI after the earthquake』でアリスティドを語るポール・ファーマーのトーンはまるで違う軽やかなものです。2003年、クリントンがハイチの内政の支配する動きに合わせて、ファーマーはキューバの仲間とアリスティド財団の協力の下に新しい医師養成学校の開設を始めました。
■ But then came the February 2004 coup in Haiti, which further weakened the public health infrastructure. Haiti’s president and his wife, our stauchest advocates in the fight against AIDS, were spirited away to the Central African Republic in a way that resembled nothing so much as the “extraordinary renditions” of suspected terrorists described in the popular press. ■(HAITI, 28)
さて、この文章、アチラの英語に日頃から馴染んでいない私たちには直ぐには読めません。辞書をたどって訳してみます。:
■「ところが何と2004年2月のクーデターの御到来で、もともと弱い公衆衛生のインフラは更に弱められることになった。エイズに対する我々の戦いの最も熱心な支持者だったハイチの大統領とその夫人は、一般の新聞雑誌に描かれているような、テロリスト容疑者を突然誘拐し、拷問を許す他国に移して取り調べをする不法な手口とそっくりのやり方で、中央アフリカ共和国へ神隠し的に連れ出されてしまったのだった。」■
この嫌悪すべき “extraordinary renditions” という言葉はクリントン大統領の時代に発し、ブッシュ/チェイニーの時代にしっかりと根を下ろしたようです。この言葉を括弧付きでアリスティドの誘拐に用いたのはファーマーのスマートな文才でしょうが、文はまた人を表すものでもあります。旧フランス領植民地中央アフリカ共和国は治安の悪さで有名な所、アメリカ当局は偶発的なアリスティド暗殺を期待していたという噂さえ立ちました。
新著『HAITI after the earthquake』で顕著なことは、この“extraordinary renditions”がアメリカ政府によって行なわれたと書いてないことです。新著のカバーにはクリントン大統領による最大級の讃辞がファーマーに捧げられています。クリントンは公式にはハイチの復興を目指す国連のハイチ担当特使ということになっていますが、事実上はハイチの絶対的な支配者です。そしてポール・ファーマーは副特使に任じられてクリントンの右腕の役を果たしています。今や彼はオープンにアメリカの権力機構の代表の一人なのです。そのファーマーが出版した新著に対する一般の評価(読者評)はどうなっているでしょうか。次回に報告します。
藤永 茂 (2012年1月25日)