私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ルワンダの霧が晴れ始めた(1)

2010-06-30 11:42:18 | インポート
 アフリカ大陸のほぼ中央、ルワンダとコンゴ一帯を覆っていた深い霧が、やっと晴れ始めたようです。霧があがるにつれて、我々の目の前に巨大な姿を現すのはアメリカ帝国主義の醜悪な姿です。映画『アバター』に出てくる露天掘り鉱山用の小山のような土木車両を思い出して下さい。なぜルワンダなのか、コンゴなのか、あるいは、ハイチ、ホンジュラスなのか?そんな失敗国家めいた小国群よりも、日本にとって、世界にとって、もっと重大な問題は山ほどある、とお考えの方も多いでしょう。
 私の考えは違います。我々にとって、最大の問題はアメリカなのであり、アメリカ合州国という巨大暴力国家の行動原理と実際行動のパターンを見据えてそれに正しく対処することが、我々の緊急課題であると、私は考えます。何故ならば、この二十一世紀中にアメリカ帝国主義が衰退に向かうことはほぼ確実であるからです。三世紀以上の間、一貫して暴力的であり続けてきたアメリカがしくしく泣きながら(with a whimper)終りを迎える筈はありませんから、日本がそれとどうつき合うかは死活の問題です。アメリカ合州国が衰退して中国がそれに取って代わると言っているのでもありません。中国が第二のアメリカに成り上がることを目指して進むかぎり、同じ運命が待っています。アメリカというシステム、広くいえば、ヨーロッパというシステムが崩壊を迎えるべき世紀であるからです。
 アメリカの本当の姿を見据える方法として、アメリカの歴史を学び直すという作業は極めて有効です。それも、現在進行中の中東戦争のような世界中を巻き込んでいる大事件よりも、ハイチやルワンダのような、いわば小国をめぐって展開されている異常な事態を、過去の歴史を振り返りながら、注意深く観察するほうが、アメリカというシステムの作動ぶりが裸眼でもよく見えると思います。
 ルワンダについては、実は、2年ほど前にこのブログで書き始めて、途中で筆を折ってしまって、そのままになっているという事情があります。以前の四つのブログは次の通りです。:
ジンバブエの脱構築(4) (2009/03/25)
サマンサ・パワーとルワンダ・ジェノサイド(1) (2009/04/01)
サマンサ・パワーとルワンダ・ジェノサイド(2)  (2009/04/08)
サマンサ・パワーとルワンダ・ジェノサイド(3) (2009/04/15)
1994年に起ったルワンダ大虐殺についての映画『ホテル・ルワンダ』はアメリカで2004年に製作上映されて大評判でしたが、日本での公開は2006年になりました。今でもルワンダ大虐殺のことを憶えているのは、この映画を観た人たち位でしょう。上の『ジンバブエの脱構築(4)』では、この映画のことから話を立ち上げてあります。
 私がルワンダのことを今ふたたび取り上げる理由の一つは、NHK総合テレビ番組「アフリカンドリーム全3回」の第一回(2010年4月4日)『“悲劇の国”が奇跡を起こす』を見たことです。「これでは困る。実に困ったことだ」というのが私の正直な反応でした。しかし、読者の皆さんに、その理由を過不足なく理解して頂くためには、注意深く長い説明が必要と思われます。アメリカには興味があるが、アフリカの小国ルワンダには興味がないとおっしゃる方には、「これは何よりも先ずアメリカについての話だから、辛抱して少し読み進んで下さい」と申し上げます。
 まず、NHKオンラインにある『“悲劇の国”が奇跡を起こす』の要約を読んで頂きます。:
■アフリカの国々がヨーロッパの宗主国から独立し「アフリカの年」と呼ばれた1960年から半世紀。今、ようやくアフリカは「暗黒の大陸」から「希望の大陸」と呼ばれるようになってきた。急速な経済発展やグローバリズムを追い風に、大きな変化が生まれ始めているのだ。こうしたアフリカの知られざる新しい姿を描く「シリーズ・アフリカンドリーム」、第1回目の舞台はルワンダ。

民族間の対立で80万人が殺されるという大虐殺が起きてから16年、ルワンダは驚異的な復興をとげ「アフリカの奇跡」と呼ばれるようになった。その原動力は「ディアスポラ(離散者)」といわれる人たちだ。半世紀前の独立前後から迫害を逃れて世界各地に散らばったルワンダ人はおよそ200万人にのぼるが、今「祖国を復興させたい」とルワンダに巨額の投資を行うとともに、次々と帰還を始めているのだ。
            
今後、アフリカの国々が発展するカギのひとつとしてルワンダの戦略は大きな注目を集めている。祖国のために立ち上がったディアスポラの姿と、それを復興に生かそうとする政府の戦略を追う。■
このルワンダの現状要約が何とはなしに少し変だと思われる方が必ずおいででしょう。ディアスポラたちが祖国に巨額の投資を行なって帰還をはじめていると書いてありますが、彼ら自身が巨額の身金を出しているのではありません。また「ルワンダの戦略」は「アメリカの戦略」と書いた方が真実に近いのです。
 つぎに、CIA(アメリカ中央情報局)のThe World Factbookというウェブサイトにある「ルワンダ」という長い項目の序章の英語原文とその前半の和訳を以下に掲げます。
■1959年、ベルギーからの独立の3年前、多数派の民族グループ、フツ族は、支配していたツチ族の王を打倒した。それからの数年間に数千人のツチ族が殺され、15万人ほどが近隣諸国に亡命を余儀なくされた。これらの亡命者の子供たちはやがてRPF(Rwandan Patriotic Front, ルワンダ愛国戦線)という反乱集団を形成し、1990年に内戦を始めた。この戦争は、幾つかの政治的、経済的激変をともなって、民族間の緊張状態を激化させ、1994年4月、約80万人のツチ族と穏健派のフツ族の人々の大量虐殺という頂点に達した。ツチの反乱集団はフツ政権を打ち負かし、1994年の7月にはその殺人行為を終息させたが、約2百万人のフツ族難民-その多くはツチ族の報復を恐れて-隣接するブルンディ、タンザニア、ウガンダ、ザイールに逃げ込んだ。■
■ In 1959, three years before independence from Belgium, the majority ethnic group, the Hutus, overthrew the ruling Tutsi king. Over the next several years, thousands of Tutsis were killed, and some 150,000 driven into exile in neighboring countries. The children of these exiles later formed a rebel group, the Rwandan Patriotic Front (RPF), and began a civil war in 1990. The war, along with several political and economic upheavals, exacerbated ethnic tensions, culminating in April 1994 in the genocide of roughly 800,000 Tutsis and moderate Hutus. The Tutsi rebels defeated the Hutu regime and ended the killing in July 1994, but approximately 2 million Hutu refugees - many fearing Tutsi retribution - fled to neighboring Burundi, Tanzania, Uganda, and Zaire. Since then, most of the refugees have returned to Rwanda, but several thousand remained in the neighboring Democratic Republic of the Congo (DRC; the former Zaire) and formed an extremist insurgency bent on retaking Rwanda, much as the RPF tried in 1990. Rwanda held its first local elections in 1999 and its first post-genocide presidential and legislative elections in 2003. Rwanda in 2009 staged a joint military operation with the Congolese Army in DRC to rout out the Hutu extremist insurgency there and Kigali and Kinshasa restored diplomatic relations. Rwanda also joined the Commonwealth in late 2009.■
上の英語原文の後半については又あとで取り上げます。
 CIAのウェブサイトに淡々と書いてあることは、文面そのものとしては、積極的なウソではありません。しかし、ここに書かれていない、伏せたままの幾つかの重大な事実を知るとき、こうした要約が、結果的には、大きな、真っ赤な嘘と同じ役割を果たしていることを覚らざるを得ないのです。深刻な不作為犯罪(crimes by omission)と云うべきです。そのあたりの事を、次回からゆっくりと解きほぐして行きたいと考えます。

藤永 茂 (2010年6月30日)


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もう一つのアバター物語

2010-06-23 10:22:05 | インポート
 英国ガーディアン紙(6月19日)に出たナオミ・クラインの“Gulf oil spill: A hole in the world”を読んで、米国のオクシデンタル・ペトローリアムという石油会社(Oxy)に対する南米コロンビアの原住民ウワ(U’wa)族の戦いの話を知りました。とにかく、知らないことが多すぎて恥じ入っています。インターネット上に多数の記事があり、身の危険を省みず石油会社に対するウワ族の戦いを支援した人々もいたようです。
 ウワ族の占める土地はコロンビアの北東部のベネズエラに接する山岳雲霧林地帯に位置しています。1992年4月Oxy は、ウワの知らない間に、ウワの土地内で石油探索を行なう契約をコロンビア政府と結びました。この事をウワが知ったのは3年後の1995年、それからOxy に対するウワの人々の激しい抗議の戦いが始まります。大地を大いなる母と崇め、石油をその聖なる血と考えるウワは、もし、Oxy が石油採掘を強行すれば、ウワ族の数千人が高さ400メートル以上の断崖絶壁の頂上から飛び降りて集団自殺を遂げることを宣言しました。この脅しは空言ではなかったのです。17世紀、ウワの土地がスペインに侵略されたとき、スペイン王の配下に入ることを拒否して数千人のウワが絶壁から身を投じて果てたと伝えられているからです。このウワ族の必死の抵抗は世界中の環境保護団体の注目と同情を集め、その協力もあって、Oxy (ロサンゼルスに本社のあるオクシデンタル・ペトローリアム)はウワの土地から手を引く声明を出し、一応は、ウワ族の勝利に終りました。ナヴァホ・インディアンのウランに並ぶ、もう一つのアバター物語の結末です。しかし、映画『アバター』の結末と同じく、これらの尻切れトンボのお話は、このままでは済みますまい。
 クリントン政権の副大統領であったアル・ゴア氏は、環境保護に貢献したとして2007年ノーベル平和賞を受賞しましたが、これには実に皮肉な裏話が隠されていたのです。ゴア家はオクシデンタル社の大株主で父親の時代から、まあ、一心同体のような関係にあります。石油会社と政治家の持ちつ持たれつの関係は、アメリカの伝統ある雑誌「The Nation」の2000年5月号に出た Ken Silverstein の記事:
“Gore’s Oil money: What’s Good For Occidental Is Bad For Colombia’s U’was ”
に詳しく描かれています。信憑性十分の記事であると思われます。メキシコ湾の深海油田からの石油噴出の大惨事(つまり、クラインさんの云うように地球に穴が空いて塞がらなくなってしまった状態)に直面して、アメリカ合州国は手の届く陸地での石油採掘にあらためて力を尽くすでしょうから、ウワの聖地に、またまたOxy か、または同じようなアメリカの石油会社の発掘隊がなだれこむのは、おそらく、時間の問題でしょう。
 南米大陸の北部に位置するコロンビアは今やアメリカ合州国の完全な植民地の様相を示し、この国がアメリカ合州国の軍事的、政治的、経済的な中南米支配の最重要拠点になったことは明らかです。2009年10月30日、オバマ政権はコロンビアと今後10年間有効の軍事協定を結び、その下でアメリカは強力広大な軍事基地システムを構築し、ラテンアメリカの全域に軍事介入の睨みを利かそうとしています。ある意味で、その状況は、次回から取り上げるアフリカ中東部の国ルワンダを連想させます。
<付記> 2、3日前から、ヘンリー・ミラー(Henry Miller)の“The Air-Conditioned Nightmare”を夢中で読んでいます。この本の存在も知りませんでした。1945年の出版ですが、この頃しきりに出版されるアメリカ論関係の類書(もちろん拙著『アメリカン・ドリームという悪夢』も含めて)の遠く及ばない切れ味です。もともと、小説家という人種に深い尊敬の念を抱いている私ですが、この「アメリカのセリーヌ」ヘンリー・ミラーにあらためて脱帽し、世の小説家さんたちに声援を送りたいと思います。

藤永 茂 (2010年6月23日)


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映画「アバター」

2010-06-16 09:24:59 | 日記・エッセイ・コラム
 以前に、病気でもたもたしていたので評判の映画『アバター』をまだ見てないと書きましたら、親切な友人がDVDを送って下さったので、家で見ることができました。予期した通り、この映画は、良い意味でも悪い意味でも、私にとって最高に面白い映画でした。
 この映画のストーリーなどについては、ウィキペディアの『アバター(映画)』の項に分かりやくす詳しい解説がありますので、観ていらっしゃらない方は参考にして下さい。映画批評は、日本語でも英語でも数多くなされていて、大まかに言って、5点満点で4点、好評のようです。ほめられている一番の理由は、映画の3D映像のすばらしい迫力にあるようで、2DのDVD画面を見た私にも、その迫力が想像できるように思われる場面が沢山ありました。私がこれまで読んだ批評で、読み応えがあったのは、どれも英語で書かれたものです。よく調べたわけではありませんが、日本には十分の長さを持つ本格的映画評をのせる出版物がないのではないかと心配です。ニューヨーク・タイムズのManohla Dargis(Dec. 18/2009)の長い評論には390の読者からのコメントが付いていています。左翼的なウェブサイトhttp://www.commondreams.org/に英国のガーディアン紙から転載されたGeorge Monbiot (Jan.12/2010)の批評にも125のコメントが付いていて、こうした論評と多数のコメントを合わせて読むと、なかなか面白く、また考えさせられます。明らかにナヴァホ(Navaho)インディアンの人が書いたと思われるコメントの一つには、未開の星パンドラに生息する人間型の種族ナヴィ(Na’vi)はナヴァホに引っかけてあり、はるばる地球からパンドラに侵攻してきた人間たちが狙っている希少鉱物アンオブテニアム(Unobanium or Unobainium)はニューメキシコのナヴァホ保留地の中にあるユレニアム(Uranium,ウラン)に引っかけてあるのだと主張されています。これには、きわめて現在的な意味があります。
 ニューメキシコ州の広大なナヴァホ・インディアン保留地やその近辺の地層にウランがあることは以前から知られていましたが、アメリカが原爆製造に乗り出した1940年代以降、特に、1950年に有望なウラン鉱脈が発見されてからは、幾つもの会社が乗り込んできてウランの採掘、選鉱が盛んに行なわれ、それに多数のナヴァホの人々が雇用されましたが、それらの労働者たちは高い比率で肺がんを発症し、放射線被曝の病状を示すナヴァホ・インディアンの数は数千人に及ぶようになりました。
1979年3月28日、米国ペンシルベニア州のスリーマイル・アイランド原子力発電所の原子炉の炉心が溶融する事故が起りました。米国史上最大の原発事故として広く知られています。同年7月16日、ニューメキシコ州のチャーチ・ロックのウラン鉱石処理場から出る選鉱かすと廃水を貯めてあった貯水池のダムが決壊して、千トン以上の選鉱かすと9千3百万ガロンの汚染廃水が近くのプエルコ川に流れ込みました。この事故で放出された有害放射線の総量はスリーマイル・アイランド原発事故のそれに匹敵する大きさであったのに、それによる土壌や水の汚染が十分に意識されなかったため、その地域のナヴァホ・インディアンたちとその家畜たちは大きな被害を受けたのですが、このチャーチ・ロック事故は、スリーマイル・アイランド事故にくらべて、ナヴァホ・インディアン以外の人々の記憶には殆ど残っていません。ニューメキシコやアリゾナのナヴァホ・インディアン保留地での長期間にわたる放射線による被害のため、ナヴァホ族は2005年にウラン採鉱禁止を宣言し、被害者に対する補償を要求しています。
 現時点では、ナヴァホ・インディアン保留地からウラン鉱山会社は撤退した状況ですが、ここに来て、オバマ政権は米国のエネルギー政策を見直す意図を明らかにし、その重要な一環として、またまた原子力発電に力を入れようとしています。その動きに応じて、ナヴァホの保留地内で、再びウランの採掘を行なう計画をエネルギー関連の会社が進めているようです。映画『アバター』では、地球人(アメリカ人)からナヴィ人に寝返りした元海兵隊員の白人のお蔭でナヴィ族は見事に侵入地球人を撃退追放することに成功しましたが、それから後のストーリーがどうなるのかが気になります。ジェームズ・キャメロンさんに聞いてみたいところです。
 ニューヨーク・タイムズの『アバター』評に寄せられたコメント#364には、「アバターを“Pocahontas”と“Dances with Wolves”(1990)に較べる人が多いが、私はダスティン・ホフマン主演の“Little Big Man”(1970)の方にもっと近いと思う。・・・観客は、(アバターで)クオリッチが死んだとき歓声をあげたが、(リトル・ビッグ・マンで)カスターが死んだ時にも同じように歓声をあげたものだ」と書いてあります。クオリッチは、もと海兵隊大佐、パンドラの希少鉱物アンオブテニアムを狙う資源開発公社の傭兵部隊の指揮官です。カスター将軍はアメリカ合州国史上の有名人物で、先住民に数々のひどい仕打ちを加えた挙句、リトル・ビッグ・ホーンの戦いで倒れ、率いていた部隊は馬一頭を残し、全滅しました。この男カスターと彼の死に捧げられた詩人ホイットマンの馬鹿馬鹿しい讃歌については、拙著『アメリカン・ドリームという悪夢』の一節「ホイットマンとカスター将軍」(p149)に書きましたので、興味のある方はご覧下さい。
 私は『アバター』を映画館で見ていませんので、映画の終りの長すぎる暴力シーンの果てにクオリッチが死んだとき、観客が歓声を挙げたかどうか知る由もありません。『リトル・ビッグ・マン』はカナダの映画館で見ましたが、カスターが死んだとき、館内で歓声があがった記憶はありません。しかし、上のコメント#364さんの云うことが本当なら、これは面白い現象です。“Little Big Man”が1970年、“Dances with Wolves”が1990年、“Avatar”が2010年の映画ですから、アメリカの一般大衆は、20年ごとに、同じようなインディアン同情映画を観て、同じようにインディアン側について、白人(つまり自分たち)がやっつけられるのに歓声を挙げているということになります。これは一体どういうことでしょうか?
 私は次のように考えます。アメリカの白人たちは、建国以来、先ずは、先住民の土地と資源を奪い、その数百万人のほとんどすべてを抹殺し、続いて、フィリピン、ハワイ、中米、南米に侵攻して原住民たちに同様の苦しみを与え続けています。ベトナム、イラン、アフガニスタン、イラクなども加えなければなりません。随分と悪いことをしてきた、今もしている、という罪の意識は、かなり多くのアメリカ白人の意識の底に沈潜していると思われます。それがこうした映画に面白い形で反応するのではありますまいか。つまり、これらの映画はアメリカ人にとって、Feelin’good映画なのです。映画を見ながら、可哀想な犠牲者を救ってあげる立場に自分の身を置いて、しばし、「いい気持ち」になるのです。だからといって、こうした映画が、アメリカ人を見ない前よりもましなアメリカ人に変えて映画館から送り出すかというと、残念ながら、そうではないようです。同じような映画を20年ごとに見ても、あいかわらず、自分たちの気に入らない人間たちに襲いかかるのをやめないのですから。
 昔、どこかで一幅の古い西洋宗教画を見たことがあります。川か湖の岸辺に一人の聖者が立って、集まってきた大小沢山の魚たちにお説教をしているという絵柄でした。ボス風の絵でしたが、画家の名前も、聖者の名前も、説教に聴き入っている大きめの一匹の魚の名前も忘れてしまいました。でも、絵に付いていた説明の骨子だけはよく覚えています。:「この魚(名前が付いていました)は、他の魚を愛せよというお説教を気持ちよく熱心に聴いているのだが、お説教がすめば、また今まで通り、他の弱い魚をがぶがぶ食べる習慣に戻って行く」
 アメリカという国についてのコメンタリーとして映画『アバター』を語り始めたら、ほんとに切りがないような気がします。アカデミー賞で『アバター』を打ち負かした『ハート・ロッカー』についても、同じことが云えそうです。こちらの映画は見ていませんし、見る気もあまりないので、評言は差し控え、その代わり、私が尊敬するラディカルな映像作家ジャーナリストのJohn Pilgerのhttp://www.johnpilger.com/ にある“Why the Oscars are a con”(11 Feb 2010) をお読みになることをお勧めしておきます。ここでは、Avatarはもちろん、ハート・ロッカー もInvictus も一刀両断に切り捨てられています。
 ただ、ハート・ロッカー について、最後に一つだけコメント。別の映画解説から知ったことですが、この映画の始めには、元従軍記者のChristopher Hedges の言葉:
“The rush of battle is a potent and often lethal addiction, for war is a drug.”
が掲げてあるそうです。「戦闘の喧噪には、強力な、しばしば死を招く中毒性がある。なぜなら、戦争は麻薬だから」と訳しておきます。rush という言葉にすでに「(麻薬による)快感、ぞくっとする感じ」といった意味があるようです。さて、Chris Hedgesといえば、アメリカの帝国主義的行為に対する極めて辛口の評論をhttp://www.truthdig.com/chris_hedges に発表しているコラムニストとしてよく知られている人物ですから、ハート・ロッカーの冒頭に彼の言葉が掲げてあれば、これは立派な反戦映画だろうという先入観を植え付けられてしまう観客が少なくないでしょう。映画を見ないで、断言的な悪口を叩くのは少し気が引けますが、このあたりに、ハート・ロッカーの監督キャスリン・ビグローのいやしい精神を支配する欺瞞が、いや、アメリカの知識人たちの精神を支配している巨大(colossal)な欺瞞の片鱗が、ちらちら見え隠れしているように、私には思われてなりません。

藤永 茂 (2010年6月16日)


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人道主義的介入という偽善と欺瞞

2010-06-09 11:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
 前回に紹介したジャン・ブリクモン著『人道主義的帝国主義、人権を使って戦争を売る』(英訳本)のp160~p161に引用されているベトナム独立宣言の和訳を以下に試みます。
■すべての人間は平等に創られている。彼らは、奪うことの出来ない一定の権利を、彼らの創造者によって与えられている。その中には、生命、自由、そして幸福の追求がある。
この不滅の言明は1776年のアメリカ合州国独立宣言の中でなされた。より幅広く言えば、次のことを意味する:地球上のすべての人々は生まれながらにして平等であり、すべての人々は生きて、幸福で、自由である権利を持っている。
1791年になされた、人間と市民の権利に関するフランス革命宣言も同様に“すべての人間は自由で平等の権利を持つものとして生まれ、そして、常に自由のままであり、平等の権利を持っていなければならない”と言明している。
これらは否定することの出来ない真実である。
それにも拘わらず、80年以上もの間、フランスの帝国主義者たちは、自由、平等、友愛の規範を破り、わが祖国を侵害し、われら市民を圧制し続けてきた。彼らは人道と正義の理想に反する行動をとってきた。
政治の分野では、彼らはわが民族からあらゆる民主的自由を剥奪しつづけてきた。
彼らは非人道的な法律を押し付けた;彼らは我々の国家的統一を破壊し、わが民族が一致団結するのを妨害するために、ベトナムの北部、中部、南部に、三つの別々の政治的組織を設立した。
彼らは学校よりも監獄をより多く建設した。彼らは容赦なくわが愛国者を殺害した;彼らは我らの蜂起を血の川に押し沈めた。
彼らは世論に足枷をかけた;彼らはわが民族を無知蒙昧のままにする政策を実行した。
わが人種を軟弱化するために、彼らは我々にアヘンやアルコールの使用を強制した。
経済の分野では、彼らは我々を背骨だけになるまで搾取し、我が国民を貧民化し、我が国土を荒廃させた。
彼らは我らの米作田地を、我らの鉱山を、我らの森林を、そして、我らの未加工資源を奪い取った。彼らは紙幣の発行や輸出取引を独占した。
彼らは多数の不当な税を考え出し、わが国民を、とりわけ農民たちを極端な貧困の状態に陥れた。
彼らはベトナムの中産階級の繁栄を妨害した;彼らは我が労働者を最も野蛮極まるやり方で搾取した。

************

これらの理由により、われわれベトナム民主共和国臨時政府のメンバーは世界に向かって厳粛に次の通り宣言する:
ベトナムは自由で独立な国家である権利があり、また実際に、すでにそうである。ベトナム人民の全体は、その独立と自由を確保防御するために、彼らの身体力、精神力のすべてを動員し、彼らの生命と財産を犠牲とする決意を固めている。■
以上がブリクモンの本に記載されているベトナム民主共和国独立宣言です。上の引用文で、<************>は、ブリクモンが省略した部分があることをマークするために、私が挿入したものです。宣言の原文では、ここで日本によるベトナムの植民地化とその後のベトナム人とフランスとの関係が論じられ、日本敗退の後、ベトナムの再植民地化を企てるフランスの動きに対して徹底的に闘う決意が述べられていますが、この部分は省略することにして、上の「これらの理由により、・・・・」のすぐ前の部分だけを補足すると次の様になります。:
■ 我々は、テヘランとサンフランシスコで諸国家の自決と平等の原則を承認した連合国がベトナム独立の承認を拒否することがないことを確信している。
80年以上にわたってフランスの支配に対して勇敢に反抗してきた民族、この数年間連合国側に協力してファシスト側と闘ってきた民族、このような民族は自由で独立した存在でなければならない。
これらの理由により、・・・・ ■
 1945年9月2日に、北ベトナムのハノイで、この独立宣言を行なったホーチミン率いるベトナム人民は、ベトナムの再植民地化を企てるフランスからの完全独立を目指して闘争を開始します。1954年、フランスは敗北し、ベトナムから撤退しますが、不幸にもベトナムは北と南に分割され、北はソ連、南はアメリカが支持する形になって、1962年には米軍が軍事的介入を始めました。いわゆるベトナム戦争の幕開けです。
 ベトナム戦争は、私の世代の人間の多くにとって、人生の一つの大事件でしたが、今の若い人々にとっては、ほとんど何の事件性も持たなくなっているのでしょう。ベトナム戦争はアメリカ合州国軍が史上初めて喫した明確な敗北でしたが、その記憶は見事に消されつつあるようです。前回のブログで挙げた文献の4番目:
(4)Paul L. Atwood, War and Empire, The American Way of Life (Pluto Press, New York, 2010)
の序言で、アトウッドは、「ベトナムでの戦争終結から10年ほどしか経っていない1980年代でも、多くの学生はアメリカ合州国が北と南のどちらの味方をしたかを知らなかった。多くはホーチミンが何者かを皆目知らなかった。学生の一人に至っては、邪悪な共産主義者たちが米軍を毒殺するためにアジアオレンジ枯れ葉剤を使用したと信じてしまっていた」と書いています。著者アトウッドはボストンのマサチューセッツ大学の教師ですが、アメリカ人の驚くべき忘却能力を皮肉ったゴア・ヴィダルの言葉「ユナイテド・ステイツ・オブ・アメリカではなくて、ユナイテド・ステイツ・オブ・アムネジア(the United States of Amnesia、記憶喪失症合州国)だ」を引用し、続いて、若者たちのこの驚くべき無知はたまたま起ったものではなく、アメリカの高校教育が一定の教科課程の枠内で行なわれ、それからはみ出す教師は首を切られることをアトウッド自身の過去の経験に基づいて証言しています。ごく最近(2010年3月)のことですが、テキサス州の教育委員会は、高校以下の歴史その他の教科書の内容をひどく保守的にねじ曲げたものにしてしまいました。例えばhttp://www.thenation.comをご覧下さい。日本の教育関係の専門家からの解説を期待しています。
 ホーチミンのベトナム民主共和国独立宣言の冒頭に、アメリカ革命とフランス革命の宣言のかなめである人権、すべての人間が持つべき当然の権利についての言明が、二つ並べて書いてあるのは極めて興味深く重視すべきことです。1945年9月の時点で、それまでのフランスの対ベトナム政策は、フランス革命の精神とされる「自由、平等、友愛」の規範に全く背くものであったし、しかも終戦後ふたたびベトナムの植民地化を企てるとあっては、言語道断と言わなければなりません。しかし、フランスよりもっと罪深く、許し難いのは、フランス撤退後のアメリカの行動です。アメリカ合州国独立宣言は、次の文章で始まります。:
「人類の歴史において、ある国民がいままで彼らを他国民の下に結びつけていた政治的紐帯を解消し、地上各国の間にあって、自然の法や自然の神の法にとって本来当然与えられるべき独立平等の地位を主張しなければならなくなる場合がある。そうした場合、人類の意見をしかるべく尊重しようとするならば、その国民が分離せざるをえなくなった理由を、公に表明することが必要であろう。」
これに続いて、ベトナム民主共和国独立宣言の冒頭にほぼそのままに引用されている有名な「すべての人間は平等」のくだり:
「すべての人間は平等に創られていること、彼らは、その創造主によって、奪うことの出来ない一定の権利が与えられていて、その中には、生命、自由、そして幸福の追求があること、我々はこれらの真理を自明なものであると考える。」
が来るのです。
 上に訳出した通り、ベトナム民主共和国独立宣言では、この文章に続いて、ベトナム国民がフランスから分離独立せざるをえなくなった理由が表明してあります。その理由は、1776年当時の13の英国北米植民地州が挙げた分離独立の理由よりも、はるかに切実で反論の余地のないものでした。ベトナム全土の、ベトナム人民による、外国支配からの自由独立は、アメリカ合州国独立宣言の宣うところに従えば、文句のつけようのない、最高の祝福に値する行為であった筈でした。ところがどうでしょう。アメリカはベトナムの南半分をもぎ取り、傀儡政権を樹立し、南ベトナムの自由と独立を北からの共産主義勢力の侵略から守るという“人道主義的”理由を麗々しく掲げ、公然と軍事介入に踏み切り、やがては、北ベトナムに対して、都市には絨毯爆撃による徹底的な焦土作戦、農村部と森林に対しては、アジアオレンジ枯れ葉剤を空から大量に散布する猛毒散布作戦を展開しました。
 2010年5月19日のブログ『核抑止と核廃絶(5)』の中で、アメリカの私の知人マクリーン氏の奥さんがベトナム戦争反対の運動をしたために警察に拘束されたという話をしました。その話をもう少し詳しく申し上げましょう。現在の事情は知りませんが、昔は、外国国籍の移民がアメリカで市民権の取得を願い出ると、アメリカ合州国についての知識のテストをされることになっていました。マクリーン夫人は、ボランティアとして、そのテストの準備を助ける講師役を買って出て、アメリカ合州国の独立宣言の初等知識の解説などをしていたのですが、独立宣言の文言に明らかに背反するアメリカ合州国軍のベトナム侵略がいよいよ激しく露骨になって行くにつれて、
良心の呵責なしには、受講者の前に立つことが出来なくなり、遂にはベトナム戦争反対のデモの先頭に立つようになったのでした。アメリカ建国の出発点である独立宣言が、事の始めから、大きな欺瞞であったことは、拙著『アメリカン・ドリームという悪夢』で詳しく論じました。特に、p113には
■ 1776年7月4日の「独立宣言」は、アメリカ論のアルファでありオメガである。アメリカ合州国創設のこの宣言がひとつの大いなる欺瞞であったことが、善かれ悪しかれ、その後のアメリカ合州国の歴史を決定した。アメリカを叩くための誇張では決してない。あらゆるアメリカ論者が、その心底では、認めざるを得ない歴史的真実である。■
と書きました。そのあたりを読んでいただければ幸いです。植民地主義的な外国侵略を「人道主義的は立場から、お前たちの為にしてやっているのだ」と言いくるめる歴史的伝統は、「白人の重荷」から「明らかなる天命」へ、そして、ジャン・ブリクモンはいみじくも喝破するように、「人道主義的介入」という形の帝国主義へと、驚くべき一貫性をもって、受け継がれて行っています。
 攻撃的な帝国主義政策を推し進めるアメリカ政府とそれを支持する保守勢力が“外国国民の人権を守るため”の人道主義的介入という口実を用意するのは、いわば、自然なこととも言えましょうが、ジャン・ブリクモンが問題とするのは、元来、帝国主義的外国侵略に反対の立場を取る進歩的な人々の中にも、この「人道主義的介入」というロジックを採用する傾向が広がっているという事実です。近年、アメリカ、イギリス、フランスなどの豊かな先進国で、世界の国々、特に貧しい後進国で行なわれている人権侵害を監視することを事業とする組織や団体が数多く結成されています。「ヒューマン・ライト・ウォッチ」や「アムネスティー・インターナショナル」などは日本でもよく知られているようです。こうした組織体は政治的中立を原則として、ただ、諸国でおこなわれる人権侵害の事実を世界に向かって告発することを実行しています。しかし、ブリクモンが詳しく論じるように、これはいろいろと問題をはらむ事業です。
 まず、人権(Human Rights)とは何かという大問題があります。アメリカ合州国独立宣言に基づけば、「幸福に生きる」ということが人間の権利の一つであることは明らかでしょう。ところで、いまアメリカ合州国では、医療保険制度の枠外に押し出されているために適切な医療が受けられないという理由で毎日百人ほど死んでいます。公式の統計数字です。一方、一党独裁の貧乏国キューバでは、医療は無料なので、費用のために医者にかかれないという理由で死ぬ人はゼロです。この意味では、アメリカ合州国では重大な人権侵害が行なわれていることになります。しかし、いわゆる人権侵害監視団体はこの問題にはそっぽを向いているのが通常です。
 キューバの首都ハバナの町の真ん中で、「フィデル・カストロはひどい独裁者だ」と叫んだら、どうなるのか、私にはわかりません。しかし、もしそうすることで警官に捕われたとしたら、「ヒューマン・ライト・ウォッチ」や「アムネスティー・インターナショナル」はそれを政治的自由の人権の侵害だとして報告するでしょう。同じようなことはベネズエラとかボリビアについても言えると思います。実際、2年ほど前、「ヒューマン・ライト・ウォッチ」がベネズエラでは政治的発言の自由という人権が侵害されていることを非難していました。しかし、こうした第三世界の国の貧困層の人々は、新しい政権から言論の自由を制限されても、目や歯の治療が無料であることの方を幸せに思うに違いありません。彼らにとっては生きるという人権の方が、政治的発言の自由という人権より大切なのですから。ブリクモンの『人道主義的帝国主義、人権を使って戦争を売る』には、このタイトルの意味について、もっと精緻な議論が展開されています。興味のある方は是非お読み下さい。

藤永 茂 (2010年6月9日)


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アメリカ合州国史を学び直す

2010-06-02 12:03:32 | インポート
 今の、そして近未来の日本にとって最大の問題は「アメリカをどう考えるか」ということです。それに較べれば、鳩山総理大臣が嘘をついたかどうかなどはどうでもよい問題です。アメリカについての適切な判断を下すためには、アメリカの本当の姿を良く見極めなければなりませが、そのためには、アメリカ合州国の歴史についての私たちの知識は余りにも貧しく、そして誤っていることが多すぎます。
 去る3月に私は『アメリカン・ドリームという悪夢』と題する小著を出版しました。出だしのアイディアは少々辛口のオバマ大統領批判ということだったのですが、執筆のためにあれこれ読んでいるうちに、アメリカについての私の知識の貧弱さと誤謬の多さに打ちのめされる様になって行きました。拙著『アメリカン・ドリームという悪夢』の第3章「アメリカ史の学び直し」にはそのあたりの事情を書いたつもりです。拙著の屋台骨となっているのは、1776年のアメリカ合州国「独立宣言」です。そのオリジナルの写真が拙著のブックカバーのデザインに使われていますが、「独立宣言」の中でもっとも広く引用され、よく知られているのは第二段落の始めの文章:
「We hold these Truths to be self-evident, that all Men are created equal, that they are endowed, by their CREATOR, with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty, and the Pursuit of Happiness.」
です。月並みな表現ですが、この宣言は、それがなされた1776年から今日までの234年間のアメリカの栄光と悲惨、真実と虚偽のすべてを担って我々の前にあります。
 「泥棒を見て縄を綯う」という諺がありますが、アメリカ史の学び直しのために私が最近読んだ本を4冊挙げます。あわてて勉強続行中というわけです。:
(1)Jean Bricmont, Humanitarian Imperialism, Using Human Right to Sell War, Translated by Diana Johnstone (Monthly Review Press, New York, 2006)
(2)Edward S. Herman and David Peterson, The Politics of Genocide, Forwarded by Noam Chomsky (Monthly Review Press, New York, 2010)
(3)Carl Boggs, The Crimes of Empire, Rogue Superpower and World domination, Forwarded by Peter McLaren (Pluto Press, New York, 2010)
(4)Paul L. Atwood, War and Empire, The American Way of Life (Pluto Press, New York, 2010)
これから先、これらの本から重要な話題を拾って、随時、このブログで論じてみたいと思っています。(1)の著者ブリクモンについては、以前に2007年11月7日のブログ『ブリクモンとサンカラ』で取り上げたことがあります。その一部をコピーします。ブリクモンは私と同業の物理学者です。:
■ ブリクモンの名が人文系の人々に広く知られるようになったのは、アメリカの理論物理学者アラン・ソーカルとの共著『「知」の欺瞞』(田崎、大野、堀訳、岩波書店、2000年)がそのきっかけだったと思います。この本の原著のフルタイトルは『FASHONABLE NONESENSE / POSTMODERN INTELLECTUALS’ ABUSE of SCIENCE』(1998年) ですが、この本の元は1997年フランスで出た『Impostures Intellectuelles (知的ぺてん)』で、これについては堀茂樹さんの読み応え十分の解説「きみはソーカル事件を知っているか?」があります。■
さて(1)に戻ります。そのp160に、1945年9月2日(ナガサキからほんの3週間後、日本が降伏文書に署名した日)に、ホーチミンが世界に向かって宣言した「ベトナム民主共和国独立宣言」の前半と結語の部分が引用されています。この独立宣言の冒頭に、上にも英文のまま掲示したアメリカ独立宣言の最も重要な文章がそのまま掲げてあるのです。(ベトナム独立宣言の原文とその和訳はウィキペディアにあります。)ホーチミンとベトナム国民は、これから、まずフランスを打ち負かし、続いてアメリカを打ち負かすことになるわけです。独立宣言でブリクモンが飛ばした部分に次の文章が見えます。:
■ 我々は、テヘランとサンフランシスコで諸国家の自決と平等の原則を承認した連合国がベトナム独立の承認を拒否することがないことを確信している。■
しかし、アメリカ独立宣言の不朽の名文にかけたベトナム国民の期待は無残に粉砕されます。アメリカはホーチミンのベトナムの独立を断じて許すまじと、猛然と襲いかかりました。これがベトナム戦争です。次回はブリクモンが引用しているベトナム独立宣言(英語訳)を和訳しながら、ベトナム戦争の意味と、ブリクモンの本のタイトル『人道主義的帝国主義、人権を使って戦争を売る』の意味を考えてみます。

藤永 茂(2010年6月2日)


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