私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

日本人は騒ぎすぎる

2009-05-27 13:13:42 | 日記・エッセイ・コラム
 旅行さきのホテルの部屋に備え付けてあった『JAPAN NOW』という冊子に、南部陽一郎さんの談話が出ていました。『ノーベル賞、日本は騒ぎすぎ』という表題です。その始めのところを転載させていただきます。
■ ノーベル賞受賞の知らせは、驚いただけで、別にとくに感想はありません。毎年そうした話がありましたから「まさか」と思いました。家内も「詐欺ではないか」とか「冗談では」と最初は本気にしませんでした。
ここ、シカゴ大学は2010年に120周年を迎えますが、私も入れて82人のノーベル賞学者を出しているので、ノーベル賞だからといって、特別騒ぎ立てることはありません。当人も周囲も皆、受賞前も受賞後も、変わりなく過ごしています。物理学賞に限っても28人いますので、珍しくないのです。
日本のマスコミの騒ぎ方は尋常ではありません。受賞の通知のあった朝、大学で記者会見をすることになり、私が校内を歩いていくと、何十人も取り囲んでぞろぞろついてくる。このような人たちをパパラッチというのでしょうか、日常生活がすっかり乱されてしまい、いささか嫌気がさしています。
ノーベル賞授賞式も、家内が体調を崩してしまったこともあり、欠席することにしました。大学の同僚は「それはいい考えだ」と賛成してくれました。■
たしかに、日本のマスコミは、そんなに騒ぐこともないような事柄の報道に余りにも力を入れすぎ、世界中で起こっている多くの重要なニュースを無視しています。私は、主にNHKの一般放送テレビを見ていますが、中央のニュースで、地方ニュースで伝えれば十分のような火事などの報道に貴重な時間を無駄遣いしているとつくづく情けなくなります。昨今の新型インフルエンザについての騒ぎ方も余りにも度外れでしたし、世界的に膨大な量の「タミフル」備蓄の国際政治的背景についての一貫した沈黙も異様でした。
 シカゴ大学の物理教室には、私も、1959年から2年間、リサーチ・アソシエイトという身分で滞在したことがあります。そんなに多くのノーベル賞受賞者を出したとは、今まで知りませんでした。私を呼んでくれたローバート・マリケン教授も1966年にノーベル賞を受賞しました。南部さんとも何度かお話したことがあります。シカゴ大学はなかなかユニークな大学ですが、その理由の一つは1929年に30歳の若さでシカゴ大学総長になったRobert Maynard Hutchins にあります。彼は,総長、理事長として1951年まで大学の運営に強い影響を与えました。1939年には「大学は学問をする所だ。スポーツはいらない」といってフットボールなどのスポーツ部を廃止してしまい、その状態は20年ほども続きました。「スタッグ・フィールド」という名のフットボール・スタディアムも要らなくなり、その空いた空間を利用して、1942年、世界最初の原子炉が建設されました。
 南部陽一郎さんがパパラッチと呼んだ人々の存在はまことに嘆かわしいことです。南部さんにまとわりついたのは、日本のマスコミ各社がアメリカに駐在させている特派員的な人々だったのだろうと推測しますが、もしそうだとすると、特にNHKの場合には、しっかり反省していただきたいと思います。NHKは、基本的には、視聴者の払う料金と税金でまかなわれているのですから、無駄な出費は慎んでほしいものです。沖縄の那覇在住でカナダの事情に詳しい方から、カナダでNHKにあたるCBCのテレビのニュース番組がインターネットで容易に視聴できることを教えていただいて、その後は時々そのサイトを覗いています。CBCのニュース番組(ラジオとテレビ)の評判はアメリカ合州国でも大変高くて、そのファンが多数存在しますが、アメリカに駐在するCBCの特派員の数は大体二名ほどに限られます。世界的にみても、CBCの外国派遣駐在員の数は、(これは私の荒っぽい推量ではありますが、)NHKのそれにくらべて、十分の一か二十分の一でしょう。その代わり、その一人一人が一騎当千のつわ者(女性もいます)です。実によく勉強をしている、実によく考えをめぐらせている、といった感じです。おなじニュースを伝えるにしても、視点、視角というものがあります。報道の中立性という境界条件の下でも、物事の本質をとらえている記者による報道内容と,そうでない場合とでは、受け取るものへのインパクトが違います。重みが違います。
 もう何年も前のことになりますが、若くお元気な頃には、私どもの世代の者にとって掛け替えのない報道を世界のトラブル・スポットから伝えて下さったジャーナリストとお話する機会があった時、日本の大出版社が毎週世の中にどっさりと放出する週刊誌の記事の質について、私が「こうした出版社に入社してくる若い人たちも、始めは、ジャーナリストとしての高い志を胸に抱いて仕事をはじめたのでしょうにね」と言いますと、その古参ジャーナリストは、私のいささか浅薄な語り口を切って捨てるように、「この頃の若い人は高い志など始めから持っては居ませんよ」と答えました。
 しかし、そうであるかも知れないし、そうでないかも知れない、と私は思っています。今度の「北朝鮮の原爆テスト」の問題を例にして考えてみましょう。日本人のほぼ誰もが北朝鮮のやったことに憤りを持ったに違いありません。しかし、日本政府の反応、アメリカ政府の反応、国連内での反応を、この重大事件の重みにふさわしい形でニュース記事に仕立てる場合には、それが公式には表に出せない事柄であるにしても、それを十分意識しているか否かで、中立性を損なわない範囲でも、かなりの“あそび”の余地がある筈です。アメリカ政府当局者、各国の国連大使たちすべての胸につかえている厄介な事実が「イスラエルの原爆保有」の問題であることは、NHKでニュースを仕立てる関係者のすべてがご存知でしょう。それが口に出せないことも明々白々です。しかし、この条件のもとでも、まだやれることがあります。それは、“いま核兵器テストのテクノロジーはどこまで進歩しているか”という問題を取り上げることです。この事に就いては、2009年4月22日付けのブログ『オバマ大統領は本当に反核か?』で論じましたが、世界の核兵器保有国には、地下でドカンと核爆発をやる必要のない先進国と、ドカンとやらなければテストが出来ない後進国があるという事実を、一般の人々に解説することは「科学解説」として出来る筈です。それも、やっぱり、遠慮しておこう、というのがNHKの解説委員さんたちのお考えでしたら、私としては、もう何も言うことはありません。

藤永 茂 (2009年5月27日)


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ソマリア沖の海賊と黒いロビン・フッド(3)

2009-05-20 08:32:57 | 日記・エッセイ・コラム
 前々回、前回と取り上げてきたポスト論説から、もう一個所を議論の俎上に乗せます。:
■ 国際法の一つの原則である自己防衛の権利は、船に乗り込もうとする海賊を殺すことを正当化する。しかしながら、紅海とアデン湾を通過航行する船舶の全船員は武装していない。船主たちは武器を携えた船員は信用ならないと言い張るが、話の辻褄が合わない。まず第一に、合州国では犯罪人を除いて殆どの成人はガン所有が許されており、他の多くの國の法律も、所有を許している。たとえ船主が乗員の誰もが武器を携えていることを好まないにしても、彼等は船員の上層部を信頼することぐらい出来るだろう。せめて船長には武器を持たせ、経験を積んだ信頼できる警官を二名ほど乗船させるようにしたらよいではないか。■
このポスト論説の筆者のソマリア沖海賊対策は明快で、船長や上級船員に武器を持たせ、さらに武装警官を2名ほど乗船させて、乗り込んで来る海賊どもを撃ち殺させればよい、というものです。別のソマリア海賊論説によると、2008年度にアデン湾を通った船舶の総数は約2万3千、海賊にやられたのは93隻だそうで、雇わなければならない警官の数は約5万人になります。この筆者が言うように一般船員に武器を持たせたらいいのに、と考える方々も少なくないでしょうが、ここには、歴史的に言って、また目前の現実としても、「海賊とは何か」という興味深い問題が横たわっています。
 海賊といえば、まず英国の大海賊フランシス・ドレーク(1543?-1596)を挙げなければなりません。私もこのブログのどこかで彼の話を書いたような気がします。海賊業でせしめた金銀財宝をどっさり持ち帰って女王エリザベス一世に献上したので、女王は大喜び、彼に「サー」の称号を与えます。コンラッドの小説『闇の奥』のはじめにもサー・フランシス・ドレークの名が出てきます。コンラッドの小説『フォーク』の主人公、貨物船の主任航海士フォークは、反抗した乗組員の一人を拳銃で射殺し、その肉を食べます。この小説については,以前(2007年4月25日)のブログ『白人は何故「カニバリズム」にこだわるか(1)』に少し書きました。この貨物船では船長と主任航海士の二人だけが拳銃を持っていましたが、船長が船を捨てたあと、船長が持っていた拳銃が反乱船員の手に渡ったことから、話が息詰るスリラーになって行きます。アデン湾を通過航行する船舶の船員たちに武器を持たせないのは、船主が船員を信用しないからだそうですが、これはいわゆるミューティニー(mutiny、反乱、特に兵士、船員などの上官に対する謀反)を恐れてのことです。その昔、独裁的で横暴な船長にこき使われた一般船員たちが謀反を起こして船長を殺し、そのまま海賊船になる場合があったようですが、暴君が殺された後の海賊船の内部では民主平等の小社会が実現することがあったとも言われています。ハンナ・アレントはメルヴィルの小説『ビリー・バッド』をフランス革命批判の書として解読し、間接的に、アメリカ革命を称賛する手立てとしましたが、この小説の背後にはこのミューティニーの問題があります。ただし、アレントは『ビリー・バッド』を誤読したと私は考えています。とにかく、「海賊」の歴史と問題性はなかなか奥が深いようです。
 アメリカ連邦準備制度理事会の議長として、1987年から2006年までの20年間、アメリカの、そして、世界の金融界を牛耳っていたグリーンスパンは、引退後、「イラク侵攻は、大量破壊兵器を破壊するためでもなく、イラクにデモクラシーを樹立するためでもなく、イラクの石油を確保するのが始めからの目的だった」と明言しました。ソマリアでも同じ話なのです。石油資源確保の執念があまりに一貫しているので、こちらがゲンナリするほどです。石油生産地として、今や、アフリカはサウディアラビアなどより重視され、アメリカの依存度もアフリカの方が高くなってきています。現在すでにソマリアの石油の利権の三分の二はコノコ、アモコ、シェブロン、などのアメリカ系石油会社に握られてしまったようです。こうした交渉を易しくするために、もしアメリカ一辺倒の政府が作れない場合には、その國を「失敗国家」の状態にしておくのがアメリカ合州国のアフリカ政策の基本線です。ソマリアの海からはその幸を吸い上げ、内陸からは石油を吸い出す、それに加えて、毒性産業廃棄物もダンプする、これが我々いわゆる「先進国」がやっている海賊行為です。
 「ソマリア沖の海賊たちは魚を奪われた元漁民たちの反抗などではない。国内の豪族や武装集団が作ったマフィア組織が巨額な身代金目当てに貧困民兵や元漁民を手先に使って行っているマネー・ビジネスだ」という見解もあります。そうかもしれません。前回のブログのおわりに引用したソマリア人の言葉からもその事情がうかがえます。しかし、一方では、もともとソマリア人はのんびりした感じの人々だという話も読んだことがあります。身代金をたんまり懐にしたソマリアの悪漢どもの中には、飢餓に苦しむ貧乏ソマリア人たちの長屋の中に、ひょいと小判を、いや金貨を投げ込む黒い「ロビン・フッド」の二人や三人が居たとしても不思議ではありません。
 船長リチャード・フィリプスを人質にした4人のティーンエイジャー海賊の3人は米軍のシャープシューターに射殺され、残った16歳の少年アブディカディール・ミューズ君は手錠を掛けられてFBIの拘置所に入れられました。ついでに言って置きますが、私の知る限り、ソマリアの海賊たちは、少なくとも今までの所、ひとりの人質も殺害していません。つい最近、ネット上で面白い話を知りましたので報告します。16世紀ほど前にキリスト教初期の聖徒で著名な神学者であった聖アウグスティヌス(354-430)の著作『神の國』の中に次のような話があるそうです。アレクサンダー大王に捕らえられた一人の海賊に対して大王が「よくもお前は海に乱暴を仕掛けたものよ」と責めると、海賊は「あんたこそ、しゃあしゃあと全世界に乱暴を仕掛けているじゃないか。それを小さな船でやっているだけの私は、盗賊と呼ばれるが、大海軍でそれをやっているあんたは、エンペラーと呼ばれる」と言い返したという話です。

藤永 茂 (2009年5月20日)


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ソマリア沖の海賊と黒いロビン・フッド(2)

2009-05-13 11:32:51 | 日記・エッセイ・コラム
 前回にざっと訳出した『海賊を殺してしまえ』というワシントン・ポストの歯切れのよい論説の解読を始めます。簡単のため、以下では“ポスト論説”と略称します。
 4月8日のこと、メルスク・アラバマというアメリカのコンテナ船に乗り込んできた4人の若いソマリア人の海賊は船長リチャード・フィリプスを人質にしたのですが、乗り込む際に自分たちの小舟が転覆沈没したので、アラバマ号の救命ボートの一つに乗り移って洋上に逃げました。アメリカ海軍は強力な駆逐艦ベインブリッジ号を現場に急行させ、続いてハリバートン号も加わり、両艦に搭載したトマホークなどの誘導ミサイルの火力は優に小都市を破壊するに十分、空には海賊たちの射撃範囲に入らないようにしてヘリコプターも舞うという物々しさになりました。スタンドオフは14日夜に終わります。日没を待って、ベインブリッジ号の船尾で銃をかまえた赤外線眼鏡装備の3人の狙撃兵が、100フィートの距離から、3人の海賊の一人づつに狙いを定め、同時に引き金を引いて、見事に3人を同時射殺しました。人質の船長は救われ、残った海賊一人は捕獲されて、一件落着。ゴルゴ13並みの凄腕のシャープシューターの養成には一人当たり5千万円ほどの費用がかかり、米国は2千人ほど鍛え上げて、ビン・ラディンなどを撃ち殺す機会を狙っているのだそうです。ハリウッド映画を地で行くような今回の快挙はアメリカ人たちに心地よい興奮と満足を与えました。ポスト論説の語り口もそれを反映しています。一方、ソマリアの海賊の方は、私の知る限り、今まで人質を一人も殺していません。身代金が目当てですから、当り前の事かも知れませんが。
 ポスト論説の次の文章を検討しましょう。
■ 我々はソマリアが地球規模のテロリスト活動の理想的な要塞であり、司令部であることを知っている。ソマリアが我が軍事力で法と秩序を確立するに易しい所ではないことを、すでに、合州国は苦い経験から学んだ。1993年とさらに最近にはエチオピア軍を支持する形で、二度のソマリア介入は不体裁な挫折に終わった。■
まず始めの断定は全く根拠がありません。理想的な要塞でも、司令部でもありません。
これまでにアメリカがソマリアでやってきた事をごく手短に復習します。人口800万余、イスラム教徒の多いソマリアは1991年に独裁政権の崩壊後、無政府状態に落ち入り、1992年にアメリカ合州国と国連が武力介入しますが、1993年10月3日、首都のモガディシュで、アメリカ軍の大型ヘリコプター「ブラック・ホーク」が民兵によって撃墜されて18人の米兵が死亡し、米兵の裸の死体が市中を引き回されるといった刺激的な事件が発生しました。その後間もなくアメリカ軍はソマリア駐留をやめて引き揚げますが、一般アメリカ人の記憶には「ブラック・ホーク・ダウン」という屈辱的な劇的事件だけが残ったようです。当時の状況については、ここでは省略します。
 肝心なのは、上の文章にある、1993年の直接介入とエチオピア軍を使った最近(2006年)の間接介入の間にソマリアで何が起こったかを見据えることです。ソマリアの内戦による混乱荒廃は、天災の飢饉も加わって、悲惨をきわめ、いわゆる失敗国家の最悪例とされる状態に陥ったのですが、その状態から何とか脱したいという民意を反映して、首都モガディシュ周辺の諸部族はまずそれぞれの司法機関イスラム法廷を作って、法的秩序の回復を試み、人々からの支持と信頼を獲得し、次には、各部族の法廷の間で同盟関係を結び、首都周辺の秩序の回復に成功しました。これが UIC(Union of Islamic Courts, イスラム法廷同盟) です。イスラム法廷同盟が民兵組織を育てて、首都から他の武装勢力を排除することに成功した理由は首都とその周辺の一般住民が社会秩序の安定を強く望み、資金力のある実業家たちもイスラム法廷同盟運動を支持したからでした。これが2006年前半のことでした。
 ところが、ブッシュ政権はイスラム法廷同盟運動の成功に強い不快感と警戒心を表明しました。イスラム勢力が首都モガディシュを制圧したことで、そこがアルカイダの隠れ家となり、テロリストの城塞になる恐れがあると言い出したのでした。その頃、イスラム法廷同盟に属する民兵と戦っていた有力な武装勢力は、実は、アメリカの支持を得ていたと考えられています。イスラム法廷同盟の代表シャリフ・アーメドは2006年6月6日の公開書簡で「我々がテロリスト、テロリスト支援者を匿っているといういかなる非難も断固として否定する。我々は国際社会と友好関係を打ち立てたいと望んでいる」と述べました。これが十数年にわたる戦乱と国土の荒廃に苦しんできたソマリアの人たちの本音であったと判断する十分の理由があります。そのソマリア人の平和への希望を無視して、2006年の暮れ、アメリカはエチオピア軍を代理に使ってイスラム法廷同盟の一挙粉砕を目指してソマリアに侵攻し、たちまちイスラム法廷同盟を首都から排除して、傀儡の暫定政府を作りましたが、勿論、一般市民に何の支持基盤を持たず、一方、イスラム法廷同盟に属した民兵組織は、この暫定政府とエチオピア軍に対して、熾烈なゲリラ戦を開始しました。イスラム法廷同盟の力と一致した一般住民の平和志向に支えられて、ソマリアの人々は、6ヶ月ほど、しばしの安らぎを得たものの、アメリカの介入で、すべては元の木阿弥、ソマリアは以前の混乱と悲惨に逆戻りしてしまったのでした。侵入エチオピア軍は無数の戦争犯罪的残虐をほしいままにした後、2008年末までにはソマリアから撤退しました。「アメリカは、モガディシュに隠れて居たかもしれない(居なかったかもしれない)ほんの数人のアルカイダ要員を捕らえようとして、ソマリア人の利害を無視してしまったことで大いに非難さるべきである。アルカイダは一人も捕まらず、多数の無辜の住民が空襲で殺され、その反米感情は深まった」と、当時のエコノミスト誌(英国)は書いています。
 それだけではありません。地図をみればわかりますが、アフリカ大陸の尖った肩、いわゆる「アフリカの角」を含んで、ソマリアは長い海岸線を持ち、海からの幸が大変重要な國です。1991年、それまでアメリカのお気に入りだったシャド・バール独裁政権が腐敗と内紛で崩壊して無政府状態になったソマリアはその領海を守る力を失ってしまいました。1992年頃から、外国の大型漁船の領海侵犯と大量乱獲が始まり、沿岸のソマリア漁民の取り分は激減に向かい、現在に及んでいます。私たちもソマリア沖でとれた魚を食べている可能性が十分あります。その上、2004年にソマリア海岸を襲った津波が驚くべき事実を文字通り白日の下にさらしたのです。我々の属する先進国が排出する産業廃棄物が多量不法にソマリア沖に投げ込まれていたものが津波に乗ってソマリアの海岸に打ち上げられました。調査の結果、スイスの会社「アケア・パートナー」、イタリアの会社「プログレッソ」の名が浮上し、これらの有毒廃棄物処理会社は、ヨーロッパでは廃棄処理にトン当り1000ドルかかるのを、ソマリア沖で海に捨てることでトン当り3ドルであげていたというのです。その頃から、沿岸の住民数千人が今まで知らなかった皮膚疾患、食道内出血、癌症状などを訴え出るようになります。廃棄物には鉛、水銀、カドミウムなどを含む化学廃棄物、ウラニウムなどの放射性廃棄物が含まれていた事を国連の環境保護係官が報じています。同じような現象は2005年5月にも再発し、ロンドンのタイムズ紙は「ソマリア沖に不法投棄された、何トンもの有毒廃棄物、放射性廃棄物がソマリア海岸に打ち上げられた」と報じました。
 サンフランシスコで発行されている『ベイ・ビュー』という黒人全国新聞があります。ソマリア沖の活劇で3人の若い海賊が射殺される直前の4月13日号に、クナーンという名のソマリア人の筆になる『我々は何故海賊を厳しく責めないか』という記事の一部を訳出します。:
■ しかし、この事件(有毒廃棄物不法投棄)は、我々の海が無防備なことにつけこんだ、一、二のグループが出来心でやった悪行なんかではなかった。国連のソマリア特使アーメドウ・ウルド・アブダラは、この投棄は今日に至るまで続いていると発言している。その地方の漁民が町の民兵を巻き込んで、西欧人がソマリアの海の命の息の根を完全に止めてしまうのを阻止するために立ち上がり、沖に漕ぎ出したと報じられたのは、不法投棄のニュースが伝えられてから数ヶ月あとのことだった。それから数年たった今、阻止行動はその高貴さを失ってきた。元漁民と民兵は、海で身代金を稼ぐ味を覚えてしまった。この形の海賊行為は、いまでは、ソマリア経済の重要な稼ぎ手の一つに、とりわけ、有毒廃棄物処理の私企業が始めに死の落とし穴をわが国に対して仕掛けた地域にとって、そうなってしまった。■
この言葉のなかに、心あるソマリア人の痛々しい怒りと悲しみを聞き取れないとすれば、私たちの方がどうかしています。

藤永 茂 (2009年5月13日)


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ソマリア沖の海賊と黒いロビン・フッド(1)

2009-05-06 13:18:26 | 日記・エッセイ・コラム
 ソマリアのことを考え、ソマリアの沖で起こっていることを見ていると本当にそら恐ろしくなります。心が凍てつくような気持になります。アメリカはオバマ大統領のもとで「チェンジ」しないどころか、もっとしたたかにアメリカらしくなるでしょう。何故アメリカは「ブッシュ」から「オバマ」にブランド名を変えたか?理由は明らかです。ブッシュ・ブランドではいろいろ工合の悪い所が出てきて、売れ行きが落ちて来たからです。オバマ大統領の唱える「チェンジ」とは、アメリカの本質に変化をもたらすことを意味してはいません。オバマ政権がいま採用しつつある対ソマリア政策を見ていればその事がよく分かってくると思います。
 ワシントン・ポストといえば、昔は我々が大いに信頼を寄せた新聞ですが、去る4月13日の『海賊を殺せ』という論説(筆者はFred C. Iklé )の全文をざっと訳出します。ソマリア沖に出没するソマリア人の海賊はさっさと殺してしまえ-という内容です。
■ 昨日、アメリカ人リチャード・フィリップが海賊の手から救出されたのは、インド洋からのちょっと良いニュースだったが、ソマリア人海賊が相も変わらず世界の海軍力を負かし続けているのは屈辱的だ。そして、この臆病風に吹かれ続けの有様よりさらに悪いのは、海賊たちに取り立てを許している巨額の身代金が結局テロリストたちの資金源になるということだ。
身代金として毎年何百万ドルと海賊に支払われた金はただ彼等が豪邸や高級車を買うのに使われると考えるのはナイーブだ。ソマリアは政府のない國で、そこでは無政府状態がテロリストの組織に利用されている。海賊が商船に及ぼす脅威については次第によく分かってきているが、その対抗策は殆ど実施されていない。その上、我々はもっと大きな構図を考えに入れなければならない:テロリストは海賊より遥かに残忍であり、それに較べれば「こそ泥」にすぎない海賊から身代金の分け前をむしり取るなど朝飯前だ。
我々はソマリアが地球規模のテロリスト活動の理想的な要塞であり、司令部であることを知っている。ソマリアが我が軍事力で法と秩序を確立するに易しい所ではないことを、すでに、合州国は苦い経験から学んだ。1993年とさらに最近にはエチオピア軍を支持する形で行われた、二度のソマリア介入は不体裁な挫折に終わった。
だからと言って、何故いつまでもソマリアの海賊に儲けさせ続けているのか?この愚挙の行進がどうして可能なのか?
まず、最近、合州国の人質解放交渉者と膠着状態にあったような海賊たちの対策に腐心する諸政府に忠告を与えている腰抜け弁護士たちを叱りつけることから始めよう。これらの弁護士たちは海洋法やジュネーブ協定を誤って解釈し、海賊行為に対して存在する強力な国際法を適用する事に失敗している。国際法の一つの原則である自己防衛の権利は、船に乗り込もうとする海賊を殺すことを正当化する。
しかしながら、紅海とアデン湾を通過航行する船舶の船員はすべて武装していない。船主たちは武器を携えた船員は信用ならないと言い張るが、話の辻褄が合わない。まず第一に、合州国では犯罪人を除いて殆どの成人はガンの所有が許されており、他の多くの國の法律も、所有を許している。たとえ船主が乗員の誰もが武器を携えていることを好まないにしても、彼等は船員の上層部を信頼することぐらい出来るだろう。せめて船長には武器を持たせ、経験を積んだ信頼できる警官を二名ほど乗船させるようにしたらよいではないか。
これらの哀れにも非武装の船員たちは海賊が船に乗り込んで来るのを見守るだけで、何も反撃できないのだ。一方、合州国をはじめ、他の多くの國の海軍が軍艦を紅海、アデン湾、インド洋に展開させていて、その費用は何百万ドルにものぼるが、これらの軍艦も非武装の船員を乗せた商船に海賊が乗り込んで来るのを阻止することが出来ない。
国際的な自己防衛権はソマリア沿岸の支配組織を査察し、隔離して、海賊行為に従事していると分かったすべての船舶を拿捕し破壊することをも正当化する筈である。こうした査察は、最近見られるような人質とりの行為に従事する政府が出現する可能性を減少させることにもなるだろう。さらに、国連安全保障委員会はすべての身代金の支払いを禁止すべきである。もし、攻撃を受けた船の乗員が人質にとられた場合には、安全保障委員会は、人質が解放されるまで、ソマリアの武力封鎖を認可することが出来る筈だ。
臆病では、テロリズムを打ち負かすことも、ソマリア海賊を阻止することもあり得ない。、それどころか、海賊どもの要求に応じ続けるのは、ますます海賊行為を励ますことになるばかりだ。■
 この文章には私の心胆を寒からしめるものがあります。著者はアメリカの優れた学者だそうですが、アメリカの知識層がこうした論説を読み、その筆者の権威を信頼し、ソマリア沖の海賊問題とはこういうことなのだとすんなり受け入れているのだとすると、ソマリアの将来だけではなく、アフリカの将来、いや、世界の将来も暗澹たるものがあります。これが誇張ではないことは、過去十数年間にソマリア国内で起ったことを少し調べてみれば直ぐに分かります。誤解を避けるためにはっきり申し上げて置きたいのですが、私はアフリカ人を取り立てて偏愛している人間ではありません。私は、数年前、たまたまアフリカ大陸の中心部であるコンゴ地域の内情を覗き込む機会が与えられ、そこで、この数百年間、人間が人間に対して行って来た、そして現在も行っていることの物凄さに驚き、その事実が容赦なく押し付けて来る絶望と懸命に戦っている一人の人間に過ぎません。
 しかし、日本でも、「この論説に書いてあること、まあ正論だろうね」という方々も多いのではありますまいか。ソマリア沖の本当の海賊は誰なのか、次回から少し考えてみたいと思いますが、結論は簡単ですので先に申し上げて置きます。:
■ ソマリア沖に近代装備の軍艦を差し向けている我々の方が大海賊なのであり、ソマリアの岸辺から小舟で沖に出てくるチンピラ海賊どもは、実は、我々が生みだし育てた犯罪者たちなのだ。■

藤永 茂 (2009年5月6日)


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