私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

白人は何故「カニバリズム」にこだわるのか(1)

2007-04-25 13:19:28 | 日記・エッセイ・コラム
 コンラッドの小説『フォーク』の主人公、貨物蒸気船ボルグメスター・ダール号に主任航海士として乗り込んだフォークは、船上で乗組員の一人を射殺し、その肉を食べる羽目に陥ります。小説の語り手「私」は、話を渋るフォークを質問で攻めて、the whole story の聞き出しに成功します。この小説の中で、ゴシック物語作家としてのコンラッドの筆が冴えるサスペンス部分です。コンラッドの文学の熱心な擁護者 Cedric Watts は「コンラッドはエンターテイナーとして生計を稼いだ」と書いています:
Conrad earned his living as an entertainer, not as a writer of religious or political tracts. We read fiction for pleasures of diverse kinds. (Heart of Darkness, Oxford World’s Classics, 2002, pxxvii)
 ボルグメスター・ダール号は、喜望峰とニュージーランドの中間で、エンジン・シャフトが船尾で折れてスクリューが落ち、推進力を失って漂流を始めます。何日も続く大しけに弄ばれて海水が船内に侵入し命の綱の食料も冠水、3艘の救命ボートの2艘が荒波に奪い去られてしまいます。迫り来る餓死の恐怖は船員たちの精神をじわじわと狂わせて行く。困った事に、全員の士気を鼓舞する筈の船長がウツ状態に落ちて、自室に引きこもり、指揮系統が乱れます。気丈なフォークは、6人を選び、必要量の食料とともに、残った唯一の救命ボートに乗り込ませて、救助を求めて漕ぎ出させるプランを立てましたが、2人の船員が不意に反乱してボートを乗っ取り、逃亡を企てました。フォークは、その場に拳銃を帯びて居合わせた船長に反乱者2人の射殺を求めますが、船長は手が震えて撃てません。フォークは自分の拳銃を取りに自室に走りましたが、後の祭り、2人は食料と共に姿を消してしまいました。その同じ日に、消防手が、耳から耳まで喉を掻き切って自殺、死体は海に投げ捨てられました。船長は自室のドアに中から鍵を掛けて閉じこもり、妻と子供の名を叫び続ける有様。気が狂って海に身を投げる者が続出。ある朝、船長室のドアが開け放たれ、船長の姿も消えていました。
 船内の食べられる物すべては食べ尽くされ、フォークを含めて僅か数人の男たちが広い船内に生き残ることになったのです。その一人は黒髭を蓄えた長身の大工で、頼りになる男として、フォークは好意を寄せていたのですが、この男が、淡水ポンプの所に水を飲みに来たフォークの背後に忍び寄って、鉄棒でフォークの頭に打ちかかります。危うく身をかわしたフォークは彼の部屋に逃げ込み、拳銃を取り出して弾を装填していると、大工のほうは、フォークが鍵を掛けていた船長室のドアを鉄棒で破って中に入り、船長が残した拳銃を握って一発威嚇発射をしました。こうして、ガラ空きとなった船内で、それぞれ拳銃を手にしたフォークと大工、この二人の決闘が始まります。この「触り」の部分は英語原文で読んでみましょう。
They were the best men in the ship, and the game was with them. All the rest of the day Falk saw no one and heard no sound. At night he strained his eyes. It was dark ?? he heard a rustling noise, once, but he was certain that no one could have come near the pump. It was to the left of his deck port, and he could not have failed to see a man, for the night was clear and starry. He saw nothing; towards morning another faint noise made him suspicious. Deliberately and quietly he unlocked his door. He had not slept, and had not given way to the horror of the situation. He wanted to live.
But during the night the carpenter, without at all trying to approach the pump, had managed to creep quietly along the starboard bulwark, and unseen, had crouched down right under Falk’s deck port. When daylight came he rose up suddenly, looked in, and his arm through the round brass framed opening, fired at Falk within a foot. He missed ?? and Falk, instead of attempting to seize the arm holding the weapon, opened his door unexpectedly, and with the muzzle of his long revolver nearly touching the other’s side, shot him dead.
「his deck port」フォークの部屋。「starboard bulwark」甲板の右舷のへりに設けられた防風防波のための鋼板の壁板。「the other’s side」大工の脇腹。
 コンラッドは「And he was not selfish.」と書きます。フォークは、骸骨のように痩せ衰えた他の船員たちに君臨して、大工の死屍の肉を分け合って食べましたが、やがて南氷洋からの帰りの捕鯨船に助けられた時には、フォークの他には3人しか生き残っておらず、その3人もその後死んでしまい、結局、フォークだけが残ったのでした。
 二人の人間がかくれんぼを演じながら相手を殺そうとする ?? これは小説にも映画にも沢山ある情況設定で、最近の映画『Mr. & Mrs. Smith』の夫婦間の馬鹿馬鹿しい殺し合いゲーム もその一例です。コンラッドの『進歩の前哨基地』のカイヤールとカルリエの間でも同じゲームが演じられます。二人が拳銃を所持している点では、フォークナーの『八月の光』でパーシー・グリムに惨殺されるジョー・クリスマスのことが思い出されますが、この場合には殺人行為は一方的で、クリスマスを殺さなければ、グリムが殺されるという情況ではありませんでした。これについては次回のブログで触れることにします。
 カニバリズムの問題への誘導部分のナラティブですが、コンラッドに少し意地悪なイチャモンをつけると、『闇の奥』にも『フォーク』にも難があります。まず『フォーク』から。大工が放った船長の拳銃の一発、続いて、フォークの拳銃の一発、その後の静寂の中に、船のあちこちから、飢餓で幽霊のようになって生き残った数人の船員たちが出て来ます。この後、絶対権力者となったフォークの支配の下で、全員が大工の屍を貪り食ったわけですが、この時点から捕鯨船に救われる時までに、さらに何人かが死んだことになっています。それらの死体はどう処置されたのか?コンラッドは「Why continue the story of that ship?」と書いて逃げようとしていますが、カニバリズムが、文明人にとって、絶望的な飢餓の極限状況に追い詰められてはじめて直面する原始的「悪」の問題であるとするならば、大工の死体を分け合って食べた後に出た死者の処置をめぐってこそ、真の修羅場が出現したと考えるのが自然だからです。この点に気が付いてから、前を読み返してみると、フォークと大工の対決の前には、死体はすべて船外に投げ捨てられ、片付けられています。この問題は、次回で「ドナー・パーティー」事件というアメリカで最もよく知られている食人事件を取り上げて、改めて論じたいと思います。次に『闇の奥』。マーロウが船長を勤める蒸気船には雑用をさせる人足として雇われた人食い人種(カニバル)の黒人が数人乗り込んでいたのですが、「彼らのリーダーは、若い、胸幅の広い、獰猛な鼻の穴を持つ男で、濃いブルーで縁取りをした布で簡単に体を包み、髪は頭全体を脂っこく器用に巻き毛に結い上げていた。その男がのっそりと側にやって来たから、僕はただ仲間の挨拶として「やあ」と声をかけた。すると、彼は血走った目を見開き、鋭い歯を光らせながら、「奴らを捕まえな」と噛み付くように言った?「捕まえな、捕まえて、おいらにくれよ」「お前らに?どうする気だ?」と僕が訊くと、「食べるさ」とぶっきらぼうに答えた。それから、欄干に肘をついて寄りかかり、いかめしい顔をして、何やらえらく考え込むような様子で、じっと霧の奥に目をやっていた。ひょいと気がついたのだが、彼も、彼の子分たちも、ひどく腹ぺこだったに違いない。そう思い付かなかったら、人を捕まえて食べると聞いて、僕も度肝を抜かれただろう。」(藤永訳p108)ここで、人食い黒人たちが腹をへらしていたことは確かですが、蒸気船にはまだ十分の食糧があったでしょうし、とても極限状態の飢餓に見舞われていたのではありません。つまり、人食い黒人たちは極限状態でなくても、腹が空けば、食べ物として人間を食うという設定です。そういう物語設定をして置きながら、マーロウは野蛮な黒人たちが数において遥かに劣る白人たちを食べようとしない「自制心」にすっかり感心するわけですが、読者としての私は、このあたりに可成りの無理を感じます。
 2006年10月4日のブログ「『闇の奥』と『地獄の黙示録』」(3)でもカニバリズムのことを取り上げましたが、その後、モンテーニュの随想録の一章「人食い人種について」も再読しました。大いに参考になる意見が述べられています。それについても、また次回に。

藤永 茂 (2007年4月25日)


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『美しき船』

2007-04-18 10:13:28 | 日記・エッセイ・コラム
 コンラッドの短編小説『フォーク(Falk)』は『闇の奥』のすぐ後に出版され、その構想の時期は重なっていたと思われます。主題はカニバリズム(人肉を食べること)で、食人風習は『闇の奥』でも重要なテーマの一つです。フォークは北欧出のたくましい体格を持った大男の船乗りの名前で、物語の語り手(マーロウではない)も船乗りです。フォークはダイアナという名の船の船長ヘルマンの姪で19歳になったばかりの若い女性に恋心を抱きます。コンラッドの分身であるかもしれない語り手も、この女性に一目で心を奪われてしまいますが、それは、何よりも先ず、彼女の体つきの見事さとサイズでした。「圧倒的な魅力を誇っていたのは彼女の肉体的個性だった。彼女は機知、聡明さ、心の優しさでも群を抜いていたかも知れないが、私の知った事じゃないし、それはどうでもよい。私にとっては、彼女の体がスケールの大きな見事さに出来上がっていたことで、極り、というわけだ。出来た体という言葉がピッタリだった。言うなれば、王者にふさわしい贅沢さで形成され、立ち上げられた肉体を持っていたのだ。この一介のピチピチ娘に、これだけ無鉄砲な気前の良さで肉体的資質が与えられているのを目の当りにすれば、誰だってよろけて参ってしまうさ。若やいで、しかも、完璧に成熟しきって、何か幸運不死の人間であるかのようだった。彼女は体重も結構あっただろうが、問題にはならん。むしろ永遠の存在といった感じを付け加えただけだった。やっと19歳になったばかりというのに、あの目を奪う美しい肩!あの円やかな腕!・・・」賛辞は続きます。裳裾をさばいて前に進む力強い両脚、見事に編んだ豊かな髪、・・・、私は『フォーク』のこの辺りの女性賛美を読みながら、まず、ピカソの巨人時代のおおらかな女性像を心に浮かべ、それから、ボードレールの『悪の華』の中の名詩「美しき船 (La Beau Navire)」に想いが飛びました。村上菊一郎訳で、はじめの3節を引用します:

われ汝に語らん、おお、蠱(まじ)深きしなやかなる女よ!
汝の若さを装い飾るくさぐさの美しさを。
われ汝に描き示さん,
子供らしさと成熟との調和したる汝の美を。

その幅広き裳裾(スカート)もて風を切りつつ進みゆくとき、
汝は美しき船に似通ふ。帆を張りめぐらし、
   快く物憂く緩き韻律(リズム)につれて
揺れ動きつつ沖合に乗り出しゆく美しく船。

大いなる圓き頸(うなじ)の上に、ふくよかなる肩の上に、
汝の頭(かうべ)は不思議なる優しさを帯びてそそりたつ。
   勝ち誇らしげに悠然と
汝は道を歩みゆく、意気揚々たる子供のごとく。

・・・・

讃歌はまだまだ続きます。若いコンラッドはポーランドからフランスに移り住んで船乗りになり、また、フランス文学に親しみます。意中の女性を美しい船に見立てたボードレールのこの詩に目を引かれたことは、ほぼ間違いありますまい。ボードレールは大変なベルギー嫌いだったようですが、コンラッドはその影響も受けて自分のコンゴ経験を小説にしたのだったかもしれません。『フォーク』の女性は美しい肌とあくまで青い瞳を持った白人ですが、ボードレールの「美しき船」で讃えられているのは彼の黒人情人ジャンヌ・デュヴァルです。ここから、私の空想は、さらに、クルツの黒人情人サラへと移ります。コンラッド描くところのサラのゴージャスさと、ジャンヌ・デュヴァル、フォークの恋人の女性美には相通じるものがあるような気がするのです。
 さて、『フォーク』の主題であるカニバリズムですが、これはコンラッドの大きな関心事であり、簡単に論じるのは不謹慎というものでありましょう。ただ、このカニバリズムという概念には植民地主義と強くからんで面がありますので、次回には、船乗りフォークがどのようにして食人行為に及ぶかを少し辿り、この問題の一端を考えてみたいと思います。

藤永 茂 (2007年4月18日)


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『闇の奥』の女

2007-04-11 11:23:02 | 日記・エッセイ・コラム
 コンラッドの『闇の奥』には4人の白人女性と2人の黒人女性が出てきますが、一人として名前は付けて貰っていません。その中で、クルツのコンゴでの情人(現地妻)とベルギーの首都ブリュッセルでクルツの帰りを空しく待っていた婚約者(Intended, いつも大文字で始まる変な単語)の二人が重要人物です。
 2002年にポーランドで編集され、コロンビア大学出版から出された『CONRAD IN AFRICA:NEW ESSAYS ON “HEART OF DARKNESS”』という論文集があり、その第5部はCODA(結び)となっていて、その内容は、南アフリカのケープタウン大学のGeoffrey Harensnape という人の筆になる、一種のパロディというか、『闇の奥』をネタにした一つの戯文です。コンラッドの『闇の奥』がロンドンで出版されて間もない頃、一人のベルギー人男性が、コンゴ河上流のスタンレービルで、かつてのクルツの黒人情人と会って、クルツのこと、マーロウのこと、コンラッドのことなどに就いて、話を交わすというストーリーです。彼女の名前はサラ・モソンゴウィンド、彼女とクルツの間には息子が出来ていて、その名はルディンゴ。ベルギー人男性はたまたまコンラッドの『闇の奥』一冊を所持していて、それをサラに貸してベルギーに帰国します。小説を読んだサラはこの男性宛に彼女の読後感を綴った長い手紙を送ります。これが戯文の主な中身です。
 このコーダの内容についてはまた後で触れることにして、まずは、コンラッドの『闇の奥』でこの黒人女性サラがどのように描かれているかを見てみます。
「夕日に照らされた河の岸に沿って、野生に溢れた、華麗なまぼろしのような女が一人、右から左へと身を運んでいた。女は、縁飾りのついた縞柄の布をゆったりと身にまとい、しっかりした律動的な足取りで、誇りかに歩いていたのだ。粗野奔放な装身具がキラキラ光り、チリンチリンと鳴るのが微かに聞こえて来た。彼女は昂然と高く頭を掲げ、髪はヘルメットのような形に結い上げていた。膝まで真鍮のすね当てをして、肘まで真鍮線で出来た小手をはめ、黄褐色の頬には深紅の丸をつけ、ガラスのビーズのネックレスを何本も重ねて首に掛けている。体の回りにさげている、チャームや、呪術師からの贈り物などの奇怪な品々が、一歩ごとに揺れ動いてキラキラ輝いた。おそらく象牙何本分かの値打ちのものを身につけていたに違いない。彼女は野生に溢れて、しかも豪華、目は怒りに燃えて、しかも昂然、その落ち着き払った歩きぶりは、どことなく不吉でありながら、しかも荘厳そのものだった。そして、悲嘆にみちた辺り全体を突然すっぽりと包んだ静けさの中で、荒漠たる大自然、豊饒にして神秘的な生命の巨大な母体が、思いに沈みながら、この岸辺の女を見つめているかのように思われた。?まるで、それ自身の暗い情熱的な魂の申し子を凝視しているかのように。」(藤永訳p159)
 サラの描写はこの先も続きますが、読んで行くと、蠱惑にみちた大柄のゴージャスな女性のイメージがコンラッドの筆から立ち上がって来ます。一方、これと全く対照的なイメージが喪服をまとうクルツの婚約者には与えられます。マーロウは彼女を「水晶の絶壁のように純粋で清澄な魂」(藤永訳p185)と呼び、「美しい金髪、青白い顔面、清純な眉、その全体が蒼白な光輪に囲まれ、その中から黒み勝ちの瞳が僕を見ていた。その瞳はあどけなく誠実でしかも深遠、自らを恃みながらも信頼感に溢れていた。彼女は、まるでその悲しみを誇るかのように、あの人にふさわしい哀悼を捧げるすべを知っているのは私だけ?私だけですわ、とでも言いたげに、その悲しみに満ちた顔をもたげていた。しかし、われわれがまだ握手している間にも、見るに忍びないような悲しい寂寥の表情が彼女の顔にあらわれて来るのを見て、僕は、彼女が、「時」の慰みものにされない人間たちの中の一人であることを見て取ったのだった。彼女にとって、彼の死は、「時」を超えて、ほんの昨日のことだったのだ。」(藤永訳p194)と描写されています。もうクルツとは永久に逢えないという悲しみに打ちひしがれて、「彼女は、まるで遠ざかって行く人影を追うかのように両腕を差し出した。喪服の袖も黒々と、血の気のない指を握り合わせた両の腕を、狭い高窓の消え行く輝きを横切って差し伸べながら。永久に逢えないだって!僕には現にはっきりと彼がそこに見えていたのだ。僕は、生きている限り、この雄弁な幽霊を見ることだろうし、また、この女性も?痛ましい、どこか見覚えのあるこの「生霊」も、そうだ、これにそっくりの身振りで、効き目のないお護りでからだ中を飾って、あの地獄の河、闇黒の河面のきらめきの上に褐色のあらわな両腕を差し伸べていた、もう一人の悲しみの女も、僕は幻視し続けることだろう。」(藤永訳p200)。
 ここでマーロウは白人、黒人、二人の女性にクルツを求めて虚空に両のかいなを差し伸べる仕草を取らせます。『闇の奥』が出版された頃、このクルツの婚約者の清楚で美しい健気な貞淑さが、英国の一般読者の間で英国女性の鑑として人気を博したと、何処かで読んだことがあります。ところが、コンラッドは『闇の奥』でアフリカ黒人を人間以下のものとして扱ったと、1975年、アチェベが発言した後では、「いや、そんなことはない。クルツの黒い情人と白い婚約者の描写を較べてみよ。蒼白で血の気の薄い白人女性像にくらべて、黒人女性のほうが生命に溢れた遥かに魅力的な存在として描かれているではないか」などと言って、コンラッドの弁護に回った英文学者もいます。その気になれば、どうとでも言いくるめることが可能のようです。
 その黒人女性の描写の中で、「彼女は昂然と高く頭を掲げ、髪はヘルメットのような形に結い上げていた(She carried her head high; her hair was done in the shape of a helmet)。」とある、このヘルメットの形をした髪型というのが、訳していて、どうもピンと来なかったのですが、コンラッドのコンゴ--つまりレオポルドのコンゴ--をより良く知るために訪れた、ブリュッセル郊外のテルビューレンにある王立中央アフリカ博物館で、一枚の写真に出会って、納得することが出来ました。(この博物館については藤永訳『闇の奥』の279頁にも書きました。)館内の展示室の一つに、コンゴの黒人たちが昔作っていたと思われる編んだ籠や楽器などの民芸品的なものが展示されていて、その古い写真の一枚の中に、のびのびとした大柄の肢体を持つ美形の黒人女性の姿がありました。その髪型は、その昔、日本で二百三高地などとも呼ばれた庇(ひさし)髪に似ていて、マーロウが「ヘルメットの形」と言ったのはこれだな、と合点がゆきました。コンラッドも、おそらく、こうした豊かな髪型の黒人女性をコンゴで見かけたものと思われます。
 ところで、コンラッド自身の好みの女性のタイプはどんなものだったのでしょうか?私は今まで気を入れてこの点についての文献を漁ったことがなく、コンラッドの作品も僅かしか読んでいませんから、その解答の見当はつきませんが、ひどく青ざめたなよなよ美人よりも、生き生きとした豊かな体格の女性に心を惹かれたのではなかったかと推測します。まさにそうしたタイプの女性が彼の『フォーク(Falk)』という作品に出て来ますが、それについては次回にお話しすることにして、今は冒頭に紹介した戯文に戻ります。
 この作品の中で、作者は、クルツの現地妻であった黒人女性サラが自分の言語であるキコンゴ語の他にフランス語は何とか理解し喋れたこと、クルツはそのサラに、フランス語を手掛かりにして、英語も少し手ほどきしたこと、そのお蔭で、サラは英/仏辞典を片手に大いに苦労しながらも、『闇の奥』を通読できたことにしています。そうしないとこの戯作の話が成立たないわけですが、ここの所は、私がこのブログを始めた頃に、諸先生の向こうを張って、盲人蛇に怖じずで、主張したことにつながります。つまり、この戯文の作者も、私と同じ立場を取って、『闇の奥』に出てくる黒人たちが一応理解し、使用していたのは、ブロークン・イングリッシュではなくて、ブロークン・フレンチであったとしています。また、ベルギーの交易会社に雇われた白人たちの使用語もフランス語であったという立場です。したがって、クルツの「The horror! the horror!」という叫びも、黒人ボーイの「Mistah Kurtz ? he dead」も、人食い黒人が口にした「Catch 'im. Give 'im to us」もすべて片言のフランス語で発せられたと考えるのが自然だということになります。詳しくは初期のブログ「エリオットもアチェベも勘違いした(1)」と「エリオットもアチェベも勘違いした(2)」を参照して下さい。お断りするまでもありませんが、エリオットやアチェベの足を引っ張ってやったと愚かな自慢をしているのではありません。文学作品の over-interpretation ということに少しばかり異議を唱えたかっただけです。

藤永 茂 (2007年4月11日)


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傘寿を迎えたハリー・ベラフォンテ

2007-04-04 09:50:25 | 日記・エッセイ・コラム
 2007年3月3日ニューヨーク市の立派な公共図書館のお隣のレストランでアメリカの黒人歌手ハリー・ベラフォンテ(1927年3月1日生れ)の80歳の誕生日のお祝いパーティーがあったことが、Alternet というウェブサイトに出ていました。キューバのフィデル・カストロの誕生日が1926年8月13日、私の誕生日は1926年5月23日、と言ってみたところで余り意味がありませんが、ベラフォンテもカストロも私とほぼ同い年、共々に傘寿を迎えたと思ってみると、何とはなしに不思議な親しみがわいてきます。世界の異なる地点からとは言え、同じ世界を見つめながら今まで生きてきた点では共通なのですから。
 カストロは20世紀に生まれた最も偉大な歴史的人物の一人として名を残すことは間違いないと私は考えます。ベラフォンテがポール・ロブソンと同じような意味で歴史に名を残すかどうか、こちらはまだハッキリしませんが、私としては、そうなってほしいと思っています。1959年から2年間、私はシカゴ大学の物理教室に研究者として滞在しましたが、グレン・グールドの「ゴールドベルグ」に並んでベラフォンテの歌にもすっかり惚れ込んでしまった楽しい思い出があります。その頃買ったベラフォンテのLP レコードのジャケットと同じデザインのCD が今も出ています。
 コンラッドの『闇の奥』に、底に穴のあいたバケツで水を汲んで消火に励む男の話が出てきます。
「ああ、何と言うあの数ヶ月!いや、もう気にすまい。いろんなことがあったよ。ある晩には、キャラコ、更紗、ビーズ、その他いろいろの商品がいっぱい入れてあった草葺きの納屋が、突然、焔を吹いて燃え上がり、あっという間に、まるで、大地が割れて復讐の焔が吹き出し、あのガラクタ一切を焼き尽くしてしまったかのようだった。僕はと言えば、解体された僕の蒸気船のそばに立って、静かにパイプをくゆらしながら、みんなが火炎に照らされて、両手を振りかざして飛び回っているのを見物していた。と、突然、例の髭をたくわえた頑丈そうな男が、ブリキのバケツを手にして河の方に勢いよく駆け下りてきたが、僕に向かって、誰も彼も「よくやっているよ、立派にやっている」と言ったかと思うと、水をひと掬いして、また駆け上がって行った。見ると、バケツの底には穴が一つ開いていた。」(藤永訳p64)
ここを読んだ時、私はすぐにベラフォンテの愉快な掛け合いソング「Hole in the Bucket」を思い出しました。コンラッドの穴あきバケツのエピソードの陰惨な意味合いと対照的な明るい歌です。根っからの怠け者で何もしようとしないダメな夫に、「水を汲んで来な、ヘンリー」と妻は命じますが、ヘンリーはバケツに穴があるのをよいことにして、何とか言い逃れようとします。相手役はこれまた素晴らしいオデッタだったと思います。いい歌です。ベラフォンテの歌で最も良く知られているのは「Banana Boat Song」でしょう。カリプソは西インド諸島トリニダード島が生んだリズムのきいた民族音楽です。ベラフォンテはニューヨークのハーレム生れの黒人ですが、「カリプソの王」と呼ばれるようになり,聴いていて、如何にもカリブ海出身の男が歌っているように思ってしまいます。
 ベラフォンテは黒人の人権闘争運動の歴史に早くから深く勇敢に関わり、その運動の生き字引のような存在で、彼の80歳の誕生日のお祝いがニューヨーク市の誇る図書館の隣で行われたのは彼にふさわしいことだったといわれています。1944年ベラフォンテが米国海軍水兵として出航する直前、ニューヨークの有名なナイトクラブ「コパカバーナ」は黒人歌手ベラフォンテの出演を拒否しますが、その10年後、彼は堂々と出演を果たします。彼はポール・ロブソンの知遇を得、また、米国政府が入獄中のテロリストと看做していた頃のネルソン・マンデラを南アフリカの監獄に訪れました。
 1965年、マーチン・ルーサー・キング牧師はベトナム戦争に反対して、アメリカ合衆国を「世界で一番でっかい暴力の仕出し屋(the largest purveyor of violence)だ」と呼び、若者たちに兵役忌避を勧めました。そのキング牧師とベラフォンテは非常に近い間柄だったようです。ベラフォンテもベトナム反戦の運動に参加しましたが、イラク戦争についても、早くから、ブッシュ大統領を名指しで非難し、「これはテロ行為だ」と極め付け、ベネゼラのチャベス大統領を訪問した際には、ブッシュ大統領を「世界最大のテロリスト」と呼びました。それに加えて、米国政府の国務長官の地位を極め、黒人の能力と、能力のある人材に対する米国の開放性の輝かしい証しとしてのコリン・パウエルとコンディ・ライスの両人に、ベラフォンテは「house niggers」という意地の悪い呼び方を献上しました。ここまで遠慮なくやられては、アメリカの娯楽産業資本も黙ってはいられません。歌手としてのベラフォンテは,昨今、干された状態にあるそうです。年齢の問題だけではないようです。
  ところが、ベラフォンテのバースデー・パーティーに、招待状なしで前大統領クリントンが現われました。時代の米国大統領を目指す奥さんのヒラリー・クリントンに強力な黒人の競争者が出現しました。ケニヤ出身の父親と白人の母を持つ Barack Obama。ビル・クリントンは、その対抗馬を意識して、奥さんのために、側面から援護射撃をする目的で、つまり黒人票を少しでもかき集めるために、ベラフォンテのお祝いに乗り込んできたのでした。政治とは、変な、妙に汚いものですね。もしかしたら、次代の米国大統領は“黒人”オバマかもしれません。しかし、このオバマも、ベラフォンテの目には、もう既に、本物の黒人とは映っていないかも知れません。カナダの先住民(インディアン)の皮膚の色は昔から「赤い」ことになっています。彼らの仲間内の軽蔑語として「あいつはリンゴだ」というのがあります。白人社会に同化してしまったインディアンをそう呼ぶのです。皮をむけば中身は白い、というわけです。確かに人間は本当の中身で決まってしまいます。
 ところで、カストロのほうはどうでしょう。2006年7月、腸内出血のため大手術を受け、政権を弟のラウルに譲り、療養生活を続けています。アメリカやスペインでカストロは今や死の床にあると頻りに伝えられましたが、それは“希望的観測”に過ぎませんでした。2007年2月末、ベネゼラのラヂオ局のトークショーで、カストロはベネゼラの大統領チャベスと30分間もお喋りをして、その中でカストロは「私は再び学生になって勉強している」と話しています。私はスペインの大画家ゴヤの80歳の時の言葉「Aun aprendo」、英訳すると「I am still learning」、を思い出さずにはおれません。私も今80歳、自分が、空に澄み渡る月ではなく、泥まみれの老スッポンであることはよく弁えていますが、それでも、この大好きな言葉に励まされます。つい最近、カストロは、ブッシュ大統領の「植物から自動車燃料を」という提案に真っ向から反対する声明を発しています。これも病床で学生に戻って学んだ知識に基づいた重要発言だと思われます。トウモロコシやサトウキビから巨大な量の燃料を製造するようになれば、食料生産のための農業が地球規模で攪乱され、結果的に飢饉が起き、30億人以上の貧民が餓死するだろうと、カストロは言います。カストロの論理を辿ってみると、なかなか説得力があります。私たちも大いに勉強しなければなりますまい。

藤永 茂 (2007年4月4日)


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