私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

フランツ・ファノン

2017-05-31 22:01:56 | 日記・エッセイ・コラム
 ある英語の論考を読んでいたら、米国についてのフランツ・ファノンの発言に出会いました。『地に呪われたる者』の中の言葉ですから、読んだはずですが、訳書(鈴木道彦、浦野衣子訳)が手元にありませんので目についた英語訳を引用します:
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Two centuries ago, a former European colony decided to catch up with Europe. It succeeded so well that the United States of America became a monster, in which the taints, the sickness and the inhumanity of Europe have grown to appalling dimensions.
— Frantz Fanon, The Wretched of the Earth, pg. 253-4, 1963
「2世紀前、以前のヨーロッパの植民地の一つがヨーロッパに追いつくことに決めた。それがあまりにもうまく成功したのでアメリカ合州國は一つのモンスターになった。そこでは、ヨーロッパの病菌と疾病と非人間性が凄まじい次元にまで膨れ上がってしまった。」
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フランツ・ファノンはこの文章を1960年の時点で書きしるしたに違いありません。彼には、今私が見ているアメリカがもう見えていたのです。フランツ・ファノンは1925年7月20日生まれ、1961年12月6日、米国の病院で白血病のため死亡(満36歳余)。私の生まれは1926年5月23日、1961年にはシカゴ大学にいました。アメリカ生活の豊かさと自由を礼賛しながら。ファノンと私、何という違いでしょう! What a fool I was!

藤永茂(2017年5月31日)

ベネズエラのコミューン運動(2)

2017-05-24 21:30:53 | 日記
 ベネズエラの現大統領ニコラス・マドゥロは、彼を後継者として指名したウゴ・チャベス前大統領の遺志を忠実に継承していますが、政治家としての器が遠くチャベスに及ばないのは誠に残念です。チャベスは、その生前の発言から、ベネズエラの民主主義政治形態として、コミューン・システムに基づいた民主国家の建設を目指していたことは明らかです。それは石油の輸出に全面的に依存した国家経済の是正とも深く関連していました。これに関しては、次の記事が参考になります:

https://venezuelanalysis.com/analysis/11466

しかし、現在のベネズエラの憲法には、コミューンの位置が規定されていません。マドゥロ大統領は現在の国家危機を克服する手段として憲法の改正を求めていますが、コミューン運動の支持者たちはコミューン・システムが組み込まれた憲法の改正を要求し期待しています。それを報じたのが
「Venezuelan Revolutionaries Demand ‘Truly Communal State‘」と題する
前回に紹介した記事です:

https://venezuelanalysis.com/news/13123

しかし、現在のベネズエラの危機はあまりにも切迫していて、マドゥロ大統領の意図する憲法改正が成功するかどうか、大いに危惧されるところです。ブラジルに続いて、ベネズエラも米国によるレジーム・チェンジの毒牙にかかるとなれば、これは痛恨の事態と言わなければなりません。
 私は、しかし、すれすれの所でベネズエラは今回の危機を乗り越えることができるのではないかと思っています。この判断あるいは推測の根拠の一つは、上掲の記事に含まれている約5分の長さのビデオ(英語字幕付き)から直に感じられる、米国に支持された反政府運動に対抗するベネズエラの下層一般民衆の熱気です。この熱気は我々一般の日本人の耳目を支配しているマスメディアからは感得し難いものですが、幸いにも、それをひしひしと感じさせてくれるウェブサイトがあります。Libya360°というサイトで、それを主宰しているのはアレクサンドラ・バリエンテというリビア人の女性ジャーナリストです。この人については以前(2014年12月19日)のブログで取り上げたことがありました。初めの部分を再録します:
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Alexandra Valiente, Libya 360
2014-12-10 22:10:32 | 日記・エッセイ・コラム
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 アフリカ大陸で一番輝いていた国リビアが米欧の凶暴な暴力によって滅ぼされた(今のリビアはもはや国ではありません)頃から、私は、Libya360°というサイトに気づき、それ以来、大変お世話になっています。他のところでは読めないような充実した有用な情報がしばしば掲載されているからです。

http://libya360.wordpress.com

近頃の例で言えば、12月4日のウラジーミル・プーチン大統領がロシア連邦議会で千人以上の聴衆の前で行った年次教書演説についての記事です。その短い要約はロシアNOWというサイトに日本語で出ていますが、要約と全文(英語訳)では、有用さの点で比較になりません。

http://jp.rbth.com/politics/2014/12/05/51345.html

この内容はクレムリンの正式の英訳文を転載したものです。:

http://eng.news.kremlin.ru/news/23341
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このアレクサンドラ・バリエンテという注目すべきリビア人の女性ジャーナリストについては、リビアの現状について考える次の機会にぜひもっと立ち入って論じたいと思っています。
 現在、http://libya360.wordpress.com のサイトはベネズエラに関する長文の記事で溢れています。その中から二つを選んで下に掲げます。始めの記事からは、チャベスが始めた社会革命を守ろうとする民衆の本当の姿が見えてきます。次の記事からは、民衆が守ろうとしているものを徹底的に破壊しようとする暴力の本当の姿、現政権を打倒するために極めて注意深く組織化された反政府暴徒の実相が見えてきます:

https://libya360.wordpress.com/2017/05/11/real-revolution-in-the-barrios-of-venezuela/

https://libya360.wordpress.com/2017/05/16/venezuela-the-covert-war-against-the-people-and-their-armed-forces/

5月17日、米国の国連大使ニッキー・ヘイリーは国連安全保障理事会で、“ベネズエラの進行している政治的危機状態についてのブリーフィング”なるものを行いました。彼女は「このブリーフィングの意図は誰もがその状況をわきまえているようにすることであり、国連安全保障理事会が行動を起こすことを求めるものではない」と言いながら、ベネズエラのマドゥロ政権が自国人民の人権を蹂躙する暴政を行なっていて、これは、シリア、北朝鮮、南スーダン、ブルンディ、ビルマについても同じことだと発言しました。しかも、米国がマドゥロ政権の打倒を執拗にねらっているのは明らかなのに、「我々は反政府勢力側の味方でも、マドゥロ大統領側の味方でもなく、ベネズエラ国民の味方だ(We're not for the opposition, we're not for President Maduro, we're for the Venezuelan people)」と白を切りました。米国国務省は、この数年間に、数千万アメリカドルの資金を反政府勢力側に与えてチャベス・マドゥロ路線の壊滅を狙っているのは疑う余地のないところです。
 前任者のスーザン・ライス、サマンサ・パワーに続いて、何ともやりきれない碌でなしの女性が米国国連大使になったものです。

藤永茂(2017年5月24日)

ベネズエラのコミューン運動(1)

2017-05-17 22:08:01 | 日記・エッセイ・コラム
 ベネズエラが大変なことになっています。今、米国が政権変換に最も力を入れているのはベネズエラのマドゥロ政権の打倒でしょう。「ベネズエラ」とグーグル検索してみてご覧なさい。明日にもベネズエラという国家が崩壊しそうです。ニューズウィーク日本版の記事を少し引用します:

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/05/post-5123.php

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 原油の確認埋蔵量で世界一を誇るベネズエラの経済が、長年の社会主義政権のつけで崩壊寸前の危機にある。「経済的崩壊」が現実味を帯びてきたと言っていい。以下に、ベネズエラの状況を伝えた各メディアのレポートを紹介する。
1. ベネズエラ経済は、風が吹かれるクレーンのようなものだ。いつ倒れてもおかしくない。原因はただ一つ、同国の徹底した社会主義体制だ。米大統領選の自称社会主義者、バーニー・サンダースと彼の支持者が、なぜ身近にある社会主義の末路を気にも留めていないのか不可解だ。
[参考記事]南米の石油大国ベネズエラから国民が大脱走
 信じられないことだが、原油の埋蔵量で世界一のベネズエラが、今や原油を輸入している。ノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマンはかつて「もし社会主義政権にサハラ砂漠を管理させたら、すぐに砂が足りなくなる」と語ったが、ベネズエラの状況はその説明にぴったり当てはまる。
 社会主義政権の下、食料やトイレットペーパー、紙おむつ、薬などのあらゆる必需品の不足も深刻を極めている。すべて政府による計画経済や通貨統制、物価急騰が原因だ。
 IMF(国際通貨基金)によると、社会主義体制下の18年間に政府が浪費を続けたおかげで、ベネズエラのインフレ率は720%に達する。凶悪犯罪の発生率も世界最悪で、メキシコのNGOが発表した「世界で最も危険な都市ランキング」では首都カラカスがワースト1位になった。(2016年2月5日付「インベスターズ・ビジネス・デイリー」)
『肩をすくめるアトラス』の世界
2. 「飢えをしのぐために犬や猫、鳩狩りをする国民:ベネズエラでは経済危機と食料不足で略奪や動物狩りが横行」。(2016年5月4日付「パンナム・ポスト」見出し)
3. ニコラス・マドゥロ大統領が、操業を停止した工場の差し押さえや経営者の逮捕など、政府による取締りの強化を表明。(計画経済に移行したアメリカが衰退していく模様を描いた)アイン・ランドの小説『肩をすくめるアトラス』が現実に。(2016年5月15日付BBCニュース)
[参考記事]政府が商品を差し押さえて勝手に安売りの強引経済政策

4. 「瀕死の乳児にも投与する薬なし:機能不全に陥ったベネズエラの病院」
 ベネズエラでは経済危機の影響で命を落とす人が後を絶たない。とりわけ医療が危機的状況にある。ニコラス・マドゥロ大統領はついに経済緊急事態を発令し、国家崩壊の懸念もささやかれ始めた。
 医療現場は経済危機の影響をもろに受けている。治療に必要な手袋や石鹸がなくなる病院も出てきた。がん治療薬は闇市場でしか手に入らなくなってきている。電力不足も深刻で、政府は節電目的で公務員の出勤を週2日に制限した。(5月15日付「ニューヨークタイムズ」日曜版)
次のページ 社会主義とは血だまりで治療を待つこと
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これに続く2ページの論説を読んでご覧になるのも一興かと思います。
 今回、「ベネズエラ」とグーグル検索してみて分かったことですが、検索結果の第1ページから第10ページまで、マドゥロ大統領とその社会主義的政策を罵る記事ばかりで、それ以外の内容のものとして初めて出会ったのは第11ページ目の次の『ちきゅう座』というサイトでした:

http://chikyuza.net/about

http://www.labornetjp.org/news/2017/1494985804881staff01

 幸いに、ネット上には、ベネズエラについて、もっとバランスのとれた報道や論説も多数見つかります。https://venezuelanalysis.com がその一つです。次の『Venezuelan Revolutionaries Demand ‘Truly Communal State』と題する記事をぜひ覗いてみて下さい。ベネズエラのコミューン運動の最近の動きが分かります。ビデオもあります。

https://venezuelanalysis.com/news/13123

現在、人口3100万のベネズエラに、約4600の生活共同体協議会(communal councils)と約1600のコミューン(communes) があります。communal council というのは、ある地域社会の生活上の必要事項を、行政からの指図ではなく、住民たちが相談し、対処するための協議会であり、こうした協議会を持つグループがいくつか集まって、より大きな生活共同体が出来ると、一つのコミューンが成立します。このコミューン運動に参加している人々の数はおそらく総人口の1割ほどでしょうが、私には、この運動の盛り上がりは、ベネズエラの政局の将来を左右する力を秘めているように思われてなりません。

藤永茂(2017年5月17日)

ミシシッピー州ジャクソン市で希望の灯が点った

2017-05-11 14:01:31 | 日記
 我々がこのまま行けば、核戦争か環境破壊による滅亡が待つばかりです。閉塞感などという生ぬるいものではなく、底なしの虚無感が死期の迫った老人を包み込みます。限りを知らぬ人間の残忍さと愚かしさ。
 シリア北部のクルド人居住地で産声をあげた「ロジャバ革命」に私が強く執着する理由は、せめても「この世界とは別の世界が可能である」と信じて死んで行きたいからです。
 米国のミシシッピー州の州都で最大の都市ジャクソンで来たる6月6日に行われる選挙で、34歳の黒人弁護士ショウクウェイ・アンタール・ルムンバが市長に選ばれることが確実視されることになりました。この若い黒人男性の父親ショウクウェイ・ルムンバについては、このブログの2015年11月8日付の記事『トーマス・マートン、ショウクウェイ・ルムンバ、暗殺大国アメリカ』で、トーマス・マートンを論じた後に、次のように書いています:
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 もう一つ、日本人の意識に刻まれていない名を挙げます。ショウクウェイ・ルムンバの元の名はEdwin Finley Taliaferro で、1968年マーチン・ルーサー・キングが暗殺されたのを機に、アフリカから連れてこられた奴隷の後裔としての自覚を深め、名前をChokwe Lumumbaと改めました。英語ウィキペディアによると、ショウクウェイは奴隷にされることに反抗した歴史を持つ中央アフリカの部族の名、ルムンバは1961年暗殺されたコンゴ指導者パトリス・ルムンバから取ってあります。ルムンバの暗殺についてはこのブログでも書いたことがありました。ショウクウェイ・ルムンバは黒人人権運動に精力的に従事し、また弁護士としても名を上げて、2013年6月4日、86%の得票率でミシシッピー州の首都ジャクソンの市長に当選し、7月1日、市長に就任しました。ジャクソン市の人口の約80%は黒人です。ルムンバ市長は、直ちに市の荒廃した下水道や舗装道路の修復などに着手しましたが、翌2014年2月25日、病院で死亡、66歳でした。彼の死は自然死だったと病院は発表しましたが、司法による検死は行われないままです。
 私がショウクウェイ・ルムンバの死に問題があることを知ったのは、私が信頼するグレン・フォードの記事からです。

http://www.blackagendareport.com/content/how-and-why-did-chokwe-lumumba-die

「ショウクウェイ・ルムンバは、“根底から立ち上げる社会変革”のプロセスを出発させるために、ミシシッピー州、ジャクソン市の市長に立候補した。彼は市長になって9ヶ月で亡くなったが、州当局は司法検死を行うことを拒絶した。多数の人々が、彼は支配秩序に挑戦したために暗殺されたのでは、と疑っている - これは当然のことだ、何故なら、“ミシシッピー州はこれより遥かに軽い理由で何千もの黒人を殺してきたのだから。”(Chokwe Lumumba ran for mayor of Jackson, Mississippi in order to set in motion a process of “social transformation from the ground up.” He died eight months into his term, but the state refused to do an autopsy. Lots of folks suspect he was assassinated for challenging the ruling order – which is logical, since “Mississippi has murdered thousands of Black people for far less reason than that.” )」
ここで、“from the ground up”という表現に注意しましょう。普通は「徹底的に始めから」とか「一から」という具合の表現ですが、この場合には、ショウクウェイ・ルムンバの意図していた社会改革が、文字通りの社会の底辺レベルの生活共同体(コミュニティ)から民主的施政のメカニズムを組み上げて行くことであったことを意味していると思います。彼が市長になれたのは、市の黒人人口が80%を超えていたからですが、今のアメリカの政治システムでは、それから先には進めないことを彼は市長になる前から痛感していたに違いありません。穏健な黒人雑誌「エボニイ」の記事にも、彼が協同組合的な経済、参加型民主主義、社会的平等を目標に掲げていたことを指摘しています。
 私は、ここに、近頃、私が考え続けている事との繋がりを見てしまいます。キューバの人たち、シリア/トルコ/イラクのクルド人たち、メキシコのサパティスタの人たちが実現を目指している政治形態と同じだと思うのです。はっきり言ってしまえば、ごく常識的な意味で、本当に民主的な社会を底辺から築き上げて、本当の意味での連邦組織に世界を変えて行くということです。(昔、世界連邦という、今は、虚しい言葉がありました。)私は、このアイディアを素晴らしいものと考え、その実現に大きな期待を寄せています。人類を現在の危機から救ってくれるほぼ唯一のアイディアでしょう。
 しかし、このショウクウェイ・ルムンバという厄介者に対する暗殺大国アメリカの反応は直裁でした。(私はルムンバが暗殺されたことをほぼ信じます。)この米国という暗殺大国のシンボルは、勿論、世界の大空を我が物顔に飛翔するドローン殺人鬼(文字化けでこう出ました。このままにしておきます)です。
 私は、かれこれもう20年ほども前から、一つの空想を抱き続けています。小型ロボットの形での暗殺テクノロジーが、反権力側の人々の手に届けられる日の到来です。殺したい人物を殺すテクノロジーを権力側は既に保有しています。今、逆境に苦しみながら反権力の立場を守り通し、戦い続けている人たちが、極めて確実性の高い暗殺のハイテクを入手したにしても、無闇に暗殺が実行されるとは、私は思いません。それは真の反権力の立場と反りが合わないからです。彼らは権力の取り合いの戦いをしているのではありません。権力の保持拡大のためには個人の暗殺、大量虐殺の実行を躊躇しないような権力システムを消滅させるために戦っているのですから。
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 米国の権力組織から厄介者と見做されて、(おそらく)暗殺された父親の政策を、息子のショウクウェイ・アンタール・ルムンバは継承するでしょうか? 
息子アンタールの選挙戦スローガンは「私が市長になれば、あなたが市長になる(When I become mayor, you become mayor)」でした。これは一般市民の本格的な参加型民主主義政治形態を目指していることを示しています。ジャクソン市の地域経済を振興し、雇用を作り出す方途として、土地の人々の自主的能力と財政力を基礎にするか、地域外の大企業に頼って、その免税や公共事業の私有化の要求に応じるかの選択がありますが、新市長は父親が選んだと同じ道を進もうとするに違いありません。それを中央の権力組織がどこまで許すか、私は固唾を呑んで見守ることになりましょう。これは単なる米国の一地方の局所的な政治問題ではありません。本質的には、シリアの「ロジャバ革命」につながり、メキシコの「サパティスタ革命」につながる問題です。

藤永茂(2017年5月11日)

クリントン夫妻も『オペ・おかめ』のキル・リストに

2017-05-02 18:36:39 | 日記・エッセイ・コラム
 去る3月20日、ハイチの前大統領ジャン=ベルトラン・アリスティドは、裁判所に証人として出廷した後の帰路に、2人組の武装警官から狙撃されましたが幸いにも暗殺を免れました。犯人は逮捕されませんでしたが、現場の民衆はたちまち反警察暴動を起こしたようです。アリスティドという人物には私は強い関心を持っていて、これまでも何度か取り上げました。興味をお持ちでしたら、<付録>の2010年3月10日付の記事『ハイチは我々にとって何か?(4)』を読んでみてください。クリントン夫妻が現在のハイチの事実上の支配者であることは、上の記事の続きの(5)と(6)を読めば凡そわかっていただけます。
 クリントン夫妻は悪魔のカップルです。話を面白くするための修辞ではありません。彼らの今までの所業の数々を思うと、悪魔の所業でなくて何であろうと心の底まで凍てつく感じが迫ってきます。
 昨年11月の米国大統領選挙では、世界のマスコミがヒラリー・クリントンの勝利を予想していましたが、外れました。その理由の一つは、「クリントン財団」という巨大な“慈善”組織が実際には大統領選挙の費用を含めたクリントン家の私的資金源であったという事実を、トランプ側が大々的に暴露し、宣伝したことにあります。この「クリントン財団」は、我々普通の人間にとって、誠に信じがたいスキャンダルでした。過去形で言うのは、今年1月初め、この財団は静かに自らを閉鎖してしまったからです。ネット上に十分の量の情報がありますので読んでみてください。
 ヒラリー・クリントンが大統領になった暁には、タンマリご利益に与れると計算して巨額の“慈善”献金をした諸国、諸団体、諸個人は自業自得です。しかし、ハイチ大地震の被災者を思って浄財をクリントン財団に投じた人々の善意はどうすればよいのか。クリントンはハイチ救済をうたって集めた浄財の、おそらく、10%ほどを劣悪で使用に耐えなかった建築資材などの購入に使用しただけでした。あとは自分の懐に納めたのです。しかも、上に指摘したように、クリントン夫妻は、自分たちが意のままに操れる傀儡政権(現地支配層)を握り、事実上ハイチという米国植民地の宗主として、観光地や産業パークの開発(低賃金労働の利用)などを通じて巨額の個人的な富をハイチから吸い上げています。
 今年の2月7日、モイーズという人物がハイチの大統領に就任しましたが、これはお話にもならない不正選挙の結果で、ビル・クリントンが据えた前大統領マーテリーの手飼いの子分です。一般大衆に圧倒的人気のある政党ファンミ・ラバラスの支持者たちは、つまり、ハイチの一般庶民は、この不正選挙を「選挙クーデター」と呼んでいます。もし正常に選挙が行われていたならば、ファンミ・ラバラス党のマリーゼ・ナルシセという女性がハイチの新大統領に確実になっていた筈でした。3月10日の二人の警官による狙撃の標的になったのはアリスティド前大統領とこの女性新大統領となるべきであったナルシセの二人でした。
 『クリントン夫妻の友人47人が不可解な死を遂げていた! 自殺から飛行機事故、銃撃まで…!』と題する2016年6月8日付の日本語記事があります。

http://tocana.jp/i/2016/06/post_9975_entry.html

これはクリントン対トランプの大統領選挙戦の息吹のかかった報道だと思いますが、クリントン夫妻が操っている人たちが邪魔者を消すことに躊躇しないのは事実であると判断します。
 我が庶民側の暗殺作戦『オペ・ おかめ』は人間世界にとって際立って有害な権力側要人たちを個々に殺戮して世界の安寧を守ろうとするオペレーションであり、今回、クリントン夫妻をその殺害リストに加えることを提案しているわけですが、クリントン側のキル・リストには米国の世界制覇にとって邪魔である他国の政権そのものがリストアップされていて、殺戮が実行される場合には、何万、何十万という無辜の庶民たちも“コラテラル・ダメージ”という便利な名称の下に殺戮されてしまいます。

https://kamogawakosuke.info/1999/05/24/クリントンの「思いやり戦争」の標的にされて/

このユーゴースラビア破壊というクリントンの大犯罪については『マスコミに載らない海外記事』に出ていますから是非ご覧ください。

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-c13b.html

しかし、この悪行よりなお物凄いのはルワンダの「フツ族によるツチ族大虐殺」事件です。このデッチ上げ物語に続いて何百万というコンゴ人が殺され、コンゴの天然資源が大規模に収奪されています。
 1998年8月20日、米軍は巡航ミサイルでスーダンの首都ハルツームの近くの製薬会社工場を爆撃破壊しました。化学兵器として使用される猛毒のVX神経ガスが製造されていたからというのが、ミサイル攻撃の理由でしたが、全く無根拠であったことが、今では、明らかになっています。当時、クリントン大統領はモニカ・レウィンスキーという女性との性的スキャンダルで大統領の地位に危険が迫っていたので、このミサイル爆撃がスキャンダルもみ消しの手段として画策されたのではないかとしきりに取り沙汰されました。モニカ爆弾という言葉も流通しました。
 去る4月4日、シリア北西部のイドリブ県でアサド政権側が大規模に毒ガス攻撃を行ったとして、4月7日、トランプ大統領の命令で、米軍は巡航ミサイル「トマホーク」59発をシリア政権の軍事施設(化学兵器攻撃の拠点となったとトランプ大統領が称する)に撃ち込みました。この蛮行は、クリントンの「モニカ爆弾」の呪わしい伝統を見事に継承するものでした。
 クリントン夫妻の名を『オペ・ おかめ』のキル・リストに記載する理由、この夫婦の罪業の物凄さを示す事実は、まだまだ沢山ありますが、まあ、以上に述べただけでも十分でしょう。
 以前紹介しましたように『オペ・ おかめ』は私が書いた稚拙なサイエンス・フィクション(電子本)ですが、その主題は、私が、この日頃、本気で考えていることです。死期が近くにつれて、考えることが凶暴になって行くのをどうすることもできません。ますます現実味を帯びつつある世界核戦争を阻止するためには、数十人のオーダーの危険人物たちを殺してしまうことが一番確実な手段だと、私は、本気で考えているのです。ヒラリー・クリントンも、勿論、その中の一人です。老人の迷妄だと片付けないでください。他にどのような有効手段がありますか?

藤永茂(2017年5月2日)

<付録> ハイチのことをあまりご存じない方々のために、2010年3月10日付の記事『ハイチは我々にとって何か?(4)』を再録します:
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 1915年から1934年まで約20年間続いたアメリカによるハイチの占領の後に残されたのは、外国(アメリカ)人がハイチの土地を取得することが出来るように書きかえた憲法(フランクリン・ルーズベルトの筆による)、侵入外国資本に奉仕するハイチ人富裕支配階級、その権力構造を維持する軍隊警察組織でした。大多数の国民は、惨めな貧困と安い労働力の提供を強いられます。当然、大衆の不満は国内に充満しますが、やがて、米ロ対立の冷戦時代が到来すると、貧困大衆の声を政治に反映させようと試みる人たちを一括して共産主義者として容赦なく弾圧する、米国迎合の政府が米国によって支持されます。それを最も端的に代表したのが、医師出身(ドクター)のフランソワ・デュヴァリエとその息子ジャン=クロード・デュヴァリエによる、1956年から1986年まで続いた極端な暴政です。パパ・ドック、ベベ(ベイビイ)・ドックと呼ばれた父子2代の余りにも無茶苦茶な行動に遂にしびれを切らしたレーガン政府が20年にわたる独裁政権を見限り、1986年2月7日、ベベ・ドックは米空軍機に乗ってフランスに亡命させられたのでした。デュヴァリエ父子が支配した20年間のハイチの歴史を上の数行で括るわけには行きません。本気でハイチの事を気にする方は是非ネット上や単行本でお調べ下さるよう、お願いします。
 さて、いよいよ問題の人物ジャン=ベルトラン・アリスティドの登場です。アリスティドは1953年生まれ、ハイチの国立大学大学院で心理学や哲学を修めた後、ポルトープランスのカトリック小教会の司祭となり、貧民の救済をキリスト教の使命として前面に掲げる、いわゆる、「解放神学(liberation theology)」の信奉者として、デュヴァリエ政権を批判する発言を始めますが、その激しさに辟易したカトリック教会組織から破門にされてしまいます。アリスティドは政治に身を投じ、1990年の選挙で、デュヴァリエ追放後、米国がハイチに押し付けた傀儡政治家たちを打ち負かし、67%の票を獲得して大統領に選出されました。この選挙は、一般に公正なものと看做され、彼はハイチの歴史上、最初の「民主的に選出された大統領」になったのです。当時、彼が用いた有名な喩えがあります。:
■ 私の国の人口のほんの僅かなパーセントを占める金持ちたちは、ダマスク織の白い絹布のテーブルクロスを掛けた広い大きな食卓について、溢れるような御馳走を楽しんでいるが、残りの同胞は、男も女も、その食卓の下にぎゅうぎゅう詰めに押し込められて、塵の中にうずくまり、飢えている。これは全くひどい状況であり、いつの日か、必ず、食卓の下の人々は正義に燃えて立ち上がり、特権者の食卓をひっくり返して、当然の権利として彼等に属するものを手に入れるだろう。彼等が立ち上がり、人間として生きるのを助けることこそ私たちの使命である。■(アリスティド著『貧民の教区にて』、p9,1990年)
こんな事を公言する人物が大統領になったのですから、国内の富裕支配層と、それに密着する米国がそのまま放っておく筈はありませんでした。
 1991年9月25日、アリスティド大統領はニューヨークの国連本部で、「民主主義の十の戒律」と題する講演を行いました。その中で、アリスティドは、先ず、アメリカ独立宣言の「生命、自由、幸福の追求」の三つの基本的人権を挙げ、食べる権利、働く権利、更に、貧困大衆が当然彼等に属するものを要求する権利を加えました。この講演からハイチに帰った途端に、アリスティド大統領はその地位を追われました。1991年9月29日、軍部によるクーデターによって、アリスティド大統領は国外に追放され、はじめベネズエラに、続いて、おかしな事に米国に亡命先を見出します。
 このクーデターの背後にブッシュ(父)政権(1989年-1993年)があったことは確かですが、次のクリントン政権(1993年-2001年)は、民主的に選出されたアリスティド大統領を、見かけの上では、支持するような欺瞞的態度をとり、1994年9月19日、アメリカ軍はハイチに侵攻占領し、10月15日、アリスティドはハイチに帰還して、大統領の座に戻りましたが、彼の大統領の任期はすぐに切れてしまいました。憲法によって二期続けての大統領は禁じられていたのです。これもアメリカは計算に入れていたと思われます。野に下ったアリスティドは Fanmi Lavalas という名の政党を立ち上げて巻き返しを試み、2000年11月26日、圧倒的得票数で再び大統領に選出されました。党名はクレオール語ですが、fanmi はファミリー、lavalas は洪水、または、奔流を意味するようです。名もない貧民たちが立ち上がる時の、洪水のような、洪水の奔流のような力の表現だと思われます。明けて2001年2月7日、アリスティドの2度目の大統領就任式が行なわれましたが、アメリカでは、1月20日、大統領がクリントンからブッシュ(息子)に代り、ブッシュ政権に後押しされた反アリスティド勢力は、ハイチ国内のみならず、隣国のドミニコ共和国内にも拠点を作って、アリスティド政権の攪乱、打倒を目指して醜い活動を始めました。その擾乱のただ中の2003年4月、アリスティド大統領は過去にフランスに支払った例の“賠償金”の、利子を込めた払い戻しをフランス要求するという、例え、理にはかなっていても、現実的には、無謀な挑発的行為に出て、その騒ぎの中の2004年1月1日、ハイチはフランスからの独立200年の記念日の祝祭を行ないました。その後、アリスティド大統領に対する武力反乱が大規模に発生し、2004年2月29日、アリスティド大統領は夫人とともに強制的に米国空軍機に乗せられ、中部アフリカ共和国に送られてしまいました。その直ぐ後の2004年3月、米国軍がハイチを占領します。1915年、1994年に続いて、3度目です。米軍は、ジェラール・ラトルチュを首相とする傀儡政権をつくり、2004年6月、国連軍に占領を譲って引き上げました。MINUSTAH (Mission des Nations Unies pour la Stabilizaton en Haïti, UN Stabilization Mission in Haiti ) と略称される国連ハイチ安定化特任部隊は、ブラジルからの出兵を主力とする約1万人の軍事勢力で、今度の2010年1月12日にハイチを襲った大地震の際には、積極的に救援活動に参加しなかったことで、ひどく目立ちました。
 この不可解さは、MINUSTAH という国連軍の「安定化」の任務が、具体的には、何を意味するかを理解すれば、たちまち氷解します。アリスティドのFanmi Lavalas に加わって政治的に目覚めた貧困層不穏分子は、すでに千人のオーダーで殺され、数千人のオーダーで投獄されていました。ここで、出来れば、2月3日のブログ『ハイチは我々にとって何か?(1)』の冒頭、特に、ポルトープランス発の共同通信による新聞記事からの引用を読み返して頂ければ幸いです。ここに報じられている5千人の脱獄囚の「ならず者」の中には、洪水を起こしかねない政治犯、思想犯が数多く含まれていたであろうと、私は想像します。脱獄した彼等が起こしかねない洪水の奔流をダムでせき止めることこそが、国連軍MINUSTAH の任務であったのであり、大地震の災害に苦しむ大衆の救援ではなかったのです。
 2004年2月29日にジャン=ベルトラン・アリスティドと夫人を乗せた米国空軍機の行き先は中部アフリカ共和国、フランスの旧植民地で、フランスが事実上支配している軍部独裁政権の下にありました。当時のアメリカ政府は、「身の危険を感じたアリスティド大統領から頼まれたのだ」と言い張っていましたが、アリスティドとフランスの関係を考えると、全く珍妙な亡命先の選択でした。アリスティド夫妻は、3月15日にはジャマイカに移され、そこに5月末まで滞在し、そこから又、南アフリカに飛び、その首都プレトリアに亡命者として落ち着き、今日に到っています。今度の大地震の後、アリスティドは「帰国して祖国ハイチのために役立ちたい。政治家としてではなく、一人の教育者として」と希望を表明し、ハイチでも、アリスティドの帰国を求めるデモが行なわれましたが、彼の帰国は未だに実現しません。アメリカ政府は、アリスティドの帰国によって、ハイチの政情が「不安定化」するのを懸念しています。
 貧民教区の小教会の司祭であったジャン=ベルトラン・アリスティドが、当時のデュヴァリエ政権の暴政に反抗して立ち上がった1980年代から2010年の現在まで、彼の身辺で、そしてハイチで、何が起ったか、その真実を確認することは至難の業と思われます。まず、この二十数年の年月の間に、彼の存在をめぐって起った事件がすごく多数にのぼるということがあります。表面的な事実の数々を、経時的にたどるだけでも大変です。つぎに、ハイチ国内の反アリスティド勢力とそれを支持するアメリカ政府、それに寄り添うマス・メディアが、嘘をつくことです。アリスティド支持派も、対抗手段として、嘘をつき、誇張をしていることでしょう。
 しかし、真実を探り出す手だてが無いわけではありません。ハイチに「嘘は浅くしか潜れない」という諺があるそうです。時が経てば、水面に浮上してきます。2004年のアリスティド大統領の中部アフリカ共和国への拉致追放を、時の国務長官コリン・パウエルは、「アリスティドの方から頼んで来た」と言いましたが、それが真っ赤な嘘だったことは、今では、明らかになっています。「イラクには大量破壊兵器がある」と証言したのもパウエルでした。1969年3月16日、ベトナムのソンミで起った、いわゆる、ミライ大虐殺で、米軍は、ほとんど老人、女性、子供ばかりの347人の村民を殺しましたが、始めは、ベトコン戦闘員128人を倒したと言い張っていました。当時、陸軍少佐としてベトナムで従軍していたパウエルもこの嘘を公言していました。彼はもともと嘘つき男なのでしょう。
 2008年6月25日のブログ『オバマ氏の正体見たり(1)』で、ハイチ関係の良著5冊を挙げました。この5冊は、今のシリーズの初回『ハイチは我々にとって何か?(1)』にも出しましたので、恐縮なのですが、また次に列挙します:
*C. L. R. James : The Black Jacobins (1963, 1989)
*Laurent Dubois : Avengers of the New World (2004)
*Paul Farmer : The Uses of Haiti (1994, 2006)
*Peter Hallward : Damming the Flood (2007)
*Eiko Owada : Faulkner, Haiti, and Questions of Imperialism (2002, Sairyusha)
実は、2008年6月の時点で読んでいたハイチ関係の本で、大いに気になっていた本がもう一冊ありました。それは、
* Alex Dupuy : The Prophet and Power (2007)
です。著者はハイチ出身で、今はアメリカのウェスリアン大学の社会学教授、ハイチ問題の権威者の一人とされているようです。この本の主張は「ジャン=ベルトラン・アリスティドは、初回にキリスト教司祭から身を起こして、民主的選挙で大勝して大統領となった時には、貧困大衆を救う熱意に燃えていたが、軍のクーデターでその地位を追われ、アメリカの力で又大統領に戻った後は、その地位を保つためには、デュヴァリエ父子と同じように、あらゆる暴力をふるう権力亡者に成り果てた。」というものです。『預言者と権力』というタイトルはそれを表しています。はじめから、何とはなしに、アリスティドという人物に好意を持っていた私は、デュピュイの本の主張は間違っているのでは・・・、と思ったのですが、その筆致はしっかりとしていて、反アリスティド派とブッシュ政権の代弁者の宣伝的著作とは考えられず、これまで思い悩んでいた次第です。しかし、それから2年の間に、上掲のピーター・ホールウォードの著書にあるデュピュイの本の主張に対する反論や、この2冊の本についての書評を幾つか読むにつれて、デュピュイの見解は正しくないと思うようになった次第です。ですから、大震災のあとの現在、私が信を置いているのは、ピーター・ホールウォードとポール・ファーマーの方です。
 しかし、アリスティドという一個人が、権力の味を覚えてから、堕落腐敗したかどうかは、ある意味では、大した問題ではありません。この200年間、ハイチという国が外部世界から、とりわけ、アメリカやフランスなどから受けてきた言語道断の取り扱いの方が、はるかに大きな問題です。世界中でもっとも苦しみに満ちていると言っても誇張ではないハイチという国を大地震が襲ったことに、私は、如何なる意味でも“神の意”を読むことを拒否します。これほど残酷なジョークはありえません。しかし、ハイチの大地震の故に、コロニアリズムの醜悪さが容赦なく白日の下にさらされました。アメリカ合州国によるハイチの軍事的占領は今回が四度目ですが、その本質が、私たちの目の前で、露呈しました。それから、私たちは何を読み取るべきか、次回(5)と最終回(6)で考えてみたいと思います。

藤永 茂 (2010年3月10日)
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