5月1日付で、ジョン・ピルジャーが、硬骨のジャーナリストとして過ごして来た長い過去を回想しながら、迫り来る戦争に対して断固として声を上げ、我々にもはっきりと声を上げることを求めました。彼のサイトの記事は:
https://johnpilger.com/articles/there-is-a-war-coming-shrouded-in-propaganda-it-will-involve-us-speak-up
です。この記事は他の幾つかのサイトにも掲載されています。例えば:
https://libya360.wordpress.com/2023/05/01/the-coming-war/
https://www.counterpunch.org/2023/05/02/the-coming-war-speak-up-now/
https://consortiumnews.com/2023/05/01/john-pilger-the-coming-war-time-to-speak-up/
内容は掲載された写真などに少し違いがありますが、本文は同一です。私のこのブログでは、以前、『ジョン・ピルジャーの声を傾聴しよう』(2022・9・13)でピルジャーの記事の翻訳を掲げた事があります。
https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/b779c8b427bf19e5b87b1c3a0ae6eec8
以下は、libya360.wordpress に出ている記事から四枚の写真を除いて文章部分だけを訳出したものです。
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戦争がやって来る ジョン・ピルジャー
プロパガンダによる統一合意に満たされた沈黙は、私たちが読み、見、聞く、殆どすべてを汚染している。メディアによる戦争は今やいわゆる主流ジャーナリズムの基調の仕事である。
1935年、ニューヨークで「アメリカ作家会議」が開催され、その2年後にもまた開かれた。この会議は何百人もの詩人、小説家、劇作家、批評家、短編小説家、ジャーナリストを招集し、「資本主義の急速な崩壊」とそれが招いている次の戦争について議論した。 このイベントには、一般市民3,500人が参加し1,000人以上が追い返されたと報道もされた衝撃的なイベントだった。
アーサー・ミラー、マイラ・ページ、リリアン・ヘルマン、ダシール・ハメットは、ファシズムがしばしば偽装された形で台頭していることを警告し、作家やジャーナリストには声を上げる責任があると述べた。トーマス・マン、ジョン・スタインベック、アーネスト・ヘミングウェイ、C・デイ・ルイス、アプトン・シンクレア、アルベルト・アインシュタインからの支援電報が読み上げられた。
ジャーナリストで小説家のマーサ・ゲルホーンは、ホームレスや失業者、そして "暴力的な大国の暗部にいる我々すべて "のために声を上げた。
時が経って、私の親しい友人となったマーサは、彼女のいつものお気に入りのフェイマスグラウスとソーダのカクテルを飲みながら、私にこう言ったものだ:
“ジャーナリストとしての責任は途方もなく大きかった。私は、大恐慌がもたらした不正と苦しみを目の当たりにして、沈黙を破って声を上げなければ何が起こるか、よく分かっていた。我々全てよく分かっていた。”
彼女の言葉は、今日、同じ沈黙の上に響き渡っている。それらは、我々が読み、見、聞く殆どすべてを汚染しているプロパガンダの統一合意で満たされた沈黙だ。一例を挙げよう:
3月7日、オーストラリアで最も古い新聞であるSydney Morning HeraldとThe Ageの2紙が、中国の “迫り来る脅威”について数ページの記事を掲載した。彼らは太平洋を赤く染めた。中国の目は猛々しく、進軍中で、威嚇的だ。黄禍は、まるで重力で落ちて来るように今にも襲い掛かって来そうだ、と。
中国によるオーストラリアへの攻撃について、 “有識者審査団”は、信頼に足る証拠は何も提示しなかった:そのうちの一人はオーストラリア戦略政策研究所の元所長で、この研究所は キャンベラの国防省、ワシントンのペンタゴン、英国、日本、台湾の政府、西側の戦争産業の隠れ蓑になっている。
"北京は3年以内に攻撃して来る可能性がある"と彼らは警告した。"私たちは準備ができていない。アメリカの原子力潜水艦に数十億ドルが費やされる予定だが、それだけでは十分ではないようだ ” "オーストラリアの歴史からの休暇は終わった": それが何を意味するかは別として。
オーストラリアに対する脅威はない、何もない。どこからも遠く離れた “ラッキー”な国には敵がいない。特に、最大の貿易相手国である中国は敵ではない。しかし、アジアに対するオーストラリアの長い人種差別の歴史を利用した中国バッシングは、自称 “専門家”のスポーツのようなものになっている。中国系オーストラリア人はこの状況をどう見ているのだろうか。多くの人はどうしてよいかわからず、恐怖を感じている。
通じるところにはよく通じる、アメリカの権力に媚びへつらう、このグロテスクな記事は、ピーター・ハートチャーとマシュー・ノットという “国家安全保障記者”と呼ばれる人たちが書いたものである。ハーチャーのことは、イスラエル政府から金をもらってレジャー旅行した人物として記憶にある。もう一人のノットは、キャンベラの高級官僚の口利き役、どちらも、戦場や生活困窮者の悲惨と苦悩の極限を見たことがない人間だ。
"どうしてこんな事になったの?" マーサ・ゲルホーンが今ここにいたら、こう言うだろう。"ノーと言う声はいったいどこにあるのだろう?「我らが仲間」意識はどこにあるのか?"
ポストモダニズムのご時世
そうした声は、このホームページなどの地下出版的なサイトでは聞くことが出来る。文学では、ジョン・スタインベック、カーソン・マッカラーズ、ジョージ・オーウェルといった人たちは時代遅れだ。今はポストモダニズムが主導権を握っている。リベラリズムは政治的なはしごをはずした。かつて沈着な社会民主主義国であったオーストラリアでは、秘密主義的、権威主義的な権力を保護し、知る権利を妨げる新しい法律の網が制定された。内部告発者は無法者であり、秘密裏に裁かれることになる。特に不吉な法律は、外国企業のために働く人々による “外国からの干渉”を禁止するものである。これは何を意味するのか。
民主主義は今や空念仏だ:国家と融合した企業の万能なエリートが存在し、"アイデンティティ "を要求する。アメリカの海軍提督たちは、オーストラリアの納税者から一日に何千ドルもの報酬を得て、"アドバイス"を授ける。欧米全体で、政治的な想像力はPRによってあやされ静められ、腐敗した超低級の政治家達の陰謀に気を奪われている:ボリス・ジョンソン、ドナルド・トランプ、スリーピー・ジョー、ヴォロディミル・ゼレンスキーなどのような。
2023年の作家会議で、“崩れゆく資本主義”や “我々の” 指導者たちの致命的な戦争挑発について憂慮が表明されることはない。彼らの中でも最も悪名高いトニー・ブレアは、ニュルンベルクの基準に照らせば明白な戦犯だが、自由の身でお金持ちである。ジュリアン・アサンジは、読者が知る権利があることを証明すべきだとジャーナリスト達に挑んだが、そのため投獄されて二度目の十年目に入っている。
今日、バンデラはウクライナ西部で英雄として崇拝され、彼とその仲間のファシストの像がEUと米国によって多数建設され、ナチスからウクライナを解放したロシア文化の巨人やその他の人々の像に取って代っている。
2014年、選挙で"親モスクワ "と非難されながらも当選した大統領ヴィクトル・ヤヌコヴィッチに対する、アメリカの銀行出資によるクーデターで、ネオ・ナチスは重要な役割を果たした。クーデター政権には、著名な“極端な民族主義者たち”、つまりナチスと呼ばないだけのナチスが含まれていた。
当初、この事はBBCをはじめ欧米メディアがこぞって延々と報じた。2019年になると、『タイム』誌はウクライナで活動する “白人至上主義者の民兵”を特集した。NBCニュースは、"ウクライナのナチス問題は現実である "と報じた。オデッサでの労働組合員に対す焼き討ちが撮影され、記録された。
ウクライナ軍は、ドイツ親衛隊の徽章「ヴォルフスエンジェル」を持つアゾフ連隊を先頭に、ロシア語を話す東部のドンバス地方に侵攻した。国連によると、東部で1万4千人が殺害されたという。7年後、アンゲラ・メルケルが告白したように、ミンスク和平会議が西側によって妨害破壊されたことで、ロシア軍は侵攻に踏み切ったのだ。
一連の事件のこのような説明は、欧米では報道されなかった。それを口にするだけで、書き手(私のような)がロシアの侵略を非難しているかどうかに関わらず、 “プーチンの擁護者”だという罵声を浴びせられることになる。NATOが武装した国境地帯であるウクライナ、ヒトラーが侵攻したのと同じ国境地帯がモスクワに提示した極度の挑発を理解すれば、これは強い呪文のようなものである。
ドンバスにまで旅をしたジャーナリスト達は、彼ら自身の国では沈黙を強いられ、迫害されることさえあった。ドイツ人ジャーナリストのパトリック・バーブは職を失い、ドイツの若いフリーランス記者、アリーナ・リップは銀行口座を接収された。
脅迫による沈黙
英国では、リベラルな知識人の沈黙は脅迫された沈黙である。ウクライナやイスラエルのような国家が支援する問題は、大学の仕事や教職の在職期間を維持したいのであれば、避けた方がいい。2019年にジェレミー・コービン元労働党党首に起こったことは、大学キャンパスで何度も起こり、アパルトヘイトのイスラエルに反対する人々は、反ユダヤ主義者として簡単に中傷されてしまう。
皮肉にも、現代プロパガンダ研究の第一人者であるデビッド・ミラー教授は、イスラエルの英国における “資産”と政治的ロビー活動が世界的に過度の影響力を及ぼしていると公言し、ブリストル大学からクビを宣告された-この事実には充分の証拠がある。
この大学は事件を独自に調査するため一流の経営管理調査人を雇った。彼の報告書は、 “学術的な表現の自由という重要な問題”においてミラーの無罪を明らかなものとし、“ミラー教授の発言は違法な言論には当たらない”と判断を下した。しかし、ブリストル大学はミラーをクビにした。イスラエルがどんな暴挙に出ようと、イスラエルには免責があり、それを批判する者は罰せられるというメッセージは明白である。
数年前、マンチェスター大学の英文学教授だったテリー・イーグルトンは “この二世紀で初めての事だが、英国には、西欧の生活様式の基盤に疑問を投げかける用意がある著名な詩人、劇作家、小説家が一人もいない”という考えを述べた。
貧しい人々のために語るシェリーも、ユートピアの夢を語るブレイクも、支配階級の腐敗を糾弾するバイロンも、資本主義の道徳的災害を明らかにするトマス・カーライルもジョン・ラスキンもいない。ウィリアム・モリス、オスカー・ワイルド、HGウェルズ、ジョージ・バーナード・ショウに相当する人物は、今日、居なくなった。ハロルド・ピンターはその当時まだ生きていて、彼のことをイーグルトンは “最後に声を上げた人”と書いた。
ポストモダニズムは、つまり現実の政治や真正の反対意見の拒絶は、どこから来たのだろうか。1970年に出版されたチャールズ・ライヒのベストセラー『アメリカの緑化( The Greening of America)』は、そのヒントを与えてくれる。 当時のアメリカは激動の時代であった;リチャード・ニクソンがホワイトハウスに座り、“ムーブメント”として知られる市民的抵抗が、殆どすべての人に影響を与える戦争(訳注:ベトナム戦争)の最中に、社会の周縁から躍り出て来たのである。市民権運動と連携して、この百年間で、ワシントンの権力に対する最も深刻な挑戦となったのだった。
ライヒの本の表紙には、こんな言葉が書かれていた: “革命がやって来る。それは過去の革命とは違うだろう。革命は個人に源を発するだろう。"
当時、私は米国で通信記者をしていたが、イェール大学の若い学者であったライヒが一夜にして教祖の地位に上りつめたことを思い出す。ニューヨーカー誌は、彼の著書をセンセーショナルに連載していた。そのメッセージは、1960年代の “政治的行動と真実を語ること”は失敗し、“文化と内省”だけが世界を変えられるというものだった。まるで、ヒッピーが消費者階級を乗っ取りつつあるかのような雰囲気だった。 そして、ある意味ではその通りだった。
数年のうちに、 “自分主義(me-ism)”というカルトは、社会正義や国際主義といった、共に行動するという多くの人々の感覚を圧倒してしまった。階級、性別、人種は分離された。個人的であることは政治的であることであり、メディアはメッセージであった。お金を稼げとメディアは言った。
あの“ムーブメント”、そしてその希望と歌は、ロナルド・レーガンとビル・クリントンの時代には、すべて終わりを告げた。クリントンの悪名高い福祉法案は、主に黒人を刑務所に送る数で世界記録を更新した。
9・11が起きると、 “アメリカのフロンティア”(新しいアメリカのプロジェクトは世界をこう呼んだ)に対する新たな “脅威“のでっち上げは、20年前ならば、猛烈な反対運動を展開していたと思われる人々の政治的方向感覚を完全に失わせてしまった。
それ以来、アメリカは世界と戦争するようになった。社会的責任のための医師団、世界生存のための医師団、そしてノーベル賞を受賞した核戦争防止のための国際医師団がまとめた、殆ど無視されてしまった報告書によると、アメリカの “テロとの戦い”で殺された人数は、アフガニスタン、イラク、パキスタンで “少なくとも” 130万人にのぼる。
この数字には、イエメン、リビア、シリア、ソマリアなど、米国が主導し煽動した戦争による死者は含まれていない。報告書によると、本当の数字は “200万人を超える可能性があり、一般市民や専門家、政策決定者達が認識し、メディアや主要なNGOが振り撒いている数字の約10倍である”という。
“少なくとも”100万人がイラクで殺された、と例の医師団達は言う、つまりイラク人口の5%である。
何人殺されたかは誰も知らない
この暴力と受難の巨大さは、欧米人の意識にはないようだ。“何人かは誰も知らない”というのがメディアの決まり文句である。ブレアとジョージ・W・ブッシュ、そしてストロー、チェイニー、パウエル、ラムズフェルドらの面々は、戦犯起訴の危険にさらされたことは一度もなかった。ブレアのプロパガンダのマエストロ、アリスター・キャンベルは、“メディア・パーソナリティ”として賞賛さえされている。
2003年、私はワシントンで、高名な調査報道ジャーナリストであるチャールズ・ルイスのインタビューを撮影した。その数カ月前に起こったイラク侵攻について話し合った。私は彼に、“もし憲法上世界で最も自由な米国メディアが、粗雑なプロパガンダと判明したものを広めるのではなく、ジョージ・W・ブッシュとドナルド・ラムズフェルドに真剣に挑戦し、彼らの主張を精査していたらどうだっただろうか”と尋ねた。
彼はこう答えた。"私たちジャーナリストがちゃんと仕事をしていれば、イラクでの戦争に乗り込んで行かなかった可能性が非常に高い"
CBSの名キャスター、ダン・ラザーにも同じ質問をしたところ、同じ答えが返ってきた。 サダム・フセインの “脅威”を宣伝していた『オブザーバー』紙のデビッド・ローズも、BBCのイラク特派員だったラゲ・オマールも、同じ答えを私に与えた。ローズの “騙されていた”という称賛に値する懺悔は、そう発言する勇気のない多くの記者を代弁している。
彼らの指摘は繰り返す価値がある。もしジャーナリストが自分の仕事をし、プロパガンダを増幅するのではなく、疑問を持ち、調査していたら、100万人のイラク人男性、女性、子供達が今日生きていたかも知れないし、何百万人もの人々が家を逃げ出すこともなかったかも知れないのだ。また、スンニ派とシーア派の宗派間戦争が勃発することもなく、イスラム国も存在しなかったかも知れない。
この真実を、1945年以来、米国とその “同盟国”によって引き起こされた強欲な戦争に投げかけると、その結論には息を呑む驚きがある。今のジャーナリズムの学校では、こうした問題を取り上げたことがあるのだろうか。
今日、メディアによる戦争は、いわゆるメインストリームジャーナリズムの重要な任務であり、1945年にニュルンベルク検事によって説明されたものを思い出させる:
"それぞれの大規模な侵略の前に、便宜上の理由からの幾つかの例外を除いて、彼らは犠牲の対象者たちを弱体化し、ドイツ国民を心理的に準備するために計算された報道キャンペーンを開始した...プロパガンダシステムにおいて...最も重要な武器は毎日の報道とラジオであった。"
米国政治に根強く継続されているのは、ファシズムの域に近づくカルト的な過激主義である。トランプはそう評価されたが、アメリカの外交政策が本腰でファシズムに靡きかけたのは、バラク・オバマの二期目の時である。この事実は殆ど報道されなかった。
“私は全身全霊でアメリカの例外性を信じている”とオバマ大統領は語った。オバマ大統領は、大統領お気に入りの娯楽である空爆や、“特殊作戦”と呼ばれる暗殺作戦を、第一次冷戦以来、他のどの大統領も行ったことのない程に拡大した。
外交問題評議会の調査によると、2016年、オバマは26,171発の爆弾を投下した。これは毎日72発の爆弾ということ。彼は、アフガニスタン、リビア、イエメン、ソマリア、シリア、イラク、パキスタンという最も貧しい人々や有色人種の人々を爆撃した。
ニューヨーク・タイムズ紙によると、毎週火曜日に彼は無人機から発射される地獄のミサイルで殺害される人たちを自ら選んだ。結婚式、葬式、羊飼いが攻撃され、 “標的となったテロリスト”を飾る身体の一部を集めようとする人々も攻撃された。
共和党の有力上院議員であるリンゼー・グラハムは、オバマの無人偵察機によって4,700人が殺害されたと、満足げに推定した。 “時々、罪のない人々を攻撃することがあり、困った事だが、これまでに我々はアルカイダの非常に高いレベルのメンバーを何人か倒した”と彼は言った。
2011年、オバマ大統領は、リビアのムアンマル・カダフィ大統領が自国民に対する “大虐殺”を計画していたとメディアに語った。 “もう一日やり過ごしていたら、シャーロット(ノースカロライナ州)と同じ大きさの都市ベンガジで大虐殺が起こり、あたりの地域全体に広がって、世界の良心を汚すようになったであろう事を、我々は認知していた "と彼は言った。
これは嘘だった。唯一の “脅威”は、リビア政府軍による狂信的なイスラム主義者の敗北が迫っていることだった。独立した汎アフリカ主義の復活、アフリカ銀行とアフリカ通貨、そのすべてをリビアの石油で賄うという計画をカダフィが抱いていたために、リビアが二番目に近代的な国家だったアフリカ大陸で、カダフィは米欧植民地主義の敵に仕立て上げられたのだ。
カダフィの “脅威”と彼の近代国家を破壊することが目的であった。米国、英国、フランスの支援を受け、NATOはリビアに対して9,700回の空爆出撃を行った。国連によれば、その3分の1はインフラと民間人を狙ったものであった。ウラン弾頭が使用され、ミスラタとシルテの都市は絨毯爆撃を受けた。赤十字は集団墓地を確認し、ユニセフの報告によれば、 “(殺された)子どもの殆どは10歳未満だった”。
オバマの国務長官だったヒラリー・クリントンは、カダフィが反乱軍に捕まり、肛門を刺されて殺されたと聞かされると、笑ってカメラに向かって言った: "私たちは来た、見た、彼は死んだ!(We came, we saw, he died)"と。(訳注:ローマ皇帝カエサルの言葉Veni, vidi, vici(来た、見た、勝った)のもじり)
2016年9月14日、ロンドンの下院外交委員会は、ベンガジ虐殺説を含む “一連の嘘”と評したNATOのリビア攻撃について、1年にわたる調査の結論を報告した。
NATOによる爆撃は、リビアを人道的な大惨事に陥れ、何千人もの人々が死亡し、何十万人もの人々が避難し、リビアはアフリカで最も生活水準の高い国から、戦争で荒廃した破綻国家に変貌した。
オバマ大統領のもとで、アメリカは秘密裏に行われる「特殊部隊」の活動を世界人口の70%に当たる138カ国に拡大した。アフリカ系アメリカ人初の大統領はアフリカへの本格的な侵攻を開始したのだった。
19世紀の「アフリカ分割(Scramble for Africa)」を彷彿とさせるように、米国アフリカ司令部(アフリコム)は、リビア侵攻以来、米国の賄賂と軍備をしきりに欲しがる協力的なアフリカ政権のネットワークを構築してきた。アフリコムの “兵士から兵士へ”の基本方針は、将軍から准士官まで、あらゆるレベルの指揮官に米国人将校を配置する。欠けているのは防暑ヘルメットだけである。
パトリス・ルムンバからネルソン・マンデラまで、アフリカが誇る解放の歴史は、新たな白人支配者に奉仕する黒人の植民地エリートによって忘却の彼方に追いやられてしまったかのようだ。このエリートの “歴史的使命”は、 “カモフラージュの下で横行する資本主義”の推進であると、炯眼のフランツ・ファノンは警告した。
NATOがリビアに侵攻した2011年、オバマ大統領は “アジアへの軸足”として知られるようになった政策を発表した。“中国の脅威に立ち向かう”ために、米海軍のほぼ3分の2をアジア太平洋に移すというのが、オバマの国防長官の言葉であった。
中国からの脅威は存在しなかったが、中国には米国からの脅威があった。約400の米軍基地が中国の工業地帯の縁に沿って弧を描いており、国防総省の高官はこれを “首絞め縄”と表現してご満悦であった。
同時に、オバマは東欧にロシアを狙ったミサイルを設置した。ノーベル平和賞を受賞したオバマは、核弾頭への支出を冷戦後のどの米国政権よりも増額し、2009年にプラハの真ん中で行った感情的な演説で、“世界から核兵器をなくすことに貢献する”と約束した筈であったのに。
オバマとその政権は、2014年にウクライナ政府に対するクーデターを監督するために派遣されたパトリシア・ヌーランド国務次官補が、ロシアの反応を引き起こし、おそらく戦争につながることを十分に理解していた。そして、そうなってしまった。
私は4月30日にこれを書いている。この日は、私が取材した20世紀最長の戦争、ベトナム戦争の最終日の記念の日だ。サイゴンに到着したとき、私はとても若かったし、多くのことを学んだ。雲の上から殺戮の限りを尽くした巨大なB-52のエンジンの独特のブーンという連続低音を認識することを学び、人体の部分が纏わりついた焼け焦げた木に直面しても目を背けないことを学び、かつてないほど人の親切を大切にすることを学び、ジョセフ・ヘラーの傑作『キャッチ22』で戦争は正気の人間には適さないことを学び、 “我々の”プロパガンダについて学んだ。
この戦争の全期間を通じて、プロパガンダによれば、勝利したベトナムが共産主義の病いをアジアの他の地域に広げ、その北にある巨大な黄禍が一挙に南に降りて来ると言われていた。 “ドミノ倒し”のように国々が倒れるだろうと。
ホーチミンのベトナムは勝利を収めたが、そうした事は何も起こらなかった。それどころか、ベトナム文明は、彼らが払った代償にもかかわらず、驚くほど花開いた: 300万人が死んだのだ。傷を負い、奇形となり、麻薬中毒になり、毒殺され、行方知れずになった人々。
もし、今の宣伝家連中がその望む通りに中国との戦争を始めたら、来たるべき惨禍はベトナム戦の惨禍の何倍、何十倍となるだろう。はっきりと声を上げよう。(翻訳終わり)
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藤永茂(2023年5月5日)