私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

良く生きる(VIVIR BIEN)(1)

2014-08-31 14:23:32 | 日記・エッセイ・コラム
 近頃は時間の余裕と考える力の不足から、時折いただくコメントにお答えしない失礼を冒していますが、前回のブログ『良く生きる(VIVIR BIEN)』(序)に若い方から次のようなコメントをいただき、これには是非お答えしなければと思いました。:
■先生は帝国主義に見られるような異常な残虐性や収奪への盲目の欲望を「ヨーロッパの心」と述べていらっしゃいますが、「アメリカ・インディアン悲史」で先生ご自身が示唆されたように、アイヌや沖縄に対する日本の本州の人間のこれまでの振る舞いを考えると、こうした収奪への欲望はヨーロッパに限ったことではないとも思えます。「帝国主義的なるもの」ははたして「ヨーロッパ的なるもの」だけなのでしょうか。そうでないとするなら、「帝国主義的なるもの」はどこにその根を持っているのでしょうか。先生は今この問題についてどうお考えでしょうか。■
雑用にかまけてお答えするのが遅れているうちに、海坊主さんが、怠け者の私に代わって、コメントの形で適切な解答を書いて下さったようです。読んで下さい。
 「収奪への欲望はヨーロッパに限ったこと」では勿論ないと私も考えます。しかし、“「帝国主義的なるもの」はどこにその根を持っているのか”という問いに対して、幼稚で、考えの練れていない私の帝国主義論あるいは植民地主義論を申し上げてもあまり意味がありません。私の関心は、むしろ、ヨーロッパと呼ばれる地球上の極めて小さな地域の人間たちが、地球のそれ以外の広大な地域に住む人間たちに巨大な影響を与えて来たという歴史的事実にあります。コロンブス以来、西欧が自余の世界に加え続けた暴虐は全く桁外れの大きさです。それを産み出して来た、個人として、集団としての、人間の心を、私はファノンにならって、「ヨーロッパの心」と呼びたいと思うのです。
 ポール・ヴァレリーの「精神の危機(La crise de l’Esprit)」というエッセーの中では、l’Esprit européen の、そして、それが形成したヨーロッパの圧倒的な優越性が論じてあり、ヨーロッパ精神の危機が、そのまま人間の精神の危機であると言わんばかりに、その将来が、次のように、案じてあります。
■ところで、現代は次のような重大な質問を認めます----ヨーロッパは、あらゆる部門において、その優越を維持しうるだろうか。ヨーロッパは、現実にそうであるところのものに、すなわち、アジア大陸の小さな岬になってしまうのだろうか。それともヨーロッパは依然として、そう見えているところのもの、すなわち地上の世界の貴重な部分、地球の真珠、巨大な身体の頭脳であるだろうか。■(桑原武夫訳)
 20代の後半から長い間、ポール・ヴァレリーに傾倒した時期が私にはありました。芸術的な面でヨーロッパに深い思い入れを持った期間とも重なります。しかし、今は違います。ヨーロッパ、ヨーロッパの心というものに一定の距離をおいて向い合うことが出来るようになったと思っています。「精神の危機」についても、ヴァレリーの思考の限界と致命的な欠陥を読み取ることが出来るようになりました。「ヨーロッパは、現実にそうであるところのものに、すなわち、アジア大陸の小さな岬になってしまうのだろうか」というヴァレリーの危惧が遠くない未来に現実となることを、今の私は強く望むようになっています。しかしながら、我がヴァレリー病はすでに膏肓に入ってしまっていたらしく、今度、モラレスのVIVIR BIENという標語に出会った時も、まず思い出したのは、世に良く知られたヴァレリーの詩「海辺の墓地」の中の“風立ちぬ”の一句でした。:
■Le vent se lève. Il faut tenter de vivre ! (風が立つ。生きようと試みなければならぬ。)■
しかし、アンデスの山々を吹き渡る風に頬をさらすモラレスならば、直裁に Il faut vivre bien! と蒼穹に向かって叫ぶことでしょう。彼が「良く生きよう」という時、それは、死の影の下に敢えて生きようと試みるのでもなければ、より豊かな消費生活を求めるのでも、ましてや、他人の犠牲において他人より良く生きることでもない筈です。自然の一部としての人間が、周りの自然、周りの人間たちと調和しながら生きることを、モラレスは「良く生きる(Vivir bien)」と言うのだと私は考えます。そこには、かつて私が心酔したヨーロッパの「繊細の精神」も「幾何学的精神」もないでしょう。しかし、そのかわり、大自然の中でゆっくりと息づく人間たちには、それなりの豊かな静謐さとエネルギーと知恵と感性があります。彼らにも斬首やハラキリの残酷はありましょう。しかし、ヒロシマ・ナガサキの発想とその残酷を許容する悪魔的感性とは縁がありますまい。
 前置きが長くなりました。今回のG77の集会は2014年6月14日、15日の二日、ボリビアのサンタ・クルスで行なわれました。その公式のウェブサイトには、14日開会式のモラレスの講演のスペイン語原文とその英訳が出ています。

http://www.g77bolivia.com/en/address-president-evo-morales-ayma-opening-g-77-special-summit-heads-states-and-governments-towards

Axis of Logicというサイトには別の英訳が出ていて、これも参照させてもらいました。:

http://axisoflogic.com/artman/publish/Article_66853.shtml

以下の翻訳では、適時、注釈のようなものを挿入します。
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『世界中の人民間の兄弟的友愛を求めて』 エボ・モラレス・アイマ

50年前、偉大な指導者たちが、反植民地闘争の旗をかかげ、主権獲得と独立への道をすすむ行進に人民と共に参加することを決意した。当時、超大国と多国籍企業は、南半球の諸国民の貧困という犠牲において、彼らの成長の糧とするための領土と天然資源のコントロールをめぐって、互いに争い合っていた。
この状況下、1964年6月15日、貿易と開発に関する国連会議の最終日に、南半球の77の国(現在は132国プラス中国)が、その集団的利益を増進し、個々の主権的決定を尊重しながら一つのまとまったブロックとして行動することによって、その貿易通商交渉の力を強化するために会合した。
過去50年の間に、これらの国々はその折の国連での決議声明を越えて前進し、南と南の協力関係に支えられた発展、新しい世界経済秩序、気候変化に対する責任の分担、互恵貿易に基づく経済関係を優先する協調行動に踏み切っている。この旅程において、脱植民地的支配を目指した闘争は、自国の天然資源に関する自己決定と主権の主張とともに特記されるべきものである。
世界各地での諸国民の平等と正義を求めるこうした闘争と努力にも関わらず、世界全体の階級的構成とそれによる不平等はむしろ拡大した。現在、世界の10の国が全世界の富の40%をコントロールし、15の多国籍企業が世界の総生産の50%をコントロールしている。現在も、100年前と同じく、自由市場と民主主義の名をかざして、ほんの一握りの帝国主義的勢力が国々を侵略し、貿易封鎖を行い、世界中の物価を強引に設定し、他国の経済を窒息させ、進歩的政府の転覆を計画し、この地球上の誰それを問わずスパイ行為の対象にしている。ごく僅かなエリート国家と多国籍企業が、独裁的形態で、世界の命運と経済、天然資源をコントロールしている。
地域間、国家間、社会階層間、そして各個人間の経済的社会的不平等は途方もなく拡大した。世界人口の約0.1%が人類の全財産の20%を所有している。1920年にはアメリカ合州国の企業経営者は雇用人の20倍の収入を得ていたが、現在では、それが331倍になっている。この不公平:富の集中と略奪的自然破壊の行為は、時が経てば経つほど持続不可能なりつつある構造的危機を表している。これは将に構造的危機である。それは資本主義的発展のあらゆる構成要素に打撃を与え、それぞれの危機が互いに強め合って、国際金融、エネルギー、気候、水資源、食料、社会制度、価値観を巻き込む危機になっている。それは、資本主義文明にもともと内在する危機なのである。
金融危機は金融資本の貪欲な利潤追求によって促進され、それが深刻な国際的金融投機に導き、膨大な富を蓄積した一定のグループ、多国籍企業、あるいは、権力中心に有利な立場を与えることになった。
投機的利益をもたらすこうした金融バブルは、結局、破裂し、その過程で, 低利金融を受けた労働者や貪欲な投機屋を信用して貯金を託した中産階級の預金口座保持者を困窮に落し入れた。それらの投機屋たちは一夜にして破産するか、あるいは、彼らの資金を国外に持ち出して彼らの国そのものを破産に追いこむことになった。
我々はまたエネルギー危機にも直面していて、この危機は先進諸国が過大なエネルギーを消費し、また、多国籍企業がエネルギー(石油など)の買いだめをすることで生じている。それと平行して、全世界の石油埋蔵量の減少と石油と天然ガスの開発コストの高騰を我々は目の当たりにしており、化石燃料の漸減と地球規模の気候変動の為に生産能力が落ちている。
気候変動の危機は無法な資本主義的生産と消費のレベル、歯止めのかからない産業化によって引き起こされている。すなわち、大気を汚染するガスを過剰に排出し、それが全世界に影響を及ぼす温度上昇と自然災害を引き起こしているのである。いまの資本主義的産業化時代以前の15000年以上の間、空気中の温室効果ガスの量が250mppを越えることはなかった。しかし、19世紀以降、特に20世紀,21世紀になると、略奪的資本主義のために、400mpp に上昇し、その結果、地球全体の温度上昇は非可逆的な過程となって気候変動を生起し、その最も目覚ましい影響は南半球の最も貧しく影響を受けやすい国々で観察されて、とりわけ、島国は氷河の解氷による水位上昇の被害を蒙っている。
地球温暖化は水の供給危機も引き起こしている。この危機は水道事業の私営化、水源の枯渇、淡水の商品化によって、さらに深刻なものになっている。その結果、水道水の供給を受けられない人々の数が急増しつつある。世界各地での水不足は武力紛争や戦争を引き起こし、それが更にこの再生不可能の資源の入手を困難にしつつある。世界人口は増大しているが、食糧生産は減少しつつあり、この傾向は食糧危機を引き起こしている。食糧生産の土地面積の減少、都市部と田園部の不均衡、多国籍企業による農産物種子の配給と農業技術情報の独占、さらに食糧価格をめぐる投機などの問題が参加しているのである。この集中と投機の帝国主義モデルは、また、世界における不平等で不当な権力の分布に特徴づけられる制度的危機を生起してきた。それは、国連の組織、IMF(国際通貨基金)、WTO(世界貿易機関)の内部で顕著である。これらすべての事態の進展の結果、人民の社会的権利は危殆に瀕している。世界全体に対する平等と正義という希望の実現は遠のくばかりであり、自然そのものが消滅の脅威にさらされている。我々はすでに限界に達しているのであり、人間社会と人類と母なる自然とを救うための全地球的行動が緊急に必要である。
{注釈1}
ここまでがモラレスの開会基調講演の導入部であり、世界的危機的情勢のモラレスらしい要約とそれに対処する行動への呼びかけです。モラレスが喫緊の行動開始を呼びかけた今回のG77 50周年記念集会はなかなかの盛況でした。“南”ではない中国が加わった現在の133のメンバー国の103国が代表を送り、13人の大統領、4人の首相、5人の副大統領、8人の外相が出席者に含まれていました。133国とはすごい数です。名簿を見ていると嬉しくなります。ほかの国家集団では考えられないような国々の名が共存混在しているのです。いわゆる“国際社会”からの札付きの除け者である、北朝鮮、エリトリア、ジンバブエもありますし、パレスチナ、キューバ、コンゴも、また、ルワンダ、ウガンダ、ブルキナ・ファソの名も見えます。まさに清濁併せ呑むの大連合。
「こんな、ナンデモカンデモゴッタマゼ、の集合体に何も出来はしない」とお思いの方が大勢でしょう。おにうちぎさんからのコメントにも次のように書いてあります。:
■G77の活動が成果を結ぶことを願っています。?歴史の現実は厳しくて、過去、主に冷戦期に第三世界と名乗っていたゆるい連合が何度か世界的な会合をし宣言を発していましたが、あまり成果を上げずに解体してゆきました。多くの魅力的なリーダーがいましたが、倒れて行きました。?合州国が途方もない武力と資本力以外の点では日々壊れつつあり弱体化している中で、それを暴発させないで、G77のような連合が上手にリーダーシップを発揮できたならば世界の悲惨の総量は大きく減るはず。どうかそうあってほしいものです。■
おにうちぎさんの本当のお気持ちは決して楽観的ではないようです。私の想いもほぼ同じで、ルムンバ、サンカラ、ネールー、チトー、スカルノ、などなどの懐かしい名前が脳裏を掠めますが、モラレスのボリビア多民族国(Estado Plurinacional de Bolivia, Plurinational State of Bolivia)の今後に希望をつなぎたい気持も、一方では、強く抱いています。これから先のモラレスの語り口を辿れば、その理由が分かって頂けると思います。

藤永 茂 (2014年8月31日)



良く生きる(VIVIR BIEN)(序)

2014-08-06 22:15:32 | 日記・エッセイ・コラム
 ボリビアは南米大陸の中西部の内陸にあり、人口約一千万、先住民がその約半分、白人との混血を加えると約8割を占めます。1500年代前半からスペインによるこの地域の植民地化が進められ、大きな銀山が発見されて莫大な富がスペインにもたらされました。1700年代の後半には、スペイン本国の苛烈な支配に対して現地生れのスペイン人たちの独立運動が始まります。1825年8月、ラテンアメリカ独立の父と仰がれるシモン・ボリーバルの名を冠した「ボリーバル共和国」の独立が宣言され、その翌年には憲法をボリーバル自身が起草し、国の名称も「ボリビア共和国」になりました。2009年に新しい憲法が出来て、現在の公式名称は「ボリビア多民族国(Estado Plurinacional de Bolivia, Plurinational State of Bolivia)」です。神代修著の『シモン・ボリーバル』(行路社、2001年)の帯には「愛馬を駆って南米大陸を駈けぬけた男、軍人にして政治家、思想家にしてラテンアメリカの解放者、ボリーバルの日本における初の評伝」とあります。この本には、世界中で一番多くの銅像が建てられているのは、ナポレオンでもワシントンでもレーニンでもなく、ボリーバルであろうと書いてあります。彼はベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビアの五カ国のスペインからの独立をなしとげた人物で、米国では「ラテンアメリカのワシントン」と呼ばれるようですが、革命家としてはジョージ・ワシントンより遥かに上の人物でした。最近(2013年)米国のSIMON&SCHUSTER社からMARIE ARANAという著者による浩瀚な評伝(600頁)が出て好評のようで、決定的な評伝と持ち上げる声も大きいのですが、ざっと目を通した感じでは、私にはそう思えません。スペインの支配が衰退した後のラテンアメリカを、やがて、傀儡政権樹立という手段で残酷に牛耳り続けて来た米国の政策を基本的に是認する文筆家としての限界が明らかに読み取れます。ボリビアについては、もう一人の革命家チェ・ゲバラを忘れることは出来ません。彼は、1967年、ボリビアで捕われ、銃殺刑に処せられました。真正の独立国家を目指すボリビアの闘争の歴史はその後も延々と続いているのです。2000年2月に起った「ボリビアのコチャバンバの水騒動」については、この私のブログでも以前取り上げましたが、2012年3月14日付けの『民営化(Privatization)』(1)の一部を再録します。:
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 1999年、財政困難に落ち入っていたボリビア政府は世界銀行から融資をうける条件の一つとして公営の水道事業の私営化を押し付けられます。ビル・クリントン大統領も民営化を強く求めました。その結果の一つがボリビア第3の都市コチャバンバの水道事業のベクテル社による乗っ取りでした。民営化入札は行われたのですが入札はAguas del Tunariという名のベクテル社の手先会社一社だけでした。ボリビア政府から40年間のコチャバンバの上下水道事業を引き取ったベクテル社は直ちに大幅な水道料金の値上げを実行し、もともと収益の上がらない貧民地区や遠隔市街地へのサービスのカットを始めました。値上げのために料金を払えなくなった住民へはもちろん断水です。
 2000年2月はじめ、労働組合指導者Oscar Oliveraなどが先頭にたって,数千人の市民の抗議集会が市の広場で平和裡に始まりましたが、ベクテル社の要請を受けた警察機動隊が集会者に襲いかかり、2百人ほどが負傷し、2名が催涙ガスで盲目になりました。この騒ぎをきっかけに抗議デモの規模は爆発的に大きくなりコチャバンバだけではなくボリビア全体に広がり、ボリビア政府は国軍を出動させて紛争の鎮圧に努めますが、4月に入って17歳の少年が国軍将校によって射殺され、他にも数人の死者が出ました。紛争はますます激しさを増し、2001年8月には大統領Hugo Banzerは病気を理由に辞職し、その後、政府は水道事業の民営化(Privatization)を規定した法律の破棄を余儀なくされました。事の成り行きに流石のベクテル社も撤退を強いられることになりましたが、もちろん、ただでは引き下がりません。契約違反だとして多額の賠償金の支払いを貧しい小国ボリビアに求めました。
 このコチャバンバの水闘争が2005年の大統領選挙での、反米、反世界銀行、反民営化、反グローバリゼーションの先住民エボ・モラレスの当選とつながっているのは明らかです。モラレスはコチャバンバ地方を拠点とする農民運動の指導者でした。
 水道事業の私営化についてのベクテル社の魔手はフィリッピンやインドやアフリカ諸国にも及び、ベクテル社は今や世界一の水道事業(もっと一般に水商売と言った方が適切ですが)請負会社です。ローカルな反対運動は各地で起きていますが、今までの所それが成功したのはコチャバンバだけのようです。水資源の争奪は、人類に取って、今までの石油資源の争奪戦争を継ぐものになると思われます。石油事業におけるベクテル社の活動の歴史については是非 ネットでお調べ下さい。アメリカの兵器産業といえば、質量ともに世界ダントツです。その最高の研究施設であるロスアラモスもリヴァモアも今や実質的にベクテル社の支配下にあります。
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 今のラテンアメリカで最も面白い人物エバ・モラレスのことは、拙著『アメリカン・ドリームという悪夢』(2010年)に既に書きました。その文章の一部は、このブログの記事『オバマ大統領のノーベル平和賞受賞講演』(2010年1月6日)にも転載しましたが、彼の事をご存じない方々の便宜のため、以下に、再転載します。世界中のいわゆる“先住民”のことが気になる、そして、彼らの持つ一種の精神的特性がどうしても気になる私にとって、エバ・モラレスは、とりわけ、気になる存在です。
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 オバマ大統領のノーベル平和賞受賞については、もちろん、受賞が発表された直後から、世界中でしきりに議論がわき起こった。2009年10月15日の日付で、キューバのフィデル・カストロは『エボにノーベル賞を(A Nobel Prize for Evo)』と題する一文を彼の論説シリーズ「フィデルの省察録」(米国月刊雑誌「マンスリー・レヴュー」に連載)に発表し、彼の友人エボ・モラレスこそノーベル平和賞受賞にふさわしいと論じている。
 エボ・モラレスが大統領を務めるボリビア共和国は南アメリカの内陸国で開発水準は低い。人口の約60%は先住民(インディオ)、それに先住民と他の民族との混血者を加えると90%近くになる。エボ・モラレスはアイマラ・インディオ、農民運動の指導者として政界に登場、2005年に大統領になり、2007年には日本を訪れている。親しい友人としてのフィデル・カストロは次のように語る。:
■ 極貧の先住民百姓エボ・モラレスは、6歳になる前から、先住民のラマ(南米産のラクダ科動物)の世話をするために、父にしたがってアンデスの山々をほっつき歩いた。彼はラマたちを連れて15日間歩き続け、市場に辿り着いて彼等を売り、のために食料を買った。そうした経験についての私の質問に答えて、エボは「わたしは千のスターのホテルで夜を過ごしたものさ」と言った。天体望遠鏡の設置場所となることもあるアンデスの山々の澄み切った夜空の、なんと美しい描写であろう。
そうした彼の貧困の少年時代で、での百姓暮らしの唯一の代替は、アルゼンチンのジュジュイ州に出かけてサトウキビを伐採する仕事に出稼ぎすることだった。その場所、ラ・ヒゲラから遠からぬ場所で、1967年10月9日、無武装のチェ・ゲバラが殺害されたが、エボはまだ8歳にもなっていなかった。彼は両親と子供たちが住んでいた一室だけの掘建て小屋から5キロの距離にあった小さな公立小学校に歩いて通い、スペイン語の読み書きを習ったのだった。
彼の運任せの少年時代を通して、エボは師と仰ぐべき人があれば何処であろうと出かけたものだ。彼の種族からは、三つの道徳原理を学んだ:嘘をつくな、盗むな、泣き虫になるな。
13歳の時、彼の父親は、シニア・ハイスクールで勉強するためにエボがサン・ペドロ・デ・オルロに移り住むことを許した。これはとても重要なことだが、学費を払うために、エボは午前2時に起きて、パン屋でパンを焼き、建設現場で働き、その他、肉体労働は何でもした。学校は午後出席した。彼の級友たちは心を打たれて、彼を何かと助けた。小さい頃から、あれこれの笛を吹くことを覚え、オルロで名の知れたバンドのトランペット奏者をつとめたことさえあった。また、10代の若者として、のサッカー・チームを結成し、そのキャプテンだったこともある。しかし、大学進学は貧乏なアイマラ・インディオの望めることを越えていた。■
カストロは、さらに、社会運動指導者としてのエボ・モラレスの成長を辿るのだが、その部分は省略して、2005年に大統領に就任した彼の驚くべき業績について語った部分に移る。:
■ ボリビアは、一人のアイマヤ族の大統領の指導のもとで、アイマヤ族の人々に支えられて、素晴らしいプログラムを促進している。文盲は3年足らずで克服された。82万4千人のボリビア人が読み書きの能力を身につけた。ボリビアは(ラテン・アメリカで)キューバとベネゼラにつづいて、文盲者を根絶した三番目の国となった。ボリビアは、無料医療を、以前にはそんなものを経験したことのなかった数百万の国民にもたらしている。ボリビアは、過去5年間で、幼児死亡率の最大の低下を示した世界の7カ国の一つであり、45万4千人に眼科手術を行なった。その7万6千人は、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、パラグアイの人々である。ボリビアは、一年生から8年生までの生徒の学校関係費用を支払うという野心的な社会的プログラムを開始した。約2百万の生徒たちがその恩恵を受ける。また、60歳以上の70万人以上の人々は年342(米)ドル相当の手当を受け取る。すべての妊婦と2歳以下の子供には257ドル相当の手当が支給される。・・・・・2009年12月6日には総選挙がある。この大統領に対する国民の支持が増大するのは確実だ。彼の威信と人気の増大を止めるものは何もない。■
フィデル・カストロのこの予言は、12月6日、見事に実証された。エボ・モラレスは、OAS(米州機構)やEU (ヨーロッパ連合)などが送った選挙監視人たちも賞賛する完全に公正で平和な総選挙で、約65%の得票で圧勝して、大統領に再選された(2010年-2015年)。たしかに、このアイマラ・インディオの男はノーベル平和賞に値する人物の一人のようだ。
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 先々月、2014年6月14日と15日の2日、ボリビア多民族国のサンタ・クルスでG77(ジーセブンティセブン、77カ国グループ)のサミット会議が、ボリビア大統領エボ・モラレスの主宰のもとで行なわれました。「G7とかG8とかG20なら知っているけど、G77って何?」しかも、今年のG77会議はこのグループが結成されてから50周年の記念の集会なのだそうです。私は何も知りませんでした。G77は、1964年6月15日、ジュネーブでの国連の会合を機に、77の発展途上国が貿易経済の発展のため相互協力を目指して結成され、共同声明を発したことに始まりました。現在ではメンバー国は133に増加しましたが、象徴的にG77の呼び名を保存しています。今年の集会には中国が加わり、将来ロシアの参加の可能性もあります。今年の50周年記念サミットのタイトルは『良く生きるための新しい世界秩序に向けて(<スペイン語>HACIA UN NUEVO ORDEN MUNDIAL PARA VIVIR BIEN, <英語>TOWARDS A NEW WORLD ORDER FOR LIVING WELL)』、この些か妙なタイトルにも私は強く興味を刺激されました。“良く生きる(VIVIR BIEN)”とは一体何を意味するのか? この表現、あるいは標語が、今回の2014年G77サミットのために思いつかれたキャッチフレーズではなく、先住民の生活姿勢に深く根付いた思想として、モラレスが5年程も前から積極的に高唱していることを知って、私の興味は一層ふくれ上がりました。
 会議第一日(6月14日)の夕刻8時からモラレスの公式演説が行なわれ、15日には242の項目を含む宣言が採択されました。次回から、その演説と宣言の内容をかなり詳しく見て行くことにします。

藤永 茂 (2014年8月6日、広島原爆の日)