私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

リビアの惨状(1)

2013-10-31 11:37:29 | 日記・エッセイ・コラム
 米欧の圧倒的な暴力によって破壊し尽くされたカダフィのリビアの惨状がとうとうマスメディアの報道に大写しになり始めました。隠しおおせなくなったからです。
 日本人の大部分はリビアのことなんか殆ど忘れてしまったでしょうが、米欧の暴挙を進んで支持し、独裁者を排して民主主義国として誕生した筈の新生リビアを言祝いだ論客たち専門家たちは、今どういう心理状態にあるのでしょうか? やはり気になります。
 これらの人たちは強大なマスコミのシステムの上で発言の場を持ち、世間的にvisible(目立つ)な地位を占めています。メディア(報道媒体)を通じて一般大衆に影響を与える見地から、こうした人々をひっくるめてジャーナリストと呼ぶことにします。ジョージ・オーウェル(彼自身も広義のジャーナリストでした)が大昔に既に喝破したように、報道言論に対する権力側のコントロールはジャーナリストたちによって自主的に(voluntarily)行なわれます。ボランティア活動です。何故そんな情けないことになるのか? 現実的な欲望に支配されてしまうからだと思います。ビジブルなままで居たい、発言の場を失いたくない、高収入を落としたくない、消されてしまっては元も子もない。心理層的にその一つ上のレベルで彼らは自己弁護に極めて能弁なのが普通です。自分自身をうまく丸め込んでしまうのでしょう。こうして、彼らは権力側の意向に見事に身をすり寄せた発言を始めるのだろうと考えられます。
 それにしても、今になって、実は新生リビアは目を覆うようなひどいことになっている事を報じるジャーナリストたちの筆致には、つい頭をかしげてしまいたくなります。筆者の本心が何処にあるかが、正直なところ、私には的確に読めないからです。本心を隠しているのではなく、病膏肓に入るということかも知れません。それを特に痛感したのは、英国のフィナンシャル・タイムズ紙の10月11日の社説『首相拉致で露呈したリビアの惨状』です。日本経済新聞に出た翻訳を借用します。:
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(2013年10月11日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
 リビアの首都トリポリの中心部でゼイダン首相が一時拉致された事件は、同国政府と西側諸国にとって不吉な前兆だ。カダフィ政権崩壊から2年近くたつが、リビアの民主主義への移行は混乱に陥っている。
 ゼイダン氏は10日、首相の住居に押し入った武装勢力に拉致された。米国が国際テロ組織「アルカイダ」幹部のアナス・リビー被告を拘束した際に、リビア政府が黙認したとされることに対する報復なのは明らかだ。首相は数時間後には解放されたが、拉致のダメージは深刻で長期に及ぶだろう。首相の警護が手薄であることが明らかになったからだ。ゼイダン氏は名ばかりのリーダーにすぎない。
 今回の拉致事件で、発足から日が浅いリビア政府のもろさが露呈した。昨年、比較的自由な選挙が実施されたにもかかわらず、リビアには信頼できる中央政権がなく、様々な民兵組織が国土を支配している。民兵組織の多くはリビア政府に雇われているが、政府に従う組織はほとんどない。
 最大の問題は治安だ。政府は政治家や活動家、裁判官、治安当局者への相次ぐ襲撃に脅かされている。昨年には駐リビア米大使が殺害され、わずか1週間前にも武装勢力による攻撃を受けロシアの外交官が避難する騒ぎがあった。
■西側諸国は関与を続けるべき
 暴力事件の多発は経済にも打撃を与えている。リビアはアフリカ最大の石油埋蔵量を誇るが、深刻な混乱を受けて政府は電力を確保するために軽油の輸入に踏み切った。不法行為の横行で、海外投資家や専門家による国の再建も進んでいない。
 カダフィ政権崩壊を達成したからといって、西側諸国はリビアに背を向けるべきではない。自らの利益のためにも関与し続けることが必要だ。リビー被告を拘束した対テロ軍事作戦で、リビアが無法地帯と化し、アルカイダの関連組織「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」の新たな隠れ場所になるリスクがあることが浮き彫りとなった。リビアから欧州を目指す難民がさらに増えることを望む者はいない。イタリア南部沖で先週沈没した移民船も、リビアのミスラタから出航していた。
 とはいえ、国際社会がリビアの問題を全て解決できるわけではない。最終的に国の命運を握るのはゼイダン首相だ。首相は西側が援助した資金を民兵組織を政府支配下に置く手段として使わず、組織の衝突を解決するために使っている。首相が心を入れ替えない限り、リビアが破綻国家に仲間入りするのを恐々と見ているしかない。
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上の記事についてのコメントを始める準備として、いわゆるリビア内戦(本当はほぼ全く国外で用意された外戦)のお復習いをします。
 2011年2月17日リビア東部のベンガジで「アラブの春」と見せかけた(今はその見せかけも消えてしまいました)民衆反乱が、2月20日には同様の反政府デモが首都トリポリでも発生しました。カダフィ政府はその鎮圧に動きましたが特別猛烈ではありませんでした。しかし、2月27日、半国際的規模でNTC(National Transitional Council)という臨時政権組織があっという間に出来上がって、3月10日にはフランスが先頭を切って、リビア国民を代表する政府組織としてNTCを承認しました。3月17日には国連の安全保障会議が賛成10、反対0、棄権5(ロシア、中国を含む)で決議1973を議決し、それには「リビア内の民間人を守るために必要なあらゆる手段を使用する」ことが承認されていて、3月19日にはフランス空軍を主力とするNATO空軍の猛爆が開始されました。トントン拍子の展開、何という手回しの良さ!! このNATO空軍の猛爆は10月末に終了するまでに、出撃回数2万6千回、ミサイル爆撃行1万回を数えました。8月22日に反政府軍が首都トリポリに入り、10月20日にカダフィの出身地シルテでカダフィは惨殺されます。10月23日、リビア開放宣言、26日、シルテが破壊し尽くされて陥落し、リビア戦争は終結を迎えました。
 翌2012年7月“民主選挙”が行なわれ、GNC(General National Congress) が成立し、2012年11月、臨時政府(NTC)が解散して、外国帰りの操り人形ゼイダン氏が正式政府の首相に就任しました。
 私はNATOの爆撃が始まった直後の2011年3月30日のブログ記事『リビアは全く別の問題である』を、次のように結びました。:
■「現在、欧米とアラブの反カダフィ勢力は強力ですから、カダフィの命運は尽きたのも同然でしょう。一巻の終わりです。しかし、今度の裏切られた「アラブの春」の情景の中に、嘘に塗り固められた、しかし、それ故に赤裸々な欧米諸国の真の姿を見抜いた無数の若い黒人たちが、北アフリカにも、南アフリカにも、いや世界中に、居ることでしょう。彼らの力のマグマがゆっくりと沈殿し鬱積して、何時の日か、アフリカの地底から天に向かって噴き上がる日が必ず来るに違いありません。「アフリカの春」はどうしても実現されなければなりません。」■
 さて、過去の復習が終った所で、もう一度、フィナンシャル・タイムズ紙の本年10月11日の社説『首相拉致で露呈したリビアの惨状』を読んで下さい。戦争を起こした米欧が予期しなかった困難がリビアを襲っていることがもう覆い隠せないことはこの社説からも明らかですが、問題はこれを書いた論説委員の語り口です。リビアが呈している惨状はひとえにゼイダン首相の無能のせいだと決めつけています。特に後半の「西側諸国は関与を続けるべき」という所では、西側諸国が巨額の軍事費をつぎ込んでカダフィ政権を倒してやったのに、ゼイダン首相に率いられるリビア人たちはヘマばかりやっている、このままでは我々も損害を蒙るから、これから先も助けてやらなければなるまい、という語り口、そして、その最悪の部分は次に原文を掲げる終結部です。:
■ However, the wider world cannot fix all of Libya’s ills. Ultimately, Mr Zeidan must get a grip on his country’s destiny. The prime minister has been too willing to buy off the warring militias with western cash rather than using these subsidies as a lever to place them under government control. Unless he gets a grip, the west can only look on in horror as Libya joins the dismal ranks of failed states. ■
何という、最も悪しき意味で paternalistic な恩着せがましい言葉使いでしょう。
実は、米欧側はこの侵略戦争で狙った目的は十分に達成に成功したのです。米欧の本心は「後は野となれ山となれ(After us the deluge)」以外の何ものでもありません。もともと“独裁者”カダフィの暴虐からリビアの一般市民を守るなどという口実は始めから終りまで真っ赤な嘘でしかなかったのですから。
 その事は上の社説の書きぶりにも現れています。一般市民の住み心地では、アフリカ大陸で最高の水準にあり、衣食住、教育、医療保険などの社会政策の面では米国の中下層民のそれより遥かに恵まれていたリビアの人々の日常生活の激変苦難については、この記事では、ただ二カ所、首都トリポリでさえ社会的混乱から停電がしばしば起っていること、生活環境の劣悪化を逃れようとして海に出た難民船がイタリーの沖で難破沈没して多数の死者がでたこと、を報じるのに、
「リビアはアフリカ最大の石油埋蔵量を誇るが、深刻な混乱を受けて政府は電力を確保するために軽油の輸入に踏み切った。不法行為の横行で、海外投資家や専門家による国の再建も進んでいない。」
「リビアから欧州を目指す難民がさらに増えることを望む者はいない。イタリア南部沖で先週沈没した移民船も、リビアのミスラタから出航していた。」
といった調子であくまで欧米側の利害本位の筆致です。このフィナンシャル・タイムズ紙の社説を書いた論説委員がリビアの人々のむごたらしい苦難の実情を知りながら、フィナンシャル・タイムズ紙として許されるトーンに筆を落として書いたのか、それとも、筆者自身の考え方がそのまま社説に表れているのか、私はいささか判断に迷いますが、おそらくこの語り口は筆者自身のものであろうという気がしてなりません。(続く)

藤永 茂 (2013年10月31日)



シムカップ(占冠)の森

2013-10-08 09:59:39 | 日記・エッセイ・コラム
 日曜の朝(10月6日)何とはなしにテレビを観ていましたら、北海道の「占冠の森」の美しい映像が流れ、そこに住む小鳥たちの子育ての様子や深々とした海霧の立ち振る舞いが目を楽しませてくれました。占冠(シムカップ)の村は富良野の南にあり、村のホームページには「占冠(シムカップ)の名前の由来は、アイヌ語の「シモカプ(shimokap)」からで、『とても静かで平和な上流の場所』のことを意味しています。その名の通り今も変わらず、静かで平和な村です。」とあります。その名にまことにふさわしい映像の数々を見ながら、心の中でとりとめのないあれこれの想いが流れました。それを書き留めることにします。
 カナダで私が住んでいたアルバータ州の首都エドモントン市を西から東に流れの速い大きな川が市街地を南北に分けて流れています。北サスカチュワン川がその名称で1300キロの長さの大河です。「サスカチュワン」は原住民(いわゆる北米インディアン)の言葉で「迅速で滑らかに流れる」ことを意味するのだそうです。考えてみると、カナダでは原住民が使っていた土地の呼称あるいはそれが訛ったものが多数使われています。アルバータ州の東の隣州はサスカチュアン州、その東にはマニトバ州(マニトゥ「大自然の魂」から)、その州都の名のウィニペグ(Winnipeg)は「濁った湖」を意味する言葉です。すこし昔のかたがたなら多分ミルンの『クマのプーさん(Winnie-the-Pooh)』をご存じでしょう。モデルになった小熊はウィニペグからロンドンに行ったのでした。そんな事を思い出しながら、ひょいと思いついたのですが、アイヌ語から取って無理な漢字を当てた北海道の地名はすべてアイヌ言語の発音に近いカタカナ表示に戻したらどうでしょう。北海道はもともとアイヌの土地だったのですから。「占冠」とむつかしい当て字を使うよりも「シムカップ」のほうが、誰にとっても、ずっと分かり易いし憶え易い。それに、この頃の日本人はやたらに外国語(米欧語)をカタカナにして使うのが好きではありませんか。
 今朝のニュースで大銀行からの暴力団への融資が問題になっていましたが、当事者たちが“コンプライアンス”などなどのカタカナ語を乱発するので私どものような老人には何のことかよく分かりません。普通の日本語に訳して分かり易く話をしてほしいものです。料理用語にしてもカタカナ語が、カタカナ野菜が、カタカナ食材が氾濫して、日本料理の言葉が滅びつつあります。日本料理を楽しむ日本人の本来の味覚そのものが失われつつあるかも知れません。
 いや、そんなことはある筈がない、日本人のほぼ誰もが食べることに異様なまでの執心で、その舌、その味覚をいやが上にも磨いている今の世の中、日本料理、中国料理、西洋料理を問わず、大小の名店や宿泊施設で名うての料理達人、名人シェフが絶妙な腕を振るい、その評判に惹かれて美食家たちが列をなすというのに、日本人の味覚のレベルが昔より劣化したした等という事はありえない、という反論が聞こえてきます。日本の食文化の高さは日本の誇りという声もあるでしょう。しかし、どうも心配です。
 私は、四半世紀ほど前に、臭覚に異常をきたし、やがて正常な臭覚を失いました。臭覚を失うことは同時に味覚の豊かさの大部分を失うことだ、覚悟しなさい、と世話になったカナダ人医師から告げられました。ですから私には料理のことをとやかく言う資格は全くないのですが、それでも時折読むのを楽しみにしている料理の本があります。湯木 貞一著『吉兆味ばなし 一、二、三』です。よい話が沢山あります。一例として、その二冊目(二)の35頁の「うす味こそ日本料理」のはじめのところを少し紹介しましょう。:
■ 日本料理でいちばん大事なことは、うす味でものを食べる、ということにあるとおもいます。
 うす味ということは、材料そのものの味を殺さない、引き立てるということで、そこが西洋料理や中国料理とちがうところです。ですから、ご家庭でも日本料理ふうなおかずを作られる場合は、なんとか、うす味のよさを味わう、ということを頭に入れていただきたいものです。
 このうす味というのは、日本料理のどれにいちばん表現されるかというと、それは、おつゆ、お椀物ですね。日本料理のいちばんは私たちは「椀、刺」とひとことにいいますが、ハイライトはなんといってもお椀とお刺身ですね。
 なかでも、このお椀の味にいちばん気をつかいますが、それができるだけうす味で、得心できる線にもっていく、それをたべたい、召し上っていただきたい、それが、日本料理の、もう真骨頂なのです。
 日本の国ってありがたいな、と思ってもらえるものの一つは、日本料理にあると思えますし、そこには、このうす味のよさというものが生きているからだと思います。
 その根本は、日本の国で育った自然のものを、その味を生かしておいしくたべる、それが日本料理のたてまえで、もし、うす味加減のたのしさがなかったら、日本料理を味わう幸福を、どこかへ落としてしまったようなものですね。■
 私はカナダ国籍を取って40年間カナダに住んでいましたから、私が日本に帰ると言い出した時には、多くの人が驚いたようでした。何度もその理由を質されて「日本のお漬け物(pickles)が食べたくなったから」と答えるのが常になりましたが、私の答えを聞いたカナダ人で、ピクルスという英語から日本のお漬け物の素晴らしい豊かさを想像しえた人はなかったと思います。いま考えてみると、私がその場逃れに思いついた方便の答えには自分の内心の真実が含まれていたようです。私は私を育んでくれた日本の山野、日本の食べ物、日本の暮しぶりが好きなのであり、40年間外国に住んでみてもその気持は変わらなかったという、それだけの事であったのだと思います。私は、この日頃また耳につきだした“愛国者”ではありません。日本人であることを特別誇りに思っているわけでもありません。自分の国が、自分たちが、他の国、他の国民より優れていて誇るべきものであると考えるのは決してよいことではないと思っています。害があるばかりです。米国をご覧なさい。ここで、湯木 貞一さんの美しい言葉に戻りましょう。「日本の国で育った自然のものを、その味を生かしておいしくたべる」のが「日本料理を味わう幸福」というものであって、それを「日本の国ってありがたいな」と思うだけで十分です。日本人らしからぬ昨今の美食文化の過度の喧噪の中に日本のこころを失うことがないようにしたいものです。

藤永 茂 (2013年10月8日)



Re: スバム

2013-10-03 19:18:59 | 日記・エッセイ・コラム
「千早」という方から、私のブログ記事『8月21日にサリンを使ったのは』に下記のようなコメントを頂きましたが、どういうわけか、OCNの判断でスバム扱いになっていました。私が記事の中で言及したフィスク氏についても貴重な情報を含んでいますので、頂いたコメントをブログの記事として掲載します。
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9/11は明らかに内部犯行です。
それはhttp://patriotsquestion911.com/
でどんな人物が何と言っているかを見ても明白だが、高校(以前だと私は思うけど)の物理の知識さえあれば、WTC3つのタワー崩壊の公式説明が嘘だとわかる。無数の疑問があるのに、権力者やメディアは無視を続ける。

マデリン・オルブライトが如何に弁明しようと、あの発言は「反吐が出る」では済まない最低の低、下の下のシロモノでした。

フィスクには、彼が2005年9月29日メルボルン大学で講演したときに少しばかり言葉を交わしました。向かい合って立ち話。
http://asialink.unimelb.edu.au/media/media_releases/sell-out_public_lecture_with_robert_fisk

その講演ですが、藤永さんが仰る「行間を読め」方式で聞くと、彼は「オサマはやってない!無実だ!!」と叫んでいましたね。これは私がすでに9/11公式説の嘘に気づいていたから言うのではなく、オサマをインタビューしに行ったときのことを説明しながら、オサマが如何に思慮深く、礼儀正しい人物だったかと、まさに褒め称えるような描写でした。

当時は聴衆のほぼ100%が公式説を鵜呑みにしている時代でしたから、人々からのそうした空気を察してフィスクは「でも部下に対しては荒っぽい男だったけどね」と、ギャップを取り繕っていましたが。

直に話したとき、フィスクは言質を取られたくないだろうと私は察していたので、この話は敢えてせず、イラクにおける劣化ウランについて聞きました。が、何しろ私は劣化ウランのピカ一の専門家を友人に持っているので、何も新たな情報はもらえませんでしたけれども。

とにかくこのフィスクの密かな訴えはその後も彼の記事のなかに出ていましたし(それはTUP速報で訳したか、内部のMLで書いた)、再度確信を得たのは、のちにトンデモの詐欺師だと判明した「きくちゆみ」(当時は仲間と信じていた)から"ZERO - Investigation into 9/11"の翻訳を手伝えと言われたときです。

ボロボロの訳だったので相当の手直しを入れ、完成前に彼女の正体が見えて、その経緯もブログに書いていますが、とにかくそのなかにフィスクの文章からの引用があるのです(YouTubeに私が訳したものを誰かが字幕にしてくれたバージョンが載っています)。それの訳の手直しに当該記事を探して読んだとき、フィスクの「オサマは無実だ!」の叫びがまたはっきりと聞こえました。

腐敗した「国家権力(と信じ込まれているもの)が、その政治的目的を達成する軍事行動を開始するための口実として、信じられないような残虐行為を行ないうるという」のは例を挙げるに暇がないのでは?

軍事行動に限らず、一般市民の自由や権利を奪うためには、タスマニアで起きたポート・アーサーの虐殺や秋葉原で起きた殺傷事件(加藤死刑囚は冤罪http://insidejobjp.blogspot.com/2012/08/blog-post.html)は十分に役立ちました。前者で単独犯に仕立て上げられたマーティン・ブライアント(12歳程度の知能しか持たず、SAS並みの犯行は不可能)が終身刑宣告を受ける前後来豪したビル・クリントンは当時の首相、腐りきったジョン・ハワードに
"Well done Johnny, with the guns!"
と言ったのです。あそこでは日本人観光客も犠牲になったはず。

また最近起きたボストンの事件も完全にヤラセがミエミエで、笑えるほど。米国憲法修正第2条を見れば、アメリカの平和を愛する者でも、それは「祖先が、腐敗した政府を倒すときのために作ってくれたもの」と言います。腐敗した権力者は一般市民が武器を持つのを嫌うのです。こうして隠された事実を直視せずに、本当の解決策を練ることは不可能だと思っています。

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藤永 茂     (2013年10月3日)