私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

CUI BONO(得をするのは誰だ)

2015-11-24 21:40:06 | 日記
カナダという国はこれと言った国民的英雄がいないという一種の清々しさを持っています。国民的英雄など居なくても良いのですが、カナダのそれにふさわしい人として、私は、ノーマン・ベチューンを挙げたいと思います。昔、拙著『おいぼれ犬と新しい芸』(岩波現代選書、1984年)に書いた文章を引き写します。:
*****
 ノーマン・ベチューンは1890年3月3日、オンタリオ州のグレイブンハーストで生まれた。幼時から気性の激しい、扱いにくい子供だった。トロント大学医学部を卒業し、やがてアメリカのデトロイトで外科医として開業したが、過労のため肺結核を患い、サナトリウムに入った。両肺をともに冒されて希望を失いかけたが、気胸外科手術で救われ、それがきっかけとなって肺結核の外科手術の進歩に大きな貢献をした。ベチューンがデザインした肺手術の器具も多数世に出た。烈しく奇矯な性格のため周囲と衝突を繰り返しながらも、外科医としての名声を築いていったが、1929年に始まった世界経済大恐慌はベチューンの目を社会の経済的矛盾へ向けさせた。医学の進歩だけでは人々の病苦が消せるものでないことを悟ったのである。1935年の夏、国際学会でソ連を訪れる機会があり、そこでは、収入の如何にかかわらず、誰もが無料で医療を受けているのを目の当たりにして感動し、1936年4月にはモントリオールで社会医療制度の提案を行った。
 「今我々がやっている医療は、一つの贅沢商売だ。パンとして売るべきものを、宝石の値段で売っている。」
 ところが、肝心の同僚の医師たちから、最も激しい反対を受け、白眼視されるに及んで、ベチューンはカナダの社会に愛想をつかしてしまい、1936年10月、スペインに渡って、その内戦に参加した。人々に無意味な死を強いる悪の根源としてのファシズムに対する直接の戦いを始めたのである。
 ベチューンは野戦医療史上初めての医療輸血班を編成して前線で多数の兵士を死から救った。スペインの内戦はファシズムの勝利に終わるが、ベチューンは目をスペインから中国に転じて、1938年3月に延安で毛沢東と会い、強く希望して共産八路軍の抗日最前線に身を挺した。そこでは医療要員が極度に不足していた。ベチューンは何の素地もない者たちを集めて、文字通り、消毒法のイロハから教育を始めねばならなかった。しかし、苦しい抗日闘争に倒れてゆく八路軍の兵士たちと、それと一体になって戦う民衆の中での生活を通じて、彼らこそが、自分に生き方を教えてくれる教師であると、ベチューンは自覚するに至り、その兵士たちの生命を守ることに、昼夜の別を忘れ、心身を激しく消耗し尽くしてゆく。延安の山奥でのベチューンの人間としての変貌は、谷仲村での田中正造の「悔い改め」を想起させる。谷仲の村民を指導して戦うべく乗り込んできた田中正造は、やがて、自分こそが、村民達から学ぶべき者であることを自覚するに至る。
 1939年11月初頭、迫り来る日本軍の銃声を間近に聞きながら行った緊急手術の際、指から感染して敗血症となり、11月12日早暁、号泣する八路軍の兵士達に見守られて世を去った。暗黒の天空をよぎって、激しく燃え尽きた隕石にも似た50年の生涯であった。12月12日、毛沢東は『ノーマン・ベチューンを偲んで』という追悼の辞を発表した。ベチューン(白求恩)の無私の献身をたたえたこの文章の一部は毛語録に収められて、かつては中国全人民必読の文となった。
 死の前年、1938年にベチューンが書いた、『傷』という文章がある。一部を抜粋してみよう。
「もうこれだけか? 日本兵捕虜四名。運び込みたまえ。この、傷の痛みに苦しむ者たちの溜まり場には、敵などというものはない。血だらけの軍服を引き裂け。出血を止めるのだ。他の負傷者と一緒に寝かせなさい。まったく、兄弟のようにそっくりではないか。この兵隊たちはプロの殺し屋だろうか? いや、そうではない。武器を手にしただけの素人だ。労働者の手をしている。この人たちは軍服を着せられた労働者だ。
 これで全部。朝6時。おお、この部屋の寒いこと。ドアをあけて外へ。東に遥かな暗青色の峰々の上に、青白いほのかな光が見える。一時間もすれば日が昇る。床について寝る。
 しかし、眠りは来ない。この残酷、この愚行、いったい何がその因なのか? 百万の労働者が日本からやってきて、百万の中国労働者を殺し、片わにする。日本の労働者はその兄弟の中国労働者に、ただ余儀なく身を守ろうとする中国労働者に、なぜ、攻めかからなければならないのか? 日本の労働者は中国の労働者の死から何か得をするのか? いや、何の得があろう。ありえよう。だとすれば、いったい、得をするのは誰なのか? これらの日本の労働者をこの殺人行に送り出している元凶は誰なのだ。誰がそれから甘い汁を吸っているのだ。その貧困と悲惨において兄弟であり友でもある中国の労働者に襲い掛かるように、日本の労働者を説得することが、どうして可能であったのか?」
 ノーマン・ベチューンが強くその実現を希望したカナダの社会医療保障制度は第二次世界大戦後に発足して、次第に充実改善を重ねた現在のカナダの医療保障システムはアメリカのそれよりも格段に優れているというのが通説である。
*****
 「得をするのは誰なのか(CUI BONO)」
今回のパリの惨劇で、我々が発すべきはこの問いです。「ソフト・ターゲットを狙うテロ戦術」などとふざけている場合ではありません。中国労働者に襲いかかった日本労働者が被害者であったと同じ意味で、パリのテロ実行犯も被害者であります。
 得を狙っていた側が慌てているのは明らかです。大戦争への暴発が心配されます。パリのテロ(金曜)の3日後、トルコから進発した米空軍機はシリア北部で集結していた石油輸送トラックの大集団に襲いかかり、その116台を破壊したとニューヨーク・タイムズが報じました。

http://www.nytimes.com/2015/11/17/world/middleeast/us-strikes-syria-oil.html?_r=0

ドローンによる偵察で、もともとその周辺には1000台にものぼる大型石油タンカートラックがうごめいていて、ISがイラク北部の油田から採油した石油を不法輸出して巨大な収益を上げていたのだと言います。米国は、勿論、これを知っていたが、爆撃、銃撃を加えれば、民間人の死傷者が出るので、今まで躊躇していたというのが、米当局の言い分です。
 今更、こんな馬鹿げたことをぬけぬけと言えたものです。私はカナダのアルバータ州という石油生産地に長く住んでいましたので、空からの攻撃によって石油採掘現場、石油精製施設、石油輸送手段を、人的被害を最小にとどめながら破壊し尽くすことが、とりわけ制空権を確保した場合に、如何に容易であるかが、目に見えるように分かります。それに、シリアとその周辺の地図を見て下さい。インターネットで少し探せば、シリア北部のトルコとの国境地帯で、ISの支配地域がトルコと接している100キロほどの部分があることがすぐ分かります。ISは不法石油輸出で月に数十億円の収入があるとされていますが、地図から、この稼ぎはトルコを通して以外には不可能であることは明白です。
 この米空軍によるISの石油輸送トラック集団の襲撃については、更に、呆れ果てたニュースがあります。まず、このニュースに出てくるPBS(Public Broadcasting Service)というテレビシステムについて。米国の非営利、公共放送ネットワークで、コマーシャルがなく、私どももカナダでよく見ていました。非営利、公共ということで、年に何回か募金運動が展開されて、私もしっかりと寄付を続けたものです。その後、内容的に中立性が失われてダメになったとは聞き及んでいましたが、パリ虐殺後のPBSニュースの時間に放映された「何がISを今までで最も富裕なテロ軍団の一つにしたか?(What’s made IS one of the richest terrorist armies ever?)」という放送の中で使用されたISの石油タンクと輸送トラックに対する空襲の模様を伝える空中写真は、実は、ロシア空軍による攻撃のフィルムの借り物だったというのです。今回の空襲は、米空軍として最初のものとPBSははっきりと告げていますが、米空軍は、シリアで、この一年間、いったい何を爆撃していたのでしょうか。米国空軍の爆撃の写真が発表されていないのですから、今回も実は何もしていないのだと疑われても仕方がありません。PBSのインチキを暴いたのは「アラバマの月」というウェブサイトです。

https://www.rt.com/usa/323070-pbs-isis-video-russian/

http://www.moonofalabama.org/2015/11/pbs-uses-russian-airstrike-videos-to-claim-us-airstrike-successes.html

PBSニュースには事情に詳しい専門家なるものが出てきて、財政的にISを締め上げるのは不可能だと、理由をあれこれあげて力説していますが、もし米国の支配権力にその気があれば、トルコ、サウジアラビア、カタール、イスラエルにIS扼殺の意向を伝えれば済むことです。ISを絞め殺すことが不可能な理由は、米国がそうしないから、そうする気がないからであって、ISが石油を掌握しているとか、シリアの市民に重税を課しているからではありません。
 しかし、本当の問題は、パリの虐殺の現場を花と蝋燭の灯りで満たしているパリの大衆たちが、誰を本当の悪と考えているか、CUI BONO(得をするのは誰か)の問いを、マスメディアの洗脳に抗って、正しく厳しく投げかけているか、にあります。

藤永茂 (2015年11月24日)
コメント

巨悪

2015-11-17 21:23:30 | 日記・エッセイ・コラム
 トーマス・マートンのエッセー集『RAIDS on the unspeakable』を入手して読み始めました。一度通読しましたが、あまりよく分かりません。マートン自身はこのエッセー集をRAIDSと呼びます。ごく仮に『闇の奥の奥への遊撃』とでも訳しておきましょうか。the unspeakableは「言葉にならない巨悪」のようなものを指しているのだと思います。この本を開いて最初に出会うのはフランスの実存主義哲学者でキリスト教徒のガブリエル・マルセルの次の言葉です。:
「現今、哲学者の第一の、おそらく唯一の義務は、人間を人間自身から守ることである。:そうとは意識しないままに、あまりにも多くの人たちが屈してしまった非人道的行為へのあの異常な誘惑に抗い、人間を守ることである。」

 マートンのこの本は、長く(私は年寄りなので死ぬまで)私の心から離れないことでしょう。これは、マートンというキリスト教修道僧の静謐にしてしかも強烈な精神に映った、いわゆる“60年代”の世界の、そして人間の状況です。1963年11月22日12時30分、ジョン・ケネディ大統領がダラスで射殺された事件を、私は、サンホゼのIBM研究所内での臨時ニュース放送で知りました。同僚の研究所員たちの興奮が昨日のように思い出されます。“60年代”のアメリカは暗殺の時代でした。:ジョン・ケネディ(1963年)、マルコムX(1965年)、マーチン・ルーサー・キング(1968年)、ロバート・ケネディ(1968年)、フレッド・ハンプトン(1969年)。我々は、これに更にトーマス・マートン(1968年)の名と加えるべきなのかもしれません。恐ろしいことです。
 しかし、彼は身に迫る死の予感を語ろうとしていたのではありません。言葉にならない大きな悪の力の存在を我々に告げ、それに立ち向かう方途を共に見いだすことを試みたのであろうと、私には思われます。
 
藤永茂 (2015年11月17日)
コメント (3)

トーマス・マートン、ショウクウェイ・ルムンバ、暗殺大国アメリカ

2015-11-08 20:20:31 | 日記・エッセイ・コラム
 ローマ教皇フランシス一世は、2015年9月24日、米国の両院合同の国会で講演し、その中で、今年か来年が何らかの記念の年に当たる重要な米国人として、アブラハム・リンカーン、マーチン・ルーサー・キング、ドロシー・デイ、トーマス・マートンの4人の名をあげました。初めの二人は米国人のほぼ誰もが知っているでしょうが、後の二人は違います。Dorothy Day (1897~1980) は米国の女傑の一人で、若い頃は共産主義者、やがてカトリック信者となり、労働運動に挺身した、激しい気性の人でした。Thomas Merton(1915~1968)の知名度は更に低いと考えられます。米国国会議員の中にも「マートンって誰?」と頭をひねった人が沢山いた筈です。ネットで見る限り、日本では殆ど無名の状態です。マートンは、カトリック教の修道僧で、1948年に出版した自伝『七層の山(The Seven Storey Mountain)』がベストセラーになり、その後も盛んな文筆活動を続けましたから、“知る人ぞ知る”存在ではありますが、ファンの数は限られていると思われます。ベトナム戦争反対、核兵器反対の筆鋒は激しく、私なども大いに啓発されました。彼の文学論からも感銘を受けました。彼のカミュ論が、日本では知られてない様子なので、私自身、翻訳してみようかと思ったこともありました。彼のフォークナー論も読み応えがあります。
 教皇フランシス一世は、マートンについて、「マートンは何にもまして祈りの人であり、時代の固定観念に挑戦して、人間の魂とキリスト教会のために新しい地平を開きました。彼はまた対話の人であり、人々と宗教との間の平和の推進者でもありました。(Merton was above all a man of prayer, a thinker who challenged the certitudes of his time and opened new horizons for souls and for the Church. He was also a man of dialogue, a promoter of peace between peoples and religions. )」と米国国会で述べています。マートンについて教皇フランシス一世が言ったことの全体を読んでみたい方々のために、英語全文を引用しておきます。

http://w2.vatican.va/content/francesco/en/speeches/2015/september/documents/papa-francesco_20150924_usa-us-congress.html

A century ago, at the beginning of the Great War, which Pope Benedict XV termed a “pointless slaughter”, another notable American was born: the Cistercian monk Thomas Merton. He remains a source of spiritual inspiration and a guide for many people. In his autobiography he wrote: “I came into the world. Free by nature, in the image of God, I was nevertheless the prisoner of my own violence and my own selfishness, in the image of the world into which I was born. That world was the picture of Hell, full of men like myself, loving God, and yet hating him; born to love him, living instead in fear of hopeless self-contradictory hungers”. Merton was above all a man of prayer, a thinker who challenged the certitudes of his time and opened new horizons for souls and for the Church. He was also a man of dialogue, a promoter of peace between peoples and religions.
From this perspective of dialogue, I would like to recognize the efforts made in recent months to help overcome historic differences linked to painful episodes of the past. It is my duty to build bridges and to help all men and women, in any way possible, to do the same. When countries which have been at odds resume the path of dialogue – a dialogue which may have been interrupted for the most legitimate of reasons – new opportunities open up for all. This has required, and requires, courage and daring, which is not the same as irresponsibility. A good political leader is one who, with the interests of all in mind, seizes the moment in a spirit of openness and pragmatism. A good political leader always opts to initiate processes rather than possessing spaces (cf. Evangelii Gaudium, 222-223).
Being at the service of dialogue and peace also means being truly determined to minimize and, in the long term, to end the many armed conflicts throughout our world. Here we have to ask ourselves: Why are deadly weapons being sold to those who plan to inflict untold suffering on individuals and society? Sadly, the answer, as we all know, is simply for money: money that is drenched in blood, often innocent blood. In the face of this shameful and culpable silence, it is our duty to confront the problem and to stop the arms trade.
Three sons and a daughter of this land, four individuals and four dreams: Lincoln, liberty; Martin Luther King, liberty in plurality and non-exclusion; Dorothy Day, social justice and the rights of persons; and Thomas Merton, the capacity for dialogue and openness to God.
Four representatives of the American people.

 私は、私なりに、長年、マートンのファンですので、今回の教皇フランシス一世の4人の米国人の選択に興味を持ち、関係記事を探して読んでいるうちに、「トーマス・マートンはCIAによって暗殺された」と信じている人が、結構沢山いることを知ったのです。
 ベトナム戦争たけなわの1968年12月、タイのバンコックの南約50キロの会議施設で、キリスト教とそれ以外の宗教も含めた修道僧の集会が開かれ、それに出席したマートンは、10日の昼間、ゲストハウスでシャワーをとった後、部屋の中で、背の高い扇風機が床に倒れたマートンの体にのしかかった形で、死んでいるのが発見されました。電流は流れたままでした。享年53歳。
 その死については実にいろいろの事が報じられ、論議されました。マイケル・モット(Michael Mott)の筆になる『The Seven Mountains of Thomas Merton (1984)』という浩瀚(690頁)な伝記があります。その中にもマートンが死んだ時の状況が詳しく報じられていますが、他殺の可能性には軽くしか触れられていません。私の頭にあったイメージは、感電のショックで心臓麻痺を起こし、仰向きに倒れて、石の床で頭をしたたかに打って死んだ、というもので、CIAのことなど考えてもみませんでした。
 ところが、今回、Wayne Madsen という人の『Is the pope a conspiracy believer? (教皇は陰謀論の信者か?)』という記事を読んで、 

http://www.intrepidreport.com/archives/16385

マートンがCIAによって殺された可能性がゼロではなかったことを改めて考えさせられることになりました。さらに、マートン自身が、死の2年前、そうした可能性に関して一般的に論じている著書があるらしいと知って、それを注文して到着を待っているところです。本のタイトルは『Raids on the Unspeakable (1966)』。マートンが亡くなった1968年は、私がカナダに移住した年で、マーチン・ルーサー・キングとロバート・ケネディが暗殺されました。
 もう一つ、日本人の意識に刻まれていない名を挙げます。ショウクウェイ・ルムンバの元の名はEdwin Finley Taliaferro で、1968年マーチン・ルーサー・キングが暗殺されたのを機に、アフリカから連れてこられた奴隷の後裔としての自覚を深め、名前をChokwe Lumumbaと改めました。英語ウィキペディアによると、ショウクウェイは奴隷にされることに反抗した歴史を持つ中央アフリカの部族の名、ルムンバは1961年暗殺されたコンゴ指導者パトリス・ルムンバから取ってあります。ルムンバの暗殺についてはこのブログでも書いたことがありました。ショウクウェイ・ルムンバは黒人人権運動に精力的に従事し、また弁護士としても名を上げて、2013年6月4日、86%の得票率でミシシッピー州の首都ジャクソンの市長に当選し、7月1日、市長に就任しました。ジャクソン市の人口の約80%は黒人です。ルムンバ市長は、直ちに市の荒廃した下水道や舗装道路の修復などに着手しましたが、翌2014年2月25日、病院で死亡、66歳でした。彼の死は自然死だったと病院は発表しましたが、司法による検死は行われないままです。
 私がショウクウェイ・ルムンバの死に問題があることを知ったのは、私が信頼するグレン・フォードの記事からです。

http://www.blackagendareport.com/content/how-and-why-did-chokwe-lumumba-die

「ショウクウェイ・ルムンバは、“根底から立ち上げる社会変革”のプロセスを出発させるために、ミシシッピー州、ジャクソン市の市長に立候補した。彼は市長になって9ヶ月で亡くなったが、州当局は司法検死を行うことを拒絶した。多数の人々が、彼は支配秩序に挑戦したために暗殺されたのでは、と疑っている - これは当然のことだ、何故なら、“ミシシッピー州はこれより遥かに軽い理由で何千もの黒人を殺してきたのだから。”(Chokwe Lumumba ran for mayor of Jackson, Mississippi in order to set in motion a process of “social transformation from the ground up.” He died eight months into his term, but the state refused to do an autopsy. Lots of folks suspect he was assassinated for challenging the ruling order – which is logical, since “Mississippi has murdered thousands of Black people for far less reason than that.” )」
ここで、“from the ground up”という表現に注意しましょう。普通は「徹底的に始めから」とか「一から」という具合の表現ですが、この場合には、ショウクウェイ・ルムンバの意図していた社会改革が、文字通りの社会の底辺レベルの生活共同体(コミュニティ)から民主的施政のメカニズムを組み上げて行くことであったことを意味していると思います。彼が市長になれたのは、市の黒人人口が80%を超えていたからですが、今のアメリカの政治システムでは、それから先には進めないことを彼は市長になる前から痛感していたに違いありません。穏健な黒人雑誌「エボニイ」の記事にも、彼が協同組合的な経済、参加型民主主義、社会的平等を目標に掲げていたことを指摘しています。
 私は、ここに、近頃、私が考え続けている事との繋がりを見てしまいます。キューバの人たち、シリア/トルコ/イラクのクルド人たち、メキシコのサパティスタの人たちが実現を目指している政治形態と同じだと思うのです。はっきり言ってしまえば、ごく常識的な意味で、本当に民主的な社会を底辺から築き上げて、本当の意味での連邦組織に世界を変えて行くということです。(昔、世界連邦という、今は、虚しい言葉がありました。)私は、このアイディアを素晴らしいものと考え、その実現に大きな期待を寄せています。人類を現在の危機から救ってくれるほぼ唯一のアイディアでしょう。
 しかし、このショウクウェイ・ルムンバという厄介者に対する暗殺大国アメリカの反応は直裁でした。(私はルムンバが暗殺されたことをほぼ信じます。)この米国という暗殺大国のシンボルは、勿論、世界の大空を我が物顔に飛翔するドローン殺人鬼(文字化けでこう出ました。このままにしておきます)です。
 私は、かれこれもう20年ほども前から、一つの空想を抱き続けています。小型ロボットの形での暗殺テクノロジーが、反権力側の人々の手に届けられる日の到来です。殺したい人物を殺すテクノロジーを権力側は既に保有しています。今、逆境に苦しみながら反権力の立場を守り通し、戦い続けている人たちが、極めて確実性の高い暗殺のハイテクを入手したにしても、無闇に暗殺が実行されるとは、私は思いません。それは真の反権力の立場と反りが合わないからです。彼らは権力の取り合いの戦いをしているのではありません。権力の保持拡大のためには個人の暗殺、大量虐殺の実行を躊躇しないような権力システムを消滅させるために戦っているのですから。

藤永茂 (2015年11月8日)
コメント (1)