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生きること:過去と未来とエスペラントと

俳句は世界中の人のもの!! parto 1

2005-06-23 15:32:20 | Weblog
KOMENNCANTOという雑誌をご存知でしょうか。エスペランティストの中にも、まだこの雑誌を手にとって見た人は少ないようです。A4番、16ページ、年6回発行。価格日本円に換算すると2380円(航空便)の薄っぺらな雑誌です。発行しているのはエカテリンブルグに住むロシア人とウズベキスタン人の夫婦です。
 エスペランティストはぜひ購読してください。
KOMENCANTOというのはエスペラントで初心者を意味します。ところがここでの初心者とは言葉についての初心者ではなく、エッセイを書き始めたばかりの人とか、詩作を始めたばかりの人とか、エスペラント史に興味を持ち始めた人とかいろいろな初心者なの事です。ですからこの雑誌を読むのに時にはエスエス辞典を必要とすることもありす。

 見本として送ってくれた昨年の号に俳句の記事を見つけました。アメリカ人の読者が書いたものです。
 俳句について考えてみると小学5年生だったでしょうか、芭蕉の句が出てきた記憶があります。高校生のとき奥の細道を読みました。ですが、俳句をどう読むか教えられた記憶がありません。
 以前,NHKの記録映画でクロアチア人だったか、セルビア人だったか忘れましたが、紛争国の俳人を紹介した番組がありました。でも、彼らが俳句をどう考えているかまでは放送されませんでした。それ以来海外の俳人に少し興味を持ちました。

 そんなわけで、KOMENCANTOに載ったアメリカ人の俳句に関するエッセイを興味を持って読みました。そして、他国の人がどう俳句を解釈しているのか伝えたい気持になりました。しかし、俳句について素養の無い私にはこのエッセイをうまく日本語で表現できない部分もありました。これを読んだどなたかが、補足してくださることを願いつつまとめてみました。

 Kiel legi hajkon (俳句をどう読むか)
 Donald Jakob Uitvlugt
 詩の形式として俳句はもはや日本だけのものではなく、世界的なものなっています。俳句は世界中の殆どの言葉で作られています。
多くの人は俳句とは何か、どう読むかわかっていません。アメリカでは形式が子どもらしいということで学校の宿題に出されたりしますがそれ以上のものではありません。
 ある意味で俳句は子どもっぽいのですが、それは単純な子どものお喋りではありません。俳句が幼稚に見えるのはそれが生活の中の子どものような感性から出ているからです。良い俳句を読むと、誰でも素直な驚きを経験させられ、‘あっ、そうだ、その世界はそうなのだ!’と同感します。
俳句は知識人や達人だけのものではなく、子どものような心を理解できるすべての人のものなのです。

では俳句をどう読み解きましょうか。先ず俳句とは何か理解すべきです。殆どの人が知っているように、俳句は5,7,5の音節を持つ日本生まれの詩の形式です。Parnasa gvidlibro(詩作の指導書)によれば、1番目と三番目の詩句に韻を踏ませるとあります。宮本正雄達、日本の詩のグループはこの韻を踏ませた形式で素晴らしい俳句を創っています。ですが、日本の俳句には韻が無いのですからエスペラントの俳句も勿論韻を踏む必要はありません。俳句は普通自然と人がかかわり合う経験を主題としています。俳句の可能性は作者が自分の経験を読者に提示するだけでなく、自分の経験の中に読者を招き入れて』感動を共にすることにあるのです。これは伝統的な特別な二つの方法で行います:『季語』と『切る、あるいは休止符』による方法によってです。
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