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生きること:過去と未来とエスペラントと

 木造りのSYCHROV城

2005-06-03 08:07:11 | エスペラント
 もう思い出の話は終わりにしましょう! 

 8月1日はヤブロネツの商店街で買い物をしたり、家の裏庭から続く森や泉を散歩して過ごしました。
 私は記念にマリエが使っていたものと同じ形のパン切り機を買いました。現在は電化されているので残っていた手動の最後の物でした。
 でも考えてみると、日本ではハムもチーズもほとんど薄切り、堅い黒パンは面白いように切れるのに、日本の食パンは柔らかすぎて潰れてしまうのです。実用品ではなく、まさに記念品となってしまいました。
    

 夕食は私が街で調達した材料で炊き込みご飯を作りました。長男も付き合ってくれました。

 翌8月2日、ヤブロネツ最後の日です。
 長男が車でお城まで送ってくれました。ライネとマリアンネもやって来ました。
 驚きましたね!なんとマリエとライネが切符売りの人と交渉して私がサイン帳に日本文字でサインすることを条件に私の入場料をタダにしてしまったのです。

小学生が見学に来ていたので、私達は20分ほどまたされました。城の中で鉢合わせしないようにです。

 内部は立派な石造りのお城に見えました。外へとで出る広い階段もまるで大理石です。ところがこれはすべて木で出来ているのです。
 この城を作った貴族は石で作るほどのお金がなかったので木製の城を石造りに見せて作ったのですが、それでも破産してしまい、一クローネも払わなかったそうです。
 この城の維持費は莫大でチェコ政府にとって重荷です。そこで現在、スイスに住んでいる城主の孫に、この城を返還するので、借金を支払うように申し出ているが、相続人は相続を拒否しているということでした。
  

 帰りは汽車で帰りました。これは自分で払ったので切符が残っています。6クローネでした。

 夜遅く、明日汽車でドイツへ帰るというライネとアネマリエがやって来ました。ライネは私がチェコの記念品を買わなかったろうとチェコ民謡のCDを買って来てくれたのでした。私は最後に運良く残っていた手拭いと絹のスカーフを二人に渡しました。

  翌朝、大きな犬達と記念撮影をしてプラハヘ。
 バス停には心配したハナとイジナが待っていて飛行場へ連れて行ってくれました。

    私は無事機上の人となりました。 

  

 私は成田空港で3万円をクローネに換えて行きました。プラハ・ヤブロネツで使ったお金は2万円強でした。お金の額とは比較にならないほど沢山のことを経験し、人の優しさを頂きました。残ったお金はエスペラントの集まりがある時に使って欲しいとイジナに手渡しました。
 後にマリエからはお金は受け取った、みんなで使わせてもらいますという便りが届きました。

コメント (5)
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