glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

また森へ!KRUSNE HORY

2005-06-01 09:09:16 | Weblog
 7月31日また森へ。イジナのくれた絵はがきによるとそこは温泉保養地で有名なカルロヴィ・ヴァリの東に位置する深い森でした。
 7時過ぎ駅へと走り列車で30分。鍾乳洞を見学。これはヨーロッパで1番目とか2番目とかに大きいと彼らは自慢していました。

 鍾乳洞の裏山から森に入ります。森の美しさ、空気の爽やかさについてはもう語らないことにします。大きく伸びた針葉樹と緑の大地をひたすら歩きました。時には空も見えません。いくつか休憩所はありましたが、途中2回休憩しました。一回はコ-ヒーを飲み、一回はビールを飲みました。コーヒーは粉に(インスタントコーヒーではありません)直接お湯を注ぎ、かき混ぜ、粉が底に沈むまで待つのです。飲みにくい・・・。      
 渓流に沿って歩いているといつのまにか川幅が広くなり、川は深く、激しく流れとなっていました。
 イジナが対岸の建物を示し、世界で初めに作られた水力発電所で、今の稼動していると自慢します。

 マリエはポツンと言いました、。『娘はこの川に飛び込んだの・・・。』
 彼女は娘がどこかで助け出され、記憶を失ったまま生き続けていると信じたがっています。この深さと水量では助かる見込みはなく、遺体が見つからないのは当然とわかっている筈なのに、20年経っても諦め切れないのです。母親とは哀しいもです。

 いつか日の光が差し込むようになっていました。ボブスレーの競技場に出ました。マクスはこちらが近いからとボブスレーの滑る樋の上を歩き出しました。銀色に光るその道は狭くて磨き上げられているのに彼は上手に歩いて行きます。マクスはボブスレーの選手だったそうです。

 森を抜ける時、マクスに聞きました。『今日は何キロぐらい歩いたのですか。』とたんに彼は不機嫌になり言いました。

 『そんな事を気にするのは日本人だけだ。森を歩く時は時間を気にしないし、距離も計算すない。体に合わせた歩く。疲れた人がいたら途中で中止する。それが基本だ!』 そして木の幹についている印を示しました。雪が降っても見えるようにとかなり高い位置ですが、赤、青、黄、白などの線が引いてあります。それが道しるべです。それをたどればいつでも森から抜けられるということでした。それでも、経路の距離を教えてくれました教えられた距離だけでも23キロでした。

   

 夕方8時頃、マリエが帰宅し、私達はマクスの別荘にゆきました。それは渓流の傍に立っていました。マクスは石積み工だったそうで、数年掛けて外壁の石を積み、内装もほとんど一人で仕上げたと言うのです。水道も引いてあり、バケツで水を流す方式ですがおnecesejo(必要な場所)も水洗でした。

 バーベキューをするとイジナが張り切っていました。崖に囲まれた小さな庭に焚き火をしました。70~80cmの長さの柄のついたホークにソーセ-ジを刺して火にかざし、焼くのです。日本でいうウィンナーソーセージより少し大きめのが一人2本、後はパンと生のパプリカときゅうりとビール。日本で考えるバーベキュー・パーティーとは違いとても質素でした。
 マクス・ライネ・マリアンネ・イジナは何曲もエスペラントの歌を口ずさみます。その歌は日本人である私にははじめての歌ばかりですが、なんとなくハミングで合わせる事ができるのです。

 数時間後、今日はここに泊まってエスペラントの学習をし、翌日帰宅するというイジナとマクスに別れて、私達3人は最終列車で帰路につきました。ヤブロネツの駅についたのは夜半でした。

 まさにブログ中毒です。
 今日は10時~14時ボランティアです。なんとか書きました。これから弁当を作って出かけます!! 

   
コメント (4)
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