カサドの夢を見た

 夢をみることがさほど多くない郷秋<Gauche>が久しぶりに夢をみた。そして朝まで鮮明にその内容を覚えていた。しかもその夢の登場人物がカサドとその奥方だったので、目を覚ました郷秋<Gauche>はしっかりと記憶に留めるために、その夢の隅から隅までをつぶさになぞった。それにしても、何ともたいそうな夢を見たものである。

 「カサド」と云われても、クラシック音楽のファン、しかもチェロのファン以外には馴染はないかも知れない。ガスパール・カサド(1897-1966)はスペイン・バルセロナに生まれた20世紀で最も優れたチェロ奏者の一人であり、チェロ曲を中心とした作曲家でもある。分業が進む前の、演奏家が作曲家も兼業していた最後の時代のチェリストである。

 彼の奥方は、御年七十代のクラシックファンなら知らない人はいない原智恵子である。智恵子は1937(昭和12)年の第3回ショパン・コンクールにおいて聴衆を熱狂させた、日本における国際派ピアニストに先駆けであり、またカサド晩年の公私を通してのパートナーである。Duo Cassadoとしての演奏は今もCDで聴くことができる。

 そんなカサド夫妻が、しがないチェロ愛好家である郷秋<Gauche>の夢に出て来るとは、「不遜な!」と憤る方も多いのではないかと思うが、見てしまった夢を消すわけにはいかないのでお許し頂きたい。夢の中身なぞ家族以外に話すものではないとは思うのだが、登場する人物が人物であるだけに紹介すると、ざっとこんなストーリーであった。

 映画「カサブランカ」に出てきそうな酒場にカサド夫妻がいるのを目敏く見つけた酔っぱらいの親爺が「一曲聴かせてくれないか」とカサドに話しかける。カサドは気安く引き受け智恵子と共にピアノに前に進み出て弾き始める(ピアノは「カサブランカ」のようなオンボロではなく、アップライトではあったがちゃんとした音で鳴っていた)。曲はファリャのスペイン民謡組曲のホタとナナだったような気が・・・。それまで賑やかな話し声と笑い声でいっぱいだった酒場が一瞬にして静まり返りカサドのチェロと智恵子のピアノの音だけが響き渡る。

 弾き終わった二人が拍手の中、自分たちの席に戻っていったのだが、そのテーブルがなんとビールを飲んでいた郷秋<Gauche>と連れのテーブルの隣。郷秋<Gauche>はすかさず(どこから出て来たのか知らないけれど、と云うところがやっぱり夢だな)カサドがペルレアと共演したシューマンのチェロ協奏曲のLPを差し出してサインをもらう。カサドと智恵子は何故か私がチェロを、連れがピアノを弾くことを知っている。智恵子と連れがピアノ談義に花を咲かせているその横で、カサドはバッハの無伴奏の(書き込みがたくさんある、多分彼自身愛用の)楽譜を広げて「この曲は指使いよくよく考えないと難しいのです」と、郷秋<Gauche>に教えてくれた。

 夢から覚めて、バッハの無伴奏が弾けるようになるのは随分先の事だろうなと思いながらも、「毎日練習すれば弾けるようになりますよ。がんばりなさい」とカサドが励ましに来てくれたのかも知れないないと、ここ3日程練習をさぼったことを反省した郷秋<Gauche>なのでありました。

追記:縁も所縁もないカサドが突然郷秋<Gauche>の夢に登場した訳では無く、実は1999年にこんなサイトを立ち上げ、カサドに関する情報の提供をしていた郷秋<Gauche>ではあるのです(ただし2007年以降放置状態)。そんな訳でカサドの作品もレコードもほとんど全て諳んじておりますので、まっ、夢に出て来ても不思議ではないのかも知れません。ひょっとすると「サイトの更新を再開せよ!」と云いに来たのかもしれませんね(^^;


 と云う訳で今日の一枚は、Duo Cassado(デュオ・カサド)の演奏を収めた数少ない国内盤LP(左)と、このLPのオリジナル音源である当時のソ連で出された10inchのLP(more info)。夢に出てきたカサド夫妻の召し物は、場末めいた酒場には不釣り合いな、まさにこのジャケット写真そのままのシックなものでした。ちなみにカサドのチェロのケースは、今流行りのカーボン製ではなく、以前にチェロを教えていただいていたヴァーツラフ・アダミーラ先生が使っていたのと同じ、木骨に布を張ったクラシックなもの(当たり前か)。うすぼんやりした部分がある一方で、妙に鮮明かつマニアックなところもあるから、夢ってやっぱり不思議だなぁ。

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我が家の花たち


 えごのきの花です。「お茶」の木が「チャノキ」と呼ばれるように、「えご」も正式には「エゴノキ」と云います。北海道から沖縄まで、広く分布するエゴノキ科の落葉小高木。雑木林の中に普通に生えていますが、庭木としても人気があり、自生しているものよりも庭に植栽された木の方を多く見かけることになります。山野に自生しているものは一本立ちが多いのですが、庭木とされるのはその姿の美しさから圧倒的に株立ちが多いですね。

 かく云う我が家にもえごのきが二本ありあますが、二本とも株立ちです。庭木にされるえごのきは、下から見上げるとびっしりと白い花を付けますが、山野に自生するものは花もまばらで、特に雑木林の中のものは太陽の光を求めて上へ上へと伸びているために木に付いている花が目に入らず、落下した花や辺りに漂う甘い香りでその存在を知ることになります。

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我が家の花たち


 紫蘭(しらん)。日本に自生するラン科シラン属の宿根草。蘭と云えば栽培の難しい植物の代名詞ともなっているが、この紫蘭は例外で、日陰の湿潤な土地から日当たりの良い乾燥地まで、どこでもOKのようである。郷秋<Gauche>の家の庭の紫蘭は数年前に実家から15センチの鉢一つ分程を持って来て植えたものだが、年を追うごとに増えて来ている。そう云えば、同じ頃にやはり実家から移植したスズラン(鈴蘭。「蘭」と付くがラン科ではなくユリ科)も至って丈夫で年々その勢力を拡大してきている。近い場所に植えてあるので、せめぎ合いとなった時にどちらが勝つのか、見ものである。

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それは違うでしょう

 今日の神奈川新聞にこんな記事が掲載されていた。(「家と庭をつないで暮らす 豊かな心育む庭」古橋宜昌氏)

 私が全国で実施しているセミナーで「魚の絵を一筆書きで描いてみてください」とお願いすると、95%以上もの方が頭を左にして描かれます。どうしてこのような現象が起きるのか調べてみたら、子どもの頃から見ていた魚の図鑑が、基本的に全て頭を左にして描かれているからだ、という説を見つけました。要するに、子どものころから見たり経験したりしたことは、大人になってもなかなか変えられないということです。

 古橋氏は「図鑑説」に同意しているようだが、それは違うと郷秋<Gauche>は思う。だって、日本中の子どもが刷り込みされるほど「魚図鑑」を見ているとはとても思えない。もし、そうだとしたら、そこいら中に「さかなくん」がいてもおかしくないはずだが、「虫くん」は大勢でも「さかなくん」は間違いなく少数派である。

 では何故多くの人が左側に頭がある魚を描くのか。それは、アジの開きはもとよりサンマもヒラメも鰊もカマスも、頭を左にして皿の上に乗せられて食卓に供されるからである。決して図鑑の影響ではない。図鑑が皿に乗せられた魚の影響を受けたのである。ではなぜ魚は頭を左にして皿の上に乗せられるのか、その説明は実に簡単である。

 郷秋<Gauche>は右手でも左手でも箸を自由に操ることが出来るが、右手に箸を持って魚を食べる時には、頭が左にある方が食べやすい。頭が右にある魚を右手で食べようとすると実に食べにくい。右手にもった箸で食べやすいように、魚は左側を頭にして皿に乗せられているのである。それを見て育つ日本人だから、魚の絵を描けと云われれば左頭の魚を描くのである。

 そう考えると、フォークとナイフで魚を食べる国にあってはどうかと疑問にもなるが、右手にナイフ、左手にフォークを持つならば、やはり左頭の方が食べやすいような気がするがいかがだろうか。

 ちなみに、にぎり鮨は右手に持った箸で食べやすいように右手前から左奥にと斜めに並んでいる。この状態の鮨を左手に持った箸で食べようとすると、鮨を上手くつかむことが出来ず、皿(桶あるいはまな板)を時計回りに90度回転させる必要が生じる。少なくても日本においては、ほとんどすべての物事が右利きを基準に考えられているのである。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、地中海沿岸原産と云われるナガミヒナゲシ(漢字で書くと、長実雛芥子)。この季節、空き地だけではなく道端のコンクリートやアスファルトの僅かな割れもなどでも茎を伸ばして花を咲かせている。繁殖力は極めて旺盛で年を経るごとに恐ろしい程の勢いでその生息地が広がっている。

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ウィリアムズは復活したのか

 2012年F1第5戦スペインGP。誰もが予想だにしなかった、ウィリアムズFW34を駆るパストール・マルドナードがPole to Finishで優勝。スタートでこそアロンソに先行されるが、落ち着いたレース運びとチームの戦略は見事で、ウィリアムズのそしてマルドナードの優勝はフロックではなく、まさに賞賛に値いする一勝である。

 それにしても、ウィリアムズの勝利は2004年最終戦(エンジンはBMW、ドライバーはファン・パブロ・モントーヤ)以来だと云うから、1980年代後半の「常勝ウィリアムズ」を知る身には、めでたいとは云いながらもいささか複雑な思いである。

 2011年は絶不調をかこったウィリアムズ。今シーズンは開幕前のテストから好調ぶりが伝えられ、ついに第5戦にして8年振りの勝利の美酒を味わった訳だが、果たしてこれがウィリアムズ復活の嚆矢かと問われれば、郷秋<Gauche>は「否」と答える。

 先にも書いたようにカタロニアでの、ウィリアムズのそしてマルドナードの戦いぶりは見事であったが、果たして次戦モナコでも同様の結果を導き出せるかと云えば、間違いない否。ウィリアムズは勝てない。勝てないどころかポイント獲得もおぼつかない事だろう。

 それは何よりも、今シーズン5戦を経て勝者がすべて違うことが既に証明してくれている。中・上位のマシンのポテンシャルは拮抗し、僅かなタイヤ戦略が結果を左右するのが今年の今年のF1である。初戦優勝のバトンはセパンでは14位、セパン優勝のアロンソは上海では9位、上海優勝のロズベルクがバーレーンで辛うじて5位。バーレーン優勝のベッテルがカタロニアでは健闘空しく6位。優勝できてもそれが速さの証明とはならず、単に上手くいった結果でしかないのが2012年年のF1なのである。

 ところでウィリアムズに8年振りの優勝をもたらしたマルドナードはベネズエラ人(ちゃんと国歌が用意されていた!)。8年前に「最後の」優勝をプレゼントしたのも南米・コロンビア出身のモントーヤ。常勝時代にはブラジル人のネルソン・ピケが在籍していたし、かのアイルトン・センナ・ダ・シルバが事故死したのもウィリアムズである。なんだかやたらと南米とは関係の深いウィリアムズであるが、昨シーズン、ウィリアムズを最後にF1から去って行ったブラジル人、ルーベンス・バリチェロはマルドナードの初優勝をどんな思いで見ていたことだろうか。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は。最近めっきり見る機会が少なくなった尺取虫。見かけないから尺を取るのを止めたのかと云うとそうではなく、ご覧のように相変わらず一所懸命尺を取りながら歩いておりました。お顔にピントが合っていないのはご愛嬌(^^;。

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恩田の森、更新

 お待たせいたしました。本日、恩田の森で撮影しました写真をこちらに掲載いたしましたので、どうぞご覧ください。
恩田の森Now 

お詫び:初出時に「いつもは正確な描写を心がけている「恩田の森Now」の写真ですが、今日は、ほんのり淡い感じの画像処理を施してみました。浦々と長閑な春をお楽しみ頂ければ幸いです。」と書かれておりましたのは4月15日の話で、今回は特にそのような加工はいたしておりま線。お詫びとともに訂正いたします。

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我が家の花たち


 大甘菜(おおあまな)。地中海沿岸が原産地とされる外来種で、別名「ベツレヘムの星」。明治時代末期に観賞用として移入されたが、庭を逃げ出し野生化しているものも多い。我が家の大甘菜も、道端で咲いているのを見つけていただいて来たもので、アラカシの木の下で咲いている。在来種の甘菜の花に似ていることからの命名だが、花はむしろ甘菜よりも小さい。

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TokinaのM4/3用Reflex 300mm が5月25日に発売

 このレンズについてはCP+2012レポート第一弾として、2月9日に真っ先に書いているので覚えておられる方もいることだろう(click here)。そのマイクロフォーサーズ専用ミラーレンズReflex 300mm F6.3 MF MACROの発売日が5月25日となることがトキナーから発表された(see here)。

 このReflex 300mm、郷秋<Gauche>は一目ぼれしてしまったレンズである。何と云っても「見た目」が素晴らしい。デザインも素晴らしいが鏡胴の工作精度が素晴らしく高く、いかにも良いもの然としている。

 M4/3機に装着すると600mm相当の画角となる超望遠でありながら一般的な標準ズームレンズ程度の大きさと重さだから、バッグに忍ばせておいてもまったくじゃまにならないどころか、持って来ている事さえ忘れてしまいそうである。

 しかしだ、どんなに小さく軽くても600mmの超望遠レンズであることに変わりはなく、シビアなピント合わせとブレ防止が求められることに違いはない。両腕を伸ばしてモニターを見ながら撮影する一般的なでノンレフレックス(ミラーレス)の撮影スタイルでは間違いなく手振れを起こすし、ピントも合わないことだろう。

 となれば三脚は必須である。どうしても手持ちでと云う事になれば、最低限EVFをのぞいての撮影スタイルが求められるが、それを意識してなのだろう、トキナーのプレスリリースに登場するReflex 300mm F6.3はオリンパスのM-D5に装着されている。いやー、欲しいね、このレンズ。ついでにM-D5も(^^)
 

 と云う訳で、今日の一枚は2月に開催されたCP+2012のトキナーブースで撮影したTokina Reflex 300mm F6.3 MF MACRO。ちなみに名称にMACROと付いているのは最短撮影距離がわずか0.8mで、最大1/2倍のマクロ撮影が可能なことから。昆虫写真の愛好家にとってはマストのレンズになるかもしれないな。

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ニコンD600登場の信憑性か80%にアップ

 4月30日に、Nikon RumorsがNikon(ニコン)D600が登場するだろうとした記事を紹介したが、その後もNikon Rumorsは独自にD600に関する情報を集めていたようで、今日に至ってついにD600が今年のフォトキナ(9月)開催までに発表される可能性が80%であるとの記事を掲載した(see here)。 60%の可能性と云うのは「ひょっとするとあるかもしれない」だが、これが80%となると「多分そうなるだろう」と、たかが20%の違いだが、その期待度は大きく変わって来る。

 Nikon Rumorsの主張によれば、D600にはAF駆動用のモーターが内臓されないと云う。つまり、AFがえるレンズはAF-Sのみだと云う事で、一部のニコンユーザーの反発が予想されるが、郷秋<Gauche>としてはまたく問題がない。郷秋<Gauche>はAF-S以外のAF Nikkorを持っていないからである。

 D600に対する最大の関心事は、フルフレーム機ながら1500ドルとされているその価格だろう。スペックの違いはあるにしても、D800の半分と云う価格はどう考えてもバーゲンである。同時に云えるのは、20万円程度が予想されていたD300Sの後継機はやっぱり登場せず、APS-CつまりDXフォーマットの最上位機種の座はD7100(D7000の後継機種)が担う事になるだろうと云う事である。F4よりも暗い(つまり廉価な)フルフレーム用のレンズの特許が取得されていると云う情報とも符合し、Nikon Rumorsの80%よりも実はもっと高い確率だろうと読む郷秋<Gauche>であるぞ。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、今こそが我が世の春とばかりに競い咲くオオムラサキ。

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プリウス強し

 昨日の新聞に4月の車種別国内新車販売台数が掲載されていた。トップは11ヶ月連続でトヨタのプリウス。2位にもアクアが入ってこの2車種だけでトヨタは4万台。とは云いながら、トヨタでトップ10に入ったのはこの2車種だけ。

 3位はホンダの軽、Nボックス。続く4位もホンダのフィットで、ホンダは10位にもフリードが入っており3車種合計で4万台弱とトヨタと五分の勝負。ホンダも健闘しているが、やはりトヨタには敵わんなぁ。

 トップ10にはホンダとダイハツ(軽のみ)が3車種ずつ、トヨタとスズキが2車種ずつと云う結果。おいおい、日産はどうしたんじゃい!特別に日産を応援したい郷秋<Gauche>ではないけれど、強い敵がいないと自分も強くなれないと云う事実を考えると、日産不在はトヨタのためにもホンダのためにも良くないことだ。(だから)頑張れ、日産!


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、代掻きから田植の季節に移ろうかと云う郡山の田園風景。郡山市は、合併で大新潟市が誕生するまでは全国で最も米の生産量が多い「市」であったのだが、今は第2位。福島県内有数の商工業都市であると同時に、農業都市でもある郡山なのだ。

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神様じゃなくて王様でしょう

 今朝、オフィスに向かう道すがら聞いていたJ-Waveからエリック・クラプトンとB.B.キングが競演しアルバムのタイトルにもなった「Riding with the King」 (2000年)が聴こえてきた。ナビゲーターの別所哲也氏が「ギターの神様」エリック・クラプトン、「ブルースの神様」B.B.キングと、「神様」を連呼するのを聞きながら郷秋<Gauche>は思った。「神様」ではなく、「王様」だろうと。

 同じことが日本では度々起こる。古い例で恐縮だが、判り易いので「サッカーの神様」ペレことエジソン・アランチス・ドゥ・ナシメントの例をあげよう。英語ではThe King of football、ポルトガル語ではO Rei do Futebol。eiは「帝王」だから、直訳すればどちらも「サッカーの王様」なのだが、何故か日本では「サッカーの神様」となる。

 八百万(やおよろず)の神が住まう神州(我が日本の事だ)においては、神様が一柱や二柱増えたからと云ってどうと云う事はないが、一神教の文化が浸透している国で、一神教を信ずる人に向かって「○○の神様」などと云ったものなら、「神は唯一。我が神以外の神など存在しない」と、ひと騒動起こるのではないかと郷秋<Gauche>は心配になる。もっとも、日本においても神様になれるのは死んでからじゃなかったのかなぁ。生きているうちに「神様」と呼ぶのには抵抗があるぞ。

告白:知ったかこいて「Riding with the Kingが聴こえてきた」などと、さもいつも聴いているかのうように書いたが、実は郷秋<Gauche>、この手のジャンルの音楽はまったく聴かないので、今日初めて耳にした曲であることを白状する。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、一昨日ご覧いただいた写真の撮影場所から500m程進んだ右手の景色。かなり急峻な山の裾には杉が植えられ、その手前が畑、手前側の低いところは水田と、耕作可能な場所はその有り様に応じて全て人の手が入っている。自然と人とが創りあげる調和の一例。

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家に「いるだけで」時給700円もらえるそうです

 最近、特に増えてきたスパムメイルの一つに「内職者募集」と云うものがあります。そのメイルには、要約するとこんなことが書かれています。

  「某公益機関からの認可」を得るなどの手続きをすると、家にいる時間一時間当たり700円の報酬が得られます。ただし、非常に重要な点ですがこのビジネスは無断で始めてしまうと法律に触れてしまうことがあります。従って、きちんと決められた認可を得る必要があるんです」とのこと。 

 正しく報酬を得るためには、このメイルに書かれたURLにアクセスして、正しい手続き方法を知り、きちんと決められ認可を得る必要があるようです。で、メイルに書かれたURLをクリックすると、きっとこんなことが書かれているのです(以下、郷秋<Gauche>の想像)。

  「手続きの方法を知るためには、下記のURLにアクセスしてください」。そのURLにアクセスすると、きっとこう書いてあります。
  「手続きの方法を知るためには、メイルで住所氏名を連絡の上で、下記の口座に4800円を振り込んでください。そうすると手続き方法が書かれた書類が送られて来ますので、そこに書かれた通りの手続き取ってください。

 で、4800円を振り込むと、書類が郵送(くろねこのメイル便かも知れませんが)されてきます。その封筒を開けると、中には、きっとこう書かれた紙が入っています。 「次のURLにアクセスして、そのページに書かれている手続きをしてください」

 そのURLにアクセスすると、「手続きの方法を知るためには、下記の口座に4800円を振り込んでください。そうすると手続き方法が書かれた書類が送られて来ますので、そこに書かれた通りの手続きを取ってください。

 はい、これを延々と、10回くらい繰り返して合計48000円を振り込んだところで騙されたことに気付くのです。こういう人が1万人に一人くらいいるから彼ら、つまり詐欺犯あるいはグループは来る日も来る日もせっせと(と云ってもPCに仕組まれたプログラムにより自動的に)メイルを出し続けているわけです。

 最近多いスパムメイルのもう一つのパターンは「お金も泊まるところもない家出JC、JKを助けてあげてください。彼女たちは神様を待っています」と云うもの。そして少女たちの声として、こんなことも書かれています。「家事はできるので、じゃまにはならないよ。泊めてくれたら○ッチなお願いも聞いちゃうかも(^^)」

 どうしてこんなメイルが郷秋<Gauche>の元に届くのか理解で来ません。まったく困り果てているんです。どうにかならんものですかね。しかしだ、郷秋<Gauche>だって一日10日間くらいは家にいる。時給700円でも10時間なら7000円。一カ月で210000円。何もしないで毎月21万円もらえるなら、こんなに嬉しい話はないけれど、そんなにうまい話はある訳がない。

追記:この手のメイルの最後には必ず「配信解除はこちらまで」として、メイルアドレスが書かれていますが、くれぐれも真に受けて「配信を止めてください」なんてメイルは出さないでくださいね。返事が来たと云う事は、あなたのメイルアドレスが「生きている」ものとして高く評価され、更に高い価格で転売され、ますますたくさんのスパムメイルが来ることになりますので。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、郡山布引高原風力発電所の風車の別バージョン。夏になると風車の下には一面のひまわり、秋口になるとコスモスに代わり、ホントに綺麗なんです。

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妙な事になっている福島

 3泊4日と短い日程ではあったが、郡山に帰省してきた。そこで感じたのは「福島が、どうも妙なことになっている」と云うこと。どうも、どこかが、おかしいいのだ。

 例えばスーパーマーケットの店頭には、放射能の影響を避けてと云う事だろう、北海道あるいは九州をはじめとした西日本産の野菜が並んでいるかと思えば、「福島の農家支援」のコーナーがあり、地元で採れた野菜も並んでいる。勿論、県内産の野菜は毎日このようにして放射線量を測定し、安全を確認したうえで店頭に並べていますと云う説明パネル付。

 果てさて、どちらのコーナーの野菜を手にしたら良いのか悩んだ末、トマトは地元産、ジャガイモは北海道産を買ってきた。実家近くのスーパーマーケットだが、地元を離れて早や30数年が経ち勿論知り合いと出っくわす心配などない郷秋<Gauche>だから好きに野菜を選ぶことができたけれど、毎日そこで買い物する方にとってはどちらを買うのか、買い物に行くたびに「踏絵」を踏まされている気分ではないだろうか。

 たまたま見た福島民報新聞には、県南の白河市(合併後人口約64,000人。中通り地方の中では放射線量が一番低い)の状況を例示して、県外への自主避難による人口減少に関する記事が掲載されていた。詳しいく数字は失念したが、おおよそこう云う事である。

 白河市内に建設された仮設住宅には、福島第一原発付近の高濃度放射線を避け、四百数十名の方が避難してきている(この分人口増)が、一方では千百名以上の方が白河は危険だとして県外に自主避難し、都合五百人以上(市の人口の1%弱)の人口減少となっていると云うのだ。さらに、白河市在住であった家族の中でも、沖縄まで避難した妻と、地元に残った夫と息子の間の葛藤が紹介されていた。

 妙な、おかしな例をもう一つ。平常時よりも放射線量の高い地域に居住する人たちが、一時的にその地を離れて過ごす保養キャンプが心身の健康に良いとされ、北海道、東北地方でも山形以北、あるいは南関東、甲信越と云った地域でボランティアによる保養キャンプが開催されていることが新聞で報じられていたが、一方では「福島は危険だ」だと云う風評を払拭するためにと、白河市内の農家で行われた田植体験に参加した首都圏在住の親子が泥だらけになって田植えを楽しんだとの記事。

 いったい何が正しくて何が間違っているのか、福島に住まう方あるいは福島に住まう方を支援しようと云う方は、何を基準に行動しているのか。放射能の影響が恐ろしいと云う方、いや、それはそれほど大きな問題ではなく(勿論、福島第一原発から一定以上の距離をおいた地域の話)、むしろ風評による被害、影響の方が大きいと主張する方が相半ばしているのが今の福島ではないかと郷秋<Gauche>の目には映った。

 「あなたと私は考え方が違うのね」と、その違いを互いに認め合い、これまで通りの付き合いが出来れば良いけれど、事はそう簡単ではないだろう。「私は気にならないけれど、あの家は無頓着だと云われたくないがために、布団や洗濯物を外に干さないでいる(干せないでいる)」方がいると云う話しは、福島が紅白に分かれての精神的内戦状態に入る直前のサインの一つではないかと思いつつも、福島人らしい忍耐と粘りで克服して欲しいし、そのために県外に住む福島人には何が出来るのかと、毎日思い巡らす郷秋<Gauche>なのである。


 例によって記事本文とは何の関係もない、いや、大いに関係がある今日の一枚は、布引高原風力発電所に向かう田中の一本道の右手に見えた小さなお社。郷秋<Gauche>のふるさと、たおやかで美しい福島。

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郡山布引山高原風力発電所


 郡山布引高原風力発電所は福島県郡山市にある、「電源開発」が設置した合計出力65,980kWを誇る国内最大の風力発電所です。 猪苗代湖、そしてその向こうには磐梯山を望む標高1080mの布引高原は、地理的には会津地方に位置していますが、行政的には郡山市湖南町となります。昭和の大合併で湖南町が郡山市に併合された結果ですが、郡山市最大の観光資源とも云うことができるでしょうか。

 さて、この郡山布引高原風力発電所には合計33機の風車発電機が設置されていますが、台地状の広大な高原に、おそらくは風の通り道と発電効率を考えて、かなりの距離を置いて設置されていることから現地で33機すべての風車を1ショットに収めることは不可能で、そのためには遠く猪苗代湖の対岸から望遠レンズで狙う必要があります。

  既にFacebookに掲載した記事にも書きましたのでお読みくださった方も多いかと思いますが、この33機の風車の総発電量65,980kWは、同じ福島県にある、東京電力福島第一原子力発電所にある6基の発電機の内、最初に稼働し最も小型の1号機(2011年3月11日に地震による津波による事故により破損、現在廃炉作業中)460,000KWの1/7でしかありません。

 事故が起こらない前提で考えれば、原子力発電がいかに効率が良い発電方式なのか、上に記した数字だけからも容易に想像できますが、ひとたび事故が起きればどういうことになるのかについてはここに書くまでもないでしょう。

 郷秋<Gauche>がこれまで間近で見たことのある風力発電機としては、三浦半島突端のものがありますが、これは近くに行くとゴーンゴーンと云うかなり大きな音を立てて回っていました。この音がそうなのかどうかは判りませんが、風力発電機(風車)から出される低周波騒音による健康被害も報告されており、風力発電がまったく無害なものとも云い切れない事実も一方ではありますし、既に述べたように圧倒的効率の悪さの克服も今後の課題です。

 さて、今日、ご覧いただいているのは布引高原の風力発電用の風車33基のうちの10基です。24mmのレンズをもってしても1ショットに10基を並べるのがやっとだという事実から、風力発電がいかに強大な土地を必要とするのかがお判り頂けることと思います。海上に設置すれば良いではないかとの考えもありますが、こちらは水産資源との関係調査、水産業者との調整と云うこれまた難しい問題があり、一筋縄とはいかないようです。

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山笑う


 愉快な季語である。泣いたり笑ったりしないはずの自然が、山が、森が笑うと表現するその豊かな感受性。四季の移ろいがある日本ならではの、日本人ならではの自然との関係性が現れた言葉と云えよう。

 手前には既に水が引き入れられた田んぼ、そして笑う山。大都市圏以外に住まう人たちにとっては何気ない日常の風景かも知れないが、人工物で覆われた都市に住む者にとっては、心洗われる風景である。

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