今日の神奈川新聞にこんな記事が掲載されていた。(「家と庭をつないで暮らす 豊かな心育む庭」古橋宜昌氏)
私が全国で実施しているセミナーで「魚の絵を一筆書きで描いてみてください」とお願いすると、95%以上もの方が頭を左にして描かれます。どうしてこのような現象が起きるのか調べてみたら、子どもの頃から見ていた魚の図鑑が、基本的に全て頭を左にして描かれているからだ、という説を見つけました。要するに、子どものころから見たり経験したりしたことは、大人になってもなかなか変えられないということです。
古橋氏は「図鑑説」に同意しているようだが、それは違うと郷秋<Gauche>は思う。だって、日本中の子どもが刷り込みされるほど「魚図鑑」を見ているとはとても思えない。もし、そうだとしたら、そこいら中に「さかなくん」がいてもおかしくないはずだが、「虫くん」は大勢でも「さかなくん」は間違いなく少数派である。
では何故多くの人が左側に頭がある魚を描くのか。それは、アジの開きはもとよりサンマもヒラメも鰊もカマスも、頭を左にして皿の上に乗せられて食卓に供されるからである。決して図鑑の影響ではない。図鑑が皿に乗せられた魚の影響を受けたのである。ではなぜ魚は頭を左にして皿の上に乗せられるのか、その説明は実に簡単である。
郷秋<Gauche>は右手でも左手でも箸を自由に操ることが出来るが、右手に箸を持って魚を食べる時には、頭が左にある方が食べやすい。頭が右にある魚を右手で食べようとすると実に食べにくい。右手にもった箸で食べやすいように、魚は左側を頭にして皿に乗せられているのである。それを見て育つ日本人だから、魚の絵を描けと云われれば左頭の魚を描くのである。
そう考えると、フォークとナイフで魚を食べる国にあってはどうかと疑問にもなるが、右手にナイフ、左手にフォークを持つならば、やはり左頭の方が食べやすいような気がするがいかがだろうか。
ちなみに、にぎり鮨は右手に持った箸で食べやすいように右手前から左奥にと斜めに並んでいる。この状態の鮨を左手に持った箸で食べようとすると、鮨を上手くつかむことが出来ず、皿(桶あるいはまな板)を時計回りに90度回転させる必要が生じる。少なくても日本においては、ほとんどすべての物事が右利きを基準に考えられているのである。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、地中海沿岸原産と云われるナガミヒナゲシ(漢字で書くと、長実雛芥子)。この季節、空き地だけではなく道端のコンクリートやアスファルトの僅かな割れもなどでも茎を伸ばして花を咲かせている。繁殖力は極めて旺盛で年を経るごとに恐ろしい程の勢いでその生息地が広がっている。