羽田空港に(歩いて)行ってきました(その4)

 川崎大師を後にして向かったのは、大師橋。山梨県に源を発する多摩川だが、その中・下流は東京都と神奈川県とを分かちながら羽田空港付近で東京湾に注ぐ。その多摩川にいったいいくつの橋が架かっているのか郷秋<Gauche>は知らないが、大師橋が最下流に架かる橋であることは間違いない。

 

 

 これはまだ大師橋を渡る前、つまり川崎市側の河川敷から羽田空港を遠望した図。小さな写真では良くわからないので、クリックして大きな写真をご覧いただきたい。水平線の右寄り、片流れの屋根が国際線の新ターミナルである。

 

 

大師橋上から望遠レンズでぐっと引き寄せた羽田空港。左側の塔が旧来の管制塔。これでは新設のD滑走路が見えないのでと、右側に作ったのが新管制塔である。ここからだと4本の滑走路がすべて見渡せるらしい。

 

 

 大師橋の中ほどから東京都大田区側を見る。果たして夕方になるとここから客を乗せるのかどうかは定かではないが、数隻の「屋形船」が繋がれていた。すぐ近くの堤防の内側に造られた船溜まりには小型の漁船が泊められ、それより大型の屋形船は防波堤の外と云う事らしい。

 

 

 さて、大師橋を渡りいよいよ東京都大田区側の羽田三丁目である。羽田島の歴史を調べてみるとわかるのだが、第二次世界大戦後に進駐軍(米軍)は羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町(羽田島)に居住していた2千人余りの人々に48時間以内に移転するよう命令。島を追い出された人々の多くが現在の羽田一丁目から六丁目に移り住んだと云う。

 

 D滑走路の完成、再国際化で脚光を浴びる羽田空港だが、その歴史を調べてみると興味をそそられる事実を次々に見つけることができる。川脇大師から空港までをもう一度歩く必要はないのだが、羽田一丁目から六丁目については、足を運んゆっくり取材をしてみる価値がありそうである。【キーワード:穴守稲荷, 羽田の水舟, 羽田穴守町, 羽田鈴木町, 羽田江戸見町】

 

『羽田空港に(歩いて)行ってきました』目次

その1 110日掲載)

その2 111日掲載)

その3 112掲載)

その4 113(本日)掲載)

その5 114日掲載)

その6 、最終回(115日掲載)

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