苦節10年、ジェンソン・バトン

 2000年、当時では異例とも云われた若干20歳でF1にデビューしたジェンソン・バトンが2009年のチャンピョンを獲得した。一時は低迷するホンダと共に卓越したドライビングテクニックも潰えたかと思われたジェンソンだったが、ホンダのF1撤退の後に希望をつないだ新生ブラウンGPでまさかの快進撃。イギリスGP以降不可解なスランプに陥るが、リタイヤしたベルギーGP以外はしぶとく数ポイントずつを積み重ね、シーズン前半の貯金を守りきってのチャンピョン獲得。

 イギリスGP以降のバトンのリザルトから、チャンピョンには相応しくないという声もあるけれど、郷秋<Gauche>はそうは思わない。イギリスGP以降の失速は、おそらくBGP001のどこかが、何かがジェンソンのドライビングスタイルに合わなくなってしまったのだと思う。それともう一つ原因があるとすれば彼のメンタル面での問題だろう。母国グランプリで勝てなかったこと、シリーズチャンピョンを意識し始めたことなどが原因であったようにも思えるが、真実を知る由もない。

 F1デビューから10年目のチャンピョン獲得は随分と遅いように思えるが、同じイギリス人、ナイジェル・マンセルは13年目の1992年にタイトルを獲得している。しかしナイジェルは1986・87年そして91年にも2位を獲得している。常にチャンピョンに近いところにいながら僅かな差でタイトルを逃していきていたわけだから、チャンピョン争いに加わることのないまま9年間を過ごしたジェンソンとはちょっと違う。大英帝国の息子、ナイジェル・マンセルは偉大なドライバーなのである。

 さて、ドライバーズ、コンシトラクターズ両タイトルが決まってしまうと次戦アブダビGPはもやは消化試合だな。関心は既に2010年シーズンである。まず楽しみなのがフェラーリに移籍するアロンソの走りだ。アロンソに押し出されたライッコネンの行方も気になるし、デビューイヤーにダブルタイトルを獲得したブラウンGPの2年目にも要注目。目覚しい成長を遂げたベッテルの活躍にも大いに期待したいし、3チーム登場すると云われている新しいチーム、そしてそのドライバーも気になるところだ。

 そう云ってももう一戦。アブダビGPではドライバーズランキングの2-3位の決着が待っている。F1最長老と若いベッテルの対決を楽しみにしよう。そうそう、デビュー戦から大物ドライバーを押さえ込み、強心臓とドライビングテクニックを大いにアピールした小林可夢偉(が次戦も出走なら)の走りに期待しよう。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、一昨日、昨日とご覧いただいた「幾何学模様」はこんなところで撮りましたと云う種明かしの一枚。なかなか面白い絵が撮れそうなのでもう一度行ってみようかと思っています。
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JALがジャンボジェットを大量売却?

 JALの再建策を検討している国交相直属のチームが、大型機つまりボーイング747(ジャンボジェット)数十機を売却することを検討しているとの報道。現在JALが保有する747は旅客機が36機、貨物専用機が8機の計44機だから、「数十機」ということは少なくとも半数、下手をすればほとんど全部の747を売却処分すると云うことを意味している。

 JALは世界有数のジャンボ王国を築き上げて来たが、空席だらけの747を飛ばし続けた結果採算が悪化。ならば大型機を処分して機材を中・小型機中心として運行コストを抑え、しかも利益の上がる高需要路線だけに限定しという考え方だ。

 まっ、間違ってはいないけれど、中・小型機ばかりになってしまったのではスカイマークやエア・ドゥと同じ。そうなればかつてのナショナル・ブラッグも見る影も無い状況になる。いっそのこと「日本航空」などという大そうな名前も変えた方がいいんじゃないかな。例えば「日本小型空輸」とか。

 JALは1970年に最初の747を受領しているから、747の運行を始めてもう40年になろうとしている。生まれた子供が成人、結婚して自分の子供を持ち、その子が高校生になろうと云うほどの年月だ。親子二代で新婚旅行の際にお世話になったという方も少なくないはずだ。

 一口に747と云っても、初期型の100型、短距離(国内線)用の100SR(Sort Range)型、100型の飛行距離を伸ばした200B型、二階席を拡張したSUD(Stretched Upper Deck)と呼ばれる300型、その国内線用300SR型、1990年から導入が始まった航空機関士なしの2メン運航が可能となった400型、その国内線用400D(Domestic)型、そして各型の貨物専用機であるF型など多彩である。

 JALは航空旅客、航空貨物の増大に合わせて68機の747を次々に導入し、最盛期となった1988年には65機もの747が在籍するという、諸外国のエアラインを見渡しても例の無い一大ジャンボ王国を築き上げたのだったが、結局は拡大することだけに腐心し需要の減少に気づかず、あるいは気づいていながらも拡大路線を突っ走った結果が今日の経営破綻である。

 ブラジル、アメリカ東海岸、ヨーロッパといった長大路線に就航してこそのナショナル・フラッグであると郷秋<Gauche>は思うのだが、もはやそのような時代は過ぎ、高需要路線のみに中・小型機を飛ばす「日本小型空輸」にならざるを得ないということなのだろうな。寂しい話である。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、昨日に続いて幾何学模様。

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 昨日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田Now 
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