政令指定都市、相模原

 もう一週間も前のことになるけれど、相模原市の政令指定都市移行が今月中にも閣議決定される見込みであることが、神奈川新聞トップ記事で報じられていた。

 相模原市は2006年3月20日に津久井町・相模湖町を合併、次いで2007年3月11日に藤野町・城山町を合併し(これにより津久井郡が消滅した)、政令指定都市移行のために必要な70万人超の人口を確保していた。

 先の記事は、今月2日に加山俊夫相模原市長と松沢成文神奈川県知事とが原口一博総務相に、相模原市を政令指定都市に加えるよう政令を改正するよう要望した事を受けてのものである。既に県と市の間での調整がほぼ終了していることから、総務相は「これまでの努力に感謝し、祝福したい。事務方に改正に向けた作業を指示する」と述べたことが報じられている。

 これで2010年4月1日に全国で19番目、神奈川県内では横浜、川崎に次いで三つ目の政令指定都市が誕生することが確実になった。政令指定都市になるには色々条件があるわけだが、その中には「都市としても風格・品格」という条件はないようだ。これまでの政令市はいずれも交通の要所でもあり、駅舎もそうなら駅を出てもその駅前には大都市の風格が備わっていたものだが、さて、相模原市はどうだろうか。

 中央区の中心地、相模原市役所の最寄り駅となるのはJR横浜線相模原駅であるが、通る鉄道路線は横浜線のみ。京王相模原線、JR相模線が発着するのはお隣の橋本駅であり、駅舎の規模・風格は云うに及ばない。南区の中心となるのは小田急線相模大野駅だが、ここは小田急江ノ島線が分岐するターミナル駅になっているし、駅舎はJR相模原駅よりもはるかに大きく、30年前から進められてきた駅前再開発事業により、かろうじて「都市」の様相は整っているが、それも駅の北西側半径300mmまでのことである。

 政令指定都市でありながら市営の交通機関もないし、新幹線の駅もない。新幹線が開業していない札幌、市域内を新幹線が通っていない千葉市、堺市を除けば新幹線の駅がない指定都市は川崎だけである(川崎市内を通過する東海道新幹線はその区間僅か5km程で、上り側に品川駅、下り側に新横浜駅があり現実問題として必要がない)。中央(リニア)新幹線の県内駅の橋本への誘致、JR相模線倉見駅への東海道新幹線新駅(新横浜・小田原間)と共に新生相模原市の重要な課題と云えるが、必要上というよりも面子のためとも取れる。。

 交通問題では田名・上溝地区の「陸の孤島」状態解消も、旧津久井郡内のバス路線確保と共に重要な問題と云える。政令指定都市として市内各地域間の交通格差解消は喫緊の課題であるが、多くの自治体が公営交通部門に大きな赤字を抱えている実態も踏まえ、現実的な解決が必要となるだろ。

さて、「都市としても風格・品格」の問題である。多くの政令指定都市がJRの駅を市の表玄関として、政令市の名に相応しい風格ある街づくりを進め、あるいは既に形成されているが、果たして相模原市の表玄関たるターミナル駅はあるのか。JR相模原駅がその規模においても駅前の(再)開発状況においてもお寒い状況であることは既に書いた。となると、新宿まで僅か30分という地の利を生かして小田急線相模大野駅が表玄関としての役割を果たすのか、はたまた中央新幹線開業後の橋本駅がその任を担うのか。

 広い市域に三区三極を持つ相模原市が一極集中による他方の過疎減少を排除し、三極を中心にしながらも均一的な広がりのある街づくりを目指すことになるような気がするが、いずれにせよ、問題の多くは政令市移行後の相模原市の、市民の大きな課題となってくることだろう。このところかつて住んでいた街に出向くことも少なくなってしまったけれど、元市民として相模原市の動きに注目していたい。

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萬金ギョーザ(おまけ:小田急相模原駅近くの餃子屋さん)


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、今どきの荒地の見慣れた景色。かつてであればススキ野原となったであろう場所に背高泡立草(せいたかあわだちそう)がはびこる。明治末期に観賞用植物として移入。戦後は米軍の輸送品に付着した種子、養蜂家が蜜元として栽培したものが全国に広がったと云われている。

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 昨日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田Now 
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