唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
会津ナンバー登場
タダで図書館を作る方法、タダで図書館を作る方法(続報)以来の「福島ネタ」である。
来月10日から福島県内に3つ目の「ナンバー」が登場する。ナンバーとはクルマのナンバープレートのことで、クルマが登録される自動車検査登録事務所の所在する地域を示す名前がこれまでの「福島」「いわき」に続いて「会津」が登場することになったのだ。
このナンバー、福島県内は元々「福島」だけであったものが、15、6年前だろうか「いわき」ナンバーが登場した。福島県は47都道府県の中で北海道、岩手県に次いで第3位と広い(13,782.54Km2、郷秋<Gauche>が住む神奈川県(43位)の5.7倍)。その広い県内を縦に3つの地域に分け呼ぶ(海側「浜通り」(はまどおり)県の中央部分の「中通り」(なかどおり)そして西側「会津地方」(あいづちほう)と呼ぶ。会津ナンバーの登場で3地域にそれぞれの地域を示すナンバーが揃ったことになる。
福島県がかねてから国土交通省に要望していた会津ナンバーの新設が認められたわけだが、要望の際の趣旨(理由)がちょっとすごい。観光振興の観点からの、会津ナンバーを走る広告塔として会津の認知度アップを図りたいのは良くわかるし、実際の効果も期待できそうだ。地域振興の観点から「地域に誇りと愛着を持ち地域の心をひとつにする効果を期待」したいのは理解できるが、果たしてクルマのナンバーによってそれが果たせるかどうかは疑問だ。凄いのは「会津人としての自覚と責任を持つ」だ。
今回は会津を含めて全国で18の新しいナンバーが登場するようだが、新ナンバー要望の理由に「○○人としての自覚と責任を持つ」を挙げた地域が他にあるだろうか。多分なかっただろうと、郷秋<Gauche>は思う。東北地方ではもうひとつ仙台ナンバーが登場することがきまったが、「仙台人としての自覚と責任を持つ」ことをその効果のひとつとして考えたことはないんじゃないかな。
そういう意味では会津は特別かもしれないな。幕末から明治初年にかけての会津藩の悲劇は有名だが、廃藩置県の際には会津藩領は若松県として独立した県でもあった歴史もある(1876年(明治9年)には福島県に併合されてしまう)。会津藩の藩校であった日新館で教えられた「ならぬものはなりませぬ」は武家のみではなく領民に広く教え広められ、戊辰戦争から明治にかけて多くの有為な人材を輩出した会津藩の精神的礎ともなっている。その意味では福島県内でも特別な地域と言える。だからこその「会津人」なのだろう。浜通り人や中通り人なんて言葉はないものな。
今日は、札幌で撮った数少ない写真の中からの1枚。大通公園で遊ぶ子どもたち。
来月10日から福島県内に3つ目の「ナンバー」が登場する。ナンバーとはクルマのナンバープレートのことで、クルマが登録される自動車検査登録事務所の所在する地域を示す名前がこれまでの「福島」「いわき」に続いて「会津」が登場することになったのだ。
このナンバー、福島県内は元々「福島」だけであったものが、15、6年前だろうか「いわき」ナンバーが登場した。福島県は47都道府県の中で北海道、岩手県に次いで第3位と広い(13,782.54Km2、郷秋<Gauche>が住む神奈川県(43位)の5.7倍)。その広い県内を縦に3つの地域に分け呼ぶ(海側「浜通り」(はまどおり)県の中央部分の「中通り」(なかどおり)そして西側「会津地方」(あいづちほう)と呼ぶ。会津ナンバーの登場で3地域にそれぞれの地域を示すナンバーが揃ったことになる。
福島県がかねてから国土交通省に要望していた会津ナンバーの新設が認められたわけだが、要望の際の趣旨(理由)がちょっとすごい。観光振興の観点からの、会津ナンバーを走る広告塔として会津の認知度アップを図りたいのは良くわかるし、実際の効果も期待できそうだ。地域振興の観点から「地域に誇りと愛着を持ち地域の心をひとつにする効果を期待」したいのは理解できるが、果たしてクルマのナンバーによってそれが果たせるかどうかは疑問だ。凄いのは「会津人としての自覚と責任を持つ」だ。
今回は会津を含めて全国で18の新しいナンバーが登場するようだが、新ナンバー要望の理由に「○○人としての自覚と責任を持つ」を挙げた地域が他にあるだろうか。多分なかっただろうと、郷秋<Gauche>は思う。東北地方ではもうひとつ仙台ナンバーが登場することがきまったが、「仙台人としての自覚と責任を持つ」ことをその効果のひとつとして考えたことはないんじゃないかな。
そういう意味では会津は特別かもしれないな。幕末から明治初年にかけての会津藩の悲劇は有名だが、廃藩置県の際には会津藩領は若松県として独立した県でもあった歴史もある(1876年(明治9年)には福島県に併合されてしまう)。会津藩の藩校であった日新館で教えられた「ならぬものはなりませぬ」は武家のみではなく領民に広く教え広められ、戊辰戦争から明治にかけて多くの有為な人材を輩出した会津藩の精神的礎ともなっている。その意味では福島県内でも特別な地域と言える。だからこその「会津人」なのだろう。浜通り人や中通り人なんて言葉はないものな。
今日は、札幌で撮った数少ない写真の中からの1枚。大通公園で遊ぶ子どもたち。
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