唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
さようならルビーニョ、さようならヤルノ
ルーベンス・バリチェロが、さようならも云わずにF1の舞台から去って行った。ルビーニョとしては2012年もシートも確保出来るものと考えていたんだろう。だからこそ引退とは云わなかった。でも、結果的にはシートを得ることが出来ずに、静かにF1から去っていくことになった。
ヤルノ・トゥルーリは、2012年シーズンを新生ケータハムで過ごすことが決まっていたはずなのに、ロシア人ドライバーにシートを奪われる形でF1を去ることになった。F1の世界では契約書など何の意味も持たないただの紙切れであることを証明するような出来事である。
ヤルノが去ったことにより、2012年シーズンはイタリア人F1ドライバーがゼロと云う、前代未聞のシーズンとなることが確定した。コンストラクター・チームとしては最強のフェラーリが存在しているが、確かにイタリア人ドライバーとなると、すぐには思いだすのが難しい状態が続いていたことは確かで、だからこそヤルノにはもう少し頑張ってもらいたかったのだが、残念なことである。
ルビーニョとヤルノが、自らがF1を去ることによってF1に新しい才能を迎え入れると云う役割を果たしたことは、最後の大きな仕事として評価したいものである。F1を去ったとは云え、レーシングドライバーとしては超一流であることは間違いがない二人である。別のカテゴリでの活躍を祈りたい。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、開花まで秒読みとなったすみよしの森枝垂れ梅。
美しいのはマクラーレンMP4-27だけ
このところカメラの話しばかりだったけれど、D800が発表になり後は発売日を待つのみだし、CP+2012も終わったし、気が付けば2012年F1開幕戦まで一カ月。大分サボっていたけれど、そろそろ2012年F1について書かなければならに時期だな。って、書かなければ「ならない」って、なぜ「ならない」のか判らないけれど(^^;
いきなり結論で強縮だが、2012年シーズン用のF1マシンは押し並べて醜い。その理由は、「モノコック前端+150mmより先の部分のノーズの高さは、車体底部の基準面(リファレンスプレーン)から上方最大550mmまでとする。モノコック前端の高さは従来通り625mmまで」と云うレギュレーションである(文字情報では判りにくいのでこちらを参照頂きたい)。
上記のレギュレーション消化のために、どのチームもノーズの途中に醜い段差が生じているのだ。現時点で唯一、この段差がないのがマクラーレンMP4-27。メルセデスGPがまだ2012年用マシンを発表していないが、2011年用マシンに着けられた2012年レギュレーション対応のノーズにはやはり不細工な段差があることから、2012年マシンも同様となるのはほぼ確実である。
2012年用のマシンで、美しいのはただ一台(いや、正確には二台と云うべきか)、MP4-27のみである。MP4-27だけが、コックピットからノーズ先端まで美しい曲線が描かれている。いつの時代も、優れた物が美しい形を備えているのは間違いのない真実。逆もまた真なりで、美しい物は優れている。零式戦闘機、ルネ・エルスの自転車、Nikon(ニコン)F3、500系新幹線、そしてF1。美しい物は常に最高の速さ・性能を内に秘めているのだ。
この論法から云えば、2012年F1で最も速いのはマクラーレンMP4-27だと云う事になるのだが、果たして美しいF1は本当に速いのか、それは9ヶ月後に明らかになる。
ホンダがF1復帰?
2013年にホンダがF1に帰って来ると云う噂が、立ては消えを繰り返している。それはそうだろ。1980年代後半、V6ターボエンジンでF1界を席巻したホンダである。その名はRA168。1.5L V6を各バンクに一つずつ装着されたターボで過給。本選では1000馬力と云われたが、予選での最大出力は1500馬力であったとも云われている。このRA168を搭載したマクラーレンMP4/4は16戦中15回のPPと、同じく15回の優勝と云う圧倒的な強さを誇ったのである。
そんな史上最強のエンジンを作ったホンダであるから、2013年以降のエンジンレギュレーションが直6 1.6Lターボと決まった直後から、ホンダがF1に帰って来るのではないかと云う噂が絶えないのである。しかしだ、考えてもみれば、それは噂ではなく「期待」なんだろうな。圧倒的な強さを誇るホンダエンジンがF1のサーキットに帰ってきてほしいと云う。
だがしかし、事はそう簡単ではないのだ。1980年当時は、トータルパッケージと云うような考え方は主流ではなく、強力なエンジンさえ手に入れれば優勝することが出来ると云う、判り易い時代であったのだ。その後、ターボエンジンが禁止さると同時にマシンの空力性能、更には空力を中心としたトータルバランスに優れたクルマでなければ、いかに強力なエンジンを搭載しても勝つことはできない時代へと変遷し、この流れは現在まで続いている。そして急速な石化燃料離れの動きだ。
ホンダがF1に帰って来るならば、それは郷秋<Gauche>だって嬉しい。郷秋<Gauche>だけではなく世界中のF1ファンがホンダのカムバックを願っているから、ホンダに、あるいはマクラーレンに否定されても、それでもしつこく何度でもホンダのF1復帰が話題になるのである。小排気量エンジンをターボで過給する方法は、VW各車をはじめ、多くの市販車で既に一般的となっているが、ハイパワーと省エネルギーを両立させる技術は既に次のステップに移ろうとしている。だから、ホンダが技術的には既に旧態然としたターボ過給の小排気量エンジンでF1に帰って来るとは、郷秋<Gauche>には思えないのだ。
もしホンダが帰って来るとすれば、それはハイプリッドや純バッテリー式、あるいは燃料電池によるモーター駆動など更に先を見据えたレギュレーションのレースだろうな。しかし現状ではそんなレギュレーションのレースはないから、ホンダは当分レーストラックには帰ってこない。なんならFIAと決別し、ホンダ主導で石化燃料使用が半分以下、あるいはまったく使わない、単座オープンホールのレースカテゴリを作ったらいいんじゃないかと郷秋<Gauche>は思うぞ。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、あかねの森南麓の山茶花。さすがに山茶花も終盤、椿にバトンタッチの時季が来たようです。
ブエミとアルグエルスアリが失業
2011年、セバスチャン・ブエミとハイメ・アルグエルスアリと共に戦ったトロ・ロッソが、2012年はダニエル・リカルド(オーストラリア)とジャン・エリック・ベルニュ(フランス)と云う、共に21歳の若いドライバーで20戦を戦うことを明らかにした。つまり、ブエミとアルグエルスアリは失業なのである。
2011年シーズン、アルグエルスアリは26ポイント、ブエミは15ポイントを獲得するなど、ザウバーには僅かに及ばなかったものの、中堅チームとしては良く戦ったのではないかと郷秋<Gauche>評価していたのだが、結果としては両名共に解雇の、びっくりのニュースである。
F1の世界は速いだけでは生き残れない過酷な世界なのは事実。つまり、今シーズンあるいは来シーズンに、チームの為の資金を持ち込めるドライバーがいたとすれば、それがまったく問題にならないほどのドライバーでない限り、多少の速さよりも資金調達力が優先されるのが今のF1。スクーデリア・トロ・ロッソが、多少の経験よりも資金調達力を優先した結果なのである。
もっとも、この考え方が間違っているとは云えないのも事実で、「そこそこ速いドライバーだけれど資金が無い→マシンンの開発が進まない→いつまでたってもテールエンドの動くシケイン」と云う悪循より「まだ十分な速さは発揮できていないがポテンシャルを秘めた若いドライバーが大量の資金を持ち込む→マシンの開発が進む→ポテンシャルが現実の速さとなりチームは大量ポイントを獲得→新たなスポンサーが更なる資金を提供→ますます速くなる」と云う両循環の方が良いことは間違いのない事実なのだ。
2012年のドラーバーは既にほぼ決まり、TBA(To Be Announced)としているのはフォース・インディアの2席と、ウィリアムズとHRTに1席ずつ、合計4席のみ。残念ながらブエミとアルグエルスアリの2012年は、良くてサード・ドライバーと云うのとになるな。まったく気の毒だ。
例によって記事本文と何の関係もない今日の一枚は、例の東京都某所の夕焼け。遠くの山並みは丹沢山系、手前の森は武蔵野最南端の森。人工物が入らないように慎重にフレーミングした一枚である。
ライッコネン、ロータス・ルノーからF1復帰
2012年シーズンに、ウィリアムズからのF1復帰を目指しての交渉が続けられていると報道されていたキミ・ライッコネンだが、ウィリアムズとの交渉は決裂し、一転、ロータス・ルノーからのF1復帰が決定したとの報道。
ライッコネンがウィリアムズからのF1復帰交渉をしているニュースを紹介した折に、郷秋<Gauche>は「止めた方が良い」と書いた。1980台から1990年代前半のウィリアムズならばいざ知らず、2011年シーズンの体たらくを見れば、とてもライッコネンのモチベーションを維持出来るようなチームではないからである。
そう云えば、ロータス・ルノーとチーム・ロータス、「ロータス」を名乗るチームが二つもあり、法廷闘争まで繰り広げられた2011年であったが、チーム・ロータスが2012年には「ケーターハム」を名乗ることが決まり、「元」ルノーが堂々と「ロータス」を名乗ることができるようになる。つまりライッコネンは、唯一の「ロータス」のドライバーとしてF1復帰を果たすことになる模様。
さて、ライッコネンがウィリアムズにシートを得るとすれば、ルーベンス・バリチェロがチームを去る、それはつまりF1から去ることになるだろうと噂されて訳だが、ライッコネンが来ないことになったからと云って、ルーベンスの来季が安泰であると云う事にはならないのもまた、事実。
あの程度のマシンでは誰が乗っても結果は同じと云えなくもないが、Sクラスのドライバーはしょぼいマシンで速さを見せつけ、一気にトップチームのシートを獲得するものである。それができない歳になってしまったルーベンスには、若い才能の為に勇退いただくのがせめてもの花道かと思うのだが、本人としてみれば、なかなかそう云う気持ちにはなれないのだろうな。
セバスチャン・ベッテルが今季15回目のPPを獲得
セバスチャン・ベッテルが、2011年F1の最終戦、ブラジルGP予選で今季15回目のポールポジションを獲得。ナイジェル・マンセルが1992年に記録した年間最多ポール記録を更新したことが声高に報じられているが、当時のF1は年間16戦。16戦中14回のPPと、19戦中15回のPP、どちらが偉いかと云えば、16戦中14回PPのマンセルの方がはるかに偉い(15/19=78.95%、14/16=87.50%)。 だからと云って、今年のベッテルの戦績にケチをつける気持ちは毛頭ない。昨シーズン、速さを見せつけたベッテルだったけれど、今シーズンは「強い」ベッテルを存分に見せつけた。2012年もチーム体制やエンジンなどマシンのパッケージングに大きな変更がないことから、きっと今年よりも更に強いベッテルをみることができることだろう。 F1の61年の歴史の中で2年連続のチャンピョンは、アルベルト・アスカリ、 ジャック・ブラバム、 アラン・プロスト、アイルトン・セナ、ミヒャエル・シューマッハ(ご存じの通り、その後4年をおいて5年連続チャンピョンを達成)、ミカ・ハッキネン、フェルナンド・アロンソの7人がいるが、ベッテルが次に挑むのは、ミヒャエルのもつ年間13勝と5年連続チャンピョンの記録と云う事になる。甲斐のある挑戦だろうが、今のベッテルとレッドブルにはそれが出来そうなほどの強さがあるなぁ。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、晩秋の薄い陽に輝く菊。晩秋の花、菊もさすがに終盤のようである。
親愛なる”フェリッペ”へ
一部の報道によれば、フェリッペ・マッサが同郷の大先輩、ルーベンス・バリチェロに引退を勧めらしい。ブラジル人同士だから、二人の他には(ブルーノ・セナを除いては)知る人も少ないポルトガル語で気安く話したのかも知れない。
マッサが云うには、「ルーベンスはF1で素晴らしいシーズンを過ごし、最高のチームで走り、レースにも優勝した。多くのドライバーがうらやむようなキャリアだと思う」なんだと。まっ、いずれも事実ではある。そんなバリチェロが、ペイ・ドライバーになり下がるべきではないと、マッサはバリチェロに直接云ったのかどうかは定かではないが、そう思ったことは事実なのだろう。
マッサもなかなか良いことを云うではないか。でもフェリッペ、君だったらどうだ? 君だって最高のチームで走っている。奇しくもルーベンスと同じ11回、ポディウムの一番高い所に上がっている。しかも、ルーベンスにはなかった、最終レースの最終周回の最終コーナーまで、チャンピョンの可能を残したシーズンだってあったじゃないか。悪くないF1人生だ。
でもフェリッペ、結局、君はチャンピョンにはなれてはいない。その意味ではルーベンスとまったく同じ。もし君が齢を重ね、それでもF1の世界にいたとして、同郷の若いドライバーから引退を勧められたら君はどうする。若いドライバーの為にシートを譲るかい? それはできない相談だろう。チャンピョンになれないことは判っていても、持ちこみの資金が必要であっても、それでもやっぱりF1で走ることを選ぶんじゃないかな?
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、鳥たちに種を運んでももらうために、目立つ赤い実を残している花水木。ちなみに花水木は北米原産で、尾崎行雄が東京市長であった1912年に米国ワシントンDCに染井吉野を送った返礼として、1915年に送られたのが日本における始まり。日本に移入されて間もなく100年になるが、今では庭木や公園の植栽、街路樹としてなくてはならない樹木の一つとなっている花水木である。撮影場所は昨日の写真と同じ東京都下某所。でも、この辺りは境界が入り組んでいるので、ひょっとすると川崎市麻生区の飛び地かも知れない。
ペドロ・デ・ラ・ロサがレースドライバーに復帰
現在マクラーレンのテストドライバーを務めるベテラン、ペドロ・デ・ラ・ロサが2012年シーズン、HRTからレースドラーバーとして復帰する。契約は2年との事。
デ・ラ・ロサは1999年に当時のアローズからF1デビュー。ジャガー、マクラーレン、ザウバーから出走するがこれまでの出走回数は86回と少ないのはシーズン途中で解雇されたり、テストドライバーを務めていな時期が長いからである。ちなみにその86回のレースで獲得したポイントは35。
比較対象として相応しいかどうかは判らないが、現在唯一の日本人ドライバーである小林可夢偉は2009年F1にデビューしこれまで39回出走して獲得したポイントは63。1レース当たりの獲得ポイントはデ・ラ・ロサの0.4に対して小林は1.6。
悪いドライバーではないと思うけれど、特に優れたドライバーと云う訳でも無いデ・ラ・ロサを何故HRTが欲しがったかと云えば、やはりスペインのチームにはスペイン人ドライバーが必要だから。スポンサーマネーの獲得にも有利だと云う事なのだろうな。
かつて幾度もコンストラクターズ・チャンピョンを獲得している名門ウィリアムズのシートを模索している、あるいはフランク・ウィリアムズ欲しがっていると云われるキミ・ライッコネンだが、彼とてもスポンサーマネーの獲得にも有利だからと云うのが、ウィリアムズがライッコネンを欲しがるもっとも大きな理由であることに変わりはない。
F1の世界は速いだけではシートを得ることができない。かと云って集金力があれば良いかと云えば、投資した資金に見合うだけの速さ(≒マスコミへの露出度)も当然必要となる。集金力と速さのバランスが重要なポイントとなるが、どちらに重きが置かれるのかは、そのチームのポジションによって変わって来るのだろうな。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、秋から冬へ、柿からミカンへと移ろう季節を撮ったつもりの写真だが、上出来は無論の事、普通出来とも、とても云えないな(^^;
F1小三題
先週末行われたアブダビGPで、タイヤトラブルで1周もできなかったセバスチャン・ベッテルは怒り心頭、レーシングスーツを脱ぎ捨てると、友人のクルーザーに乗り込み、ビール片手にハーバーサイドを走るマシンに毒づいていた。と云う事はなく、何とレース終了までピット・ウォールに止まり、チーム首脳がどのように戦略を建てて決断していくかを真剣に学んでいたのだそうだ。過去にはホントにクルーザーで飲んだくれていたり、ピットにも戻らずに自宅マンションに帰ってしまったドライバーがいたりしたけれど、ベッテルは実に優等生である。
昨日までの3日間、若手ドライバーによるテストが行われていたが、ジャン・エリック・ベルニュのようにトップドライバーに伍するタイムを叩きだす者もいたが、だからと云って、彼らが来年F1のレースドライバーになれるわけではない。F1は24のイスをめぐるイス取りレース(ゲーム)でもあるのだ。誰かが去らなければ、新しいいドライバーがF1にやって来ることはない。辞めてもらいたいドラーバーのリストと云う物があったとすると、きっと「ルとバ」が付く人が筆頭だろうし、「ミとシ」、「ヤとト」が付く人なんかがそれに続くんだろうな。
果たしてキミ・ライッコネンはF1に帰って来るのか。自身もウィリアムズとの交渉を認めているが、現時点ではまだその結論は出ていない。最大の問題は、マシンの戦闘力であるが、来期もマシンも今年のFW33程度のポテンシャルであるのだとすれば間違いなく止めた方が良い話ではあるが、来季のFW34はルノーエンジンを搭載、マクラーレンの元デザイナー、マイク・コフランが采配を振ることとなっているので悩ましい。ウィリアムズは幾度もタイトルを獲得している名門チームだし、記憶に新しい所では2009年のブラウンGPのようなこともなくはないからな。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、杜鵑(草)(ほととぎす)。8月下旬から11月末までと、花期が長い。鳥のホトトギス(不如帰)が先にあり、花にある斑点模様が不如帰の胸の文様に似ていることからの命名のようである。上の写真は今月9日に東慶寺で撮影したもの。
インドGP開幕
インドGPが始まった。インドで初めてF1のレースが開催されるサーキットの名前は「ブッダ・インターナショナル・サーキット」。まずは名前が素晴らしいが、近年初開催を迎えている韓国同様(恥ずかしながら、富士スピードウェイも同じだったが)、工事が完了しておらず、TVには登場しないであろう部分ではかなり酷い状況らしい。
新興工業国の仲間入りを果たし、特に自動車産業の更なる発展の起爆剤としたいインド政府の肝いりで初開催にこぎつけたインドGPだが、その運営等については次年以上への宿題を沢山もらいつつの初開催となるようである。
それにつけても、我が国の自動車産業黎明期に、自動車産業においては新参の弱小企業であったホンダが、本田宗一郎が、鈴鹿サーキットを建設したその先見の明には感服せざるを得ない。
さて、そのインドGPで唯一の日本人ドライバーである小林可夢偉は18番手スタート。後ろにはバージン、HRT、ロータスしかいない、事実状の最後尾。序盤では好調を維持したが、中の開発が進まなかったようである。今シーズンこれ以上の好成績は困難だろうからので、2012年に期待するしかないと云う事になるな(ペレスがペナルティで可夢偉の後方グリッドをなった模様)。明日の決勝レースで、せめえオーバーテイクで見せ場を作ってもらいたいものである。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、山茶花(さざんか)。山茶花は江戸時代から多くの園芸種が作られたようである。これはツバキ科の特徴である、大きな黄色の蕊がまったく見えない品種。
昨日の素朴な疑問:昨日、「飲むお茶の色は緑色(グリーン)なのに、どうしてブラウンの事を茶色と云うんだろう」と書いたが、実の色をして「茶色」と云うのだろうかと思った。椿の実は黒だが、お茶の木の実は確かに「茶色」である。
2011年F1第15戦 日本GP終了
8日に「2011年F1第15戦 日本GP」と題する小文を書いた(Click here)。レース前に書いたからには、終わった後にも書かなければならないと思いながらも、何だか書きそびれたまま今日になってしまった。まったく間抜けな話だがお許し願いたい。
マクラーレン絶好調(と書いた):ほら見なさい、ちゃんとバトンの活躍を予言していたではないか。郷秋<Gauche>は伊達に25年もF1を見ている訳では無いのだ。しかしだ、これでチーム内でのハミルトンの立場がますます悪くなることは必至だな。
頑張る可夢偉(と書いた):頑張ったけれど、結果を残すことはできなかった。勝負の世界は結果が全て。終わってしまった後で「もし」「たら」「れば」と云ってみたところで意味はない。残念ながら日本GPでの可夢偉は、予選ですべての運を使い切ってしまったようだ。でもだ、結果は出せなかったけれど、努力する姿に勇気づけられることはある。特別な年の特別な日本GP。それはそれで良しとしよう。
ベッテルのチャンピョン獲得なるか(と書いた):残念ながら圧倒的な強さを発揮することはできなかったが、見事にF1史上最年少での2年連続シリーズチャンピョンを獲得した。今週末の韓国GPを含め、残された4戦が消化試合ならんことを祈らないではいられない。
例によって記事本文とはなんの関係もない今日の一枚は、江の島(の入り内にある地下歩道)で撮った何気ない一枚。
2011年F1第15戦 日本GP
マクラーレン絶好調:2011年のこれまでのレースの通り、レッドブルが圧倒的に強いかと思った日本GPだが、3回のフリープラクティスすべてを制したのは、マクラーレン・メルセデスのジェンソン・バトン。何かと日本には縁のあるバトン故、気合が入っていたのは間違いのない事実だが、それ以上にMP4-24が絶好調であることもまた事実。シーズンスタート時点では、建前はジョイント・ナンバー1と云われながらも、同僚、ルイス・ハミルトンに傾き加減であったチーム内の空気を、ミスのない確実なドライビングで自分の側に引き寄せてきたバトンの12年のキャリアは伊達ではない。
頑張る可夢偉:小林可夢偉は、3度目の母国GPを、自己最高の7番グリッドからスタートする。可夢偉自身も計測を途中であきらめてピットに戻ってはいるが、レギュレーションによりQ3でタイム計測できなかったミヒャエル、ブルーノ・セナ、ペトロフよりも上位のグリッドを与えられることになり、明日は自己最上のグリッドからスタートすることになった。3年前のF1デビューしかり、Q1トップタイム通過しかり。「ラッキーボーイ」とは可夢偉のためにある言葉ではないかとさえ思えてしまう程の強運の持ち主である。
ベッテルのチャンピョン獲得なるか:鈴鹿以降に残された4戦が、つまらぬ消化試合なることは是が非でも避けたいところだが、残念ながら「幸運の女神」の女神に見初められてしまったセバスチャン・ベッテルは、鈴鹿でも圧倒的な強さを発揮し、F1史上最年少での2年連続シリーズチャンピョンを獲得する。まだ幼さが残るこの青年のどこにこれほどの強さが秘められているのか知る由もないが、圧倒的なアドバンテージを誇るRB7とミスとは無縁のチームスタッフに支えられて走るベッテルに敵はいない。2012年には、チャンピョンシップを最終戦までもつれ込ませることが出来るだけの「ゆとり」を見せてもらいたいものである。
例によって記事本文とはなんの関係もない今日の一枚は、ガクが赤くなり紫の実をつける時期になっても、まだ咲いているクサギの花。
2011年F1第13戦、イタリアGP終了
ニコンの「ミラーレス」に気を取られ、F1について書くのを忘れるところであったぞ。
これまで、ドライバーズ・チャンピョンシップ2位に付けていたウェバーがリタイヤでランキング4位に転落。代わってアロンソが2位に浮上するも、トップのベッテルとのポイント差は112となり、この時点でベッテルの2年連続チャンピョンはほぼ確実なものとなった。
10日に「さえない」と書いたのが悪かったわけでもあるまいが、可夢偉はマシントラブルでリタイヤ。まさに「さえない」イタリアGPとなった。
イタリアGPを盛り上げてくれたのは、何とミヒャエル・シューマッハ。「老獪通せんぼう爺」は、チームから「一車身開けるように」との指示が再三飛ぶほどの、ペナルティぎりぎりのブロックでハミルトンを抑え込み、良くも往年のファンを喜ばせてくれたものであった。表彰台には届かぬ所での戦いではあったが、ベッテルがぶっちぎる、つまらないレースを大いに盛り上げてくれたのは確かである。
しかしハミルトン、バトンがあっさりとパスしていったミヒャエルにてこずり、多くの視聴者に「こりゃ、ぶつけるぞ」とハラハラ期待させる辺りは、チャンピョンの名が泣くというものだ。それに引き替え、1ラップをいかに速く走るのかを追求したセッティングを完璧なものにし、冷静沈着に53周を走り切ったベッテルは、2年連続のチャンピョンに相応しいドライバーだと云えるだろうな。
17位
イタリアGPの予選が終わった。PPはベッテル、以下ハミルトン、バトン、アロンソ。そして、ザウバーの小林可夢偉は17位。さえないなぁ・・・。
白いのは韮の花、薄紫がツルボ。この季節、田んぼや畑の端、道端の土手などで盛大に咲いている「雑草」。
2012年F1は全20戦
数日前に、FIAから2012年の暫定カレンダーが発表になった。
第1戦 3月18日 オーストラリアGP
第2戦 3月25日 マレーシアGP
第3戦 4月15日 中国GP
第4戦 4月22日 バーレーンGP
第5戦 5月13日 スペインGP
第6戦 5月27日 モナコGP
第7戦 6月10日 カナダGP
第8戦 6月24日 ヨーロッパGP
第9戦 7月8日 イギリスGP
第10戦 7月22日 ドイツGP
第11戦 7月29日 ハンガリーGP
第12戦 9月2日 ベルギーGP
第13戦 9月9日 イタリアGP
第14戦 9月23日 シンガポールGP
第15戦 10月7日 日本GP
第16戦 10月14日 韓国GP
第17戦 10月28日 インドGP
第18戦 11月4日 アブダビGP
第19戦 11月18日 アメリカGP
第20戦 11月25日 ブラジルGP
2011年は、政情が不安定なことから中止されたバーレーンGPが、第4戦 4月22日開催となっている。アメリカGPが2005年から7年ぶりの復活はめでたいい事だが、代わりにトルコGPが消え、残念ながら2012年もフランスGPが復活することはなかった。
今更ながらだが、20年前には日本だけだったと云うのに、アジア地区での開催が随分と増えたものだ。タバコ広告規制が無いからと、アジア地区での開催が増えたF1であったが、今では全て禁止されている。その意味でのメリットは無くなったはずだが、それでもアジア地区での開催が増えていると云うのは、アジア各国の経済力が存在感を増していると云う事なのだろうか。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、ヘクソカズラ。漢字で書くと屁糞蔓。この茎や葉を揉むと嫌なにおいがするのである。随分と酷い名前を付けられたのにはそれなりにわけがあるのだが、早乙女花と云う美しい別名もある。秋になると直径5mm程の美しい実をつける。
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