私は、フォッサマグナと中央構造線を混同していた事に、前回遠山郷を訪ねた折に気が付いた。中央構造線についての理解を深め、実際にその露頭部分を見学したくて、大鹿村を再訪したのだった。
小渋川沿いにある「中央構造線博物館」は中央構造線上に建てられていた。残念ながら、説明が分かりやすいと噂の学芸員は留守だった。止む無く、ガイド無しでの見学だった。以下はここで得た知識やネット情報を私なりに整理しまとめたものである。
まずは中央構造線とフォッサ・マグナの違いについて。
標語的に書けば、中央構造線が、九州から四国、紀伊半島を経て千葉・群馬にかけて、線状に、東西に連なり、日本列島を縦断しているのに対して、フォッサマグナは日本海から太平洋にかけて、帯状に南北に奔っていて、その帯の西側は、糸魚川ー静岡構造線と呼ばれている。(右図及び下図参照)
(右上図の拡大図)
中央構造線の成立が、今から一億年前と推定されるに対して、フォッサマグマは1500万年前ほど前、日本列島が大陸から離れる際の力学的構造変化が原因とされている。要するに中央構造線成立後数千万年してファッサマグナが出来上がったということである。 さて中央構造線について「三峰川資料館」の資料によれば
『中央構造線は日本列島ができる時代に形成された断層です。
日本列島周辺では、太平洋のプレ-トが、太平洋側の海溝でユーラシアプレートの下に沈み込んでいます。太平洋のプレートがユ-ラシアプレ-トの下に潜り込むときに、太平洋の方からずれてきた岩石を「そぎ削る」ようにおいていったものを「付加体」と呼びます。この付加体がアジア大陸の縁に沿って大きく横ずれしたものが中央構造線です。』とある。
要するに、日本列島が大陸と陸続きであった時代に、ユーラシアプレートに太平洋プレートが付着したとういことで、当然成分が違うはずであるが、その違いは色の差にはっきりと表れ、その露出の幾つかをこの大鹿村や長谷村で見ることが出来るのだ。 私たちは5月7日(木)に、長谷村にある“溝口(みぞくち)露頭”を見学に行った。ダム湖へ降るとそれが良く見えるはずだが、岩崩が起きていて現在工事中で、間近での見学は叶わなかった。少し離れた位置から見学し撮影したのだが、遠目にもその成分の色の違いが分かった。右写真に見る様に、左の茶色側が“西南日本内帯”と呼ばれ、伊那山脈はこちら側。右の緑色側が“西南日本外側”と呼ばれ、南アルプスはこちら側。ここを見学出来て、今回の目的はほぼ達成した。
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