横ばいになりながら、スーパーマーケット研究家菅原佳己さんの『日本全国ご当地スーパー 隠れた絶品、見~つけた!』をパラパラと捲っていたら、見出しが“鮮魚の宝庫!吉池本店の魅力”とあるページを見つけた。菅原さんは自腹で全国のご当地スーパーを行脚している女性の様で、既に『日本全国ご当地スーパー 掘り出しの逸品』を書き上げていた。生まれが御徒町だから、地元のスーパーへの採点が少し甘いということがあるかも知れないが、「吉池本店」を絶賛していた。
「・・・一般のスーパーは商品数2万点と言われる中、吉池は4万5千。その売上の55%は鮮魚が占めている。全国のスーパーを見た後だからわかる、吉池の鮮魚売場のレベルの高さ。プロでも魚を買いに来る。そんなスーパーはなかなかありません」と。
私達は言わば“遅れて来た老年”で、吉池の鮮魚売場の魅力を4年ほど前になって初めて知った。二人とも大の吉池ファンとなり、妻など中でも“アラ”を絶賛している。
吉池は北海道に自社鮭水産工場を持っている。そのことを地下1階の売場で目の当たりにした。自社工場からの加工鮭を販売しているコーナーがあり、別海生産とあった。かって読んだ『別海からきた女』(著:佐野眞一)の別海とはどこにあるか捜したことがあった。別海は北海道東端の地にあった。鮭が遡行するには絶好の川があるのだ。
どうしてそこまで魚にこだわるのか。その秘密を菅原さんが種明かししてくれていた。そのなかで、吉池の創業者高橋與平氏(1898~1992)の波乱万丈な人生も紹介されていて、実に面白い話だった。実はこちらの物語を書きたかったのだが・・・。
彼は新潟県松之山(現・十日町)出身。その地に吉池という池が実在した。昭和9年発行の『主婦之友』の記事によれば、高橋氏はジェットコースターのような人生を歩んだ人。地元の師範学校を卒業し念願の教員となり、弱冠25歳で東京の小学校の校長に。その働きぶりがある実業家の目に留まり、新事業を企画。ゴム栽培のため台湾に渡航。が、それもつかの間、結核で死の宣告を受け無念の帰国。
「どおせ死ぬなら死ぬ気でもう一働き」と伊豆大島に渡り、開墾事業の着手。毎日太陽の下で労働するうちに「不治の病」が自然に完治!このとき島で魚を釣った経験から、東京・三田で鮮魚店を開店した、とあった。
2014年春、吉池本店は新装開店していた。私達は残念ながらそれ以前の様子を知らない。