マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『二人だけの芝居』を観る

2016年05月07日 | 映画・美術・芝居・落語

 420日(水)、二人で東京芸術劇場・シアターウエストで民藝公演『二人だけの芝居』を観て来た。出演は奈良岡朋子と岡本健一。この芝居の作者はテネシー・ウィリアムズ。ウィリアムズ作の芝居は『欲望という名の電車』は観たことがあったが、それ以外には、かの有名な『やけたトタン屋根の上の猫』も観たことがなかった。

 難解な劇だった。私には面白いと思える面が少ない芝居だった。86歳になる奈良岡朋子の作品は今のうちに出来るだけ観ておきたいという動機からの観劇だが、耳に難点のある私は心理劇的要素の強い劇は苦手である事を再認識した。テンポの速い言葉に随いていけないのだ。ストーリ性のはっきりした作品の方が、私には適している。
 しかし、そのままにして終わるのは癪だし勿体なくもあり、何故民藝代表の奈良岡が劇団員ではない岡本を相手役に選んだのかも知りたくて、観劇後小冊子『民藝の仲間395号』を購入してきて、些かでもこの劇を理解しようと努めた。その学習結果(?)を簡潔に綴っておく。

 原作者の思い・・・この作品は、『欲望という名の電車』などの初期の作品群とははっきり異なる革新的な作品を意図し、それまでの熱心な観客を裏切ることは承知の上だったとのこと。民藝の伝統的な劇とは異なっていて、居眠りをする観客も見受けられたのはその為か?
 物語の粗筋・・・役者であるクレア(奈良岡朋子)と、座付作家兼俳優のフェーリス(岡本健一)の姉弟が、地方公演のさなかに他の劇団員から狂人扱いされ見捨てられてしまう。二人だけになってしまった姉弟は、弟が劇の内容を二人芝居用の脚本を書き直し、やがて来る観客であろう観客を満足させようと芝居稽古を始める、というのが表面の筋立て。劇中劇の構成となっている。
 解説は・・・「しかし、現実と妄想の境目はすぐにぼやけてしまいます」と続くのだが、私には理解不能。同行者に劇の感想を聞くと「二人は初めは姉弟の間柄には見えなかったが、劇が進行するにつれて姉弟に見えて来た。これは役者二人の力」とか語っていたが・・・。

 それよりも、奈良岡が民藝劇団員ではない岡本健一を相手役に抜擢した訳を興味深く読んだ。
 岡本は、1993年に奈良岡出演の民藝公演『君はいま、何処に・・』を観て感動し号泣し、その後も奈良岡の舞台を観続け、楽屋に出入りすることが何度もあり、逆に奈良岡が岡本出演の舞台を観に行くようにもなった。
 食事やお茶を一緒にするようになり、「一緒に何かできたら面白いかもね」が、2011年の朗読劇『ラヴ・レターズ』で実現。しかしこの稽古で岡本は奈良岡に発声の仕方などを基本から、徹底的にシゴカレたそうな。奈良岡に厳しく育てられも団員みたいな顔をして劇団内を歩き回るうちに、岡本の役者魂が、いわば奈良岡のお眼鏡に敵い、演出家丹野郁弓が二人に相応しい作品として『二人だけの芝居』を思いついたそうな。岡本は「この人ならばうちにはいない」と、奈良岡も劇団員も納得できる人であったわけだ。
 心病み時に狂気にかられる役を演じる奈良岡朋子の凄みだけは感じ取れた。

 


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