マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

武蔵小山で

2016年05月05日 | 東京散歩

 52()、高校時代からの友人瀧川さんと武蔵小山で一献傾けた。
 私は高校時代、自宅は西小山、勤務先は大井町(日本光学KK)、高校は武蔵小山(都立小山台高校)という具合にいずれも東急沿線にあった。瀧川さんは私が高校4年生のとき小山台に転校してきて、私と同じクラスとなり、席も近くだった。直ぐに親しくなり、転居先を探していた彼に、私達家族の住んでいたアパートの隣室が空き部屋となったのを幸いに、そこを紹介した。以来10年近く彼も私も西小山の住民だった。
 そこで何十年振りかで西小山で落ち合い、武蔵小山近辺を散策し、昔の縁(よすが)を探そうということになった。

 西小山駅とその近辺は昔の面影を全く留めていなかった。それもそのはず、高架だった目蒲線(現在名は目黒線)は地下に潜っていた。高架線のあとは武蔵小山緑道公園となり、再開発が実施されたのだろう、両サイドは小奇麗な家々が立ち並んでいた。その間を進み行くと武蔵小山駅。この駅も変貌を遂げ、午後5過ぎ、入口周辺で多くの高校生が談笑していた。私達はその間を抜けて母校のグランド脇の通学路に入っていった。(写真:緑道公園)






 校庭ではクラブ活動が終了しグランド整備が始まっていた。その向こうに見える校舎も建て替えられたのだろう。屋上には、校歌に登場する八角塔が見え、これは昔のままの様に見えた。登校してくる定時制高校生は稀で、我が母校小山台高校定時制の募集は間もなく廃止され、あと数年で消えゆく運命にある。(写真:小山台高校は旧制府立八中。その象徴としての八角塔)

 駅南側の飲み屋横丁も取り壊され再開発の途上にあった。その脇のアーケイド商店街を抜け、中原街道に出た。二人がアルバイトをしていた東京ガス荏原営業所には高架ビルが建ち、営業所は移転していた。やや気落ちしながらも
50年という歳月は東京では多くのものが変貌を遂げるに十分すぎる年月、と語り合った。
 昔探しはここで止めて、後は飲み屋探し。ネットで調べてはいたが、ぶらりと横丁に曲がり、気の利いた風の居酒屋に入った。昔ほどには飲まなくなった二人だが、それでも2時間ほどを過ごし、再会を約して武蔵小山で別れた。23歳の頃に出会った友は既に77歳になっていた。


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