<モネ―光のなかに>を観たぼくらわ 今度わ <ラファエル・コランと黒田清輝ー120年目の邂逅>を観たのだ(※この展示わ 終了しているのだ)
ポーラ美術館 <ラファエル・コランと黒田清輝ー120年目の邂逅> 終了しました
https://www.polamuseum.or.jp/exhibition/20210417c02/
今回ポーラ美術館へ来た 最大の目的わ ラファエル・コランの<眠り>と 黒田清喜の<野辺>の見比べをするためなのだ
まずわ ラファエル・コランの<眠り>から観たのだ
スポットライトが当たったような 白人の輝くような なめらかな白い肌 赤茶の長い髪で まるで女神のように美しいのだ
ぼくのいない写真も載せるのだ
解説にわ こう書かれていたのだ
『1892年に制作され、翌年フランス美術館協会サロンにて発表されたのち、1900年パリ万博の「美術の10年」展に出品された作品。公開は実に120年ぶりとなる。
眠りに落ちた裸婦を俯瞰的に見下ろす大胆な構図は、コランの数ある裸婦像の中でも珍しい。裸婦が腕を上げたポーズは、官能性を際立たせる女性像の定型として、19世紀のフランスのサロンで好まれていた。また、下半身を覆う毛皮は触角を刺激するモティーフとして、同じく裸婦の官能性を高めている。透き通るような白い肌にピンク色で血色感が加えられ、生身の人間の息づかいと存在感を感じさせる。』
あと ポストカードの画像も載せるのだ(クリックすると大きな画像で見れるのだ)
黒田清輝の<野辺>なのだ
目覚めてすぐのように思えるのだ 一輪の花を見て 物思いに耽っているようでもあるし 少し恥じらっているようにも思えるのだ
<野辺>わ 大好きな作品だったけど 黒田清輝の師にあたる ラファエル・コランの<眠り>わ もっと好きになったのだ
こっちもぼくのいない写真を載せるのだ
解説にわ こう書かれていたのだ
『1907年(明治40)第11回白馬会展への出品作。二度にわたるフランス留学から帰国し、東京美術学校の教授や白馬会のリーダーとして、作品発表や後進の育成に邁進していた時期を代表する裸婦像である。
草原に仰向けに寝そべる裸婦のポーズは、フランスで見た師コランの《眠り》を踏襲しているが、人体の彫塑的な造形性よりも、むしろ日本の湿潤な空気感や、野辺に憩う女性の表情や手に持つ花に漂う暗示的な雰囲気を描き出すことに意識が向けられている。
発表の2年後には、本作品の下絵が、若き文学者たちの主宰する雑誌「屋上庭園」の創刊号の表紙を飾ることとなった。』
構図わ 同じだけど コランのわ 眠っていて 黒田清輝のわ 起きているし 肌の色や 草原に色とか 見比べると いろいろ違いがわかるのだ
岡田三郎助の作品(2点)もあったのだ
<裸婦―水辺に立てる>なのだ
<裸婦>なのだ
他にも1点あったと思うけど 惹かれなかったのでお写真わ ないのだ
これもお写真を載せただけになっているけど ラファエル・コランの<眠り>と 黒田清輝の<野辺>の見比べが出来て嬉しかったし 一緒に写真も取れたのも良かったのだ
この後わ <水の風景>を観たんだけど そのことわ 今度書くのだ
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