病身であった梶井基次郎の「冬の日」の一節をつい思い出すほどに、散策途中の上り坂を辛く感じるようになってしまった。明日は通院の日だからG医師に訴えてみよう。といって、治癒法が無いに等しい「慢性コロナ?」的な呼吸器疾患ゆえ諦めが肝心なのかな
ジョギングでも平気で駆け上れた坂道が、西風に向かって漕ぐ自転車が辛い、こわい。昔は好かった!のだ。
「冬の日」から ”街を歩くと堯は自分が敏感な水準器になってしまったのを感じた。彼はだんだん呼吸が切迫して来る自分に気がつく。そして振り返って見るとその道は彼が知らなかったほどの傾斜をしているのだった。彼は立ち停まると激しく肩で息をした。ある切ない塊が胸を下ってゆくまでには、必ずどうすればいいのかわからない息苦しさを一度経なければならなかった。それが鎮まると堯はまた歩き出した。”