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ゆうゆう職場

地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。

古巣へ

2021-01-18 21:00:56 | Weblog

2009年まで30余年の間、ずっと務めた県工業技術センター(途中、K県政の下、改組があり科学技術振興センター配下の工業研究部になったりしたが、最終的に先祖還りの工業研究所で落ち着いて居る)へ私用で出向いた。同僚的後輩のM君に頼まれたモノを渡すのが目的だが、それにかこつけ懐かしい方々の消息を伺うのが主目的である。あわせて、M君がずっと関わっていてくれる私の第2職場の様子も聞くことができた。

 

無駄話は尽きないもので、彼のお仕事を邪魔してはいかんと立ち上がったのは もぉお昼前。で、家に帰っても妻不在が明らかであるから(このことは明日にでも記します。賢妻ですから不出来な夫に愛想をつかして出家?したのではありません、念のため)懐かしい旧職場付近を散策して帰宅する ことに。南側へ1kmほどで木造城址があり、その東1kmほどに水分神社がある。城址に軽トラを止め、神社まで桃園(いい名称ですなぁ)地区内を徘徊する。

 

①木造(コツクリ)城址;2004年に始めたこのブログの初発!ページに引接寺とともに採り上げてある。当時はジョギングだかポタリングで徘徊しておった。

 

②水分(ミクマリ と協会副会長をお世話いただいたHさんに教えていただいた)神社そばの雲出井もブログしたはずだが、探すのが面倒。ただ、江戸時代の初期;1650年ころ 近くを流れる雲出川を10km以上も遡った地点から開鑿したとされる用水、当時の作業に頭が下がるだけ。えらいもんです。この地点で水路は3つに分岐、うち一つは退職後の職場となったM協会近くの田圃を潤している。

 

③神社から軽トラに戻る途中、雲出川の堤もよく走ったことを想い、JRの鉄橋へと脇道へ足を延ばした。しかし、午後には約束用事が2件もあり、途中で遠望、パチリして折り返す。

 

やはり、30年以上も務めた職場周りは想いが輻輳するもので、去りがたい。今となりブログに書きやすくなったが、公務員になったこの職場は第3の職場である。70年安保の頃、機動隊導入もあり封鎖された学部を「ほぼ3年間だけの授業」で追い出された「出来の悪い学生」なのに(=あのT大では留年となったはずなのに我が大学では国税の無駄遣い とされたのだろうなぁ)、しかし当時はなぜか就職買い手市場。ここ10余年続く就職氷河に閉じ込められている学生諸君には、ほんと、申し訳なく恥ずかしい

 上場企業のF社の地方研究所へ配所されたものの、不勉強を恥じて大学へ戻りたい 希望だけで退社。ブラブラ勉学のまねごとをするうちに伯父に諭され、職場も世話されて本当の中小企業M社が第2職場。えらそうに仕事をわかったような気分となり、不満の態度が別職場探しとなる。小さな社では社長がすぐに害虫退治にのりだし、この研究公務員(字面は恰好よろし)職場を紹介いただいた次第。でたらめな青春だった。が、おかげで、佳い妻が来てくれた ・・・のかな?