地方公設試験研究職を勤めあげ?、70歳ころまで溶接技能検定にタッチすることができました。間質性肺炎に悩まさる欲張りです。
ゆうゆう職場



妻、彼岸に逝って半年近くになります。仕上げの頃、私は在宅酸素療法になってしまいました。難儀な肺炎が進行しだした2020年頃から、妻に面倒見てもらって彼岸に逝くか と思っておりましたが、入れ替わりました。しかし好かったのだと思う。
 後になることで、せめて心の裡で妻に詫びることができます。全て詫びることだらけです。全て私の気儘から生じた不詳です。子どものこと、家のこと 全てです。妻を先にして、振り返る機会を私に与えてくれたのでしょう、天上の神々。
 ところで亡き母、頼りない&気分屋の息子の私を「おまえは後先考えんと・・・」と一生懸命に諭してくださった。浮いたか瓢箪(亡父がよく口にしました・・・)の私、生まれてから現在まで祖母、母そして妻にしっかり留めてもらえたのです。・・・今日一日も、苦しさを感じることの多い日でした。秋祭りまで動けるか知らん~


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