児童のころ、学生時代、はては親になっても亡き父親によく言われた『ワレも、もっとカンコせな あかん』。たしかに父は器用であってずいぶんとうらやましい目でみたもの。ちょっとした小刀細工でも切れ跡がすっきりとして、切れ跡が良くしようとばかりの私のものとは全く違っていた。決定的なのは、細工の段取りをよく考えて進めていたようだ。今でも私は作業途中でスタートから!間違った方向に進んでいたことに気づいたり、途中で必要な道具もないことで途方に暮れる。きっと欲が深すぎるのだ。
ところでお恥ずかしい話、最近まで父のカンコを明治になってからの『勧業』とくに勧工業からのカンコウ とばかり思いこんでいた。思い込むと競馬馬のように前しか見えない。父も明治の親や祖父(あ、慶応だったか)から、勧工(業)と言われたのだな と暢気なものである。〇〇は仕方のないやっ(奴)ちゃなぁ と墓の下で苦笑いしておるだろう。
ちょいと脱線。父もよく使っていたワレ。話相手のことをワレというのは、我=自分を指していながら、関西では面と向かって相手に自分は・・・と話すのと似ておるのかなぁ??また調べましょう
| Trackback ( 0 )
|