崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「学者を作るつもり?」

2016年10月20日 05時45分51秒 | エッセイ

 家内が今私がある人にインタビューしたもののテープ起こしをしている。大変な作業を手伝ってくれる。私がその作業の意味を理論書を以て説明すると彼女は「学者を作るつもり?」と言った。病院での看護や介護、家の中の「家内」としての家事や私の介護以外にも研究そのもの、各種の研究会、講演会など共にするスケジュールがいっぱいである。教会でもそうである。その教会の臨時担当の牧師がわが「家庭尋訪」(韓国語)の予定が報じられている。数年前わが家にきてイエスの首弟子ペテロの裏切りの話をもって説教をした牧師が再度訪問することとなるかもしれない。
 イエスが弟子たちに「あなたがたは、今晩、わたしのゆえにつまずきます。」と言われた時、「私は決してつまずきません。」と、最も強くそのことを否定したペテロが裏切ったという話である。私も人間関係の中で裏切りに不快な思いをすることが多くある。しかし自分が裏切ったとは思えない。聖書に戻って考えてみた。ペトロとイエスの関係は不変なものであった。尊敬心と愛によって結ばれていて弟子の中で首弟子になっている。彼はイエスの愛に泣き、彼の人生の新しい出発があったと牧師はいうつもりだったであろう。しかし家庭訪問先で裏切りの聖句を以てメッセージをするのはいかがなものかと思う。