崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

腹芸のない率直さ

2016年03月17日 05時53分00秒 | 旅行
 アルプスの麓から写真葉書が届いた。同僚`が研究旅行に行っている。薄雪を被った山と建物、鉄道のザルツブルクの一枚の写真から旅へ誘われる。異境は神秘的に感じても行ってみると日常の現実なのに離れてみると美しく、その上神秘的に感ずる。この世よりあの世がそうであるように。天国、楽園とはこのような感情の楼上にできる。あの世から未来へ夢を持つのである。昨日はアメリカの選挙戦況から目を離せなかった。将来を誰に大統領としてゆだねるか。いつも失敗感をもつ。私を含め外からアメリカンドリームが内旋している。
 TVのスウィッチを消して読書、一般雑誌に盲人に関する本の書評を書き終えて、手にした韓国の『月刊朝鮮』はなぜかレベルが低く感ずる。読まれるように分かりやすくするためかレベルを下げたのか。私がすぐ前まで読んだ本が重かったせいかもしれない。中に30代ソウル市警局長を歴任した李健介弁護士が語るように書いた文が視線を引き、夢中になった。私と同年、学歴経験など多く共通している。ただ彼の家系は偉く、格差がある。しかしお父さんの死後の生活の苦しみ、朴正熙大統領に救済を求めた貧困の話は我が世代の一般的なことであり、共通点も多くあり面白い。なぜ…。率直である。今トランプ氏が人気があるのも腹芸のない率直さであろう。

알프스의 기슭으로부터 사진엽서가 날라왔다. 동료가 연구 여행하면서 보낸 것이다. 눈 덮힌 산과 건물, 철도가 보이는 잘츠부르크 1장의 사진를 보면서 나도 나들이를 떠나고 싶어진다. 이국이 신비롭게 여겨져도 가 보면 일상의 현실인데도 멀리 떨어져 보면 아름답고, 신비롭게 느껴진다. 이승에서 저승이 그런 것 같다. 천국, 낙원이란 이러한 감정의 누상에 설정되어 있다. 사람들은 미래에 꿈을 가지는 것도 그렇다. 어제는 미국 선거 전황에서 눈을 떼어 놓을 수 없었다. 장래를 누구에게 대통령으로서 맡길 것인가? 언제나 실패감을 갖는다.
 TV의 【스윗치】를 끄고 독서, 어느 일반잡지에 맹인에 관한 책의 서평을 다 쓰고 나서, 손에 잡은 것은 한국의 『월간 조선』, 왜 수준이 낮게 느껴질까. 읽혀지게 이해하기 쉽게 썼기 때문이나 수준을 내린 것인가? 제가 바로 앞까지 읽은 책 내용이 무거웠던 것인가? 30대 서울 시경국장을 역임한 이건개 변호사가 털어놓고 하는 이야기에 몰두했다. 나와 같은 나이, 학력 경험 등 많이 공통되고 있다. 단지 그의 가계는 훌륭하고, 격차가 있다. 그러나 아버지의 사후 생활고 박정희 대통령에게 구원을 요청한 빈곤상은 우리 세대에 일반적인 것. 재미있다. 왜 …. 솔직하다. 지금 트럼프씨가 인기가 있다. 솔직함일 것이다.

「東洋経済日報」エッセイ連載10年余 

2016年03月16日 06時16分26秒 | 旅行
 続「綱渡り人生」

 私の生まれ故郷の田舎では見世物はほぼなかった。結婚式や葬式、あるいは乞食のもの乞い歌、農繁期には農楽隊の風物ノリが見られるのがそれだけであった。子供の私には韓国戦争中の飛行機の衝突などは大きい見世物であった。私の幼い時には五日市が開かれ、そこで珍しくて雑戯俳優のクァンデ(広大)が綱渡りをするのを一回見たことがある。その光景は最高の見世物であった。つまり玩具などはあまりない時代に、綱渡りは最高の見せ物であったのである。綱渡りは朝鮮戦争直後には見ることはなかったがずいぶん後にソウルで復元された綱渡りを見て、感慨無量であった。広大とは伝統的な俳優である。李王朝時代には八つの卑の一つであり、私の子供の時も広大は差別されていた。近くの楊州仮面劇の演者たちも蔑視されていたが今では仮面劇の演者は人間文化財となって いる。
 綱渡りは広場の両側に杭を打ち、綱を張り、その下にコザを敷いてチャンゴ、セナプ、太鼓、ケンガリなどの民俗楽器の楽士たちの伴奏によって行われた。このように舞台を作って、才人(男)クァンデが綱に上り片手に扇子をもって立つ。広大が片手に扇子を持ってバランスを取りながら綱を渡る姿は実にすばらしい。音楽の伴奏とともに踊りながらジェダン(才談:面白おかしく語る)をする。才談は悪口半分で面白く、それはサンノム()の言葉であると思った。
 クァンデは均衡を失って綱から落ちそうになった時に跳ね上がって、再び落ちそうな体の傾きを正して、「アイゴ―、死ぬところだったよ」と言いながら、踊りながら綱渡りをする。それは芸であるが、実際に落ちて怪我をし、それが元で病気になり死んだ人もいる。
 今その綱渡りを想起して私の人生を振り返ってみると、私の人生こそ綱渡りの広大のようだったと感じる。わたしの人生は真に綱を渡るような生き方だった。何度も綱から落ちそうだった。否、綱(絶壁)から落ちて這い上がって来たようにも感ずる。朝鮮戦争、重症の肺結核、無銭留学など、綱から落ちそうになり扇子を持ってようやくバランスを取り、姿勢を正してきた‘綱渡り’ の広大のような人生であった。今でも綱渡りをしているのかも知れない。
 バランスを保つということは決して容易なことでない。我々は常に平均をとろうとする。あれこれ比較、取捨選択、好き嫌いなど買い物をする時でさえ考える。広大が扇子をもってバランスを取ったようにそれぞれどのようにバランスをとるのか、それこそ人生そのものであろう。私がバランスをとる重要性と、どちらか一方に偏ってはいけいと教わり、客観性の重要性を知ったのは中学生の時であり、今でも客観性を信念としている。高等学校の授業で裁判官は親族などと関わった裁判は担当しないという説明を聞いて私であれば相手が誰でも偏見なしで物事を処理できなければなければならないと考えた。韓日関係においてもバランスをとろうとしている。





下川正晴氏がお見舞いに

2016年03月15日 05時24分06秒 | 旅行
日本古代史・朝鮮史の研究で有名な上田正昭先生が88歳で召天された。私は先生の研究から倭国、天皇制、ナショナリズムなどに関する意味を深く考えさせらていた。先生が中心に著名な学者たちが集まる研究会に数回私にも呼びかけてくださった。沖縄での会議で先生は私を若手の研究者のように紹介してくださった。一丸上の世代であり当然であろうがいつも若者のように精力的に著作活動をされたことを思い出す。召天は早すぎるとも感ずる。
 昨日東京から下川正晴氏がお見舞いに来てくれた。彼とは映画に関する講演会や一泊しながら討論会も行って数年ぶりの再会であった。彼も心臓の病気に悩まされた人であり、患者仲間(?)意識を持っているような最初の話題であった。しかし健康をとり戻して元気に活動をしている。東京から奥さんからのお土産と一緒に彼の履歴書風の小さい冊子「私のコリア報道」を頂いた。インタビューの内容が書かれている。学生運動、韓国留学、毎日新聞記者、大分県立芸術文化短期大学の教授までのパノラマが書かれており、それの口演のように語られた。記者から大学の先生への変身は大きい転換であったという。新聞読者と大学生の違いから話し方、書き方が変わったという。私は彼がその教授時代に学生を弟子として育てた教育者として評価していた。また面白い話は韓国での反日との出会い、悩まされた話である。ある市民講座で高齢者たちが日本のことに激しいアレルギーをもって反論することには驚いたという。それは私の経験と相通じる。我が夫婦は本当に楽しく面白く聞いた。

日韓合同礼拝

2016年03月14日 05時49分52秒 | 旅行
日韓合同礼拝(山口西分区)と講演会が在日大韓キリスト教下関教会で行われた。下関市内にある8つの日本基督教団の教会から70余人が参加した。36回にもなる合同礼拝であり、歴史のある集いだと言われている。週報には「交わり」と書かれているが、合同交流の意味はほぼなかった。教会毎に座り冷たい弁当を食べて午後の講演に続いた。教会の信条には「信者の交わり」と唱えながら交わりには非常に否定的な教会が日本である。そして信者が集まらないと嘆いている。日本の少子高齢化の先端を走る。昨日の祈りには梅光大学の人事の問題が挙げられた。日本の教会の悲鳴を聞くような気分であった。
 日本基督教団の隠退牧師の牧野邦久氏は「共有課題、そして」で少子高齢化現象を以て「小人数の力」を訴えた。彼は日韓キリスト教を対照的に取り上げ語った。日本の士族のキリスト教化、日本基督教団(当時朝鮮も含まれた)が植民地へ賛同、「聖戦」を応援した。ホーリネス教派だけが賛同しなかったことに弾圧したことも指摘した。戦後の韓国ではクリスチャンの李承晩大統領、民主化過程にクリスチャンの活動が大きかったこと、国民が愛国心と民主主義、主権意識が強く、前職大統領も有罪とした国だと褒めながら日本では考えられないことであり、韓国に学ぶことが多いと語った。

腹話術

2016年03月13日 07時01分35秒 | 旅行
いっこく堂さんの腹話術は実に上手い。昨日テレビでいっこく堂さんが「世界各地のステージに立ってきましたが、韓国だけはまだなので、是非近い将来、韓国でブームを巻き起こしたいですね。そのために、韓国語を勉強中です」と言った。実は私は子供の時から見たものである。流れ歩く腹話術占いシャーマンが我が家に来て占うのを見た。盗難の犯人捜しの占いであった。シャーマンは子供の死霊を神降ろしをして子供の声で語る。子供の死霊は探しに行って帰る途中で遊んだりしてうまく捜せないこともある。それはシャーマンの責任ではない。私は後にそのようなタイプのシャーマンを全国的に見ることができた。中国の朝鮮族のシャーマンにもいた。1930年代の『朝鮮の巫覡』にはシャーマンの口寄せが天井から聞こえることを検証して腹話であることを長く説明している。私は早くから論文に紹介したが巫歌ばかりに関心が強い研究者たちはこの類型のシャーマンは本物ではないように関心を持たずに現在に至っている。
 いっこく堂さんも腹話術は巫女から起源した話をしていた。彼が村山智順や私の拙著を読んで幼児霊の口寄せなど多くの内容を資料としてほしい。日本では故桜井徳太郎氏が触れたことがある。韓国ではこのようなシャーマンを太主ムーダンと言う。腹話術に関心のある方は拙著を参考にすることを勧める。シャーマンたちは幼児の死霊を「米櫃神」と言う。李王朝の王子を米櫃に入れて殺した怨恨の霊であると伝えられている。母に殺されて母に憑いて母がシャーマンになるなどいろいろ言われている。テレビが映したがるシャーマンのカラフルな踊りの底には怨恨が多く沈んでいることにも目を向けてほしい。



「迎春花」

2016年03月12日 06時40分12秒 | 旅行
 3月21日(日)2時東亜大学で博士課程在学中の中国からの留学生の林楽青氏が満洲映画を上映し、解説する。その映画は「迎春花」、春を迎える季節にふさわしいようであるが、映像を通して検証したい。下関近辺に住んでいる方の参加を歓迎する。彼は放送関係の仕事の経歴のある現職大学の日本語の教員である。私は彼の研究力と関心を聞いて満州映画の研究を勧めた。彼は蓄積されている映画編集の技術を生かして資料収集と分析が進めていて今度中間発表になると思う。
 この映画は李香蘭主演、下関出身の木暮実千代氏が共演する。満洲国は日本の植民地ではない独立国(?)でありながら日本の統治の曖昧性が映画にも反映されている。日本の剣道や生け花などは満洲国の先進スポーツのスケートやホッケーなどと対照的な構造から語れる。映画の具体的な分析と上映を楽しみにしたい。またスカイプによってネット上同時に公開する。希望者はパスワードをdgpyc081@yahoo.co.jpに申請してください。

琵琶法師

2016年03月11日 06時21分11秒 | 旅行
 昨日の読書会では書評を頼まれて読んだばかりの永井彰子氏著『聖人・托鉢修道士・吟遊詩人』を以て話を始めた。以前永井氏の博士論文を審査したこともあるが、それより知的思考の深みと広さに驚き、面白く読んだ。冒頭「盲目の乞食が犬にひかれて歩む絵」から始まる。盲目とか乞食とかは社会的厄介な存在のように思われがちな社会があった。最近は西洋の福祉国家を目指して保護政策を受け入れてはいるがその趣旨の本質を理解する人は少ないだろう。しかし伝統社会においても盲目の人に慈善の行為が行われた国家もある。私は本欄でも触れたように社会主義国家においてその政策があったのではないかと書いたことがある。
 日本では琵琶法師が尊敬されている。私が住んでいる下関の赤間神宮には平家物語り「耳なし芳一」を語る琵琶法師などがいる。私はそれとは違って天台宗に属している盲僧の永田法順氏の読経を有楽町朝日ホールで平成18年に聞いたことを思い出す。その似ているで知り得たことは幸いであった。つまり琵琶法師とキリシタン宣教師との関わりであった。山口に来た琵琶法師ダミアンのことである。ザビエルたちはこの琵琶法師が伝道活動にとって重要な役割を担っていくことを見抜いた。その直感は的中し洗礼を受け、「ロレンソ」という名を得て、伝道所に留まり修道士と一緒に生活を共にして、彼らを助けた。仏教の施しや慈善、キリスト教の救済精神は繋がっている。日本と西洋は共通しており、その淵源は小アジアの楽器barbatなどに遡るが、そこで永井氏の著書は終わっている。これからその続きは大きく期待されている。

外国留学の意味

2016年03月10日 05時34分01秒 | 日記
時々韓国ドラマを話題にしているが、もう一つ気になることがある。家庭の問題児などをアメリカへ留学させることである。それは韓国人が持っているアメリカンドリームとは違うものである。留学はエリートの出世コースだという観念は潰れたことを意味する。国際化によって留学は職場を求めて移民する契機となるなど、国内の過剰な人口は外へ、あるいは不必要な人を島流しでもするかのようにし、留学の意味は大きく変わりつつある。留学は難民のように流れるものではない。外国留学の意味や目的を重要視するように以前のような状況へ戻してほしい。
 今、もう一つ注目されるのは自国が人を追い出すことである。内戦はもちろんであるが競争、争いなど常に不和などで人は外へ夢を求めて出ようとする。韓国や中国など海外民族が多いことはそのような国内状況が不安定であることを意味する。日本ではどうであろうか。年度末のこのころには定年、転出など人事異動の話が多い。終身雇用の国として有名な日本でも大学でリストラがあり多数の人が辞職させられる話が出ている。私は今までそのような現象を多く見てきた。不和や争いによることが多い。経営者たちは「和」を壊す人を一番嫌がる。ある人は刺激(退職)をうけ、新しい職場を探す起爆になったと言う。
 不和はある意味では必ずしも逆機能だけとは言えない。

『部落祭』(村山智順著、朴昊遠訳、)

2016年03月09日 05時09分13秒 | 日記
 昨日私が手術直前に,韓国で大変お世話になった民俗苑の洪鐘和社長がお見舞に韓国の神秘的な健康サプリメントの瓊玉膏と新刊書と吉村美香氏の博士論文を直接持って来られた。瓊玉膏とは宋の時代に典医たちが作り上げた妙薬生薬エキスだという。黒糖色で独特の香りと甘味、苦さがある。効果についていろいろ書いてある。「お肌、潤いと弾力のあるつややかな髪をつくる」というのは美容の効果であろう。その次に「子宝に恵まれたい!子孫繁栄」とは精力剤の意味、なんだかかけ離れた効果、回春のために選んだものであろうかと思う。否、回復、元気を祈っている心が読み取れる。
 彼は2週前に私が推薦文を書いたものを既に刊行した『部落祭』(村山智順著)、吉村氏の博士論文は占いに関するもので大いに関心がある。十数名の社員が社長の名前にある「和」を生かして一致団結して質高い良い本をスピーディに出す。それは研究者や社会へ知的情報を提供するサービスであるという運営哲学を聞くことができた。大学にこそ「和のサービス精神」が必要だと思った。私は大いに賛成しながら読者が少ない時代においての経営を心配している。私の最新著の校正文を社長がリュックサックに入れて背負って行かれた。「早い内に出版する、出来上がったら持って来る」という言葉を残して、新幹線駅で別れた。
 

推薦文はを付けておく。

                               축사
 나는 1930년대 말, 농촌진흥운동이 한창이었던 때 아주 작은 마을에서 태어났다. 그 고향 마을은 나의 어린 시절의 우주이었고, 마을이 나의 삶의 중요한 발판이었다. 마을 안에는 사랑과 증오, 화목과 갈등도 있었다. 전통과 인습이 강하게 자리잡고 있는 사회적 단위가 부락이었다. 그 부락을 개혁하여 근대화를 추진한 운동들이 있다.
노일전쟁 이후 일본은 부락 갱생이 사회변화의 기초라는 제국 정책을 썼고, 식민지 조선에서도 이런 제국의 정책을 수용하게 된 것이다. 자력갱생이나 농촌진흥의 운동들이 그것이다.
 조선총독부 촉탁이었던 무라야마 지쥰村山智順을 중심으로 부락제를 조사하였다. 그 보고서가 『부락제』이다. 나는 이 보고서를 바탕으로 부락제를 현지조사하여 유교식의 동제와 무속의례의 별신굿으로 2분하여 특징을 살핀 적이 있다. 일제 식민지 시대 의 조사자료로서, 싫든 좋든 1930년대의 한반도 전체에 대한 정부적 차원의 조사라는 점을 염두에 두고 읽을 필요가 있다. 식민지통치자료의 번역 사업이 민속원에서 진행되고 있는 가운데 본서가 박호원씨에 의해 번역 출판되니 출판사와 역자에게 깊은 치하를 하면서 이런 자료가 계속 출간되기를 기대해 마지 않는다.
식민지 사정자료를 출판하는 것에 강한 사회적 터부가 존재했던 1990년 나는 무라야마 지준村山智順의『조선의 풍수』를 출판했다. 의외로 독자들의 반응이 큰 것에 놀라지 않을 수 없었다. 그로부터 이후 식민지에 대한 터부는 거의 사라지고 지금은 식민지 자료들이 자유롭게 출판되고 연구회들이 많이 행해지고 있다. 그후 일본에서도 식민지 연구가 적극적으로 진행되어 지금은 아주 보편적인 현상이 되어 있다.나는 정부의 정책보다 일반 독자의 판단이 훨씬 현명하다는 확신을 갖게 되었다.
 인터넷 시대를 맞은 현재 인쇄 즉 종이 문화가 위축되고 있는 것은 사실이다. 그것을 부정할 수는 없다. 그러나 넷트워크 매체가 지적 활동을 크게 변화시키고 있다는 것을 주의하지 않으면 안 된다. 많는 정보를 빨리 쉽게 얻을 수 있는 점에서 매우 좋은 매체임에 틀림없으나 넷트 정보란 물처럼 흘러가는 경향이 있다는 것을 알아야 한다. 즉 흘러가는 매체로 인해, 독서에 의한 사고와 지식의 습득과 재생산이 잘 되지 않는, 사고력이 약화되어 가고 있다는 것이다.
 급격한 도시화로 인해 마을이 사라지고 있다. 이 책을 바탕으로 마을의 변화를 확인하는 것도 좋을 것이다. 『부락제』를 독자들에게 추천하고자 하는 것은 비록 식민지 자료라 하더라도 부정적이거나 긍적이거나 독자 스스로가 읽고 평가하기를 바라기 때문이다.
2016년 2월 13일 최길성

不正文化

2016年03月08日 05時34分51秒 | 旅行
インドではカンニングが有名なことを報道で知った。不正文化のようなものである。数十年前に北京空港でチケットが買えなくて困った時ガイドさんがパスポートの裏に20ドルを挟んで差し出して買ってくれたことがあり、本当に助かったという思いで不正文化の良さ(?)を味わったことがある。韓国の不正文化の一つは嘘である。ドラマでも嘘やごまかしが多く出てくる。平気で嘘をつく。作家が特別意図していなくても、韓国の日常生活文化として表れているようである。特に善意の嘘が一般化されている。それは悪意がなければ嘘は許されるからである。
 それに対して日本人は正直、勤勉などの国民性がほめられてきた。しかし最近日本の不正は高度なものである。似せベートーベン、STAP細胞、そして甘利氏の賄賂などがそれである。もっと先進なる不正文化が西洋の刑事物語りの映画やドラマなどであろう。犯人人物像が多く登場し、探し、親しい人が犯人であるなどのストリーである。正と不正、規則と反則の葛藤が日常的に行われている。作家はそれを面白く描いている。そんなドラマの中で我々が生きているといえる。

中国側への応援

2016年03月07日 05時30分42秒 | 旅行
マレーシアのクアランループールで行われた卓球を連日テレビ中継でみた。昨日の決勝戦で中国に敗れて日本は男女共に銀メダルだった。中国側への応援が目立った。それはマレーシアには中国系の民族が割と多いことを指す。日本とイギリスとの試合ではイギリスを応援する人が多かったことが私には意外なことであった。マレーシアはイギリスに長く植民地にされた国であるのにどうしてイギリスを応援をするかである。日中バレーボールの決勝戦で台湾人たちが日本を応援したことに中国側が怒ったことを思う。植民地は絶対悪ではないようである。
 世界で反日感情が一番強い国の韓国では日本の植民地は絶対悪である。韓国人は日本を応援してはいけない、それが応援でも表れる。さらに植民地歴史を絶対に肯定的な評価をしてはいけない。それでも「正しい歴史認識」を主張する。非常に矛盾している。私は今度韓国語で出版する新刊『植民地歴史を正しく見る』でその矛盾に挑戦する。その一つの例が日本による稲の品種改良である。それも日本が韓国から米を収奪するためであったと読まれるかもしれないが、少なくとも日本の植民地や占領の歴史を広く、正しく見るように勧めたい。

蘭香が薫る人間

2016年03月06日 05時37分21秒 | 旅行
リビングルームの3方面の窓ぎわが鉢物で密林状態にもかかわらず、蘭を2鉢を新しく買ってきた。昨日急に訪れて来た春気に酔ったかのような買い物であった。スペースを考え買わない所信を破ったのはその花と葉のバランスがとれた魅力に惚れたからである。買い物というより春の賜物の気持ち。数百の様々な蘭の鉢物があった。売り主に声をかけると愛媛の松山から来られた方で蘭愛好家であり商人ではないように感じた。花名はキンギアナムkingianumという。調べると耐寒性があり、栽培は容易く、鉢物として普及しているという。形は忘れないが名前はすぐ忘れそうである。
 風蘭の育て失敗は基本、その育て方を聞くと「自然に置くこと」だと言う。彼が言うように簡単に大量栽培して持ってきても値段は決して安くないのはなぜであろう。その「自然に育てる方法」は簡単ではないことを意味する。今朝は暖房もせず花を鑑賞している。自然さを考えている。私の教育の理念である。人も自然な環境で育てる。それは野蛮な教育を意味するものではない。蘭香が薫るような人間を指すのである。
 

「和解」

2016年03月05日 05時45分43秒 | 旅行
政府と沖縄県が和解した。ニュースを聞いて思うことがある。グローバル化が先進し、国境を無くす勢いに難民問題が発生し新しく国境に壁を作るような動きがある。やりすぎの地方中心、やりすぎのグローバル化が問題になっている。その中で政府と沖縄県が和解したのは幸いである。民主主義、個人主義などを強調するとするほど分離、無政府義状態になりうる警告もある。地方創生という波もあって地方活性化に力を入れるのは望ましいが、中央と地方が対立し、異常な民主主義国家のような感さえある。知事が愛国志士のように中央の国防や外交政策を乱すに至った。
 「和解」という言葉は本欄では時々触れているが、注意すべき点を指摘しておきたい。なぜなら和解とはお互いに不利益でありながら、名目や名分をもって正当化するために行うのはよくない。今度の和解にも根本的な対立が解決したというよりは政治的面子を得たようなものではないのだろうか。政治に限らず和解は日常人間関係にも重要な現象である。和解は表面的な面子を立てながら実利を得るためにすることが多い。しかし、私は和解の本質は面子を潰しても、実益が無くてもするべきことであると思う。時には面子をつぶし不利益にもかかわらず心から和解をすべきであろう。
 

書店廃店

2016年03月04日 06時01分45秒 | 旅行
昨日は朝8時前から研究室へ、午後6時半に退勤した。アジア向け公開講座のプログラムを完成させた。それには留学生の林さんに大きく世話になった。彼の帰国までの期間が1か月しか残っていないということで今から寂しく感じる。私は若い時から多くの助手役の学生を持ったこと常に幸せと思っている。遅い昼食は家内の運転で、林さんと一緒に王将で酢豚などで済ませ、いつものように本屋とビデオショップへ寄った。しかし、廃店となっており怪物のような建物として立っている異様な感がした。町内の書店が閉店廃店が続いている。本の原稿の校正や後書きを書いている中、自分の仕事や使命と矛盾するような気がした。
 しかし午後から研究所発行の東亜叢書1のデザインに取り組んだ。主役はやはり林さん、礒永、李良姫、倉光なども加わって助言、いつの間にか座談会式の研究会のようであった。大学は春休み、学生や教員は見あたらない、より広くより静かに感じた。我がグループはこのような時にその空白や余白を埋めているようである。眠っている時でも肉体は成長、社会は変化する。空白はただの空しい空間としてはもったいない。行動することによってそこに実りにつながる人生の歩みを入れることができる。

坂道

2016年03月03日 05時55分34秒 | 日記
 朝の散歩コースは二つ、海岸沿いと火の山の麓の坂道である。昨日は坂道を歩いた。健康回復をチェックし、良いと安心した。平な道とは違って坂道には力が要る。坂道を歩きながら若い時登山した山々を思い出した。恩師の李杜鉉先生との山登り、修学旅行引率で済州島のハンラ山にも数回登ったこともあった。少ない登山歴ではあるが私にも青春時代があった。いま坂道を歩くのがせいぜいの「登り」である。私の人生の坂道は「細道」であるがその登点はどこだろう。
 昨日以前留学生時代にお世話になった藤沢民団に電話をした。当時不十分な事務員であったことのお詫びと感謝の言葉を伝えたたかった。電話をとった方は中年の女性、私がいた当時の事務局長や相南荘の方々の記憶を起こして名前を読み上げるたび亡くなりましたと返ってきた。坂道を登って去った人ばかりであった。彼らは在日という荷物を背負って坂道を歩いてあの世に行ったのである。