崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

日本の総理がミャンマーを訪問

2014年11月15日 04時49分11秒 | 旅行
日本の総理がミャンマーを訪ねたというニュースを聞きながら戦前3年間ほど日本の占領地であったことを思う。日本がミャンマーをイギリス植民地から解放し、傀儡政権のビルマ独立国家を設立、それにアウンサン氏が導く抗日運動などで20万余りの犠牲者を出した歴史がある。ミャンマー人の犠牲はもちろんジャングル戦争で日本軍の犠牲も多かった。当時日本は植民地化しようとして軍政府は恐怖政治を施した。日本帝国の広さと強さと同時に残酷さも酷いことを強く感ずる。戦後民主主義の独立国家になると思ったミャンマーの人々の夢はやぶれ、軍事独裁政権が続いている。オバマ大統領は訪問先のミャンマーで民主化推進の必要性を強調した。以前一日旅行をしたことがあるが今ビルマ慰安所日記を読みながら映像「ビルマ戦記」、参戦記録、従軍日記などを読んでおり、再度ビルマへの調査旅行を考えている。
オバマ大統領のミャンマーの民主化のニュースとほぼ同じ時点で安倍総理の解散選挙の話が出ている。嘘のような話が「年内総選挙」の実現の話になって、選挙のありすぎ、民主主義の溢れた国家であることを感ずる。韓国の代表的な月刊誌の『月刊新東亜』11月号には日本共産党の志位氏が「慰安婦の強制は歴史的な事実である」と寄稿しても日本で非難されることはない。それを擁護するか非難するかは選挙しかない。選挙がありすぎて無駄な選挙ともいわれるが正しい人物と合理的な政党を選ぶ絶好のチャンスと思ってほしい。ビルマや中国などの国に比べて日本国民は政治に恵まれていると思う。


李朝の科挙制度や植民地教育

2014年11月14日 04時08分57秒 | 旅行
 元同僚であり、現在でも大学院に関わっておられる川村博忠氏が先週広島大学で開かれた日本人文地理学会で学会賞を受賞した。彼の業績は既に山盛りであり、私はもっと一般的に読まれるように新しく執筆を願ったり話し合ったことがある。そして執筆中の話を時々伺っており、去年は巨作の著書『江戸幕府撰日本総図の研究』(古今書院,2013)をいただいた。冗談でも学問以外のことは言わないような真面目な学者である。私は東亜大学に赴任して以来、親しくお付き合い頂いており、互いの人生や学問を知っている。最初の話題の火元は彼が1935年当時京城で生まれたこと、秋田に疎開したことであった。秋田は私の家内の故郷である。そして彼の絵図の研究の話に引き込まれて、絵図研究グループにまで招かれてソウル大などの調査にも参加した。彼が受賞されたことは嬉しい。多くの受賞には意外な感があるが、彼に関しては当然だと思う。大なり小なり受賞と聞くとおめでたい、うらやましい、やきもち、無視するなど複雑なきもちが生じるであろう。つまり 肯定的、否定的な感情を引き起こすのである。そのために賞制度が存在するのかもしれない。
 昨日韓国では全国的に大学入試の修能試験、いわば日本のセンター試験に当たるものが行われた。その試験に合格することによって身分が上昇する。現代版の科挙試験である。親たちの合格祈願に韓国では私がしばしばテレビ出演して説明したことを想起する。韓国の名門大学はソウル大である。大学の特徴や専門性による名門と言われるのは二の次である。トップへの一直線的な順位は替わりはない。この試験が家門の栄光になる意識は変わりのない学歴社会である。ソウル大学は戦前の京城大学が前身である。今は古い建物をほぼ壊して校舎も移転しているが図書、博物館、遺物などそのまま伝授しており、李朝の科挙制度や植民地教育を強く引き継いでいる。 

非礼の表情

2014年11月13日 05時23分16秒 | 旅行
 中国というと「礼の国」として古典を想像する。その「礼」の挨拶は目下の者が腰を低めて走って礼をすると目上の人は立ち止まって受けるようになっている。私が子供の時から見習ったものである。しかし目上の人に会うと何かをしていても途中でやめて挨拶をするのはあまり好きではなかった。その私が軍隊では常に上下階級関係を意識しながら生活するようになって不都合であり、私は心から改心した。たとえば私から目下と思われる方にも先に礼をするようにしている。以来私は生徒たちにも先に挨拶をすることが多い。日本に来て礼儀正しい、親切な国と思った日本では煩雑な礼儀作法がある場合は別として日常的には礼儀作法が存在しないので驚いた。挨拶を受けたい時は百貨店に行くか、新幹線に乗ればよい。お客様には礼儀正しい。店員さんの挨拶には軽く頭を下げたり微笑を返す人もいるが返事はせず無視する人が多い。新幹線でも車掌などの礼は無駄のように思うのか、みな無視している。なぜ習近平さんの非礼無礼の表情に怒るのか。
 習近平国家主席と日本の安倍晋三首相が会う現場映像が既に数百回は繰り返されて、私はそれには目を逸らしている。挨拶と表情で政治をするように感じた。笑顔を売る売笑婦とは違う重みがある。日本国より中国が上の国ということを表す礼儀戦略であろう。安倍総理に会った朴クネ大統領の不愛想な応対も同じ類であろう。私の子供時の田舎の礼儀作法の構造に似ている。しかし我が故郷では売笑や腹芸のような礼や挨拶はなかった。「過礼は非礼」という言葉のように煩雑になることは期待しない。しかし社会生活の潤滑油的な挨拶で相互を尊重することは必要である。今度習氏は会議のホストでもあり、一歩先に前に出て迎える礼儀が必要であった。人格が急下した。

「金剛山歌劇団」

2014年11月12日 04時43分30秒 | 旅行
昨夜朝鮮総連の「金剛山歌劇団」の公演を鑑賞した。わが夫婦は日本に住んでからほぼ毎年楽しんでいる。北朝鮮との国交はない中でも朝鮮文化の芸術を日本人に楽しんでいただく大きな公演である。私は恒例のようにみており、その質やレベルの成長発展を感じている。下関公演の実行委員長の金舜哲氏と総連委員長の朴徹氏、朝鮮学校の校長・教頭などの諸氏とも会い今では公演を見ることだけではなく社交の場にもなっている感がある。朴委員長は祖国訪問団に便乗して北朝鮮訪問の時お世話になった方であり久しぶりに会った。開演の1時間前から席が埋まっていて、幸運にも空いていた前から3列目に座って終始感動的に鑑賞した。北朝鮮の歌劇団と思われ、民団系や日本人は避ける傾向があると聞くが7~800人ほど観客が集まることはどういうことだろう。マイノリティの総連系の人と、ただ朝鮮文化芸術が好きな人々であろう。
 政治的色は出さないこととなっていても音楽、舞踊、朝鮮語などから感ずることがないわけではない。しかし多くの観客はそれを感じないだろう。今年は創立40周年であり、テーマは「ひとつの山河」である。政治的に言うならば北朝鮮の南北統一、民族主義が表れるといえる。映像で映る南北の江山、開城(世界文化遺産)、慶州の石仏など南北を網羅している。白頭山から金剛山、済州島のハンラ山などの風景、牡丹峰から朴淵滝、海女など民謡と舞踊で美しく表現しており南北統一の理念が見える。私は韓国の文化財専門委員であったことや民俗学が専門でもあり、民族芸術の南北を比較する楽しみもあった。歌と踊り、セナップという管楽器、伽耶琴の演奏が素晴らしく、ほぼ管楽が一貫してリードする。注目されるのは女性の踊りで衣装の端をつまんで美しく見せる。特に日本の踊りの着物ではできない、韓国朝鮮文化では女性のチマのスカートが風に吹かれるのを美とすることである。日本人にはスカートを振り回すというと異様な感がするかもしれないが、「スカートの風」(치맛바람)は朝鮮の力、それは教育ママを指すほど朝鮮女性のパーワーを象徴するものでもある。

『帝国の慰安婦』

2014年11月11日 04時55分11秒 | 旅行
 朴裕河氏著『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版2014)をいただいた。どう読むべきだろうか。歴史家や国際政治学者たちが研究した業績はすでに山積りである。その中に資料や証言などがあってもそれだけで全体を証明するには足りない。しかし、断片を持って全体を主張する人はまだ多い。日韓関係において歴史認識などから危険なテーマであり、政治的に河野談話は一段落した思われていたが再登場して、慰安婦像が建てられるところまで悪化している。そんな中、慰安婦については発言や書くことを控えるかタブーが強くあるのは事実である中、本著者の朴氏の勇気は大変評価されるべきである。政治家は困った時に学者に任せると言うがそれは基本的には研究業績からであり、それに基づいた評論でもよかろう。しかし学者には昔から勇気のないものが多く、発言などはあまりしない。逆に発言すると言っても今の瀬戸際の危険性をホラー物のように楽しみとして稼ぐ業者が多いことには注意すべきであろう。
 本著でいう帝国とは「日本帝国」と言い換えることができる。日本帝国とは植民地の内地と外地そして占領地を含む。帝国軍の制度の中に慰安所が存在したのか。本著は研究史やそれをめぐる政治的流れの要約が多く、ご本人の研究は生き証言が主であろうと思われる。しかし証言者側、主に政治運動団体から告訴されているのは残念である。朴氏は「和解のために」と慰安婦問題に触れているが、逆効果にもなりうる。また慰安婦らの人権を守るという韓国の運動団体も逆に証言を通じて恥部を話さななければならないことから人権を犯す結果となっている。
 私は慰安婦よりも残酷なレープを問題にすべきであろうと考える。私が経験的に知っている国連軍のレープには常に憤慨している。そのようなことは敗戦直後満洲においてソ連軍によるレープに関する日本人の証言は多い。世界にも広くあると言える。最近まで仏教国のタイや儒教国の韓国は売春を国策としていた。戦争には宗教の性モラルや人格もない「人間失格」しかなかった。それは戦争や貧困というものが背景になっている。日本は日清戦争、日露戦争で帝国主義を強め大東亜戦争も起こした。日本帝国の権限は赤道から北緯50度線に広く一時的には世界一の強さを持っていた。それは民族の移動や文化交流も伴う疑似国際化の現象であった。多くの国は圧迫されながら近代化されたのも事実である。しかし多くの国を傷つけたことは残念である。被害国である韓国人は日本を恨んでいる。私は韓国の女性の恨みを怨念ではない恨(ハン)と分析したが今の韓国の政治家を見ると「怨」であるように感ずる。私は「怨」から「恨」へ替えるように言いたい。
  

23回山口韓国語弁論大会

2014年11月10日 05時48分48秒 | 旅行
昨日は正午から夜まで第23回山口県韓国語弁論大会の審査委員長として務めた。韓国語のコンテストと言うより300人以上が参加した一つのコリアンフェスチバルになっている。祝辞や弁論など30人ほどのスピーチをチェックしてまとめて最後の授賞の前に講評するのが私の役目であった。さらに審査委員長賞の授与にも登壇した。ほぼ十年間務めてきたがいつも社会的状況や弁論の内容が新しく感ずる。特に今度は日韓関係の最悪と言われる中のことであり、祝辞や弁論にもそれに触れられていた。しかし国家間の関係は一気に変わることもあり、大げさに気にすることではない。
 今度は日本人、在日、中国人も参加した。19人の中、学生は言葉、一般人は内容が評価された。学生全員の韓国語の発音が正確であり韓国語の学習が安定し、定着していることが分かった。それは個人が続けて努力する自習だけではなく、韓国語教室などに通っていながら学習することが弁論の内容からわかった。参加者が多いこともそれらの学校や教室単位で参加していることがわかった。参加者の応援が目立つが特にうちわを振りながら歓声を出すのが多かった。その他、研修旅行、一人旅、スキンシップなど韓国での経験で韓国語と出会い新鮮さを感じて続けている状況がわかる。そしてSNSなどインタネットを通じて交流し、弁論は別々であっても結婚するまでの話が横に繋がっている。優秀賞は小学校4年生角まりあの「私のおばあちゃん」と平石恵子の「婿」になった。韓国語の学習のモチベーションは韓国がすきになることであり、数人の人が語った「韓国は美しい」という韓国への賛美を持って講評を閉めた。夕食を兼ねた懇親会では乾杯の音頭をとり、励ましの言葉、帰宅は夜であった。楽しい一日、ただお座敷で長く座っていることはやはり苦手である。

テロリストか? 英雄か?

2014年11月09日 04時58分07秒 | 旅行
 講座担当のために早めに大学についてプロジェクトの設定などを完了していて肝心なDVDを持ってくるのを忘れたことに気が付いた。慌ただしく家内が緊急出動、ぎりぎり間に合ったが心の準備が十分でなくはじめた。北朝鮮の映画「安重根伊藤博文を撃つ」(1979)の上映を始める前にストーリー、見どころを語り、時間の関係で早送りしながら若干づつ説明を加え、一部二部の全編を見せた。北朝鮮映画として壮大な背景、人員動員が大規模であるのに驚く。京城が主な舞台でありながら南大門、大漢門などが異なっていることが目立つ。しかし主人公の安や伊藤に似た人物を配役として歴史的な史実に基づいた真面目な歴史教科書的な映画と言える。日本では一般的に安重根は日本の英雄である藤博文を暗殺したただの殺人者であるのに韓国や北朝鮮では英雄であり、日本人の一部からは尊敬されているとの意見が出た。
 藤川氏は「なぜプロパガンダではないのか」という趣旨の感想を述べた。テロリストか? 英雄か?の問題である。彼の言葉を逆に解釈をすると北朝鮮への先入観、特に歴史的物語りやドラマ・映画が如何にプロパガンダ的であるかを意味する。彼は殺人者を英雄とするのは日本だって、特に下関では高杉晋作も同様であろうと言った。つまり高杉晋作が日本近代化の英雄と同様に安重根は 独立運動の英雄ということができる。殺人、戦争を批判するなら死刑も批判すべきであろう。「目には目、歯には歯で」とのハンムラビ法典として批判しながら「殺人は死刑」という法律は矛盾する。人類社会の存立にかかわる問題である。この映画はもっとも基本的な問題を提議しているのかもしれない。
 友松氏は今の日韓関係においてこのような暗殺の歴史を新しく「歴史認識」としてでっちあげ政治的な問題とするのが問題であると言った。中国ハルピンに安重根記念館、また中韓合作の映画「安重根」を製作中であるという。「反日映画」であろうという憂いがある。二人の女性からは家族や民族を愛国することは悪くないのではないかと言う意見も出た。これも大きい問題である。日本人から反日さえ理解すべきということになるからである。ここには反日を政治的に利用する愚かさと大きく対照的に「反日さえ理解しよう」とする普遍的な人類愛への発想が芽生える。私はキリスト教の愛を挙げてしまった。この北朝鮮の映画は平凡は歴史教科書的でありながら見方によって大きいメッセージを引き出せる名画ともいえる。

ハーグ

2014年11月08日 04時22分27秒 | 旅行
突然韓国の姉妹関係の大学の学生30人がキャンパスに入るという引率教授の金先生からの電話を受けて慌ただしくなった。1ッか月ほど前、関係者に連絡していて当然私は知っていると思っていたといい、逆に金先生が驚く。関係者は別に連絡を受けていると思ったのだろう。とにかく会場に行き嬉しい再会である、そこでハーグされた。まだ若い美女にハーグされて久しぶりに会う嬉しさと同時に高齢になったことと男性はもう卒業したと感じた。彼女の大学の総長が描いた絵を本大学学長へプレゼントとして渡すセレモニーに参加した。彼女たち一行の訪問時間は午前中だけであり、私は授業時間と重なり話もできず別れの手を振った。学部や大学院まで中国や韓国からの留学生や客員教授が来るようになり交流を深めるようになって嬉しい。中国人民大学の金炳徹准教授が日韓交流基金により東亜大学東アジア文化研究所に1年弱研究員として今月から来られる。その手続きに入管に行って提出し、速やかに許可を願って、許可が下りて嬉しく中国へ送った。初めてのことなので順調で嬉しく感じている。
 日中首脳会談が実行するようになるニュースを聞いて嬉しい。香港民主化や天安門広場事件なども大国主義に埋没され時が流れる。しかしその歴史は生き続ける。文科省関係機関の統計「日本人の国民性」と関連した調査によると韓国人でアジア諸国の中で日本で生まれたいという人数がトップであるという。日本に「反日文化圏」の中でも日本は着実に住みよい国になっているということであろう。朝鮮半島では外国人と一緒に生活をした経験は植民地が初めてであり、強い反日感情を持たせたが、一方日本人は勤勉で正直だという肯定的な遺産も残した。広く歴史を見る必要がある。 

『復讐するは我にあり』(続報)

2014年11月07日 06時07分18秒 | 旅行
 来週の土曜日15日東亜大学で直樹賞受賞作家の佐木隆三氏が講演する。私のマンションからは海峡を挟んだ向かい側の門司の山麓に住んでおられる佐木氏を訪ねたのは数週間前のことである。同行した櫛田学長自身がチラシをデザインし、完成した。大学の教職員はもちろ学生そして一般市民によい文化講演になると思うので一人でも多く参加することを勧める。市民にも知らせる必要がある。絶好の機会を作っても人が集まらないと伝わらない。別に宣伝活動ではなくても、教育の延長であり、それが市民への奉仕として繋がることと理解されたい。特にその日が大学創立記念日であり、休講となって休日と思い大学構成員の参加者が少ないのが普通である。大学の構成員として共同体意識が弱くこのような行事には関心がない人もいることは私には意外なことである。私の前職の私立大学では創立記念日には教職員全員が一緒に創立者のお墓まりに参加することが義務であった。しかし自由を与えると人は守るべきことを守れない。
 日本の大学教育が問題とされている。先生が一方的に語り終わる、いわば注入(注油)式であり、授業法も工夫せず改善せずに行っているから問題である。教員は授業参観などをただクリアすればよいと思い、有名人の講演などには参加したがらない。大学の改革が必要である。オバマのチェンジを、米共和党の委員がリアルチェンジと言った言葉が耳に残り、それが必要であると思う。それと関連して韓国の代表的な月刊雑誌の11月号『月刊朝鮮』に重要な記事を載せている。ソウル大学をはじめ名門大学の講義に記者が学生服を着て参加してから学生に先生の講義について感想をインタビューしたものである。パーワーポイントなど資料を以て講義をするが学生の質問はなかったという。それは先生が学生自ら質問するような雰囲気や状況を作らないからだと言う。西洋の講義との根本的な差は形式より「疑問?」を投げかけることがない。それが韓国大学の欠点であろうと主張する。どうであろうか。日本は先進国の教育として直接間接的にアジアへ影響を与えてきた。しかし今の日本の大学は改革しなければならない。

映画「安重根」

2014年11月06日 04時10分31秒 | 旅行
 数年前ほぼ同時期に当選したオバマと朴の両大統領に私は本欄でも期待して歓迎することを書いたことがある。それは政治力や統治力よりアメリカの初の黒人大統領、韓国の初の女性大統領という社会的な意味からであった。昨日米国の中間選挙で共和党が上下両院で過半数を取り、オバマ政権や民主党が大敗した。オバマ大統領への期待が大きかっただけに期待はずれの感があるのだろう。またアメリカの両党政治の政権交代の構造変化もあるかもしれない。あるいはオバマ氏の英雄的強力さが足りず、優柔不断とされたのかもしれない。一方朴大統領は強固な姿勢で日韓関係を冷却させているが国内的には支持率が安定している。彼女の反日は父の朴大統領よりかなり強い。それは従来の反日感情とは違って、社会主義共産党独裁の国家の中国へ傾き、ベストセラーであった「日本は無い」を本当にした感がある。相手を喪失した安倍総理は鬱憤払い(?)に世界旅行が多いように感ずる。
 目下中韓合作の映画「安重根」を製作中であるという。また話題になるだろう。「大韓民国全国民が観るべき映画」と騒ぐかもしれない。今週の「楽しい韓国文化論」は予定どおり北朝鮮の映画「安重根が伊藤博文を撃つ」を上映しながら議論しようと準備中である。歴史物語や大河ドラマなどは事実を虚構、フィクションとし、芸術として創作するのはよいが、もう一つの嘘、歪曲、プロパガンダになってはいけない。伊藤博文のゆかりの地においてこの映画は躊躇があったが、歴史そのものよりテロ、暗殺、愛国などの考え方に注目したいと思い決心した。どう見られ、どのような議論になるか楽しみでもある。

中国から朗報

2014年11月05日 04時38分55秒 | 旅行
中国から朗報が届いた。教え子の孫蓮花さんが結婚したという報告である。すでに2か月ほど前に北朝鮮との国境の町、彼女の故郷で結婚式を行ったということで写真も添付されている。彼女の結婚式には是非参席したいと以前から申し込んでいたのにすぎた話は残念だがとても嬉しい。15年ほど前彼女は大学の日本語の教員であった。作家金在国の紹介で彼女は長春から内モンゴルまで私の調査旅行に同行しながら案内してくれた。その後日本へ留学し、博士号取得、そして中国の名門大学の教員になっている。こんなサクセスストーリーを持つ彼女の今度の結婚という報告はダブル喜びである。
 彼女の新郎から「2014年9月9日に孫と二人は入籍しました。10月3日に彼女の実家で式を挙げました。ご報告が遅れたことをお詫びいたします。添付にて結婚写真お送りします」という文で私は心から夫婦共に二人を弟子にした気持ちである。世俗的には人間関係といわれるが私は「愛の縁」と思う。中国に調査旅行したことが多い私として否定的なイメージが強いが、二人をはじめ教え子たちとその周りの人たちは俗界の仙人のようなイメージがある。彼らの存在をみて私は中国が経済発展とともに明るい社会へ進歩することを信じている。
「結婚おめでとうございます」

教育は国境を越える

2014年11月04日 04時45分44秒 | 旅行
「楽しい韓国文化論」の講座の最終の現地見学として韓国安東のヤンバン村を訪ねることになった。その一日自由時間を利用して馬山の慶南大学校で「未来指向の日韓関係」という題で講演依頼があり、行くこととなった。日本留学を終えて1977年から2年間勤務した留学後初任の大学であり、錦を飾る気持ちである。もうその時代の同僚は一人もいない。教え子が務める数か所の大学では講演したことがあってもこの大学では初めての講演であり懐かしく、嬉しい。私が在籍したことのあった日本語教育学科には当時の教え子の張竜傑教授が学科長をしている。今は退職している友人や同僚にも会えるかもしれない。唯一朴在圭総長だけは当時の同僚である。彼は元総長の私の恩師の故尹泰林先生の後任者でもある。一昨年は東亜大学に朴総長を招待し講演をしていただいたことがあり、朴総長とは40年ぶりの再会であった。そして両大学間で姉妹関係を結び、学生交流などが始まり、私の講演はこちらから初めての応対になる。
 問題は日韓関係が最悪と言われるこの時期にそれを気にしながら何を語り知識や意見が共有できるかである。日韓関係の良し悪しが植民地の歴史認識から考えると特に国史学・政治学からみる日韓関係は極端に悪く、経済学からは良し悪しというよりは中間的かもしれない。ただ植民地教育とは言え、肯定的な見方が結構あると言える。師弟関係は良し悪しを超えて生き続いている。私の出身中学校は植民地政策で作られ、1920年代からの伝統を誇っている。私の恩師たちは京城帝大の日本人の先生たちを尊敬していた。金ヨンサム大統領は日本人の恩師を探して会ったことが話題にもなった。戦後の韓国教育は大部アメリカの実用主義教育に変わっていて日本植民地の教育の延長から見ることは出来ない。しかし植民地教育とはいえ、評価されるのはなぜだろう。議論したい。 

タイトル決めは慎重に

2014年11月03日 05時03分53秒 | 旅行
講演や寄稿文の依頼を受けてタイトルを決めるまで時間がかかる時がある。今月分の2か所のタイトルがまだ決まらず考えている。相手が私に何かを期待して講演を依頼しているであろうが、逆に私が彼らが期待するものは何だろうと考える。ただ自分勝手に好きな話を「経験や説教をする老人の自慢話」にはならないようにと考えるとさらにタイトルを決めるのに慎重になる。その上、言語・文学を専攻する学生と教員、またそれに一般の方々が加わる聴衆を考えると、それに合いそうな、ふさわしいテーマは何だろう。難しい。日にちが迫っていて焦っても適切なテーマが出ない。尊敬する人や愛する恋人におみやげを決める時と似てる。相手の趣味、好みなどを把握してから自分のメッセージが伝わるように考え百貨店を数日数回、回ることがあるのは私だけではないだろう。この心は大事だと思う。
 商品を作る人と買う人との間にはこのような配慮と慎重さがあるだろう。そして商品はものからお土産になる。先日上着を買いに百貨店に行った。サイズが若干大きかったのが気になったがピッタリ合うという店員さんの話を信じてすぐ買ってきた。帰宅して着てみるとサイズはやはり大きくあまり似合わない。店員さんの話をそのまま鵜呑みにしたことを後悔している。テレビでどんな食べ物でも「美味しい」と言うに決まっているような言葉さえ鵜呑みにした自分のせいではあるが、その店員さんを少しうらみたい。物づくり、経済活動からお土産になるまでそれぞれの心、誠意が含まれる。文科省系の統計(2014.8.30)日本人の意識に関する統計調査によると「親切」「勤勉」という意識が高く、「金・財産」が最低であった。どう考えるべきか。昨日、簡素服で真面目に走るマラソンを見て考えていた。

映画「春香伝」(林権澤監督)

2014年11月02日 05時08分56秒 | 旅行
昨日は雨にもかかわらず受講生の出席はよかった。「楽しい韓国文化論」で映画「春香伝」(林権澤監督)を一緒に鑑賞した。国文学時代の文学概論や講読の時間を思い出した。朝鮮王朝時代には処女の石碑を多くたてられていた。今でも韓国では地方を歩くとき「烈女碑」や「烈女門」に出会うことがある。それは未婚死者の怨念の祟りを恐れて立てられた民間信仰によるものであることを明らかにした村山智順の研究は有名である。南原にも美女春香の位牌写真が祀られている。それに因んだような恋の物語り、韓国最高の古典名作小説が「春香伝」である。
 元々口伝によって物語として伝承されて来たものが小説化され、19世紀に申在孝によりパンソリ「春香歌」として脚色して広く演じられるようになった。儒教的な貞節を強調する時代に身分を越え、性愛など多様な解釈がある。つまりヤンバンの李夢龍と卑の妓生の娘・成春香と出会い、恋愛をする。そして別離、再会まで貞操を守るための苦難の話である。後年夢龍は暗行御史として南原に潜入した。この映画のクライマックスは春香が夢龍であることに気づいた瞬間、気を失うことである。私がこの場面でシャットダウンした時拍手が出た。
 王朝時代にも民衆の中には常に王朝に反抗意識を持っていたと解釈される。貞操と言っても女性の貞操だけではなく、男性にも貞操感があるのではないかという質問が女性から出た。性と貞操に関する私の講義のようになり、終わりの時間になった。劇は終始パンソリ歌で行われて日本人にはなじみが薄いかと心配したが意外に受けがよかった。それは日本の浪花節と通じるからである。忠臣蔵や歌舞伎など日本文学との関連性での議論にもしたかった。

村山智順の研究

2014年11月01日 05時53分29秒 | 旅行
 先週ソウルの民俗苑(出版社)の洪社長から村山智順に関する研究の韓国語の本『村山智順の生涯と巫俗研究』(吉村美香)と『村山智順の朝鮮認識』(金喜英)の2冊をいただいた。それらより1か月ほど前の8月30日に私は村山智順の『朝鮮の巫覡』を韓国語で共訳出版した。私は数年前からその本を翻訳しながら韓国の巫俗研究史の一部を修正した。私がいとしんでいた秋葉隆の『朝鮮巫俗の研究』などが村山智順の資料と理論の枠をほぼ利用したことを明らかにした。それは剽窃に近いものであると考える。昔私の論文をそのまま使った二人のことを指摘したことがある。最近私の「仮農作」に関する1969年の論文をそのまま自分の論文として発表した金某氏のものを他の学者がそのまま引用したので抗議して、後日改正されたこともある。秋葉氏の著書などによって巫俗を研究してきた私として失望は大きく、『日本の人類学』(関西学院大学出版部)と『韓国巫俗学』(韓国巫俗学会)に村山の研究と秋葉の関連性を論文として掲載した。
 そして若手の研究者たちが学説史を正しく勉強をしてくれることを世に求めたのであた。吉村美香氏は私の主張を次のように序文で書いている。「秋葉隆は村山と共同で調査してきた多くの資料を提供され村山の学説を自身の学説として発表して有名になったと崔吉城先生(『日本の人類学』関西学院大学出版部2011.9)が発表したことがある」と書いてある。嬉しい。それは引用されたことはもちろんであるが、正しく若手の学者に私の希望が受け入れられたからである。知的生産は正しく評価されるべきであり、これからも正しい学説史が進展することを強く希望、期待する。二人の著者に感謝する。