崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

テロリストか? 英雄か?

2014年11月09日 04時58分07秒 | 旅行
 講座担当のために早めに大学についてプロジェクトの設定などを完了していて肝心なDVDを持ってくるのを忘れたことに気が付いた。慌ただしく家内が緊急出動、ぎりぎり間に合ったが心の準備が十分でなくはじめた。北朝鮮の映画「安重根伊藤博文を撃つ」(1979)の上映を始める前にストーリー、見どころを語り、時間の関係で早送りしながら若干づつ説明を加え、一部二部の全編を見せた。北朝鮮映画として壮大な背景、人員動員が大規模であるのに驚く。京城が主な舞台でありながら南大門、大漢門などが異なっていることが目立つ。しかし主人公の安や伊藤に似た人物を配役として歴史的な史実に基づいた真面目な歴史教科書的な映画と言える。日本では一般的に安重根は日本の英雄である藤博文を暗殺したただの殺人者であるのに韓国や北朝鮮では英雄であり、日本人の一部からは尊敬されているとの意見が出た。
 藤川氏は「なぜプロパガンダではないのか」という趣旨の感想を述べた。テロリストか? 英雄か?の問題である。彼の言葉を逆に解釈をすると北朝鮮への先入観、特に歴史的物語りやドラマ・映画が如何にプロパガンダ的であるかを意味する。彼は殺人者を英雄とするのは日本だって、特に下関では高杉晋作も同様であろうと言った。つまり高杉晋作が日本近代化の英雄と同様に安重根は 独立運動の英雄ということができる。殺人、戦争を批判するなら死刑も批判すべきであろう。「目には目、歯には歯で」とのハンムラビ法典として批判しながら「殺人は死刑」という法律は矛盾する。人類社会の存立にかかわる問題である。この映画はもっとも基本的な問題を提議しているのかもしれない。
 友松氏は今の日韓関係においてこのような暗殺の歴史を新しく「歴史認識」としてでっちあげ政治的な問題とするのが問題であると言った。中国ハルピンに安重根記念館、また中韓合作の映画「安重根」を製作中であるという。「反日映画」であろうという憂いがある。二人の女性からは家族や民族を愛国することは悪くないのではないかと言う意見も出た。これも大きい問題である。日本人から反日さえ理解すべきということになるからである。ここには反日を政治的に利用する愚かさと大きく対照的に「反日さえ理解しよう」とする普遍的な人類愛への発想が芽生える。私はキリスト教の愛を挙げてしまった。この北朝鮮の映画は平凡は歴史教科書的でありながら見方によって大きいメッセージを引き出せる名画ともいえる。