職場の前に自分で好きなものを選んで食べれる食堂があり、時々利用している。昨日の夕飯もそこで食べた。家内が仕事を終えて迎えにきたのは6時半頃であり、冬はこの時間で外は真っ暗。夕食を速くそこで済ませた。便利さを知って利用しているのは私たちだけではない。近くの住民たちも利用している人が多いように見える。昔ベトナムのハノイを訪ねて、一般の家族が自家では炊事をせず「買食」することを思い出した。
家族とは食を共にする共同体であり、韓国語では「食口」といわれている。しかしその食事の機能が薄くなる傾向にある。極端にいうと家毎に台所は必要では無くなる。それが皮肉に感じたが今高齢化社会の日本で起きていることを感じている。高齢の方々が食堂や出前を利用している人が多くなり、それが一般化するかもしれない。マンションなどに住む人が多くなり、共同食堂もついてホテル化する傾向がある。今後、老人ホームなどの施設のようなマンションが一般化するのではないだろうか。
写真は中国南部の少数民族の台所
家族とは食を共にする共同体であり、韓国語では「食口」といわれている。しかしその食事の機能が薄くなる傾向にある。極端にいうと家毎に台所は必要では無くなる。それが皮肉に感じたが今高齢化社会の日本で起きていることを感じている。高齢の方々が食堂や出前を利用している人が多くなり、それが一般化するかもしれない。マンションなどに住む人が多くなり、共同食堂もついてホテル化する傾向がある。今後、老人ホームなどの施設のようなマンションが一般化するのではないだろうか。
写真は中国南部の少数民族の台所