釜山港で一行を迎えて17人で安東の河回村と陶山書院へ行ってきた。出発して間もなく雨が降りはじめ終始雨の中の往復500キロの旅行となった。「精神文化の首都、安東」という看板が目立つ。焼き塩サバの名産地と宣伝されて有名になったが、民俗学者たちの創り話がそうなったことを知っている私としては名産物には賛同できない。しかし有名となったというので食べてみることとなった。雨の中の寒さなのに暖房も一切ない部屋で、ただサバのおかずで昼食、観光地としては考えられない設備、もてなしの悪いところであった。商業、行政、観光の雰囲気が強く自然な村とは感じにくい。しかし私は数十年ぶりであり新鮮であった。河回マウルの案内所の職員は昼時間であり、窓口に「食事中」という張り紙だけであって案内は全無であった。結局私が先頭に歩かなければならなかった。
月曜日は仮面博物館や仮面劇公演などもなくただ村を歩くことになった。ヤンバン家屋、柳成龍宅をみることを目指して村を歩いた。雨の中に村歩き、川辺の道に戻り1時間、市内を経由して北へ1時間走り、ダムに沿って山路の絶景、陶山書院についた。65歳以上は無料といって手を上げたが日本語が聞かれて前任全員有料となった。国籍が関係。李退渓先生が住みながら弟子たちを教育したところであり、吉田松陰のように感じた。バスの中では補充説明と質疑を行った。ヤンバンという身分、つまり下男やの存在に関するもの、村落の構成、女性の姓など本格的な講義のようにもなった。夕方船で帰る人のために6時に船着場に到着した。下関中等学校の教員であった呉氏が会いにきてくれて「クンジプ(大きい家)」でご馳走になった。今度の「文化探訪」は意味深く、それぞれに想いも,思い出も多いものとなった。
月曜日は仮面博物館や仮面劇公演などもなくただ村を歩くことになった。ヤンバン家屋、柳成龍宅をみることを目指して村を歩いた。雨の中に村歩き、川辺の道に戻り1時間、市内を経由して北へ1時間走り、ダムに沿って山路の絶景、陶山書院についた。65歳以上は無料といって手を上げたが日本語が聞かれて前任全員有料となった。国籍が関係。李退渓先生が住みながら弟子たちを教育したところであり、吉田松陰のように感じた。バスの中では補充説明と質疑を行った。ヤンバンという身分、つまり下男やの存在に関するもの、村落の構成、女性の姓など本格的な講義のようにもなった。夕方船で帰る人のために6時に船着場に到着した。下関中等学校の教員であった呉氏が会いにきてくれて「クンジプ(大きい家)」でご馳走になった。今度の「文化探訪」は意味深く、それぞれに想いも,思い出も多いものとなった。