崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「長過ぎ」の日曜日

2013年07月15日 05時21分03秒 | エッセイ
 三輪牧師の説教、願いと祈り、報酬と恵などをキーワードにして神との関係の特徴を語ってくれた。世俗的な仕組みとは異なる関係を明らかにした。人類学的にいえばインパーソナルとパーソナル関係の概念区分であろう。つまり商売では計算的であるが、人に土産を上げる時はその計算とは異なる心が働く。労働などの報酬超えた、つまり「恵」を考えて生きる心を考えた。その後、大学で映画祭の作品選びのための試写会を行った。我が夫婦以外に絹代塾の河波、村上、権藤夫婦、大学側から磯永、東、韓国から朴萬錫夫婦の諸氏が参加した。まず私が「海の生命線」(戦前の海軍省作)、「ペーパーチェース」「紅い高粱」などをスキップ、早送りで説明をした。
 ペルー映画の「悲しみのミルク」は最初から最後まで鑑賞した。母の恐怖は子宮にいた娘にまで伝わっている。暴力の時代が終わっても消えないレイプなどの暴力からの恐怖が記憶されている。この映画はそんな娘の姿を通じ、ペルーの人々が抱える内戦の傷跡と心情を重苦しくリアルに描く。コメントは様々。重苦しい、暗い、理解し難い、ペルー社会の異文化理解、女性監督の視点、受賞の意味、長過ぎなど否定的肯定的な要因を分析的に延々と議論した。
 私はこのような鑑賞会がとても良いと思った。しかし長すぎになってのではなかったか反省する。キリスト教の精粋の説教も長すぎ、繰り返しによって「誰に説教か」となりがちである。実は試写会のあとも話は続き、夜の9時近くまで続いた。「長過ぎ」の日曜日であった。