崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

鄭大均さんと

2013年07月27日 22時01分09秒 | エッセイ
 鄭大均さんと駅のカフェーで朝食を食べながらここ数年間の互いの話をした。彼も定年、好きなことをする自由を得たという。彼は会う度に私を分析的にいう。日本語の文章より言葉が面白いとか、半分以下の低い評価であろう。しかし私は彼の文章や言葉などは気にせず、いつも批判的なところが面白いと思っている。その彼が私に自叙伝を書いたらどうかといった。彼の言語生活からみて大げさにいうと極賛であろう。私はそれに提案した。対談で行いたいと注文、お互いに考えることにした。彼は本屋の事情にも情報が詳しい。川嶋氏の「竹林はるか遠く」は異常によく売れるという。これから出る反響を見守るという。そのあと私は本郷の東大赤門前を数回往復しながら第一書房とお茶の水書房を探して歩いて、初めて汗の水滴が落ちる体験をした。
 東洋大学の食堂で早めに昼食をとり、研究会場に着き、植野弘子先生が代表とする科研の研究「帝国日本のモノと人の移動」の研究会が延々と続いた。まず植野代表から研究目的や特徴、つまり日本化すなわち近代化の意味、台湾での女性教育など実態が見えるように語ってくれた。その後各自の研究テーマにそって発表し台湾、朝鮮、満州などと関連して理解する、あるいは比較するような、ワークショップのようであった。私は疲労も全く感じず面白い話に過剰反応、過剰発言をした。老暴であったと感じられたかもしれない。何と私の研究と関わりのある話が多くて自然にそうなってしまった。話は終わらないので懇親会に切り替えて続いた。私は先に立ったが携帯を落としてしまうなど、昨日に引き続き苦難の日であった。しかし、幸いにも八尾さんがホテルまで届けてくれた。ほんとうに感謝であった。チームワークの共同研究はメンバーたちとの理解、協力によってのみ目的達成に至るであろう。これからが楽しみである。

(写真、左から植野弘子代表、仏教大の鈴木文子、台湾の林、私、神田外語大の林史樹、元興寺文化財研究所の角南総一郎、八重山毎日新聞社の松田良孝、名城大の谷ケ城秀吉、県立広大の上水流久彦の諸氏、八尾祥平氏は写っていない)