崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

プマシ

2013年06月28日 04時49分02秒 | エッセイ
 朝、家内が犬を連れて散歩に出る時ちょっとした手伝い、ゴミ捨てに行った。そこである老女が居て我らがごみ袋をもって外に出る時我が愛犬のミミちゃんを抱いて待っていてくれた。家内は面識のない人が親切にしてくれると言った。しかし彼女は我等を記憶していると言う。いつだったか、かなり前にマンションが停電した時、階段を歩いて登る時途中で彼女が荷物を持って休んでいた。家内が彼女の荷物を持って一緒に歩いてあげたことを覚えていてくれた。ほんの小さいことで忘れていても相手がしっかり覚えていてくれることがある。教育では小さい話が大きい効果を出すことが多い。しかし多くはやってあげても相手からかって来ることはあまり期待出来ないのが一般的である。そのバランスを取るのは難しい。韓国語でプマシということばがある。やった分は貰える。その分相手へ返すという単純な法則がある。その法則とは緩やかなもので物物交換のようなものではない。
 私は母からほんとうに無限な愛情をいただいたが返さなかった。それを広く考えてみると人間関係の失敗部分の大部分は人からの恩を返せなかったことであると反省している。私の教え子に二つのタイプがある。一つはA女(男)は私が忘れたことにも感謝している。B女(男)はやってあげても当然のように考えて感謝を見せたことはない。このようなことは孝行と不孝とか、恩と不恩などのアンバランスの関係であろう。普通の人間関係や社会関係もこの延長線で言えるものが多い。いろいろな行事を主催をすると主催側が集客に神経を使って言うことを聞く。そんなことを言っている人は他人の主催の処に参加することはないか、少ない。明日「絹代塾」で医学博士平井愛山先生が名画「楢山節」を見せながら講演をする。プマシではないが振るって参加をお待ちしている。

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