今朝のNHKラジオ深夜便で女優の秋吉久美子氏の話が流れた(再放送)。その話の中の二つの言葉で耳を傾けた。一つは俳優になろうとしたきっかけについての質問にしばらく間をおいてから「受験勉強が嫌だったから」であり、もう一つは「田中絹代の役を演じてみたい」という言葉である。皆が受験勉強が嫌だから入った道が大成功になるとすれば学校制度の教育は存在しないだろう。そして今の私の存在もないだろう。私は受験勉強が嫌な学生の前では「試験」という言葉を極力控えている。しかし秋吉久美子氏は受験勉強を避けてもそれ以上の勉強、師弟関係を求めて頑張っていたことが指摘できる。今の教育制度の受験勉強のパラダイムを変えて多様化すべきであろう。
また女優田中絹代(1909~77)を演ずるということはどういうことだろう。秋吉久美子氏(写真栗橋隆悦)が絹代を演ずるということは絹代をそのまま真似するのではなく、吸収して自分を表現するということである。「田中さんの生涯を演じてから、芸能界にいるのが楽になった」と言う。何と偉大な人生語りであろうか。彼女の生き方から大きいメッセージを受け取ることが出来る。われわれは祖先たちが平凡に生きたことをただ同じように繰り返しているようであるが、そいうわけではない。親や先生などをただ真似する訳ではない。ただ繰り返すようであり、実は自分を創造しながら生きているのである。
来週3月20日には田中絹代の墓参りを予定している。墓の前で自然体で田中絹代との対話を準備する気持ちである。
また女優田中絹代(1909~77)を演ずるということはどういうことだろう。秋吉久美子氏(写真栗橋隆悦)が絹代を演ずるということは絹代をそのまま真似するのではなく、吸収して自分を表現するということである。「田中さんの生涯を演じてから、芸能界にいるのが楽になった」と言う。何と偉大な人生語りであろうか。彼女の生き方から大きいメッセージを受け取ることが出来る。われわれは祖先たちが平凡に生きたことをただ同じように繰り返しているようであるが、そいうわけではない。親や先生などをただ真似する訳ではない。ただ繰り返すようであり、実は自分を創造しながら生きているのである。
来週3月20日には田中絹代の墓参りを予定している。墓の前で自然体で田中絹代との対話を準備する気持ちである。
「さらば愛しき大地」という映画、、、、茨城県の農村を舞台にものすごくリアルでベットシーンが多い映画でしたが、
その映画を思い出します。 昔の日本映画は迫力があったし、俳優も今よりは演技がうまかったですね。