今、日韓関係の膠着状況を打開するキーパーソンは誰か。前回は「ヨン様」であった。今度は誰か。「和解のために」を訴える朴裕河教授が韓国で訴訟されて、裁判が進行中であり、皮肉な状況であるといえる。過度な民主主義の所為か、韓国では訴訟が多い。産経新聞の加藤氏の件など一連のことをみると全国民が違反者扱いになるのではないだろうか。まるで「ポケットを叩いて塵が飛ばない人はいない」つまり誰でも違反したことがある「罪人」ということになる。中国や北朝鮮では法律違反と摘発という形で粛清をすることは誰でも知っている。言論の自由とはただしゃべりたい人を放置する意味ではない。生死にかかわる人権の意味がある。反日感情文化は韓国社会の最大の癌的存在だと思う。
昨日の「毎日新聞」の<今週の本棚>に韓国の朴氏の『帝国の慰安婦~植民地支配と記憶の闘い』の書評が載った。私は韓国語と日本語の両著を読んでおり、彼女の学識、勇気などを高く評価している。本の大部分は研究史的文献をよく整理されており、特に彼女自身の調査研究による慰安婦たちへのインタビューの価値が大きいと思った。しかし慰安婦とその関わりの組織などから訴訟問題が出されている。韓国で日本関係の反日的否定的反応は新しくはない。このような類は<醜い韓国><スカートの風><ようこの話>など韓国の反日感情による否定的反応による著者たちの苦労話しを聞いたことがある。民主化や経済成長は早くとも韓国の国民意識はそれほど成熟していないことを指す。
このようなことは今、現在の話だけではなく古く遡れる。韓国儒教論には「理」と「気」の2大説がある。栗谷先生は感情の「気」を注視した。私は李退渓の理気説より栗谷の方が正しいと思っている。韓流ブーム以来韓国ドラマが日本にも定着しているが映像は感情「気」が中心である。「気」によっては思考、思想を深めるには不足がある。読者層が薄い韓国でテレビ画面を消して、本を読むことを勧めたい。結構勇気が要ることである。
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