崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「熟味」

2013年04月21日 05時24分23秒 | エッセイ
 家内のお姉さんが千葉から来られてから1週間、昨日駅で見送った(写真上:姉さんが家内の指処置する)。何と、別れの寂しさが湧いてきた。私は姉妹との暮らしをしてから、家内に遺言のように語った。私が死んだらお姉さんと一緒に暮らすのら私は安心だよと、死後のことを頼んだ。それが義理の姉と1週間暮らしての総合評価のよなものであった。食卓はやや和食風になり我が家のものと合わさってややメニュが多くなった。食卓上には海藻やねばねばのものが増えた。
 私はソウルの姉から送られてきた古いギンジャン・キムチが冷蔵庫に入ったままで気になった。そのキムチをだして一度軽く洗ってごま油を若干混ぜて弱火で永く煮た。この食べ方は韓国でも食堂では食べられないものである。子供の時覚えた味であり、韓国料理とはいえない。和食とはほど遠い食べ方である。それがお姉さんに喜んでもらえるとはとても思わなかった。分量の多い鍋が一瞬に消耗されたことに私は嬉しく、一躍名シェフにでもなった気分であった。秘訣(?)まで教えることになった。私曰く、料理とは「火の扱い方法」が重要である。若者の料理は短く高熱で、味が滲みわたるには時間が足りないと批評しながら「熟味」の味について語った。若者のクレージー・ラブの熱は熟愛へ熟していくのである。(写真下:杉村と坂本両氏からの見舞花) 

 
 

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