崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

楽しい道

2013年04月22日 04時54分18秒 | エッセイ
 午前中「十字架を背負う」という重い内容の説教をした牧師の奥さんの運転で大韓宇部キリスト教会へ向かった。そこへ行く道を比較的に私が知っているがナビの通りに行った。別れの交差点で私は自分で知っている道を指したがナビは異なった方向へと案内する。運転する人はナビの通りに方向を変えた。結局行き過ぎ、逆もどりする遠回りの道であった。しかし式が始まるまでは1時間半も早かった。春の日和に広い森の中のガラス張りの教会の周りの散歩と歓談は楽しかった。別府や福岡などからも人が集まり、牧師と長老、信者には顔見知りの方々が混ざっていて挨拶の握手と目礼、笑い声が続いた。礼拝時間に金正明氏の長老就任式が行われた(記念写真)。十数人は登場して司会、開示、説教、奨励、祝辞、祈り、讃美歌などが行われた。全員が個性のある面白いスピーチであった。矢張りスピーチの上手い韓国文化を感じた。
 私の出番は全くなかった。ただ一番後ろの席での「臨席」であった。式が終わると私の出番のように日本語の知らない韓国からのお客さんと歓談した。その場では私が長く務めた啓明大学校出身の方が4人もいて、「先生」となったような話題であった。名刺が足りず拙著のエッセイの本と寄稿文のある新聞を代わりにあげ、自己紹介もした。韓国料理で夕食を早めに済まして帰路はナビより私の指示によって帰宅することとなった。牧師夫妻と我が夫婦4人だけの狭い空間ではやっと出番一番のようになった。先日家内の手の手術の時に送り迎えの時に語った我が夫婦の人生、後編のように語った。その所為か早く帰宅した。しかし時計は夜9時近かった。行くには遠回りの道であったが、帰り道は直線に近い道であったか。遠回りの丸い道が誤りの道、直線の道が正しい道(近道)であった。楽しい道が正道であろう。


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