いろいろな学内外、国内外の行事を準備するところに参加するごとにキーパーソンを誰にするかを考える。その人は学識や人脈を持っている人を意味する。昨日は私が信頼する友人の同僚に大きい行事を担当するコーディネーターとして依頼することにした。行事を成功させるためにはこのような人の選定が重要である。キーパーソンとかコーディネーターかは時代によって名称が変わる。コーディネーターとは古い言葉では中心人物といえる。戦前大日本帝国において盛んに行われた「地方改良」「地方振興」の運動では「中心人物」と呼んでいた。昨日は1930年代の宇垣一成総督の「地方振興」に関する「中心人物養成」に関する資料を読んだ。その「中心人物」は今の言葉でいうならキーパーソンkey personである。
「中心人物養成」とはある一定期間に集中的に訓練教育することをいう。古くは慶応塾、近くは松下塾とかがその成功例であろう。私は今小さい塾の塾長を務めているが、その志は大きい。しかし私はセマウル運動が盛んな時、その養成訓練を受けた者であるが(写真)、当時かなり批判的であったことを思いだす。それは開発独裁の見せかけの政策と思ったからであった。今それを反省している。塾は練習と訓練であり、決して見せかけの行事を狙ってはいけない、信念によるものでなければならないとと思っている。それによって育つ人物が長い後にでも「中心人物」になればよいという信念である。その内部の修養的なものが外向けの宣伝行事になってもよい。それは情報提供であり、文化を共有することである。
「中心人物養成」とはある一定期間に集中的に訓練教育することをいう。古くは慶応塾、近くは松下塾とかがその成功例であろう。私は今小さい塾の塾長を務めているが、その志は大きい。しかし私はセマウル運動が盛んな時、その養成訓練を受けた者であるが(写真)、当時かなり批判的であったことを思いだす。それは開発独裁の見せかけの政策と思ったからであった。今それを反省している。塾は練習と訓練であり、決して見せかけの行事を狙ってはいけない、信念によるものでなければならないとと思っている。それによって育つ人物が長い後にでも「中心人物」になればよいという信念である。その内部の修養的なものが外向けの宣伝行事になってもよい。それは情報提供であり、文化を共有することである。
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