崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

収穫感謝祭

2014年11月17日 04時29分51秒 | 旅行
昨日はキリスト教の感謝祭であった。信者は十数人しかない出席していない寂しい礼拝であった。感謝祭とは新大陸へ移住した清教徒たちが開拓して収穫したものを神様に捧げて感謝を捧げたところから始まった。礼拝の教壇には野菜のほかに柿、リンゴなど象徴的な供え物があった。聖餐式でパンとブト酒を受けながら我が家は収穫したものは何だろうと考えた。目に見えるモノとしては朝鮮総督府の嘱託であった村山智順著『朝鮮の巫覡』を韓国語で民俗苑から出版したことである。また数多くの講義や講演、そして雑誌や新聞などにも発信したこともあった。それらは健康に恵まれたこと、主治医の池田先生に感謝である。
何より感謝すべきであるが照れくさくてなかなか言葉では言いにくいが、私の恩師の名言がある。奥さんから感謝の言葉を求められていった言葉であるらしい。「夫婦は一心同体、手や足にいちいち感謝の言葉を言うものか」と。これ以上誉め言葉はないだろう。感謝すべきことは無意識の中に多い。日本では小さいことでもありがとうと感謝の言葉を交わす。素晴らしい。しかし見えない大きい恩に感謝する心が足りない。報恩ということばにはアルレギーがあるのかもしれないが深く考えてみるべきである。

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